松野殿御返事(十四誹謗の事)

松野殿御返事(十四誹謗の事)

  1. 【背景解説】
    1. 背景と家族構成
    2. 十四誹謗と題目の功徳
    3. 十四誹謗の内訳
    4. 信者間の団結
    5. 雪山童子の物語と僧侶の在り方
    6. 結論:門下としての実践
  2. 第一章(延山の様子と音信への謝意)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 大聖人の身延での生活
  3. 第二章(実相寺の学徒日源について)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 実相寺の学徒日源について
  4. 第三章(法華経の修行と十四誹謗)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も・愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり、但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり
      2. 阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し毘盧の身土は凡下の一念を逾えず
  5. 第四章(法門の聞き難きを示す)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 此の経は正しき仏の御使世に出でずんば仏の御本意の如く説く事難き云云
      2. 何に賎しき者なりとも少し我れより勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべし
      3. 何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし
  6. 第五章(雪山童子の思いを示す)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 無常について
  7. 第六章(雪山童子と不惜身命の求法)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 半偈の為に猶命を捨て給ふ、何に況や此の経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや何を以てか此れを報ぜん
  8. 第七章(法師の死身弘法を説)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 法師の皮を著たる畜生なり
      2. 我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ
      3. 自ら身命を惜まず
      4. 本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり
  9. 第八章(在家の在り方と臨終の様相)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. それも経文の如くならば随力演説も有るべきか
      2. 今生の悦びは夢の中の夢・霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれ

【背景解説】

背景と家族構成

1276年(建治2年)の末に認められたこの書状は、入道である松野六郎左衛門への返信です。松野家では、彼自身、妻、息子、そして義理の娘の4人が大聖人からお手紙を受け取っています。彼の娘の一人は南条兵衛七郎と結婚し、大聖人とその弟子・日興上人の熱烈な支持者であった南条時光を産みました。松野が入信したのは、この南条家との縁がきっかけであったと考えられています。

十四誹謗と題目の功徳

この書状では、妙楽大師の『法華文句記』を引用し、**「十四誹謗(じゅうしひぼう)」**について解説されています。これらの誹謗は、もともと法華経「譬喩品(ひゆほん)第三」に説かれているものです。「聖人が唱える題目と、凡夫が唱える題目に功徳の差はあるのか」という問いに対し、大聖人は「差はない」と答えられました。しかし、「もし法華経の意(こころ)に背いて題目を唱えるならば、そこには差が生じる」と続け、その「経の意」を十四誹謗に言及することで説明されています。

十四誹謗の内訳

十四誹謗のうち、最初の10項目は**「法」(仏の教え)に対する態度や行動に関するものであり、残りの4項目は、その法を信じ修行する「人」**に対するものです。

信者間の団結

大聖人は信者同士の団結の重要性を強調し、「法華経を信じる者たちは、互いに決して誹り合ってはならない」と戒められました。その理由は、「法華経を信じ持つ者は誰もが間違いなく仏であり、仏を誹ることは重大な罪になるから」です。つまり、十四誹謗の後半4つである「軽善(きょうぜん)・憎善(ぞうぜん)・嫉善(しつぜん)・恨善(こんぜん)」(軽んじ、憎み、嫉み、恨むこと)を強く警告されているのです。

雪山童子の物語と僧侶の在り方

次に、仏教の教えを学ぶために、自らの体を荒れ狂う鬼に捧げた**雪山童子(せせんどうじ)の物語を詳しく引用されています。大聖人は松野に対し、この菩薩の精神を自身の信仰と修行の模範とするよう促されました。さらに、仏法を真摯に学び修行し、誹謗する者を正そうとする精神を持たない僧侶は、「衣を着た畜生」**であり、僧侶の名を語る泥棒にすぎないと明確に述べられています。

結論:門下としての実践

最後に、大聖人は松野に対し、在家の信徒としての修行の在り方を教示されました。

  • 南無妙法蓮華経と唱えること。
  • 供養をもって僧侶を支えること。
  • 法華経の説く通り、**弘教(法を広めること)**に尽力すること。

ここで言及されている「僧侶」とは、決して誰でもよいわけではなく、この書状で示された精神のままに修行に励む「大聖人の弟子たち」を指していることは、前後の文脈からも明らかです。

 

 

第一章(延山の様子と音信への謝意)

本文

鵝目一結・白米一駄・白小袖一つ、送り給び畢わんぬ。
そもそも、この山と申すは、南は野山漫々として百余里に及べり。北は身延山高く峙って白根が岳につづき、西には七面と申す山、峨々として白雪絶えず、人の住み家一宇もなし。たまたま問いくるものとては、梢を伝う猿猴なれば、少しも留まることなく、還るさ急ぐ恨みなるかな。東は富士河漲って流沙の浪に異ならず。かかる所なれば、訪う人も希なるに、かように度々音信せさせ給うこと、不思議の中の不思議なり。

現代語訳

銭一結、白米一駄、白小袖一枚、以上の品々を送っていただきました。そもそも身延山のこの地は、南側は野山が遠くはてしなく続いて百余里に及んでおり、北側は身延山が高くそびえたって、白根が嶽に続いている。西側には七面という山が嶮しくそびえ立ち、白雪の消えることがない。人の住む家は一軒もない。たまたま訪れるものといえば、梢を伝わってくる猿なので、少しの間もとどまることなく、帰りを急いでいくのは、恨めしい事ではある。

東側は富士河がみなぎって、流沙のように波立っている。このような所であるから、訪れる人など滅多にいないのに、このように、たびたび御供養の品々を送られたり手紙を書き送られるということは、不思議のなかの不思議である。

 

語釈

鵞目一結

鵞目は孔のあいた銭のこと。鎌倉時代の通貨。鵞目、鳥目、青鳧等と呼んでいた。鵞目は、丸い銭の真ん中に四角い穴のあいているのが、鵞鳥の目に似ているところから、このようにいわれた。一結は、銭の中央の穴に紐を通して一連にしたもの。

 

一駄

馬に積んだ荷を計算する単位。馬は古くから荷役に使われてきたが、中世に交通上の要地に馬借が活躍していたころには、通例一頭で二十五、六貫の荷物を運んだようである。

 

白小袖

白無地の小袖のこと。

 

漫漫として

遠くひろびろとしたさま。

 

白根が嶽

甲斐国中巨摩郡と南巨摩郡にまたがる山。古くは「甲斐が根」とよばれ、現在は白根山、白根三山あるいは白峰三山と呼ばれている。北岳、間の岳、農鳥岳の三峰よりなり、北岳の標高は(3193㍍)。富士山に次ぐ日本第二の高山である。一年中白雪があるほど高いのでこの名がある。

 

七面

七面山。七面の嶽。山梨県南巨摩郡にある。白根山の一翼をなす標高1982㍍一の高山。早川の南にそびえ、春木川を隔てて身延山と向い合っている。頂上部の東面に「なないたがれ」と呼ばれる七つの断崖があるところから七面山という。

 

一宇

一つの棟・家屋。

 

猨猴

サルのこと。

 

流沙

普通は砂漠のことをいうが、川辺の砂地などのような草木の生えていない場所を意味する。

 

音信

おとずれ、便り。

 

講義

  本抄は、建治2年(1276129日、日蓮大聖人が身延に入られてからの御述作とされているが、御真筆は現存しない。別名は、内容から「十四誹謗抄」と称されている。

本抄の大要は、松野殿が、題目の功徳の勝劣有無を質問したのに対して答えられた御消息である。まず経釈を引用され、十四誹謗を挙げて、これを戒め、求道心を勧めて、雪山童子が半偈のために身を投げた物語を詳述している。そして僧侶には遊戯雑談の態度は畜生、盗人であると禁め、本迹二門と涅槃経の文により、不自惜身命の弘経を説き、在家には唱題と供養とを説いて、成仏の境涯を明かしている。

 

大聖人の身延での生活

 

日蓮大聖人は、鎌倉幕府にたいして、立正安国論をはじめとし、数々の諌暁を続けられたのであるが、幕府指導者は、これを聞き入れず、かえって、大聖人に迫害を加えるばかりであった。佐渡より帰られてからも大聖人は三度目の国家諌暁を試みられた。だが用いられないため、大聖人は、三度諌めて用いられずば国を去るとの故事にならって、身延に入られたのである。

それは隠棲の形を取るものであったが、事実上は、文底深秘の三大秘法を、末法万年の未来に伝えるため、広宣流布の布石を全うするための戦いであって、ひたすら重要御抄の執筆と、人材育成に専念なさったのである。

当時の大聖人の心境については、種種御振舞御書に「本よりごせし事なれば三度・国をいさめんに・もちゐずば国をさるべしと、されば同五月十二日にかまくらを・いでて此の山に入る」(0923:01)とあり、また下山御消息に「国恩を報ぜんがために三度までは諌暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり」(0358:04)と心中を吐露されている。光日房御書には「日本国のほろびんを助けんがために三度いさめんに御用いなくば山林に・まじわるべきよし」(0928:05)ともいわれている。大聖人は、再び忍び寄る外敵の恐怖と、年々続く飢饉による窮乏の原因は、一国謗法にある、と断言なされ、謗法を対冶することが一切を救済することであると主張された。

だが、幕府は依然として用いないために、大聖人は、三度諌めても用いないなら、山林に交わる以外にないと覚悟され、また国主が用いないものを、それ以下の者に説いても無駄であると身延に籠られたのである。

さて、身延の様子については、本文にも記されている通り、人里離れた不便な地であり、他の諸抄にも、その様子が説明されている。

種種御振舞御書には「此の山の体たらくは西は七面の山・東は天子のたけ・北は身延の山・南は鷹取の山・四つの山高きこと天に付き・さがしきこと飛鳥もとびがたし、中に四つの河あり所謂・富士河・早河・大白河・身延河なり、其の中に一町ばかり間の候に庵室を結びて候、昼は日をみず夜は月を拝せず冬は雪深く夏は草茂り問う人希なれば道をふみわくることかたし、殊に今年は雪深くして人問うことなし命を期として法華経計りをたのみ奉り候に御音信ありがたく候」(0925:06)とある。

御文に「昼は日をみず夜は月を拝せず」とあるから、光も通さないほど木立が鬱蒼と生い茂っていたのであろう。「夏は草茂り問う人希なれば道をふみわくることかたし」は、いかに人里離れた地であったかということが伺える。

しかし、このような自然的地理的な悪条件にもかかわらず、各地方の弟子檀那との文通は絶えることなく、真心の御供養を持参して訪れる人もいたようである。そして、次第に身延には、相当数多い弟子檀那が出入りし、指導を受け、講義を聞いたようである。

また、各方面に配置された弟子達は大聖人の指導の下に、弘教の戦いを展開していたのである。すなわち、上総方面には日向、下総には三位房、大進房、日頂、富木、大田、曾谷氏等、相模には日昭、日朗、四条氏等、そして駿河、甲斐には日興上人を中心とする南条、高橋、松野、大内、石河氏等が活躍していた。

当時の身延における法華経講義については、日蓮大聖人年譜に「延山蟄居の後御弟子衆の請により法華経の御講釈あり、日興度々聞を集め部帙を成して御義口伝と名づく、亦日興記と号するなり」とあり、五十の坂を越えた大聖人は、弟子に向かって、仏法の深遠な大哲理を説かれたのである。

 

