日女御前御返事(御本尊相貌抄)
建治3年(ʼ77)8月23日 56歳 日女
背景と概要
日女御前(にちにょごぜん)へのこの御返事の中で、日蓮大聖人は御本尊への御供養に対する感謝の意を表され、信仰の対象としての意義を説明されています。
日女御前の詳しい身元については明らかではありません。池上兄弟の兄である池上宗仲の妻、あるいは駿河国(するがのくに)の熱心な信徒であった松野六郎左衛門入道(まつのろくろうざえもんにゅうどう)の娘のいずれかであったと考えられています。大聖人が彼女に送られた2通の御書から判断すると、彼女は高い教養と豊かな経済力を持った女性であったと思われます。さらに、信仰の対象である御本尊を授与されていることからも、彼女が極めて純真な信徒であったことは明白です。この御書には、御本尊に認められている(顕されている)諸尊の姿とその意義についての詳細な記述が含まれています。大聖人はまた、御本尊への信心の重要性を強調されています。
前半:御本尊の稀有なる尊さとその体現
御書の前半において、大聖人は御本尊がどれほど稀有(類いまれ)であり、重要であるかを指摘されています。大聖人は法華経やその他の著作を引用され、御本尊こそが「諸法実相」および「一念三千」をそのまま体現した(具現化した)ものであることを示されています。
後半:信心の重要性と功徳
後半では、御本尊への信心の多大なる功徳について説明し、大聖人は「此の御本尊全く余所に求むる事なかれ」と宣言され、御本尊はただ信心の中にのみ厳然とおわしますと言い添えられています。
世間の故事から2つの例を挙げながら、大聖人は日女御前に対し、自身の生命の中に「御本尊」を顕現させるためには、信心こそが何よりも重要な要素であることを教えられています。そして最後に、信心を込めて南無妙法蓮華経と唱えることが、最も完全な仏道修行の形態であることを強調して結ばれています。
はじめに
日女御前について
日女御前は、下総の平賀忠治の女で池上右衛門大夫宗仲の室であるとも、窪の持妙尼すなわち、松野殿後家尼の女であるともいわれ、いずれが正しいかは明らかでない。ただ、日蓮大聖人から日女御前に与えられた二編の御書(建治3年(1277)8月・56歳御作と、弘安元年(1278)6月・57歳御作がある。
内容から推察すると、ある程度年配でかなり地位もあり、裕福な女性であったと思われる。おそらく、学識も深く、教養もあり、しかも、信心強盛な女性であったであろう。
建治3年(1277の御書は、その内容は御本尊について、経釈を引用して説かれ、所詮、自己の胸中の肉団に御本尊があること、およびその根本として仏法の信の深義が展開されている。
また、弘安元年(1278)の御書には、日女御前が二十八品を品品ごとに供養したことから、嘱累品以下勧発品にいたる品々の大意を説かれている。このことからも、行学において真剣な求道者であったと思われる。
時代的背景
二通ともに、内容的には、その時代背景とあまり関係はないが、日女御前の人柄や信心の厚さを考えるうえでの参考にもなるかと思われるので、一応慨観しておきたい。
この手紙を書かれた建治3年(1277)といえば、国内的には、蒙古の第二の襲来に備えて騒然としていたころである。すなわち、3年前の文永11年(1274)秋に第一回襲来、文永の役があり、これは大風が吹いて辛うじてしりぞけられたものの、翌年には再び使者が到来した。
執権北条時宗は、蒙古の使者を斬って、断固対決する姿勢を示し、第二次の襲来に備えて総力をあげて準備を始めたのである。したがって、民衆の肩には経済的な負担もかかったであろうし、なにより蒙古軍の強大さを知った後の、再来に対する恐怖感は言い知れぬものがあったにちがいない。
こうしたなか、日蓮大聖人は、文永11年(1274)5月に、身延に入山されている。それは「三度諌めて用いずんば国を去るべし」の故事にならったといわれるように、現実社会での弘教からは身を引かれた形である。そして、現実社会の弘教については、日興上人をはじめとする弟子達に託し、ご自身は、令法久住のため、新しい弟子の育成と、法門の体系化に力を注がれるのである。
こうした内外の大きな激変と相応ずるかのように、四条金吾や池上兄弟なども、信心の上で大難に直面している。恐らくは、その他の弟子檀那の身にも種々の難があったと推測される。
そのような状況のなかでの日女御前の多額の御供養、そして大聖人の、仏法の極理である御本尊についての深い指導を考えるとき、日女御前の清水のように澄み切った、しかもたんたんと流れるがごとき信心がうかがわれるのである。
第一章(御供養への謝意を述べる)
本文
御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候い畢んぬ、
現代語訳
御本尊への供養のために、お金を五貫文、白米を一駄、それに菓子若干をお送り下さいまして、確かに受け取りました。
語釈
鵞目
鎌倉時代には通貨のことを鵞目、鳥目、青鳧と呼んでいた。一貫文は銭千枚、千銭のことで、当時の記録によれば、銭一貫文で米一石買えた。
白米一駄
一駄とは二俵という事。当時の庶民達が常食にしたのは、五穀の中の麦以下の穀物で、めったに白米を口にする事はなかった。
菓子
