崇峻天皇御書(三種財宝御書)2009:10、11,12月号大白蓮華より。先生の講義 

本文

  此れにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ、一定かたきに・ねらはれさせ給いなん・すぐろくの石は二つ並びぬればかけられず車の輪は二あれば道にかたぶかず、敵も二人ある者をば・いぶせがり候ぞ、いかにとがありとも弟ども且くも身をはなち給うな

現代語訳

 それにつけても、あなたの身の上が危険に思われる。必ず敵にねらわれるであろう。すごろくの石は二つ並んでいなければならないし、また車の輪は二つあれば道でかたむかない。このように敵も二人結束している者に対しては攻撃をためらうものである。このようなわけであるから、どのような過失があなたの弟達にあったとしても、少しの間であっても側からはなさないようにしなさい。

講義

細心の心配りが指導者の要件

 本抄の前段の部分で、大聖人は「内薫外護」の法理を引き、根本は金吾自身の信心ゆえに事態が解決に向けて大きく変化したことを喜ばれます。勝利を決定づけうるうえで、大事なのは「これから」です。「油断は大敵」です。大聖人は金吾に対して、この段からこまごまと注意を与えられていきます。

 細心の心配りこそ、指導者の要件です。大物ぶって小事をないがしろにするのは、無慈悲なリーダーと断じざるをえない。

 四条金吾に宛てた他の御書でも、「敵と申す者はわすれさせてねらふものなり」(1185:四条金吾殿御返事:15)と仰せです。魔は心の隙をついてくる。ですから、一言の注意が魔を打ち破る大きな智慧になる。事故を未然に防ぐことができる。沈黙は無責任です。例えば、学会の会合で、終了後に交通事故への注意を促すことも、あるいは、階段で転倒しないように呼びかけることも、慈悲の仏事の声であり、仏法の人間主義の振る舞いです。

 さて、大聖人は四条金吾に「此れにつけても」と仰せられ、話題を今後の対応に向けられます。まず依然として金吾の身には危険が迫っていることを心配なされています。

 無論、金吾も、自分の身が狙われていることを重々承知していたはずです。しかし、金吾の心のどこかに“信心しているから大丈夫だろう”という気持ちが働いていたのかもしれません。そうした心の隙を戒めるために、大聖人はあえて警鐘を鳴らされたと拝せられます。

 続いて「自軍の駒が二つ並んでいると、相手の駒に技をかけられることはない」という当時の双六の例や、「輪が二つあることで傾くことのない」車の話を挙げられて、危機を乗り越えていくうえで、味方をつくることの大切さを教えられている。すなわち、たとえ、いろいろな失敗や欠点があったとしても弟たちを味方にし、常に行動をともにしていけば、敵に狙われることがなくなると指導されます。

 「絶対に独りで行動しないように」と、これほどまでに強調されているのは、いつ襲撃されてもおかしくない緊迫した状況が続いているからです。主君からの信用回復の機会を得て、一つの峰を乗り越えた今が、一番、大切だからこそ、大聖人は、本抄であえて厳しく御指導されています。何よりも門下の身を案じられる師匠の大慈悲が迫ってくる一節です

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