 

第二章(実相寺の学徒日源について)

本文

実相寺の学徒日源は日蓮に帰伏して所領を捨て弟子檀那に放され御座て我身だにも置き処なき由承り候に日蓮を訪い衆僧を哀みさせ給う事誠の道心なり聖人なり、已に彼の人は無雙の学生ぞかし・然るに名聞名利を捨てて某が弟子と成りて我が身には我不愛身命の修行を致し・仏の御恩を報ぜんと面面までも教化申し此くの如く供養等まで捧げしめ給う事不思議なり、末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧・比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり、此学徒日源は学生なれば此の文をや見させ給いけん、殊の外に僧衆を訪ひ顧み給う事誠に有り難く覚え候。

現代語訳

岩本実相寺の学徒日源は、日蓮に帰伏したことによって、所領を奪われ自分の弟子檀那に追放されて、自分の身さえも置く場所がない境遇にあると聞いていたが、それにもかかわらず、日蓮を訪ね、日蓮の弟子たちにたいしても、いろいろと心をくだいて下さっているということは、誠の信心であり、聖人である。

すでに、日源は、並ぶものがないほどの学者である。にもかかわらず名聞名利を捨てて、日蓮の弟子となり、わが身には「我不愛身命」の修行をして、仏の御恩を報じようと、あなたがたまでも教化し、このように、御本尊へ供養まで捧げるように導いたことは、まことに不思議という以外ない。

末世においては、犬のような僧や尼は、恒河の砂ほどたくさん出現する、と仏は説かれている。この文の意味は、末世の、僧や尼は名聞名利に執着し、外には、袈裟、衣を着ているので、姿かたちは僧や尼に似ているけれども、内心には、邪見の剣を携え、自分の出入りする檀那のところへは、他の僧尼をよせつけまいとして、いろいろと、ありもしない悪口をならべたてるのである。このように、他の僧尼を寄せつけないようにして、檀那を独占しようとするさまは、譬えていえば、犬が人の家で餌にありついて食べているところへ、あとから他の犬が来るのを見て、いがみ吠え、噛み合いのけんかをするようなものだ、という意味である。このような僧尼は、当然全て悪道に堕ちるのである。この学徒日源は、学者なので、この涅槃経の文を、おそらく読んだのであろう。

ことのほか、日蓮や、また、弟子達を訪れ、いろいろと心を使われるということは、まことに有りがたいことと思う。

 

語釈

実相寺

駿河国岩本(静岡県富士市岩本)にある寺。もとは天台宗延暦寺系の古刹。院主の無軌道な乱行が続いたため、もともと実相寺に住んでいた日興上人は、「実相寺大衆愁状」でこれを告訴した。

 

道心

仏道を求める心。

 

聖人

①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。

 

無雙

並ぶものがなく勝れていること。

 

我不愛身命

勧持品で大菩薩が仏滅後の弘法を誓い「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」と述べている。不自惜身命と同意。

 

狗犬の僧尼

犬のような下劣な僧侶のこと。名聞名利に執着し、心が曲がっている。邪見・謗法の僧尼のこと。

 

恒沙

ガンジス河の砂のことである。ガンジス河はヒマラヤ山脈を源とし、東へ流れてベンガル湾に注いでいる大河。インド三大河の一つで、昔から霊験に富んだ河として、人々から尊崇されていた。恒沙とは、ガンジス河の沙のように無数であることを譬える。無量無数のという意となる。

 

邪見の剣

正しい法の道理を無視する僧侶。

 

讒言

人を陥れようと、事実を曲げ、偽って悪口を言うこと。また、そのことば。法華経勧持品第13では、僭聖増上慢が不当な誹謗・悪口を国王・大臣など在家の権力者に吹き込み弾圧させると説かれる。

 

悪道

悪業によってもたらされる3種の苦悩の世界のこと。地獄・餓鬼・畜生の三つをいう。

 

講義

  本章は、実相寺の学徒日源が、迫害にも負けず、信心を貫き、大聖人におつかえしていることを称賛された文である。日源は日蓮大聖人の門下となったことで、所領を奪われ、追放されたが屈せず、折伏を続け、大聖人への御供養もすすめた。このことにたいして、大聖人は、名聞名利を捨てて、真実の仏法を求め、我不愛身命の修行をするものであり、実に不思議なことであると、称賛なされている。

そして、末法には、狗犬のような僧尼が数えられないほどおり、名聞名利に執着している中で、この日源は、そうではない上、わが弟子達にまでいろいろと心遣いをして下さるということは、稀なことであると絶賛されているのである。

 

実相寺の学徒日源について

 

本章で、日源が大聖人門下となったために「所領を捨て弟子檀那に放され御座て我身だにも置き処なき」状態になったとある。当時の岩本実相寺は、駿河国でも有数な天台系の古刹であった。鎌倉幕府とも関係が深く、手厚い保護を受けていた。源頼朝が兵を挙げた時も、この寺へ来て平家調伏の祈禱をしたし、北条時頼もまた、一族繁栄のために祈禱をした。さらには、頼朝の弟である阿野全成もこの寺に関係が深かったのである。したがって、一地方の寺というよりもむしろ幕府を背後にもった大寺院であったといえる。このため、人の出入りも多く、僧も多数集まったのである。

日源は、御文に「学徒」あるいは「学生」とあるので、おそらく、その頃は平僧の身分であったと思われる。他の記録には、学頭日源とされているが、これは誤りである。

平僧の立ち場ではあったが「弟子檀那に放され」とあるところから弟子や檀那を持つ身分であったことは明らかである。そのような幕府の影響力の強い実相寺の僧でありながら、日源は、幕府から激しい迫害を受けている日蓮大聖人の弟子となったのである。したがって、日源への迫害も激しく、加えて実相寺大衆は多いだけに、なおさらであったと思われる。

それも、日源は、静かに大聖人の一門に投じていたわけではない。折伏弘教の闘将、日興上人の門下として、実相寺、さらには四十九院と賀島荘一帯の折伏弘教を展開したのである。

それは日興上人を中心とした、日持、日源、日位等の苛烈な折伏であった。このため、実相寺の院主、さらに四十九院の院主も気を動転させて、遂には大弾圧を起こさせるほどであった。この結果、日興上人門下は全部追放されたのである。それは弘安元年(1278)のことで本抄御述作より3年後にあたる。

このことについては、「四十九院申状」に詳しい。

以上の時代状況の中で真実の仏法を弘教することは、至難ともいうべきことであった。日蓮大聖人は、帰依したばかりの日源にたいして心底から激励されているのが、この章である。

僧侶であっても末法の僧は、名聞名利に執着している。そのために外見は立派で、袈裟や衣を着飾り、聖僧然としているが、内面は、自分の檀家を他の僧にとられまいとする独占欲が実に強い。正に醜い畜類にも似た者が末法の僧である。だが、日源は違うと大聖人は称えられている。御文に「誠の道心なり聖人なり、已に彼の人は無雙の学生ぞかし」と称賛されているのがそれである。

また「然るに名聞名利を捨てて某が弟子と成りて我が身には我不愛身命の修行を致し・仏の御恩を報ぜんと面面までも教化申し此くの如く供養等まで捧げしめ給う事不思議なり」と、大聖人は日源を聖僧として理想的な仏道修行をしているとたたえておられる。だが、このことは、一人、日源をたたえられたのではなく、暗に、末法の全僧侶は、かくあるべきである、と示唆なさると共に、在家もまた、そうあるべきであるとされているとも読むべきであろう。

 

 

第三章(法華経の修行と十四誹謗)

本文

御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是・自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり、但し聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も・愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり、但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり、此の経の修行に重重のしなあり其大概を申せば記の五に云く「悪の数を明かすことをば今の文には説・不説と云ふのみ」、有る人此れを分つて云く「先きに悪因を列ね次ぎに悪果を列ぬ悪の因に十四あり・一に憍慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲.六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」此の十四誹謗は在家出家に亘るべし恐る可し恐る可し、過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何に況や持てる在家出家の者をや、此の経の四の巻には「若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり」と見へたり、或は「若実若不実」とも説かれたり、之れを以つて之れを思ふに忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり。

  加様に心得て唱うる題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし、釈に云く阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し毘盧の身土は凡下の一念を逾えず云云、十四誹謗の心は文に任せて推量あるべし、

 

現代語訳

松野殿からの手紙に「法華経を受持して後、退転することなく、方便品の十如是と寿量品の自我偈を読誦し、題目を唱えています。しかし、その題目も、聖人が唱えられる題目の功徳と、われわれが唱える題目の功徳とでは、どれほどの相違があるのでしょうか」との御質問があった。

そこで、その質問にお答えするのだが、題目の功徳には、まったく勝劣はない。その理由は、愚者が持っている金も、智者の持っている金も、また、愚者がともす火も、智者がともす火も、何ら差別、相違がないのと同じ道理である。但しこの法華経の心にそむいて題目を唱えた場合には、差別はあるのである。

法華経の修行にも重々の段階がある。その概略を述べるならば、妙楽大師の法華文句記の五の巻には「悪の数を明らかにすることについて、法華経の譬喩品第三には『説不説』とだけ説かれている。ある人は、この悪の数を分けて、次のように説いている。『さきに謗法の悪因を列挙し、次に悪果を述べてみる。まず悪因には十四の謗法がある。一に憍慢、二に懈怠、三に計我、四に浅識、五に著欲、六に不解、七に不信、八に顰蹙、九に疑惑、十に誹謗、十一に軽善、十二に憎善、十三に嫉善、十四に恨善である』」とある。

この十四誹謗は、在家出家の両方にわたるのであるから、謗法の罪を恐れなければならない。

過去の不軽菩薩は、いっさいの衆生には、みな仏性がある、法華経を持つならば、必ず成仏する、その一切衆生を軽蔑することは、仏を軽んずることになる、といって一切衆生に向かって礼拝の行を立てたのである。

不軽菩薩は、法華経を持っていない者でさえも、もしかしたら持つかもしれない、本来仏性があるとして、このように敬い、礼拝したのである。まして、法華経を持っている、在家出家の者においては当然、尊敬しなければならない。

法華経第四の巻の法師品第十には「もし在家の身であれ、あるいは出家であれ、法華経を持ち、説く者に対して、一言でもそしるならば、その罪報の多いことは、釈迦仏を一劫の間、面と向かってそしった罪よりも重い罪をうける」と、説かれている。

あるいは普賢菩薩勧発品第二十八に「もし事実にしても、あるいは事実でないにしても、法華経を持つ者の悪口をいえば、その罪は重い」とも説かれている。これらの経文に照らして考え合わせるならば、かりにも法華経を持つ者を、互いに、そしってはならないのである。その理由は、法華経を持つ者は、必ず、みな仏なのであって、仏をそしれば罪をうけるのは、当然だからである。

このように心得て唱える題目の功徳は、仏の唱える功徳と等しいのである。妙楽大師の金錍論に「阿鼻地獄の依報であるその地獄の国土も、正報であるその地獄の衆生も、ともに尊極の聖人である仏の生命の中にあり、また毘盧遮那仏の身も、その仏国土も、凡夫であるわれら衆生の一念を越えて存在するものではない。すべて一念の心、生命の中にある」と釈している。十四誹謗の本意は、この文によって、推量していきなさい。

 

