盂蘭盆御書

盂蘭盆御書

 弘安元年(ʼ78)または同2年(ʼ79)の7月13日 57歳または58歳 治部房の祖母

背景と解説

このお手紙(御書)は、大聖人の弟子の一人である治部房日位(じぶぼう にちい)の祖母が、毎年の先祖供養(お盆の法要)の直前にお供え物を届けたことに対する御返事として認められたものです。

伝統的には建治3年(1277年)に著されたと考えられてきましたが、近年の研究では、本書は弘安2年(1279年)に認められたものであることが示唆されています。

本書の中で大聖人は、当時すでに定着した習わしとなっていた供養(お盆の法要)の起源について、詳細な説明を施されています。大聖人は、この伝統のルーツを、目連尊者(もくれんそんじゃ)が亡き母を救おうと尽力した物語に求められています。釈尊の最も優れた弟子の一人であった目連が、当初、母親の(餓鬼道での)苦しみを和らげることができなかった理由について、彼が小乗仏教を信仰し、戒律を遵守することに執着していたために、自身がまだ成仏していなかったからであると説明されています。そして、目連がそれまでの戒律を捨てて南無妙法蓮華経と唱えて成仏を遂げたとき、彼の亡き父母もまた同時に成仏することができたのである、と大聖人は述べられています。

治部房の祖母は、駿河国庵原郡(するがのくに いはらぐん)に住んでいたと考えられています。日興上人の御本尊授与の記録(『本尊分与帳』)によると、治部房はもともと駿河の四十九院(しじゅうくいん)の天台宗の僧侶でしたが、大聖人の教えに帰依し、後に大聖人の六老僧の一人となる日持(にちじ)のもとで仏法を学びました。詳細は定かではありませんが、祖母に大聖人の教えへの信仰を勧めたのは、この治部房であったと信じられています。

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