古来、日本では「菓子」とは「くだもの」「果実」の総称であったので、この場合も、くだものであったと考えられる。
講義
御本尊への御供養の謝意が述べられている、「鵞目五貫」「白米一駄」という御供養の品々から、日女御前の生活が、かなり裕福なものであったことが推察される。それにしても、真心をこめた、最高の御供養であったであろう。
第二章(正像未曾有の御本尊なることを明かす)
本文
抑此の御本尊は在世五十年の中には八年・八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり、さて滅後には正法・像法・末法の中には正像二千年には・いまだ本門の本尊と申す名だにもなし、何に況や顕れ給はんをや又顕すべき人なし、天台妙楽伝教等は内には鑒み給へども故こそあるらめ言には出だし給はず、彼の顔淵が聞きし事・意にはさとるといへども言に顕していはざるが如し、然るに仏滅後二千年過ぎて末法の始の五百年に出現せさせ給ふべき由経文赫赫たり明明たり・天台妙楽等の解釈分明なり。
現代語訳
そもそも、この御本尊は、釈尊50年の説法のうち、最後の8年、その8年にわたって説かれた法華経二十八品のうちでも涌出品第十五から属累品第二十二に至る八品の間に顕われたのである。
さて、釈迦滅後においては、正法、像法、末法の三時の中でも、正像二千年間には、いまだ本門の本尊という名前さえなかった。まして、その御本尊が顕われるはずもなく、また顕わすことのできる人もなかった。
像法時代の天台、妙楽、伝教等は、自身の内心には悟っていたけれども、理由があったのであろう、言葉に出しては説かなかったのである。あたかも、顔回が、師の孔子から学んだことを、心の中では悟っていたけれども、言葉に出していわなかったのと同じである。
しかしながら、釈尊滅後二千年を過ぎて、末法の始めの五百年に、この御本尊が出現されるであろうことは、経文に、ありありと明らかに説かれている。また、天台や妙楽等の解釈にも明らかに記されている。
語釈
八品に顕れ給う
八品とは、法華経本門十四品のうち、従地涌出品第十五から嘱累品第二十二に至るまでの八品。涌出品には滅後の弘通を付嘱すべき地涌の菩薩を召しいだし、寿量品には付嘱する本尊を説き顕わし、分別功徳品には、この本尊に対してよく一念の信解を生ずる功徳を明かす。随喜功徳品にはこの法を聞いて五十展転する功徳を明らかにし、法師功徳品にはこの法の五種の妙行の大利益を明かし、不軽品には末法に弘通する方軌を示し、神力品には別してこの本尊をまさしく地涌の菩薩に付嘱する。そして嘱累品においては、総じて迹化の菩薩等も含めて付嘱がなされる。寿量品で説き顕わされた本尊の付嘱は八品にわたり、余品にわたらないゆえ、「但八品に限る」といわれたのである。
正法
仏滅後の時代区分である正法時・像法時・末法時の正法時のこと。仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。仏滅後1000年までの期間。
像法
釈迦滅後千~二千年の間。すべての仏に正像末がある。この時期は教法は存在するが、人々の信仰が形式に流されて、真実の修行が行われず、証果を得るものが少ない時代。
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
本門の本尊
本尊とは根本尊敬の意で、根本とする哲理、教説を凝集した実体である。本門の本尊とは、法華経の本門の哲理を凝集し実体化したものということになる。
内には鑒み給へども
内鑒冷然と同意。心の中では十分に知っているが、口に出さないこと。天台、妙楽、伝教等いずれも①自分自身堪えられない②所被の機根がない③仏より譲られない④時が来ない等の理由で三大秘法を説き顕わさなかった。
顔淵
(BC0514~BC0483)。中国春秋時代の儒家。孔子の高弟。魯(山東省曲阜県)の人で名は回、字は子淵。孔子より30歳も若かったが、師より先に死んで「ああ天われを滅ぼせり」と孔子を痛嘆させた。学徳ともに高く、孔子も「彼これ真に学問を好む者だ」とほめたたえた。彼の学風は、師の内省的求道の面を受け継いだもので、己れに克ち礼に復り、怒を遷さず、過をふたたびするなかれという師の教えを忠実に守った。後に孔子と共に祭られ、また唐代には亜聖、兗公の号を、元代には兗国復聖公の号を贈られた。
講義
日蓮大聖人のあらわされる御本尊が、法華経に説かれて以後、正法像法二千年間に、誰びとによっても顕わされなかった極説中の極説であることを、まず述べられている。このなかには、二つの面が含まれている。一つはこの御本尊は法華経の涌出品から嘱累品にいたる八品に厳然とあらわれているということであり、一つは、仏滅後二千余年間、誰びとも顕わさなかったということである。
法華経にあらわれているということは、本抄の中に「是全く日蓮が自作にあらず」といわれているように、大聖人が勝手に作ったものではないということである。この御本尊は、久遠元初の妙法を実体化したものであり、この久遠の妙法は常住であるから、それを実体化すればまさに御本尊のようにならねばならないことは、およそ仏法の極理に達した人ならば、明瞭にわかっていたのであろう。