語釈

十如是

法華経方便品第2で説かれた、如是で始まる10の語。すなわち如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等。仏が覚った諸法実相を把握する項目として示されたもの。天台大師智顗が一念三千の法門を立てる際、これに依拠した。方便品には諸法実相について、「唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」と示されている。ここで諸法実相を把握する項目として「如是」で始まる10項目が挙げられており、それ故、十如是・十如実相という。①相とは、表面に現れて絶え間なく一貫している性質・性分。②性とは、内にあって一貫している性質・性分。③体とは、相と性をそなえた主体。これら相・性・体の三如是は、事物の本体部分である。これに対し、以下の七如是は、本体にそなわる機能面を表している。④力とは、本体に内在している力、潜在的能力。⑤作とは、内在している力が外界に現れ、他にもはたらきかける作用。次の因・縁・果・報は、生命が変化していく因果の法則を示している。⑥因とは、本体に内在する直接的原因。⑦縁とは、外から因にはたらきかけ、結果へと導く補助的原因。⑧果とは、因に縁が結合(和合)して内面に生じた目に見えない結果。⑨報とは、その果が時や縁に応じて外に現れ出た報いをいう。⑩本末究竟等とは、最初の相(本)から最後の報(末)までの九つの如是が一貫性を保っていることをいう。十如是のそれぞれの在り方は、十界それぞれの生命境涯に一貫しており、十界それぞれで異なる。しかし、衆生が十如是を平等にそなえているという側面、生命境涯の因果の法則は、十界に共通である。これは、十界のいずれもが、内にそれぞれの因をそなえており、それが縁に応じて果を生じ、報として現れることを示している。したがって、十界のどの衆生も、仏界の縁を得れば、仏界を現して成仏できる。

 

自我偈

法華経如来寿量品第16の後半にある偈(韻文)。「自我得仏来」という句から始まるので自我偈と呼ばれる。寿量品の教えの要諦を偈頌(詩)の形式で再度、説いたもの。

 

十四誹謗

法華誹謗の十四の分類をいう。妙楽が法華文句記の六で法華経譬喩品第三の中から十四種の誹謗をたてた。譬喩品に「又た舎利弗よ、憍慢懈怠我見を計する者には、此の経を説くこと莫れ。凡夫は浅識にして深く五欲に著し、聞くとも解すること能わじ、亦た為めに説くこと勿れ。若し人は信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復た顰蹙して疑惑を懐かん。汝は当に此の人の罪報を説くを聴くべし。若しは仏の在世若しは滅度の後に、其れ斯の如き経典を誹謗すること有らん。経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん」とある。十四誹謗は、大要次のようになる。

① 憍慢 増上慢、慢心の意。おごりたかぶって、仏法をあなどること。

② 懈怠 仏道修行をなまけたること。

③ 計我 我見、自分の勝手な考えで、仏法の教えを判断すること。

④ 浅識 仏法の道理がわからないのに、求めようとしないこと。

⑤ 著欲 欲望にとらわれて、仏法を求めないこと。

⑥ 不解 仏法の教えをわかろうとしないこと。

⑦ 不信 仏法を信じないこと。

⑧ 顰蹙 顔をしかめ、仏法を非難すること。

⑨ 疑惑 仏法の教えを疑って、迷うこと。

⑩ 誹謗 仏法をそしり、悪口をいうこと。

⑪ 軽善 仏法を信じている人を軽蔑し、馬鹿にすること。

⑫ 憎善 仏法を信じている人を憎むこと。

⑬ 嫉善 仏法の信者を怨嫉すること。和合僧を破るはたらきをすること。

⑭ 恨善 仏法を修行する者をうらむこと。

以上の①驕慢から⑩誹謗までは御本尊を受持することにより、謗法の罪を免れることができる。だが、⑪軽善から⑭恨善までは、正法に帰依していても、善人を軽んじたり、同志を怨嫉等すれば功徳をうけられないので、気をつけなければならない。しかし根本は、御本尊を信ずるか、信じないかによって、いっさいが決定される。ゆえに、念仏無間地獄抄(0097)に「譬喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり」とある。

 

在家

①在俗のままで仏法に帰依すること。またその人。②民家、在郷の家、田舎の家。③中世、領事の所轄内で屋敷を与えられ、居住し、在家役を負担していた農民。

 

出家

世俗の家を出て仏門に入ること。在家に対する語。妻子・眷属等の縁を断ち切り仏道修行に励む者のこと。比丘・比丘尼のこと。

 

不軽菩薩

法華経常不軽菩薩品第20に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという言葉、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。

 

仏性

一切衆生にそなわっている仏の性分、仏界。

 

一劫

一つの劫のこと。劫は梵語のカルパ(Kalpa)で劫波・劫跛ともいい、分別時節・大時・長時などと訳す。きわめて長い時限の意で、仏法では時間を示す単位として用いられる。劫の長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を一小劫としている。

 

若実若不実

法華経普賢菩薩勧発品第28の文。「若し復是の経典を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん」とある。

 

阿鼻の依正は然く極聖の自心に処し

阿鼻地獄の依報(国土)、正報(衆生)は、極聖すなわち聖位の究極である妙覚(仏)の生命の中にあるとの意。仏界所具の九界を示す。妙楽大師の金剛錍に「阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾ず」とある。

 

毘盧の身土は凡下の一念を逾ず

毘盧遮那仏の身とその仏国土のこと。凡夫であるわれら衆生の一念を越えて存在するものではない。すべて一念の心、生命の中にあるということ。

 

講義

松野殿が「聖人の唱える題目と凡夫の唱える題目と、功徳の差別があるのでしょうか」と質問したのに対して答えられたところである。まず、題目の功徳は、いっさい平等であって、さらに差別がない旨を答えられている。ただし「此の経の心」に反して唱えるならば差別があると、信心のあり方の厳しさを教えられている。

この章では、十四誹謗を挙げられ、在家出家にわたって悪道に堕ちる因としていましめられている。とくに不軽菩薩の修行を挙げられ、実、不実にかかわらず、法華経を持つ者を誹謗する者は、地獄に堕ちることを示され、また、法華経、すなわち御本尊を持った者は、みな仏なのであるから、十四誹謗の終わりの四つ、軽善、憎善、嫉善、恨善等の怨嫉をしてはならないと厳しく指摘されている。

本章は、ここで終わっているが、「此の経の心」については全抄通じて説かれている。今、ここに要約して見ると次の通りである。

法華経の修行には重々の段階があるが、この経の心に反する悪因を総括して、十四誹謗を挙げられている。

さらに細目に入って、

ⓐ法華経を持つ者を怨嫉してはならない。

ⓑ身分の賤しい者でも法門を知る者には、尊敬し、問い求めなければならない。

ⓒ求道のためには、身命を捨てる覚悟で、求めなければならない。

ⓓ仏法を学び、謗法を責めることを忘れ、遊戯雑談にふけってはならない。

ⓔ在家の者は、余念のない題目を唱え、正法を護持する僧に供養することが肝心である。

等の指導をなさっている。このように純真な信心を続けるなら、必ず成仏し、永遠の幸福を積み、真の歓喜を味わうことができると確約され、重ねて、信心が弱くては成仏できないことを注意されている。

これらの指導を、今日の広宣流布を目指すわれわれの信心活動に引き当てるならば

ⓐは、信頼を基調とした団結の大事なことを教えなれたもの。

ⓑは、求道心、向上心。

ⓒは、自分の一生を広宣流布と信心に捧げる情熱。

ⓓは、教学、折伏を根本としていくべきであり、漫然と享楽的な時代の風潮に流されてはなたない。

ⓔは、題目第一で、創価学会、御本尊をお守りしていくことが大事である。

ということを、教えと拝することができよう。

 

聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も・愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり、但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり

 

ここで大聖人が答えられている大要は、二つに分けられる。一つは唱題の功徳が平等であること。二つは、経の心に反すれば、差別を生ずるということである。

そこで、まず唱題の功徳が平等であることについて考えてみる。

釈尊は四十余年の間、爾前の諸経を説いた。だが爾前経においては、十界の衆生を差別した。ただ男子だけに成仏を許し、女人の成仏を許さず、これを嫌った。二乗の衆生を弾呵した。悪人は成仏できなかった。それが、法華経迹門に至って、初めて女人の成仏、悪人の成仏、二乗の成仏が許されたのである。理論上、全てが平等に、記別を受けることができたのである。さらに、本門に入って、仏自身の振舞いの上に成仏の本因、本果、本国土が完璧に明かされた。ここに、事実の上で、いっさいのものが、ことごとく成仏できる、と立証されたのである。

したがって、法華経なくしては、釈尊の仏法は非現実的な観念論に終始したことであろう。法華経があってこそ、はじめて、東洋思想の主峰としての仏法となったともいえよう。

地獄の使いであり、能く仏の種子を断つものであると、忌み嫌われた女性も、悪逆の限りを尽くした悪人提婆も、焦げた種芽であるといわれた二乗も、ことごとく平等に成仏を許されたのが、法華経なのである。まさに、法華経こそが完全無欠の平等論を説いているのである。

この法華経の大哲理の根本をそのままご図顕したものが御本尊である。御本尊は、理論の上からも、事実の上からも生命の究極の原理であり、当体である。そして平等大慧の御金言のとおり、全ての民衆に、陽光のごとく、慈悲と偉大な仏力とを等しく分け与えるのである。

だが、ここで、これほど偉大な御本尊に唱題したとしても、仏法の根本精神に背いている限り、何ら偉大な功徳力に浴することができないのである。むしろ、法を曲げることは自分自身を狂わせていくことである。

では、仏法の根本精神に背いているとはどういうことであろうか。このことについては、この御文のあとに述べられている十四誹謗のうちの、第十一の軽善、次の憎善、嫉善、恨善の四誹謗が、それにあたるのである。われわれは、いつとはなしに、相手を、自分と比較して、軽蔑したり、些細なことで、憎み合ったり、怨んだりするものである。それが昂じて和合僧の団結を破ることになり、ひいては、広宣流布への妨げにもなるのである。したがって、御本尊を信ずる者は、とくに、この誹謗に留意して、断じて、これらの四誹謗を犯してはならない。

 

阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し毘盧の身土は凡下の一念を逾えず

 

妙楽の金錍論に説かれている文で、法華経の極理である十界互具、一念三千について述べたものである。阿鼻の依正とは、無間地獄の依報と正報、すなわち無間地獄の国土と衆生である。これはともに尊極の衆生である仏の生命の中にもある。また毘廬遮那仏の仏身も、その住する仏国土も、われら凡夫の一念の外にあるものではない、というのである。

いうまでもなく、因果による現象面は千差万別であるのが現実であり、われら衆生にも迷悟の相違があるのは当然である。爾前経では、これらの差別を固定化して考えているのである。しかし、法華経では、いっさいの衆生は、本質的には十界互具、一念三千の当体であると説かれる。十界の衆生、三千の変化相も、同一の妙法から派生した変化であり、差別であって、同一の妙法に帰入すべきものである。ゆえに、地獄といっても、仏の生命に内在しているものであり、仏といっても凡夫の心に具わるものに過ぎない。一念の生命に、全てが具足しているのである。ゆえに、妙法を信じ、自らの生命が妙法の当体であるということを体得し顕現してゆくことが、最も大事なのである。

 

 

第四章(法門の聞き難きを示す)

