崇峻天皇御書(三種財宝御書)2009:10、11,12月号大白蓮華より。先生の講義 

崇峻天皇御書(三種財宝御書)2009:10月号大白蓮華より。先生の講義 

人の振る舞いこそが仏法の真髄

 仏法は「人の振る舞い」の中にあります。

 「法」は目に見えない。しかし、「人の振る舞い」を通して見ることとはできる。仏法を行ずる人間の中にこそ、確実に「法の真価」が発揮されているからです。

 ゆえに、リーダーは人間の中に飛び込み、一人一人と語り、喜びも悲しみも共にしながら、手と手をとりあって一緒に前へ前へと進んでいくのです。友に希望と励ましを贈り、苦難に立ち向かう勇気を吹き込み、悪と戦い、皆を守り、尊き、慈しんでいく。そうした現実の人間としての信念の振る舞いを離れて、仏法は存在しません。

 妙法流布のために、誰よりも祈り、誰よりも戦う人こそ、仏法の真の指導者といえます。仏とは、戦う人の異名です。真剣な民衆救済の「人の振る舞い」がある限り、仏法は「生きた宗教」として永遠に輝きを放っていきます。

 反対に「人の振る舞い」の息吹がなくなれば、色あせた「死せる宗教」となってしまいます。

 釈尊も、日蓮大聖人も、民衆救済のために、行動する「人の振る舞い」を厳然と残されました。常に、「民衆の中へ」「人間の中へ」と。万人の仏性を開く対話の連続であられました。

 もちろん、人間の行動自体は千差万別であり、振る舞いにも十界の境涯が現われます。ここでいう「人の振る舞い」とは「万人を敬う」という仏界の生命が発揮された行動にほかなりません。また、現実の九界の世界において、自他ともの幸福を目指し、成長していこうとする一切の所作も、ここで示す「人の振る舞い」といえます。

 とりわけ、一切衆生の仏の生命を開いていく「人を敬う振る舞い」とは、不軽菩薩の振る舞いを指します。それは同時に、民衆救済のために悪と戦い、善を広げる日蓮大聖人のお振る舞いであられます。

 広宣流布に励む「地涌の菩薩」一人一人の行動も、その振る舞いと同じです。

 仏と同じ「人を敬う」行動を貫く一人の人間、その人間に光を当てるのが仏法です。

 今回から拝する「崇峻天皇御書」(三宝財宝御書)は建治3年(1277)9月に著されたお手紙ですが、大聖人は四条金吾に対して、苦境においてこそ「人の振る舞い」が重要であることを示され、賢人として生き抜く意義をおしえられています。

 仏法者として、いかに正しく行動していくのか。苦境を打ち破るために、いかに強く賢く振る舞うべきか、この真髄の生き方が本抄の隨所に綴られています。私たちは広布と人生の勝利の糧として、日蓮大聖人が示された賢人の生き方を深く学んでいきたい。

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