というよりむしろ、釈尊は、仏として覚ったこの久遠の妙法を示すために法華経を説いた。そして、一切衆生に、法華経を通して久遠の妙法を覚らせ、自分と同じく仏にさせようと期したのである。したがって、この法華経には久遠の妙法すなわち御本尊があらわれているのは、当然なのである。
それと同時に、正像二千年間の、法華経の正師としてこの極理を体得していた天台、妙楽、伝教等が、同じくこの久遠の妙法即御本尊を知っていたのも、また当然といわなければならない。ただ、この御本尊が顕われるべき時は末法であるから、釈尊自身、その実体化をしなかったように、天台、妙楽、伝教等も、心の中では知っていたけれども、それを明確に言葉に出したり、まして実体として顕わすことはせず、ただ、末法の始めに偉大な法が出現すると予告するにとどめたのである。
抑此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり
この御本尊は、釈尊五十年の説法の中では八年間の法華経、その法華経の中でも、涌出品から嘱累品までの八品に顕われているとの仰せである。
古来、日蓮大聖人の正意がわからない人々は、このような御文から、あたかも八品が大聖人建立の本尊を示していると考え「八品所顕の本尊」などと言ってきた例がある。だがこれは誤りである。本尊を顕わした品は、あくまで寿量品であって、御本尊は、寿量品の文底に秘沈されたものなのである。
では、なぜ涌出品から嘱累品の八品に顕われているといわれるのか。涌出品では、末法弘通の付嘱を受けるために、本化の菩薩が大地から湧出し、寿量品等の説法のあと、神力品で付嘱の儀式があり、嘱累品で姿を消す。
久遠の妙法は、釈尊が久遠五百塵点劫の昔に成道したことを明かした寿量品のみが、その釈尊成道の本因として顕わしているものといわなければならない。
しかしながら、ひるがえって考えてみると、釈尊が末法弘通のために本化地涌の菩薩に付嘱しようとしたものは、実はこの久遠の妙法即ち御本尊である。したがって、本化の菩薩が出現した涌出品から嘱累品までの間は、久遠の妙法即御本尊付嘱の儀式であり、この立場から「八品に顕れ給うなり」といわれたのである。
天台・妙楽・伝教等は内には鑒み給へども、故こそあるらめ、言には出し給はず
天台・妙楽・伝教等は、仏法を究め、特に法華経の真髄を把握した人々である。法華経に釈尊が秘めた久遠の妙法についても当然知っていたのであろうし、それが末法に出現する御本尊であることも、覚知していた。
だが、それは、あくまで自分の心の内におさめて、どのようなものであるかを言葉に出して言うことはなかった。では、なぜ、知りながら言わなかったか。なんらかの理由があったはずである。この理由については、大聖人は、ここでは「故こそあるらめ」と、遠回しにほのめかしておられるだけである。
この理由をまとめて挙げられているのが、曾谷入道等許御書の「一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり」(1028:16)の文である。しかしながら、それは、ここでの主題ではないので、ただ、御文を示すにとどめる。
ここで大事なことは、日蓮大聖人のあらわされる御本尊が、普遍的な仏法の真理であって、大聖人の勝手に作ったものではないということである。ただ、それを顕わす資格を持っているのは、末法に出現する御本仏、日蓮大聖人のみであるので、天台、伝教等の人々は、その実体を知っていたけれども、自分で顕わすこともしなければ、明らさまに口に言うこともせず、単に末法の始めに大法が出現し広宣流布するであろうといって、暗示するにとどめたのである。
然るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫赫たり、明明たり。天台・妙楽等の解釈分明なり
久遠の妙法たる偉大な仏法が末法の始めに出現するであろうことを予言した経文、ならびに天台・妙楽等の言葉を挙げると、次のような例がある。これは、大聖人が御書の中でも、しばしば引用されているものである。
法華経薬王品に「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」と。
これは大法が末法の始めに出現することをあらわした文である。
天台の言葉として有名なのは、顕仏未来記にも引かれている「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」であり、同じく伝教の言葉としては「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり」がある。
第三章(御本尊図顕の人を明かす)
本文
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり、
現代語訳
ここに、日蓮はどういう不思議であろうか。正法時代の竜樹、天親等、像法時代の天台、妙楽等でさえ、顕わすことのなかった大曼荼羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕わしたのである。この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではない。法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、ならびに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺るように摺りあらわした御本尊なのである。