本文

加様に法門を御尋ね候事誠に後世を願はせ給う人か能く是の法を聴く者は斯の人亦復難しとて此経は正き仏の御使世に出でずんば仏の御本意の如く説く事難き上、此の経のいはれを問い尋ねて不審を明らめ能く信ずる者難かるべしと見えて候、何に賎者なりとも少し我れより勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべし、然るに悪世の衆生は我慢・偏執・名聞・名利に著して彼れが弟子と成るべきか彼れに物を習はば人にや賎く思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候、法師品には「人有りて八十億劫の間・無量の宝を尽して仏を供養し奉らん功徳よりも法華経を説かん僧を供養して後に須臾の間も此の経の法門を聴聞する事あらば・我れ大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし」と見えたり、無智の者は此の経を説く者に使れて功徳をうべし、何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし。

  此の三位房は下劣の者なれども少分も法華経の法門を申す者なれば仏の如く敬いて法門を御尋ねあるべし、依法不依人此れを思ふべし、

 

現代語訳

このように、あなたが法門を尋ねることは、誠に後世を心から願うからであろう。仏は方便品に「よくこの仏法を聴く、すなわち信受する人は、またごく少数である」といわれている。この法華経は、正しい仏の使いが世に出現しなかったならば、仏の御本意のままに説くことは難しいうえ、さらにこの経のいわれを問い尋ね、疑問を晴らし、心から信ずる者は、非常に稀であるといわれているのである。

それゆえ、いかに社会的に身分の賤しい者であっても、仏法のことについて、すこしでも自分より勝れて智慧のある人に対しては、この経のいわれを問い尋ねていきなさい。しかし、末法悪世の衆生は、我慢偏執で、名聞名利に執着して、あのような人の弟子となるべきであろうか、もし、あのような人に仏法の教えを習うならば、人から軽蔑されるのではなかろうか、などと思って、常に悪念を断ずることができず、悪道に堕ちるであろうと経文には説かれている。

法師品第十には「ある人がいて、八十億劫の間、無量の宝物を尽して、仏に御供養申し上げるその功徳よりも、法華経を説く僧侶に供養し、さらに、しばしの間でもこの経の法門を聴聞することがあれば、その人は、自ら、大きな利益、功徳を得ることができると、心から悦びなさい」と説かれている。

仏法に無智な者は、この経を説く者に仕えることによって、功徳を受けていくことができるのである。どのような悪鬼、畜生であっても、法華経の一偈一句を説く者に対しては「まさに、心から礼を尽くして遠くより出迎え、まさに仏を敬うようにしなさい」との、経の道理であるゆえに、仏法を持った者は、仏に仕えるごとく、互いに尊敬しあうべきである。たとえば、法華経宝塔品の儀式のとき、釈迦多宝が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座したように、たがいに尊敬しあわなければならない。

この三位房は、身分は低い者であるが、少しでも法華経の法門について説く者であるから、仏のように敬って、法門を尋ねなさい。「法によって、人によってはいけない」という涅槃経の文の意味を考えるべきである。

 

語釈

我慢・偏執

おごり高ぶった心にとらわれ、偏った考えに執着すること。

 

三位房

日蓮大聖人の出家の弟子。三位房宛と伝承される「法門申さるべき様の事」(1268㌻)によれば、文永6年(12693月ごろ、三位房は京都で学僧として修学中であったが、同年には公卿らに法門を談義し面目を施したとすることや、実名を尊成(後鳥羽上皇の名「尊成」と同字)に変更したなどを大聖人へ報告し、大聖人から叱責されている。三位房の才智に溺れる危うい傾向性を、このとき大聖人はすでに見抜かれていたものと推測される。その後、三位房は鎌倉を中心に活動し、大聖人の竜の口の法難の時には大聖人の供奉として随行し、大聖人の処刑に殉ずる覚悟を述べていた。文永9年(1272年)には、日昭・大進阿闍梨とともに重書をいただいており、大聖人の佐渡流罪中は鎌倉にあって日昭らとともに活動していたようである。さらに大聖人の身延入山後においても、建治2年(12767月、重要な法門を説き聞かせるからとして、日昭や日朗とともに身延へ参るように指示されている。大聖人の薫陶を受けた三位房は、建治3年(12776月、当時の鎌倉で人気を博していた竜象房を論破するが、体調を崩したことを理由に鎌倉から遠ざかる。その後、弘安2年(1279年)までの行動は記録がなく不明で、弘安210月の「聖人御難事」では、名越尼・少輔房・能登房らとともに退転・反逆した者たちの一人として三位房の名が挙げられており、この2年の間に退転したことがうかがえる。さらに同抄では、三位房が不慮の死を遂げたことが記されている。

 

依法不依人

涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され、「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。

 

講義

本章は、松野殿にたいして、求道心を起こし、法門を問い尋ねることが、いかに大事であるかを強調されたところである。すなわち、法華経の方便品、法師品、普賢品の文を引いて、法門は聞き難いこと。八十億劫の間、仏を供養するよりも、法華経を説く僧を供養し、ほんの少しの間でも法門を聴くほうが、大利益を受けること。いかなる卑しいものであっても、法華経を一偈一句でも説く者に対しては、遠くから出迎えて、心から仏のように敬いなさい。あなたのところに派遣した三位房に法を求める態度で臨みなさい、等のことを細々と指導なされたところである。

 

此の経は正しき仏の御使世に出でずんば仏の御本意の如く説く事難き云云

 

「仏の御本意」とは、末法にあっては、寿量文底の三大秘法の南無妙法蓮華経である。したがって、法華経といえども、この立場から読まなければ、真意はわからないし、なんの益もないのである。

一応、文上の立ち場での法華経の読み方については、像法の正師である天台大師によって、一切は尽くされている。しかし、それをそのまま読んでも、末法においては、無意味である。末法今時では、文底仏法から立ちかえって、これを読まなければならない。

それをなしうる人は「正しき仏の御使」以外にない。末法の世に、正しく仏の御使いとして付嘱を受けて出現された方こそ、地涌の菩薩の上首、上行菩薩の再誕、御本仏日蓮大聖人にほかならない。

 

何に賎しき者なりとも少し我れより勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべし

 

賤しき者とは賤しき身分の人をいう。立正安国論には客と主人の問答に次のような一文がある。

「汝賤身を以て輙く莠言を吐く其の義余り有り其の理謂れ無し。主人の曰く、予少量為りと雖も忝くも大乗を学す蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや」(0026:02)。

客のいい分は、身分が賤しい者であるからいかに立派なことをいっても信じられないというのである。世間一般の考え方を代表している。これに対し、主人の答えは、青蝿のような小さな虫でも、駿馬(驥の尾にくっついていれば万理を渡ることができる。仏の弟子となって、法華経を学ぶ限り、仏子であり、最高の思想を持つ者であるというものである。

これと全く同じ意味で、仏法を学ぶ態度は、世間的身分や地位によるのではなく、自分より、少しでも信心の強い人、教学のすぐれた人には、此の仏法の本義を問い求めていかなければならないというご指導である。

日興上人は遺誡置文に「下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」(1618:09)と仰せられている。地位がどうあろうと、職業がなんであろうと、自分より智慧がすぐれている。学問がある人にたいしては、師匠と思って仏法を学んでいくべきであるし、法門をうかがっていくべきであると仰せなのである。

 

何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし

 

たとい鬼畜であっても、法華経を一偈一句でも説く者に対しては普賢菩薩勧発品第二十八にある「当起遠迎当如敬仏」の文のように互いに敬わなければならない。それは、宝塔品における釈迦多宝が、尊敬しあい、説法を助けあったようなものである。

「当起遠迎当如敬仏」とは、三大秘法の御本尊を受持する者は、即仏身を持つ者だからである。ゆえに、仏と同じように敬わなければならないのである。このことは、いかなる時代になろうと、仏法を学び、実践する者の心に刻むべき基礎的な問題である。それは信仰の上での後輩に対する場合も同様である。もし、その人を軽蔑したり、誹謗したりするなら、仏を軽視し誹謗するのと同じ罪を犯したことになる。

日興遺誡置文には「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」(1618:07)と仰せである

社会的な地位、身分、財産等のいかんを問わず、信心強盛に、広宣流布のために真剣に戦っている人こそ、最も大事にし、敬っていくべきである。この精神を忘れて、外見にとらわれて、信心強情で純粋な人を軽蔑したり、抑圧することは、仏を軽んずることであり、大謗法であることを知らなければならない。

御文全体が求道心を訴えるとともに、さらには、仏法が人間性を基調とする信頼の世界であるとの原理を説かれているところである。

 

 

第五章(雪山童子の思いを示す)

本文

されば昔独りの人有りて雪山と申す山に住み給き其の名を雪山童子と云う、蕨をおり菓を拾いて命をつぎ鹿の皮を著物とこしらへ肌をかくし閑に道を行じ給いき、此の雪山童子おもはれけるは倩世間を観ずるに生死無常の理なれば生ずる者は必ず死す、されば憂世の中のあだはかなき事譬ば電光の如く朝露の日に向ひて消るに似たり、風の前の灯の消へやすく・芭蕉の葉の破やすきに異ならず、人皆此の無常を遁れず終に一度は黄泉の旅に趣くべし、然れば冥途の旅を思うに闇闇として・くらければ日月星宿の光もなく、せめて灯燭とて・ともす火だにもなし、かかる闇き道に又ともなふ人もなし、娑婆にある時は親類・兄弟・妻子・眷属集りて父は慈みの志高く母は悲しみの情深く、夫妻は海老同穴の契りとて大海にあるえびは同じ畜生ながら夫婦ちぎり細かに、一生一処にともなひて離れ去る事なきが如く・鴛鴦の衾の下に枕を並べて遊び戯る中なれども・彼の冥途の旅には伴なふ事なし、冥冥として独り行く誰か来りて是非を訪はんや、或は老少不定の境なれば老いたるは先立・若きは留まる是れは順次の道理なり歎きの中にも・せめて思いなぐさむ方も有りぬべし、老いたるは留まり若きは先立つされば恨の至つて恨めしきは幼くして親に先立つ子、嘆きの至つて歎かしきは老いて子を先立つる親なり、是くの如く生死・無常・老少不定の境あだに・はかなき世の中に・但昼夜に今生の貯をのみ思ひ朝夕に現在の業をのみなして、仏をも敬はず法をも信ぜず無行無智にして徒らに明し暮して、閻魔の庁庭に引き迎へられん時は何を以つてか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡りて実報寂光の仏土に至らんやと思ひ、迷へば夢覚れば寤しかじ夢の憂世を捨てて寤の覚りを求めんにはと思惟し、彼の山に篭りて観念の牀の上に妄想顛倒の塵を払ひ偏に仏法を求め給う所に。

 

現代語訳

さて、昔、一人の人がいて雪山という山に住んでおり、その名を雪山童子といった。童子は、蕨を採り、木の実を拾って命をつなぎ、鹿の皮をこしらえて着物とし、肌を隠し、静かに仏道を行じていた。この雪山童子が、思っていたことは、よくよく世間を見ると、生死無常の道理であるから、生まれる者は必ず死ぬ。それ故、憂世のなかの空しくはかないことは、譬えば、稲妻のように、また、朝露が太陽に照らされて消えるのに似ている。また、風の前の灯が消えやすく、芭蕉の葉が破れやすいのに異ならない。

人は皆、この無常を遁れることはできず、ついに一度は死出の旅におもむくのである。そこで、冥途の旅を思えば、道は闇々として暗く、太陽も月も星の光もない。せめて灯燭でもと思っても、ともす火すらない。このような暗闇の道に、また伴う人もないのである。

娑婆世界にいる時は、親類・兄弟・妻子・眷属が集まって、父は慈みの志が高く、母は悲しみの情が深い。夫妻は海老同穴の契りといって、ちょうど大海にいるえびが、同じ畜生でありながら、夫婦のちぎりも細やかで、一生、同じ処に伴って、離れ去ることがないように、鴛鴦の衾の下に枕を並べて睦じい生活を営んでいたとしても、冥途の旅には一緒に行くことはできない。冥い冥い途を一人で行くのである。だれが来て安否を問うであろうか。

あるいは老少不定の娑婆であるから、老人が先に死に、若い人が留まるのであれば、それは、順次の道理である。悲歎の中でも、いくらか思いなぐさめることもあるだろう。しかし、老人の方が留まり、若者が先立つこともある。恨みの極みである恨みは、幼くして親に先立つ子であり、軟きの極みである歎きは、老いて子に先立たれた親の心である。

このように、生死無常、老少不定の所、むなしくはかない世の中に住んでいながら、ただひたすら昼も夜も今生の貯産をためることのみ思い、朝夕、現世の利益だけを求めて、仏も敬わず、法も信じないで、修行もせず、智慧もなく、いたずらに明かし暮らしていては、死んで閻魔の庁庭に引き迎えられるときに、何をもって資糧として三界の長途を行き、何をもって船、筏として苦しみの大海を渡って、実報寂光の仏土にいたることができようか、と雪山童子は考えた。そして、迷えば夢、覚れば寤なのであるから、夢の憂世を捨てて寤の覚りを求めるしかないと考え、雪山にこもって、観念の牀の上に、妄想顛倒の塵を払い、ひたすら成仏の法を求めていたところが、

 

語釈

雪山童子

釈尊が過去世で修行していた時の名。涅槃経巻14に次のようにある。釈尊が過去世に雪山で菩薩の修行をしていた時、帝釈天が羅刹(鬼)に化身して現れ、過去仏の説いた偈を「諸行無常・是生滅法」と童子に向かって半分だけ述べた。これを聞いた童子は喜んで、残りの半偈を聞きたいと願い、その身を捨て羅刹に食べさせることを約束して半偈の「生滅滅已・寂滅為楽」を聞き終え、その偈を所々に書き付けてから、高い木に登り身を投げた。羅刹は帝釈天の姿に戻り童子の体を受け止め、その不惜身命の姿勢を褒めて未来に必ず成仏すると説いて姿を消したという。なお、帝釈天が雪山で説いた偈の和訳が「いろは歌」であると伝えられる。

 

生死無常の理

森羅万象ことごとく生死の二法を免れない無常のものであり、それが諸法の道理であることをいう。

 

芭蕉

芭蕉科の多年草。中国原産。葉は長い楕円形で、大きさは2㍍近くになる。夏と秋に黄白色の花が咲き、茎・根・葉は薬用として用いられる。葉は支脈にそって裂けやすいことから、破れるものの例とされやすい。

 

黄泉の旅

黄泉は死後、その魂が行くとされている地下の世界。冥土  。泉下  への旅。よみのくに。よもつくに。

 

冥途

死後の世界のこと。「寂日房御書」には「この御本尊こそ、冥途の(恥を隠す)衣装であるから、よくよく信じるべきである」と仰せである。

 

娑婆

娑婆世界のこと。娑婆はサンスクリットのサハーの音写で「堪忍」などと訳される。迷いと苦難に満ちていて、それを堪え忍ばなければならない世界、すなわちわれわれが住むこの現実世界のこと。

 

眷属

①一族、親族のこと。②従者、家来など。③サンスクリットのパリヴァーラの訳。仏や菩薩などに弟子などとして付き従い支える者。

 

海老同穴

偕老同穴と同じ。夫婦の仲が睦じく、末永く連れ添うことをいう。海老同穴とはカイロウドウケツ科の美しい海綿の総称。形は円筒形で、美しい篩状または細かい布目状の体壁で覆われ、体内に広い胃腔があり、根の部分を砂中にうめて、深海底に立っている。胃腔の中に雌雄一対のドウケツエビが住んでいる。カイロウドウケツとは、本来はこの胃腔に住むエビを呼んだようである。

 

鴛鴦の衾

鴛鴦とはおしどりのこと。衾は寝具。夫婦の睦じい生活をいい、その代表をおしどりの雌雄にたとえて形容したもの。

 

老少不定

人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと。人の生死は予測できないものだということ。人生の無常をいう仏教語。「不定」は一定しないこと、決まった法則や規則がないこと。「少」は若い意。

 

無行無智

仏道修行もなく智慧もないこと。

 

閻魔の庁庭

閻魔王がいる庁舎。死者の生前の罪を裁くところ。

 

三界の長途

「三界」は仏教の世界観で、地獄から天界までの六道の迷いの衆生が住む世界。欲界・色界・無色界からなる。このうち色界・無色界は、修得した禅定の境地の報いとして生じる。①欲界とは、欲望にとらわれた衆生が住む世界。地獄界から人界までの五界と、天界のうち6層からなる六欲天が含まれる。その最高の第六天を他化自在天という。②色界は、欲望からは離れたが、物質的な制約がある衆生が住む世界。大きく4層の四禅天、詳しくは18層の十八天に分かれる。③無色界は、欲望も物質的な制約も離れた高度に精神的な世界、境地のこと。4種からなる。最高は非想非非想処。それに次ぐのが無所有処。仏伝によると、釈尊が出家後に師事したというウドラカラーマプトラは無所有処という境地であり、アーラーダカーラーマは非想非非想処という境地であったという。衆生が輪廻生死する永続世界のことをいう。

 

実報寂光の仏土

実報は実報無障礙土のこと。住む人の境地を反映して4種類の国土(四土)が立て分けられるが、そのうち、三界六道を離れた国土で、高位の菩薩(別教の初地以上、円教の初住以上)が住むとされる。寂光は承寂光土、仏の住む国土。

 

妄想顛倒

真実に迷い、煩悩に左右された姿のこと。妄想とはみだりな正しくない想念、顛倒とは真理を違えてさかさまに見ること。

 

講義

雪山童子が、仏法を求めるに至る心の経過を述べたところである。日蓮大聖人は、松野入道の心境と時代の風潮とを合わせて、ここでは、この雪山童子の例から、小乗の無常観をもって、誘引されている。

すなわち、どんなにこの世に執着しても、一度は、死なねばならない。人は、生死無常の理を離れることはできない。雪山童子は、世の無常を知り、寂光の世界に安住するために、仏法を求め、修行に入るのである。この雪山童子の修行の姿を通して、人生の姿勢を教示なされている。

雪山童子が「諸行無常・是生滅法」の偈を聞き、あとの「生滅滅已・寂滅為楽」の半偈を聞くために、身を鬼神に与えたこの物語は涅槃経聖行品第七の四に説かれている。世にいう雪山童子の施身聞偈の物語である。

雪山童子は半偈のために命を捨てた。これは、釈尊の因位の修行を説いたものであるが、時代を問わず、仏道修行の根本的な精神を示したもので命を惜しまず仏法を求めることが、真に仏道を成ずることであり、永遠の幸福を得る道である、ということを教えている。

ここで考えなければならないことは、仏道修行も具体的な行動のあり方については時によってちがいがあるということである。日妙聖人御書に「正法を修して仏になる行は時によるべし、日本国に紙なくば皮をはぐべし、日本国に法華経なくて知れる鬼神一人出来せば身をなぐべし、日本国に油なくば臂をも・ともすべし、あつき紙・国に充満せり皮を・はいで・なにかせん」(1216:09)とあるが、この文からも時に合った修行をしていかなければならないことは明白である。

いまは末法であり、この日本国には三大秘法の大御本尊が厳然とある。だが、宗教の正邪を知らない人が多い。この時に合った不惜身命の修行とは、一生涯御本尊を離さず、未だこの仏法のわからない人に、御本尊のすばらしさを教えきっていくことにつきる。自行化他にわたる信心活動をしきる人こそ、過去における雪山童子にも劣らない人といえるのである。

 

無常について

 

ここで無常観について述べてみよう。雪山童子は、この世のさまざまな現象を無常と観る。「此の雪山童子おもはれけるは倩世間を観ずるに生死無常の理なれば生ずる者は必ず死す」とあるのがそれである。

無常は、常住に対する考え方である。有為世間の相は、ことごとく変化し、生滅する。全ては、生死生死と流転し、定まることがない。生住異滅・遷滅の実体こそ自然の摂理である。生ある者は、必ず死滅する。これが小乗の無常観である。

こうした無常という考えは、この世の流転の姿を見たもので、さらに敷衍すれば、この世は、変化する故、遷はかないのであるといった厭世観につながる。

「されば憂世の中のあだはかなき事譬ば電光の如く朝露の日に向ひて消るに似たり、風の前の灯の消へやすく・芭蕉の葉の破やすきに異ならず、人皆此の無常を遁れず終に一度は黄泉の旅に趣くべし」と。

御文では、松野入道の心境に合わせ、日蓮大聖人は、敢えてここで無常を説いておられる。そして、無常の例として、電光の譬え、風前の灯の譬え、芭蕉の葉の譬えと、自然の現象を通して、説かれている。

日蓮大聖人が、ここで無常を説かれたのは、一生成仏・未来永劫にわたる常楽我浄の人生を説くための、伏線としてではなかろか。

無常という考えは、それ自体、真理の一端であって、誤りとはいえない。だがその真理の一部分を捉えて、それをもって全てとするのは間違いである。これを顚倒無常という。

この世は、確かに、流転の世界である。小乗教では、この世は無常の世界であるゆえに、生老病死の四苦を免れることはできないと説くのである。すなわち、無常の世界にあって、衆生は煩悩汚泥の中に深く沈みあえぐしかない。それ故、苦行を修して煩悩を滅尽し、悟りを得るべきであると説く。だが、この考えは、現実に直面しながら逃避したものである。

日蓮大聖人は、無常の世界を、ありのままに見て、しかも、そこから逃避したりするのではなく、無常なるものの中から、その本質にある常住、すなわち、本有の実体をみて、変化する無常に左右されない。不動の人生を説かれたのである。それが本有常住の生命観であり、常楽我浄の人生なのである。

 

 

第六章(雪山童子と不惜身命の求法)