語釈
竜樹
梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
天親
天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
大曼荼羅
曼荼羅とは梵語。道場、壇、功徳聚、輪円具足と訳す。一般に信仰の対境として諸仏を総集して図顕される。
すりかたぎ
すりかたぎとは版木として摺りあげたもの。版木で刷ったものは版木の通りに摺りだされ、すこしも異なることはない。
講義
正法時代の竜樹・天親も、像法時代の天台・妙楽等さえも顕わさなかった御本尊を、日蓮大聖人が、はじめて顕わされたことを述べられている。
「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん」の一文には、右に挙げた仏法史上の大論師、偉大な先覚者でさえも顕わすことのできなかったこの御本尊を顕わすなどということは、並みたいていのことではない、との意が含まれている。
すなわち、それほど、この御本尊を顕わすということは、仏法上の偉大な意義を含んでいるのである。それ故にこそ、日蓮大聖人は、御本尊の建立をもって「出世の本懐」とされるのであり、なかんずく、その一切の眼目は、弘安2年(1279)10月12日の本門戒壇の大御本尊御図顕にあることを知らなければならない。
もとより「いかなる不思議にてや」というのは、大聖人御自身にとっての「不思議」ではない。大聖人を竜樹や天台などよりもはるかに低い凡夫僧と考える第三者の眼からみての「不思議」である。日蓮大聖人が久遠元初の自受用身如来であり、末法に大白法を建立し流布するために出現された御本仏であることを知ってはじめて、この「不思議」は解けるのである。
また、この大曼荼羅すなわち御本尊こそ、日蓮大聖人の仏法の要であることは「法華弘通のはたじるしとして」との御文からも明瞭であろう。〝はたじるし〟とは、広くいえば、何かを目指す集団が、外には自己の存在を示し、内には成員の士気を鼓舞するために掲げるものである。
したがって、例えば、その集団の中心者が倒れても、誰かがその旗印を掲げて進んでいく限り、戦いは続けられる。旗印は、集団の生命というべきもの、集団の理念といったものをあらわす、最も大事な要になっているのである。この故に「法華弘通のはたじるし」と大聖人が仰せられるのは、この御本尊が大聖人の仏法における最も大切な要であることを意味するのである。
是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり
既に述べられているように、この御本尊は、法華経においても顕われている久遠の妙法そのものに他ならない。したがって、大聖人が勝手に作り出したものではなく、法華経のなかで、釈迦並びに一切の分身の諸仏が顕わしたままの、寸分も違いのない御本尊であると仰せられるのである。
実体として顕わしたのは大聖人が最初であるが、顕わされたもの自体は、勝手に作られたものでなく、久遠以来、常住のものである。矛盾するようであるが、これは、たとえていえば、科学において、もともとある真理を発見し、これを明らかにするのと似ている。
引力というものは、ニュートンがその法則性を明らかにする以前から、もともとあったのであって、ニュートンが作り出したものではない。しかし、だからといって、ニュートンの万有引力の法則の発見という業績が意義を失うわけでは決してないのである。
むしろ、本来、普通のものとしてあることの故に、それを明らかにしたことは、全ての人に関係のある重要な意義をもつのではあるまいか。日蓮大聖人の御本尊の図顕は、全ての人間生命の幸福と尊厳性に直接かかわる、最も重大な意義をもっていたのである。
第四章(御本尊の相貌を明かす)
本文
されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。
現代語訳
したがって、首題の妙法蓮華経の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座を占めている。釈迦・多宝、更に、本化の四菩薩は肩を並べ、普賢、文殊等、舎利弗、目連等が座を屈している。更に日天、月天、第六天の魔王や、竜王、阿修羅が並び、その外、不動明王と愛染明王が南北の二方に陣を取り、悪逆の提婆達多や愚癡の竜女も一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼である鬼子母神や十羅刹女等、そればかりでなく、日本国の守護神である天照太神、八幡大菩薩、天神七代、地神五代の神々、すべての大小の神祇等、本体の神が皆この御本尊の中に列座しているのである。それ故、そのほかの用の神がどうして、もれるはずがあろうか。宝塔品には「諸の大衆を接して、皆虚空に在り」とある。これらの仏・菩薩・大聖等、更に法華経序品の説会に列なった二界八番の雑衆等、一人ももれずに、この御本尊の中に住し、妙法蓮華経の五字の光明に照らされて、本来ありのままの尊形となっている。これを本尊というのである。