本文

帝釈遥に天より見下し給いて思し食さるる様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく・菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし、人も又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少し、都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり、鎧を著たる兵者は多けれども戦に恐れをなさざるは少なきが如し、此の人の意を行て試みばやと思いて帝釈・鬼神の形を現じ童子の側に立ち給う、其の時仏世にましまさざれば雪山童子普く大乗経を求むるに聞くことあたはず、時に諸行無常・是生滅法と云う音ほのかに聞ゆ、童子驚き四方を見給うに人もなし但鬼神近付て立ちたり、其の形けはしく・をそろしくて頭のかみは炎の如く口の歯は剣の如く目を瞋らして雪山童子をまほり奉る、此れを見るにも恐れず偏に仏法を聞かん事を喜び怪しむ事なし、譬えば母を離れたるこうしほのかに母の音を聞きつるが如し、此事誰か誦しつるぞ・いまだ残の語あらんとて普ねく尋ね求るに更に人もなければ、若しも此の語は鬼神の説きつるかと疑へどもよも・さもあらじと思ひ彼の身は罪報の鬼神の形なり此の偈は仏の説き給へる語なり、かかる賎き鬼神の口より出づべからずとは思へども、亦殊に人もなければ若し此の語汝が説きつるかと問へば、鬼神答て云う我れに物な云いそ食せずして日数を経ぬれば飢え疲れて正念を覚えず、既にあだごと云いつるならん我うつける意にて云へば知る事もあらじと答ふ、童子の云く我れは此の半偈を聞きつる事半なる月を見るが如く半なる玉を得るに似たり、慥に汝が語なり願くは残れる偈を説き給へとのたまふ、鬼神の云く汝は本より悟あれば聞かずとも恨は有るべからず吾は今飢に責められたれば物を云うべき力なし都て我に向いて物な云いそと云う、童子猶物を食ては説かんやと問う、鬼神答て食ては説きてんと云う、童子悦びてさて何物をか食とするぞと問へば、鬼神の云く汝更に問うべからず此れを聞きては必ず恐を成

さん、亦汝が求むべき物にもあらずと云へば童子猶責めて問い給はく其の物をとだにも云はば心みにも求めんとの給えば鬼神の云く我れ但人の和らかなる肉を食し人のあたたかなる血を飲む、空を飛び普ねく求れども人をば各守り給う仏神ましませば心に任せて殺しがたし、仏神の捨て給う衆生を殺して食するなりと云う、其時雪山童子の思い給はく我れ法の為に身を捨て此の偈を聞き畢らんと思いて、汝が食物ここに有り外に求むべきにあらず、我が身いまだ死せず其の肉あたたかなり我が身いまだ寒ず其の血あたたかならん、願くは残の偈を説き給へ此の身を汝に与えんと云う、時に鬼神大に瞋て云く誰か汝が語を実とは憑むべき、聞いて後には誰をか証人として糾さんと云う、雪山童子の云く此の身は終に死すべし徒に死せん命を法の為に投げばきたなく・けがらはしき身を捨てて後生は必ず覚りを開き仏となり清妙なる身を受くべし、土器を捨てて宝器に替るが如くなるべし、梵天・帝釈・四大天王・十方の諸仏・菩薩を皆証人とせん我れ更に偽るべからずとの給えり、其の時鬼神少し和で若し汝が云う処実ならば偈を説かんと云う其の時雪山童子大に悦んで身に著たる鹿の皮を脱いで法座に敷頭を地に付け掌を合せ跪き、但願くは我が為に残の偈を説き給へと云うて至心に深く敬い給ふ、さて法座に登り鬼神偈を説いて云く生滅滅已・寂滅為楽と此の時雪山童子是れを聞き悦び貴み給う事限なく後世までも忘れじと度度誦して深く其の心にそめ、悦ばしき処はこれ仏の説き給へるにも異ならず歎かわ敷き処は我れ一人のみ聞きて人の為に伝へざらん事をと深く思いて石の上・壁の面・路の辺の諸木ごとに此の偈を書き付け願くは後に来らん人必ず此の文を見其の義理をさとり実の道に入れと云い畢つて、即高き木に登りて鬼神の前に落ち給へり、いまだ地に至らざるに鬼神俄に帝釈の形と成りて雪山童子の其身を受取りて平かなる所にすえ奉りて恭敬礼拝して云く我れ暫く如来の聖教を惜みて試に菩薩の心を悩し奉るなり、願くは此の罪を許して後世には必ず救ひ給へと云ふ、一切の天人又来りて善哉善哉実に是れ菩薩なりと讃め給ふ、半偈の為めに身を投げて十二劫生死の罪を滅し給へり此の事涅槃経に見えたり、然れば雪山童子の古を思へば半偈の為に猶命を捨て給ふ、何に況や此の経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや何を以てか此れを報ぜん、尤も後世を願はんには彼の雪山童子の如くこそ・あらまほしくは候へ、誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。

 

現代語訳

帝釈天が、雪山童子をはるかに天界より見おろして思うのには、魚の子は多いけれども、そのなかで成魚となるものは少なく、菴羅樹の花は多く咲くけれども実を結ぶものは少ない。人もまた同じである。成仏を願って仏法を求める人は多いけれども、退転しないで、仏道修行を全うして仏になる人は少ない。全てわれら凡夫の菩提心というものは、多くは悪縁にたぼらかされて何か事あるたびに紛動されやすいものである。りっぱな鎧を着た武士は多いけれども、戦さにのぞんで恐れないで戦う武士は少ないようなものである。そこで帝釈は、この雪山童子の本心を試してみようと思い、鬼神に身を変えて童子のそばに現われたのである。

そのときは、未だ仏は世に出現していなかったので、雪山童子は、広く大乗経典を求めたのであるが、聞くことはできなかった。ちょうどその時、「諸行は無常であり、これ生滅の法である」という声が、ほのかに聞こえてきた。雪山童子は、驚いてあたりを見たが、声の主と思われる人はなく、ただ鬼神が近くに立っていた。その鬼神の形相は、けわしくおそろしくて、髪は炎のように逆立ち、口の歯は剣のようにするどく、目を瞋らして雪山童子をじっと見ていた。

雪山童子は、鬼神のそのような形相を見ても、少しも恐れることなく、ただひとえに、仏法を聞くことができるのを喜び、いぶかることもなかった。譬えていえば、母牛をはなれた子牛が、かすかに母親の声を聞きつけたようなものであった。

「いまの半偈の言葉をいったい、誰が口ずさんだのであろうか。まだ残っている言葉があるに違いない」と、周囲をさがし求めたが、一向にそれらしい人もない。そこで、もしかしたら、この言葉は、鬼神が説いたのかもしれないと思ってみたが、まさかそんなこともあるまいと考えなおした。ばぜなら、彼の身は罪の報いともいうべき悪鬼の姿をしている。ところが、この半偈は、仏の説かれた言葉である。このような賎しい鬼神の口から出るはずはないとは思ったが、そうかといって、他に人もいないので、「もしかしたらこの言葉は、あなたが口ずさんだのではないか」と問うてみた。

鬼神が答えていうには、「自分に言葉をかけてくれるな。幾日も食べていないので、飢え疲れて正念を失い、もうろうとしている。ことによると、たわごとをいったのだろう。ぼんやりとした意識で言ったので、何をいったか知ることもできない」と答えた。

雪山童子は「自分がこの半偈を聞いたということは、ちょうど半月を見たようなものであり、また、半分の玉を得たのに似ている。たしかにあなたがいった言葉である。どうか残りの半偈を説いていただきたい」といった。鬼神は「お前はもともと悟っているのだから、聞かなくても恨みはなかろう。自分は、いま、飢えにせめられているから、ものをいう力もない。いっさい自分にむかって、言葉をかけてくれるな」というのである。

童子はそれでもなお、「では、なにか食べたら、説いてくれるのか」と問うた。鬼神は「食べたら説けるだろう」と答えた。童子はよろこんで「それでは、なにを食べるのか」と問うと、鬼神は「これ以上聞いてはならない。もし、自分の食べたいものを聞いたなら、きっと恐れをなしてしまう。またお前が求められるものではない」と答えた。

童子は、なおも執拗に問いただし「そのものさえいってくれれば、試みにも求めよう」といえば、鬼神は「私はただ人間のやわらかな肉を食べ、人間のあたたかい血を飲むのである。空を飛び普ねく求めてきたけれども、人を守る仏神がいるので、思うように殺すことができない。だから仏神の捨てた衆生を殺して食べているのだ」という。その時雪山童子は、「私は法のために身を捨てて、この偈を聞き畢ろう」と考えて「あなたの食べ物はここにある。外に求めることはない。わが身はいまだ死んでいないから、その肉はあたたかい。わが身はまだひえていないから、その血もあたたかいであろう。どうか、残りの偈を説いて下さい。この身をあなたに与えよう」といった。それを聞いて、鬼神が大変瞋っていうには「誰かおまえのいうことを真実と信頼できようか。残りの偈を聞いた後にお前が約束を破ったら、誰を証人としてそれを糾明できようか」と。そこで雪山童子は「この身は最後には死すべきものである。無駄に、死んでしまう命を法のために捧げるならば、きたなく、けがらわしい身を捨てて、後生は必ず覚りを開いて仏となり、清妙な身を受けることができよう。このことは土器を捨てて宝器にかえるようなものである。梵天・帝釈・四大天王・十方の諸仏・菩薩を皆証人としよう。その上で私は偽ることはできない」といった。そこで鬼神は少しやわらいだ態度となって「もしおまえのいうことが真実であるならば偈を説こう」といった。そのとき雪山童子は大いに悦んで、自分が着ていた鹿の皮を脱いで、法座に敷き、頭を地に付け、掌を合わせてひざまずいた。そして「どうか、私のために残りの偈を説いていただきたい」といって、心の底から深く敬ったのである。そこで鬼神は法座に登り、偈を説いて「生滅を滅し已って、寂滅を楽と為す」といった。この時雪山童子はこれを聞き、悦び貴ぶこと限りなく、「後世までも決して忘れまい」と何度も誦して深く心にそめた。そして「悦ばしいことは、この言葉は仏の説かれたものと異ならないことである。ただ、嘆かわしいことは、この偈を私一人だけ聞いて、人のために伝えられないことである」と深く思って、石の上、壁の面、路のほとりの諸木ごとに、この偈を書きつけ、「願わくば、ここに後にやってくる人は、必ずこの文を見て、その義理を悟り、真実の道に入ってもらいたい」といい畢って、すぐに高い木に登って、鬼神の前に身を投げたのである。

まだその身が地に至らないうちに、鬼神はにわかに帝釈の形となって、雪山童子のその身を受けとって、平らなところに据えて、恭敬礼拝していうには「私は如来の聖教を惜しんで、ためしに、菩薩であるあなたの心を悩ましたのである。どうか、この罪を許し、後世には必ず救っていただきたい」といった。そこへいっさいの天人が現われて「善い哉、善い哉、実にこれは菩薩である」と讃めたたえたのである。雪山童子は半偈のために身を投げて、十二劫という長い間生死の罪を滅することができた。このことは涅槃経に説かれている。したがって雪山童子の古を思えば、半偈のためにさえなお命を捨てたのである。ましてやこの法華経の一品一巻を聴聞した恩徳に対しては何をもってこれに報いたらよいのであろうか。もっとも後世のことを願うのならば、彼の雪山童子のように振舞うことが理想である。もし、わが身が貧しくて布施する宝がないならば、そしてわが身命を捨てて仏法を得られる機会があったならば、身命を捨てて仏法を学ぶべきである。

 

語釈

帝釈

梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(Śakra-devānām-indra)の訳。釈迦提婆因陀羅、略して釋提桓因ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二の忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経の会座では、眷属二万の天子をつれて列なり、法華経の行者の守護を誓っている。

 

菴羅樹の花

菴羅は梵語で果樹の名。マンゴーのことで、きわめて美味な果実として引用されている。春、枝に黄色の小花を開く。玄応音義に「この果実、花多くして果子を結ぶこと甚だ少し、果の形は梨に似て底は鈎曲れり」とある。

 

菩提心

阿耨多羅三藐三菩提心の略。三菩提心ともいう。仏の覚りを求める心。三菩提はサンスクリットのサンボーディの音写で、「完全な覚り」の意。正覚・正等覚などと訳す。

 

諸行無常・是生滅法

涅槃経聖行品の文。「諸行は無常にして、是れ法滅の法なり」と読む。雪山童子が聞いた前の半偈。諸行とは三世にわたる一切の有為の現象のこと。森羅万象は無常であり、生死を流転するという小乗の生命観。

 

こうし

仔牛のこと。

 

罪報の鬼神の形なり

「罪報」とは、犯した罪の報い・苦果。鬼神は本来過去の罪業によって、このような姿になったのである。

 

あだごと

根拠のない言葉・むだぐち・妄語。

 

うつける意

意識がはっきりしていないこと。

 

生滅滅已・寂滅為楽

涅槃経聖行品の文。「生滅を滅し已って寂滅を楽と為す」と読む。雪山童子が聞いた後の半偈。煩悩を断ずるところに悟りがあるとの意。生滅は生死の煩悩、滅已は煩悩を断ずること、寂滅は涅槃、為楽は悟り、を意味する。

 

恭敬礼拝

つつしみうやまい、礼儀を正して拝むこと。

 

講義

この章では、帝釈が鬼神に身を変えて、雪山童子の求道心を試みていることが、物語として述べられている。

雪山童子が、半偈を求めるために、鬼神に身を捧げたことには、さまざまな示唆があると思われる。

一つには、仏法で、最も大切なことは、求道心であるということであろう。法とは、求めるものであって、珙手していて与えられるものではない。もっとも、御本尊は、ありがたいことに、無上宝聚不求自得である。しかし、その偉大な御本尊を根本とし、自己の成長を図っていくことには、やはり旺盛な求道心が必要なのである。求道心のないところに、仏法はない。

二つには、法を求めるとは、不惜身命の実践がなければならないということである。たんなる知識欲ではない。実践のないところ、仏法は求められない。力強い実践があってこそ、仏法は、生きた原理として胸中に響いてくるのである。

三つには、相手が誰人であれ、仏道においてすぐれている人には、進んで求道の心を燃やすべきことを教えている。鬼神という例で示されているが、それは、仏法が、法をもとにすべきであることを、端的にあらわそうとしたものであろう。社会的な地位や、肩書がどうであろうと、それは、人間として偉大かどうかということとは別問題である。仏法は、その人間主義に、一切の原点を置いている。

四つには、仏法の悟りは、特別な世界にあるのではなく、最も身近な生活の中にあることを示していると思われる。鬼神というのは、特異な譬えであろうが、高貴な、理想世界に仏法があるのではなく、この現実の、いわば、泥くさい、社会のなかにある。雪山童子は、雪山という人里離れたところでしずかに道を行じていた。しかし、そこでは、仏法は得られず、むしろ鬼神に身を捨てて、法を求めた時に得られた。仏法の悟りは、静的なものではない。不惜身命という大実践のなかに、湧現するものである。この物語は、このことをよくあらわしている。

 

半偈の為に猶命を捨て給ふ、何に況や此の経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや何を以てか此れを報ぜん

 

雪山童子は半偈を聞くために命を捨てた。今、法華経の一品一巻を聞くことができたわが身は、何をもってその恩徳に報いればよいのであろうか、という意味である。

現在のわれわれにあてはめるならば、折伏を受けて入信し、御本尊を拝むことができた。そして日蓮大聖人の仏法哲学を学び、功徳を受け、宿命転換の法を知ることができた。この恩徳に何をもって報ずることができるだろうか、ということである。日蓮大聖人は、わが身が貧しくて布施すべき宝がないならば身命をこれに捧げ、機会があったら、身命を捨てて仏法を学びなさい、と仰せである。

現在においてこの法に身命を捨てるとは、広宣流布の大理想に邁進することであり、身命を捨てて仏法を学ぶとは、実践の中にわが身に仏法哲学を学んでいくことである。

そのなかの行とは、布教折伏である。それは、相手の内に秘められている仏界を呼び醒ますための実践行為である。したがって、時としては、悪心を折って正しい信心に服させる厳愛の行為でもある。また、自分が正しい仏法を知った喜びを他人に話して、他人の不幸の解決を助けることであって、人間性の本源より、迸り出る行為である。これを進めることが、妙法を聞いた恩を報ずることになるのである。

 

 

第七章(法師の死身弘法を説)

本文

とても此の身は徒に山野の土と成るべし・惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・人久しといえども百年には過ず・其の間の事は但一睡の夢ぞかし、受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし、迹門には「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」ととき・本門には「自ら身命を惜まず」ととき・涅槃経には「身は軽く法は重し身を死して法を弘む」と見えたり、本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり、此等の禁を背く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事・譬ば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬は寒来りて草木・人畜をせめ夏は熱来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。

 

現代語訳

どんなことをしてみてもこの身は空しく山野の土となってしまう。惜しんでもどうしようもない。どんなに惜しんでも惜しみ遂げることはできない。人はいくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは但だ一睡の夢である。受けがたい人身を得て、たまたま出家した者でも、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊び戯むれて雑談のみに明かし暮す者は、法師の皮を著た畜生である。法師という名を借りて、世を渡り、身を養っていても、法師としての意義はなに一つない。法師という名字を盗んだ盗人である。恥ずべきことであり、恐るべきことである。法華経迹門の勧持品第十三に「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」と説かれ、本門の如来寿量品第十六には「自ら身命を惜まず」と説かれ、涅槃経には「身は軽く法は重し、身を死して法を弘む」と説かれている。法華経の本迹両門も、涅槃経もともに身命を捨てて法を弘むべきであると説かれているのである。これらの禁に背く重罪は目には見えないけれども、積って地獄に堕ちることは、譬えば、寒さ熱さは姿形もなく、眼には見えないけれども、冬には寒さがやってきて、草木や人畜をせめ、夏には熱さがやってきて、人畜を熱さで悩ませるようなものである。

 

語釈

一睡の夢

一炊の夢のこと。盧生という男が、眠っている間に、自分の栄枯盛衰の有様を夢に見たが、目がさめてみると、炊きかけの食事がまだできていないぐらいの短い時間であったという。人生のはかないことを教えた中国の故事。

 

遊戯雑談

あそびたわむれること、享楽すること。

 

我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ

法華経勧持品第13の偈文。迹化他方の菩薩が仏滅後の弘教を誓って述べた言葉。

 

自ら身命を惜しまず

法華経如来寿量品第16の偈文「一心欲見仏 不自惜身命」の部分。仏道修行には必ず大小の難があるが、身命を惜しまない強盛な信心を貫くことによって、絶対的幸福が得られるのである。

 

身は軽く法は重し身を死して法を弘む

御書全集松野殿御返事にあ「涅槃経」とあるが後写と思われる。章安大師の涅槃経疏に出てくる。正法を弘める者の真実の姿で、一身を捨てて正法を弘めることを勧めている文。

 

講義

短い一生を、仏法のために尽くすべきであると、不自惜身命の実践を強調されたところである。とくに現実の法師の堕落ぶりを弾呵し、法師は、自分の使命としての、不自惜身命、死身弘法につとめるべきであると、経文を引かれている。そして、この禁めに背く時には、必ず冥罰があると、自然の摂理を例として、説かれている。

 

法師の皮を著たる畜生なり

 

受けがたき人身を得て、たまたま出家した者で、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊戯雑談のみに明かし暮らしているならば、その人は「法師の皮を著たる畜生」であるというのである。

法師とは仏法によく通じ、真実の教法によって教え導く僧のことである。また、行を修めて、常に法を説き、世の軌範となり、衆生を導く僧侶のことをいうのである。広く解釈すれば、現代の世間においては多くの人々を導く指導的階層も法師にあたると考えられる。

御義口伝には法師について、「法とは諸法なり師とは諸法が直ちに師と成るなり森羅三千の諸法が直ちに師と成り弟子となるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」(0736-第一法師の事)とある。

一念三千の生命観から見るとき、いっさいのものは、妙法の当体であり、妙法の働きであるから、法師である。まして、大御本尊を護持し、広宣流布の仏意を実践していく者は、社会の真の指導者であり、法師といえるのである。

しかし、外見は仏法を行ずる法師の姿をしていても折伏教化を忘れ、遊戯雑談に日を送るようなら、中身は畜生同然であると仰せである。末法には、このような法師が充満しているのである。

大聖人は「末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧・比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて……」(1381-08)と本抄の初めに指摘されている。

また、現代の指導者についても「法師の皮を著たる畜生」に相当する者が多いように思われる。

 

我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ

 

法華経勧持品第十三に次のように説かれている。

「濁劫悪世の中には 多く諸の恐怖有らん。悪鬼は其の身に入って 我れを罵詈毀辱せん。我れ等は仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし。是の経を説かんが為めの故に 此の諸の難事を忍ばん。我れは身命を愛せず 但だ無上道を惜しむ」と。当時の大聖人一門はこの経文を、実感として受けとられたに違いない。

本抄を著された建治2年(1276)といえば、滝泉寺の院主代行智が、日興上人門下に迫害を加え、日秀、日弁、日禅が追放にあったときである。行智は、日秀、日弁、日禅、頼円に向かって、法華経の信仰を止めて、念仏を称えるべきであると、迫ってきたのである。行智は生道心の不徳の僧であるにもかかわらず、北条一門の庶流で、幕府を背景に滝泉寺の院主代になった者である。

滝泉寺の一帯は、北条家の所領であった。そのため下方政所が領地を統括していた。そこで行智は、代官をも味方に引き入れていたわけである。

こうした背景のもとに、行智は、日秀等の主だった四人に、再改宗を迫り、もしそれができなければ、寺家を追放すると、圧力をかけたわけである。

四人のうちの、三河房頼円は、信心弱くして、謝る旨の証文を書き、寺内安堵を願った。頼円は、日頃、大聖人がいわれている教訓を、いざという時に生かしきれなかったわけである。だが少輔房日禅は、退転することなく、このような仏法未熟の悪者と交渉するのは無用であると、早速に坊舎を明け渡して河合へ引き揚げた。日秀と日弁は、前師から譲られた坊にいるのであるから、院主代とは関係がない、といって坊に止まったのである。

日蓮大聖人は、仏の言葉を借りて、「我れは身命を愛せず 但だ無上道を惜しむ」と述べている。この経文の鏡には、実際に、命がけで仏道修行して、無上道を守りぬく至信の活動が映し出されている。日興上人を中心とする弟子方は、さまざまな弾圧にあいながら、大聖人の御金言を命がけで実行したのである。このことは、未来永劫に残る信心の鏡なのである。

 

自ら身命を惜まず

 

法華経如来寿量品第十六に「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」とある。日寛上人は依義判文抄に「寿量品に云く『一心に仏を見んと欲して自ら身命を惜しまず、時に我及び衆僧倶に霊鷲山に出ず』云云。此の文に三大秘法分明なり。所謂初めの二句は本門の題目なり……初めの二句の中に一心欲見仏とは即ち是れ信心なり。不自惜身命とは即ち是れ唱題修行なり。此に自行化他有り、倶に是れ唱題なり」と述べられている。すなわち、この文は、三大秘法の依文であり、同時に大聖人の仏法を実践する根幹は、実に一心欲見仏、不自惜身命の信心唱題にあることを示すものである。