語釈
四大天王
四天ともいう。帝釈の外将で、須弥山の中腹の由乾陀羅山の四峰に住すとされる。おのおの四天下の一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天も、陀羅尼品において、法華経の行者、国土を守護することを誓っており、御本尊の四隅にしたためられているのは、妙法と妙法受持の人並びに妙法流布の国土を四天王が守護するという姿をあらわしている。
本化の四菩薩
地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩のこと。法華経従地涌出品第15に「是の菩薩衆(=地涌の菩薩)の中に、四導師有り。一に上行と名づけ、二に無辺行と名づけ、三に浄行と名づけ、四に安立行と名づく。是の四菩薩は、其の衆の中に於いて、最も為れ上首唱導の師なり」と説かれている。この四菩薩について「御義口伝」では、『法華文句輔正記』の文を引いて「輔正記の九に云く『経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり』」と述べられている。
普賢
普賢菩薩のこと。梵名をサマンタバドラ (Samantabhadra)といい、文殊師利菩薩と共に迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢の名号は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、しかも善なることをあらわしている。法華経普賢菩薩勧発品第二十八では、法華経と法華経の行者を守護することを誓っている。
文殊
文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
目連
梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahāmaudgalyāyana)といい、摩訶目犍連、目犍連とも書き、菜茯根、采叔氏などと訳す。釈尊十大弟子の一人。神通第一といわれた。仏本行集経巻四十七等によると、マカダ国の王舎城の近くのバラモンの出で、舎利弗と共に六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、更に真実の法を求めて釈尊の弟子になったという。法華経授記品第六で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。盂蘭盆経上によると、餓鬼道に堕ちた亡母を釈尊の教えに従って救ったといわれる。
日天
日宮殿に住む天人のこと。日天子・大日天・日宮天子・宝光天子などともいう。太陽を神格化したもので帝釈天の内臣とも観音菩薩・大日如来の化身ともされる。密教では十二天の一つで胎蔵界漫荼羅の外金剛部院東方に位置する。日蓮大聖人は諸天善神の一つに数えられており、本尊の中にもしたためられている。
月天
月天子のこと。本地は大勢至菩薩で、その応身の姿とされ、名月天子ともいわれる。
第六天の魔王
他化自在天王のこと。欲界の天は六重あり、他化自在天はその最頂・第六にあるので第六天といい、そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。三障四魔のなかの天子魔にあたる。
竜王
竜の王。八番のひとり、大海の水底にある竜宮に住むとされ、八竜王(難陀・跋難陀・娑羯羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅)をいう。
阿修羅
阿素羅、阿蘇羅、阿須羅、阿素洛、阿須倫、阿須輪などとも書く。非天、非端正、非善戯、非類、無酒、不飲酒、障蔽、質諒、劣天、非類と訳す。六道のひとつで修羅はこの略称。帝釈に敵対する鬼神で大別して三つの意味がある。①無端の義・醜い容貌をしていること。②非天の義・天にあらざること、悪がその戯楽だからである。③無酒の義・悪業の報いにより、酒が得られないのである。戦闘を好む鬼神であり、十界に約し、生命論のうえからいえば、怒りの生命をいう。十法界明因果抄には「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」(0430-8)とある。常に内には慢心が強く、心が曲がっているため、すなおに物事を考えることができず、正しいことをいわれてもすぐにカッとなる。しかも外には礼儀をわきまえているような生命の姿である。「諂曲なるは修羅」とあるように諂い曲がれる心を修羅とし、闘争を好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口をいいあうことである。
不動
不動明王のこと。五大明王の一つ。大日如来が魔を降伏するために化現したものともいう。怒の相を示し、一切の煩悩の生を断ち切り不生不滅の彼岸に更生させる使命を表わしている。法華経の行者を守護する諸天善神として御本尊の右に梵字でしたためられている。法華経説法では仏は東を向くとされ、右は南にあたる。