 

本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり

 

この御文の本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべきであるということは、法華経勧持品第十三の「我れは身命を愛せず 但だ無上道を惜しむ」、法華経如来寿量品第十六の「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」、涅槃経疏の「身は軽く法は重し身を死して法を弘む」とあることをさしている。日興上人は、遺誡置文の中で「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(1618-06)と仰せになっている。とくに、末法における法華経の弘通には、大難が伴うことは必定であり、身命を惜しまぬ覚悟がなくては、信心を全うすることができないのである。これらの経文は、大聖人にとっては、御身の上のことであり、現実のものであったことを深く感じなければならない。

 

 

第八章(在家の在り方と臨終の様相)

本文

然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり、それも経文の如くならば随力演説も有るべきか、世の中ものうからん時も今生の苦さへかなしし、況や来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢・霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合せて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待つて御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならば・あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし・金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり、信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず行くべからず、不審の事をば尚尚承はるべく候、穴賢穴賢。

       建治二年丙子十二月九日               日 蓮 花 押

     松野殿御返事

 

現代語訳

出家の身は前述のとおりすべきであるが、在家の身である、あなたは、但余念なく、南無妙法蓮華経と唱えて、僧をも供養することが肝心なのである。それも経文のとおりであるならば、力に応じて折伏もすべきである。世の中がつらく感じられる時も、今生の苦しみでさえこのように悲しい、いわんや来世の苦しみにおいてはそれ以上であると思って、南無妙法蓮華経と唱えなさい。また、うれしい時でも、今生の悦びは夢の中の夢のごときものであり、霊山浄土の悦びこそが、まことの悦びであると思い合わせて、また南無妙法蓮華経と唱えなさい。そして、退転することなく修行して、最後臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をきっとみるならば、なんとすばらしいことであろうか。法界は皆寂光土で、瑠璃をもって地面とし、金の繩をもって八つの道の境界をつくり、天より四種の花が降ってきて、空に音楽が聞こえてくる。諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。われ等もその数の中に列なって、遊戯し楽しむべきことは、もう間近である。信心が弱くてはこのようなめでたい所へは決して行くことができないのである。もし不審のことがあるならば、また承りましょう。あなかしこ、あなかしこ。

建治二年丙子十二月九日   日 蓮  花 押

松野殿御返事

 

語釈

随力演説

各人の力に応じて、衆生を折伏教化するために仏法を説くこと。

 

霊山浄土

法華経の説法が行われた霊鷲山のこと。久遠の釈尊が常住して法華経を説き続ける永遠の浄土とされる。日蓮大聖人は、法華経の行者が今ここにいながら往還できる浄土であるとともに、亡くなった後に往く浄土でもあるとされている。

 

妙覚の山

妙覚は52位、42位の最高位であることから成仏の山にたとえられたもの。

 

法界寂光土

法界とは法界三千のことで、宇宙万有の全てである。寂光土は仏の住する清浄な国土。南無妙法蓮華経と唱える正信の者の住所をいう。

 

八の道

清らかで平らかな道で、涅槃にいたる道というのが、もとの意。八正道のこと。八正道のたて方は経によって異同があるが、中阿含経によると次のようになる。

① 正見  世間、出世間に対する正しい見解のこと。

② 正志  思想の正しいこと。正思惟ともいう。

③ 正語  言語の正しいこと。

④ 正業  行ないの正しいこと。

⑤ 正命  生活法の正しいこと。

⑥ 正方便 修行法の正しいこと。正精進ともいう。

⑦ 正念  観念の正しいこと。

⑧ 正定  いっさいの悪を捨てること。

 

四種の花

インドでもっとも尊重された花で、法華経が説かれる際、瑞兆として天から降るという四種の花のこと。四華ともいう。法華経序品第一には「是の時、天は曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上、及び諸の大衆に散じ、普き仏の世界は六種に震動す」とある。曼陀羅華は白蓮華のこと、摩訶曼陀羅華は大白蓮華のことをいう。曼殊沙華は天上華とも、赤華とも訳される。摩訶曼殊沙華は曼殊沙華の大なるものをいう。

 

常楽我浄

仏にそなわる徳目で、四徳波羅蜜ともいう。単に四徳とも。涅槃経などでは、苦・空・無常・無我は人々の迷いを破るための教えであり、仏の境地は常・楽・我・浄であると説く。①常とは仏の境地が永遠不変であること。②楽とは無上の安楽のこと。③我とは自立していて他から何の束縛も受けないこと。④浄とは煩悩のけがれのない清浄な境地をいう。

 

娯楽快楽

諸仏・菩薩が喜び楽しんでいるさま。いかなる難も打ち破り余念なく南無妙法蓮華経を唱えるとき、最高の楽しみ、成仏の境涯をさす。

 

講義

在家の身としての信仰のあり方を示されて本抄を締めくくられている。すなわち、唱題、供養、折伏に邁進すべきであり、それによって永遠の幸福が必ず得られることを強調されている。しかも、その最も根本は信心であり、「信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず」と、強盛なる信心を貫くことを、特にすすめておられるのである。

 

それも経文の如くならば随力演説も有るべきか

 

これは、布教を勧められた御文である。大聖人は、経文のとおりであれば、随力演説していきなさい、弘教をしていきなさい、といわれたところである。

ここでいう経文とは、法華経随喜功徳品第十八である。随力演説は、五十展転の功徳が説かれている中の言葉である。すなわち、それは次のとおりである。

「是の経を聞いて随喜し已って、法会従り出でて、余処に至り……若しは城邑・巷陌・聚落・田里にて、其の聞く所の如く、父母・宗親・善友・知識の為めに、力に随って演説せん。是の諸人等は、聞き已って随喜して、復た行きて転教せん(中略)是の如く展転して、第五十に至らん」。

この経文によれば、随力演説とは、法華経を聞いた歓喜で、自らの力に応じて、聞いた話を他の人に伝え弘めていくことである。

今日においては、われわれもまた、法華経の文底の法門を聞き得たわけである。したがって、崇高な哲理を聞き、歓喜した以上、これを伝えるべきである。昔は、仏の教えを聞いた衆生が、随力演説したのである。今は、われわれが日蓮大聖人の仏法を聞いて、歓喜し、布教に励むのである。

われわれは信を根本とし、各人の能力・個性に応じ、これを最大限に発揮して、法を弘むべきである。

日興上人が遺誡されている、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(1618-06)の「身命を捨て」の意をよく思索し、その意志を体していくべきである。

次に、随力演説の演説についてみるなら、それは、妙法を説き演べることである。決して、他の事柄をいうのではない。

演説には、さまざまな演説がある。人を煽動するための演説もあれば、自己の利益を守るための演説もある。宣伝アピールのための演説もあれば、人を窮地に追いやる演説もある。人を称賛する演説もある。そこで大事なことは、何を演説するか、ということである。

真実の演説は、人を根底より幸福へ導く内容のものであるといえよう。仏法は、幸福の根源を説き極めているのである。故に、真実の演説の内容は仏法の演説の中にある。それは、あたかも蔵の中に珠玉がちりばめられているようなものである。

 

今生の悦びは夢の中の夢・霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれ

 

今生の幸せというものは、夢の中の夢のように、はかないもので、真実の幸福世界、悦びというものは霊山浄土における悦びであるとの御文である。霊山浄土とは仏のいます清浄な国土のこと、すなわち常寂光土のことをいう。末法においては、三大秘法の大御本尊のましますところであり、また大御本尊を受持して南無妙法蓮華経と唱える者の住所をいうのであるが、本抄では、前後の関係から、今世に対する来世の意味に使われている。

また、今生の悦びとは世間一般の幸せであり、霊山浄土の悦びとは信心を根底とした絶対的な幸福とも考えられる。松野殿に与えられた御書には、大聖人は、来世というもの、成仏ということについて、その時の様子や状態をくわしく述べられている個所が多い。

こうしたお手紙からすると、松野入道は、死後の世界、臨終というものに強い関心を持っていて、日蓮大聖人におうかがいしたとも考えられる。

当時は、末法思想が浄土思想と結びついていた。手のほどこしようのない天災は民衆を苦悩のどん底におとしいれた。当時の状況について、文永5年(1268)に書かれた安国論御勘由来の次の一節からもうかがうことができる。

「正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戌亥の時前代に超え大に地振す、同二年戊午八月一日大風・同三年己未大飢饉・正元元年己未大疫病同二年庚申四季に亘って大疫已まず万民既に大半に超えて死を招き了んぬ」(0033:02)。

死ぬ人が大半以上に及んだとは、痛ましいかぎりである。そういう中で何らなす術を知らない民衆は、宗教にすがり、今生で幸せになれないものを来世に求めたのである。

あるいは西方の阿弥陀にすがり、あるいは東方の薬師如来を信じていったのである。松野入道も当時に生きたひとりの人間として、死ということ、また死後の世界にかなり深い関心をもっていたと考えられる。日蓮大聖人は、このような松野殿の心境にこたえて、題目を唱えて、生死を超越した永遠の幸福境涯を自得するように、激励なさったものと思われる。

このように今生よりも未来を重んじて述べられたのは、仏法は永遠にわたる幸福確立にその元意があるからである。

「今生の悦びは夢の中の夢」とは、一瞬一瞬のはかないすぐ消えてしまうような悦び、すなわち、周囲の変化によって、すぐ崩れてしまう喜び、幸せである。最後は、死によって、全てが崩壊する無常の世界である。

「霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれ」とは、三大秘法の御本尊を信じている者の永遠に崩れない悦びを指すのである。ここで、霊山浄土とは、念仏宗で説く極楽浄土のような彼岸思想ではない。本抄では、一応、例として理想教が描かれているが、本質は、御本尊を受持するとき、いかなる山谷広野であろうと、そこは、即寂光土となるのである。したがって、いかなる環境であっても、妙法を信受するとき、悪条件を克服することができるのである。無常観、厭世観を脱するとは、永遠の生命観に立ち、現実の世界から、逃避するのではなく、その中で、強く逞しい生命力をもって、その環境を逆に支配することにほかならない。それが霊山浄土に入ることであり、自身の宮殿を築くことである。これを成仏の境涯というのである。

正法を知らない人は、漠然とした人生観のもとに、いつ崩れるかも知れない幸せを求めているに過ぎない。そして、社会的な立場を得ると、胸をはって自分の幸せを吹ちょうし、いい気になっているが、その立場がぐらつきはじめると、恥も外聞も忘れて、嘆き悲しみ、自分より不幸なものはこの世にいないかのように嘆くのが常である。

われわれはそれが、三大秘法の御本尊を持つことによって、真実の幸せは他のなにものにも崩されないものであることを知った。そして、この人生がどんなに苦しくとも、それを乗り越えていく偉大な力を知ることができた。更には、自分のことのみにあくせくしていたのが、他人や、社会全体の幸、不幸を考え悩むようになったのである。これこそ偉大な人間革命ではないか。

所詮、来世といっても、今世の連続であり、来世という果は今世の因によってきまっていくのである。今世において、三大秘法の御本尊に巡り会い、朝夕の勤行に、日夜精進している人は、すでに来世の崩れぬ幸せを約束されているといっても過言ではあるまい。

 

タイトルとURLをコピーしました