愛染
愛染明王のこと。梵語で囉誐羅闍といい、愛貪染著の意。大愛大貪染をもって、世間の小癡愛小染著から生ずる惑障を治めて、絶対の大愛大貪染の法門に悟入させる明王。すなわち煩悩即菩提、生死即涅槃をあらわしている。御本尊の左端に梵字で認められている。したがって北にあたる。
悪逆の達多
提婆達多は斛飯王の子で、阿難の兄、釈尊の従兄弟とされるが異説もある。また仏本行集経巻十三によると釈尊成道後六年に出家して仏弟子となり、十二年間修業した。しかし悪念を起こして退転し、阿闍世太子をそそのかして父の頻婆沙羅王を殺害させた。釈尊に代わって教団を教導しようとしたが許されなかったので、五百余人の比丘を率いて教団を分裂させた。また耆闍崛山上から釈尊を殺害しようと大石を投下し、砕石が飛び散り、釈尊の足指を傷つけた。更に蓮華色比丘尼を殴打して殺すなど、破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢の三逆罪等の悪逆の限りをつくしている。
三千世界
古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
鬼子母神
梵名ハーリティー(Hārītī)、音写して訶梨帝、訶梨帝母と書き、鬼子母神と訳する。インドでは出産の女神としている。鬼神槃闍迦の妻で一万の子があったといわれ、性質は凶暴で、王舎城に来て幼児を取って食うのを常とした。釈尊はそれを誡めるため、末子の嬪伽羅をとって隠したところ、探しあぐねて釈尊のところにいき、その安否をたずねた。釈尊は今後、人の子を取って食うことをしないと誓わせ、その子を返した。以後仏法に帰依し、法華経陀羅尼品で法華経の行者を守護することを誓った。
十羅刹女
鬼子母神の十人の娘。羅刹女は梵語ラークシャシー(Rākṣasi)の音写で、悪鬼と訳す。法華経陀羅尼品第二十六において法華経の行者を誓っている。十人の名は、藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気である。
天照太神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
八幡大菩薩
天照太神とならんで日本古代の信仰を集めた神であるが、その信仰の歴史は、天照太神より新しい。おそらく農耕とくに稲作文化と関係があったと見られる。平城天皇の代に「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり、百王を守護せん誓願あり」と託宣があったと伝えられ皇室でも尊ばれたが、とくに武士階級が厚く信仰し、武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝の幕府創設以来、鎌倉に若宮八幡宮をその中心として祭ってきた。
天神七代
地神五代より前に高天原に出た七代の天神。陽神(男神)と陰神(女神)がある初めは抽象的だった神々が、次第に男女に別れ異性を感じるようになり、最終的には愛を見つけ出し夫婦となる過程をもって、男女の体や性が整っていくことを表す部分だと言われている。①国常立神②国狭槌尊③豊斟渟尊(以上、独化神三世代)④泥土煮尊・沙土煮尊⑤大戸之道尊・大苫辺尊⑥面足尊・惶根尊 ⑦伊弉諾尊 ・伊弉冉尊。
地神五代
日本神話の神々。天神七代のあと地上に降りて人王第一代の神武天皇に先立って日本を治め、皇統の祖神となったとされる五代の神。日本書紀には天照大神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、天津彦火瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鸕鷀草葺不合尊をさす。
本有の尊形
十界の生命に本来具わった姿・形。
講義
御本尊の相貌を述べられた段である。
南無妙法蓮華経の首題が中央にしたためられ、四隅には持国・増長・毘沙門・広目の四天王が配置され、この中に釈迦・多宝から提婆・鬼子母神・十羅刹にいたる十界の衆生が列座している。
これは法華経の虚空会の儀式の姿そのままであり、日蓮大聖人のご生命そのものでもある。それは、法華経自体、釈尊の生命を示したものであり、総じて、全ての人の生命の実相でもある。
しかしながら、妙法を信じ行じていない人においては、中央の南無妙法蓮華経は冥伏しており、それにしたがって、この「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる」べき十界の生命-特に仏・菩薩など-も、あらわれない。あたかも電灯はあるが、消えて真っ暗の場合、室内にある物は、その姿をあらわさないで闇の中にとけこんでいるようなものである。
電灯に電流が通じて、球が点ることにより室内は光に照らされ、個々の物が、はっきりとその姿をあらわすのである。この電灯にあたるのが、中央の首題であり、電灯に電流を通じるのが、信心口唱といってよいであろう。
それによって、生命の内に具わっている仏界、菩薩界等の働きが顕現し躍動を始める。また、もともと「三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼」である鬼子母神などの生命も、ちょうど法華経においては妙法受持者を護る諸天となっているように、私達の幸せを守る働きになるのである。これは、人間みな持っている破壊的衝動や欲望が、その人の幸せを増進し、生命を護り、ひいては文化を育てていく働きになるのと同じである。
その人の生命の中に、妙法への信が確立されることによって、これらの全ての生命の働きが、調和を保ちつつ、創造と発展への営みを織りなしていくのである。それが、私達の生命に約した場合の「本有の尊形となる」ということである。
宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云々
この文は、宝塔品で釈尊が虚空にある多宝の塔の中に入り、多宝仏と並座したとき、大衆が「私達も、倶に虚空にいさせてください」と願った。そこで、釈尊が神通力をもって、大衆を皆、虚空においた、というところである。
大衆が虚空に置かれたということは、釈迦・多宝と同じ状態になったことであり、それは同じ餓鬼界の鬼子母神、畜生界の竜女、地獄界の提婆であっても、根本的に異なる。その彼らが妙法の光に照らされて、本有の尊形となったことを意味するのである。
三悪道の生命ならば、醜悪であるのが本有であるように思いがちであるが、そうではない。三悪道、四悪趣の生命も、たとえば餓鬼は、本来は、生命を維持するための不可欠の働きであり、善なるものである。ただ、それが、自己の生命のために他を顧みなくなり、ひいては欲望の充足がもたらす快感のために、他の犠牲をも平気で強いるようになると、自己の存在の尊厳性自体を損うにいたる。
その意味では、醜悪なのは〝本有〟ではなく、歪められたものであり、妙法に照らされて〝本有〟のものとなったとき、それ自体、尊形をもっていることが明らかとなるのである。
第五章(経釈を挙げて示す)
本文
経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後・二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。
現代語訳
法華経方便品に「諸法実相」とあるのは、このことをいうのである。妙楽大師はこの文を「実相は必ず諸法であり、諸法は必ず十如是を具えている。(乃至)十界は必ず身土のうえに実在する」と解釈している。また、「実相の深理とは本有の妙法蓮華経のことである」と説かれている。
伝教大師は「一念三千とは自受用身のことであり、自受用身とは、尊形を出た本有無作の仏である」と説かれている。
この故に、未曾有の大曼荼羅と名づけるのである。釈尊滅後二千二百二十余年の間には、この御本尊は、未だ出現しなかったということである。
講義
前章に述べられたように、この御本尊の中においては、十界のあらゆる衆生が摂せられ、妙法の光明に照らされて「本有の尊形」となっている。本章は、このことを経文、論釈を引いて立証されるのである。
まず、方便品の「諸法実相」の文を挙げ、それに対する妙楽、天台、伝教の釈を示されている。「実相の深理、本有の妙法蓮華経」とあるように〝実相〟とは妙法の五字、南無妙法蓮華経にほかならない。これに対し〝諸法〟とは、妙楽の「諸法は必ず十如、乃至十界は必ず身土」の言葉のように、十界の生命をさす。
しかも「実相は必ず諸法」であるから、したがって、妙法五字と十界の生命とが一体となっているところに「諸法実相」の実体がある。故に、大聖人が図顕された御本尊は、この方便品の「諸法実相」の法理を、そのまま、事相にあらわしたものということができるのである。
これを一念三千の法理として展開したのが天台であり、この場合、諸法が三千、実相が一念になる。一念三千は〝法〟であるが、これをそのまま体現した仏つまり〝人〟が自受用身である。したがって、一念三千即自受用身、人法一箇の当体としての御本尊は「出尊形の仏」である。
前章の「本有の尊形」と、この「出尊形の仏」ということは、一見矛盾するようであるが、同じことを意味しているのである。すなわち「出尊形」の〝尊形〟とは三十二相八十種好の有作の尊形である。それを出でたところに、生命が本然的にもっている無作本有の尊形が輝き出るからである。
これを、たとえでいえば、地位や名誉、財産といったもので我が身を飾るのは有作の尊形である。そうした表面だけの尊形で自らをおおっているときには、その人の生命自体の輝き、人間としての尊さはかくされている。それらをかなぐり捨てたときに、真実の人間としての、生命自体のもつ尊さをあらわすことができるのである。
「諸法実相」の意義について
なお、大聖人が、御図顕の御本尊を説明し位置づけるために、なぜ方便品の「諸法実相」の文を挙げられたかを考えてみたい。
法華経において、この方便品の「諸法実相」の文の占める位置は、極めて大きい。方便品の冒頭で、釈尊は「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり」と説き起こす。すなわち、あらゆる仏のもっている智慧であり、この智慧を得れば、いかなる人も仏になれる智慧を示すことが、法華経の目的であったことが知られるのである。
では、その智慧とは、いかなるものか。方便品におけるその答えが「唯、仏と仏と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」とある〝諸法実相〟なのである。この諸法実相を天台は一念三千と論じ、日蓮大聖人は「諸法は妙法蓮華経と云う事なり」(1359:諸法実相抄:03)と示された。
したがって、あらゆる仏の悟りの当体であり、一切衆生を成仏させる根源である南無妙法蓮華経の御本尊を、理論的に指し示した文がこの「諸法実相」の文である。この故に御本尊を哲学的に裏づける文証として「諸法実相」を挙げられ、その論釈を引かれたのである。
第六章(御本尊供養の功徳を説示する)
本文
かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・現在には幸をまねき後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く・彼こへまはり此へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり、相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり。
現代語訳
このような尊い御本尊を供養する女人は、現在には幸せを招きよせ、後生には、この御本尊が左右前後に立ちそって、あたかも闇夜に燈火を得たように、また険難な山路で強力を得たように、彼方へまわり、此処に寄りそって、日女御前の周りを取り囲み護るであろう。
よくよく心を引きしめて、遊女を我が家へ寄せつけたくないと思うのと同じように、謗法の者を防がなくてはならない。「悪知識を捨てて善友に親近しなさい」というのは、このことである。
語釈
悪知識
善知識に対する語。仏道修行を妨げ、不幸におとしいれる者をいう。法華経譬喩品第三に「悪知識を捨てて、善友に親近するを見ん。是の如きの人に、乃ち為に説くべし」とある。
善友
善知識と同意。正法を教え、ともに修行し、また正法を持ちきるよう守ってくれる人。
講義
御本尊を供養する功徳がいかに大きいかを具体的な表現で示されている。
供養とは、この場合、冒頭にあるように、日女御前がお金や米を御供養したことをさしていわれているのであるが、そうした物質的な供養に限るものではない。財供養と法供養の別が立てられるように、日々の勤行・唱題、折伏弘教の実践、また、御本尊への給仕等も立派な「御本尊供養」であり、この段で述べられている功徳は厳然とあると確信すべきである。
現在には幸をまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて……まほり給うべきなり
この御本尊の功徳は、現在の人生において幸福になれるというばかりでなく、死んで後も、守り、助けて下さるのである。生命は永遠であるから、死後来世の幸せだけ約束する宗教は、要するに空手形にすぎない。
反対に、現世の幸せだけに終始する教えは人間性を低い水準に置き、狭い視野に閉じ込めるものである。
現世安穏・後生善処を共に、責任をもって確約する宗教であってこそ、三世常住の人間生命を真に救う宗教であるということができるであろう。
なお、この段で、大聖人が仰せられていることから、特に論じておきたいのは、死後の生命のあり方である。死後といっても、死んで後、再び新しい生を始めるまでの間、つまり、死の状態にある期間の私達の生命の姿である。
〝死〟とは、生命が自らの能動的な働きを失うことである。生命が生を維持していくためには、外界から物質や情報を取り入れ、消化し、あるいは外界の状況に対応しなければならない。そうした生を維持するための働きが冥伏し、ただ〝我〟のみが存在している状態が〝死〟である。
したがって、死の状態においては、苦難があっても、それを避けることも、打ち砕くこともできない。ただ、苦を受ける以外にないのである。そうした死の状態にある私達の生命に対して、御本尊の功徳は「左右前後に立ちそひ」あたかも闇の中で燈を得たように、険しい山道で強力が助けてくれるように、守ってくださるというのである。
「彼こへまはり、此へより、日女御前をかこみまほり給うべきなり」といわれているのは、単に日女御前がかよわい女性だからこうした表現をされたというだけでなく、死後の生命が、あくまで受け身でしかありえないところから、こう述べられたのである。
相構え相構えて、とわりを我が家へよせたくもなき様に、謗法の者をせかせ給うべし
人間の心は縁に紛動されやすい。特に女性は、周囲の状況や縁によって動かされやすいものである。
日女御前がどのような女性であったか、今日では詳しいことは分からないが、大聖人のお手紙の文面から判断すると、求道心が旺盛で純真な人だったようである。それだけに、善縁に接すればよいが、謗法の悪縁にふれた場合、それに紛動されることを大聖人は心配されたのであろう。
謗法の者あるいは一般的に悪友に対するに、二つの態度がある。一つは、ここに仰せのように、これを避ける行き方。もう一つは、積極的に接し、改心させる行き方である。
正法を弘通する実践者としては、後者の行き方にならざるを得ない。そういう意味では、「せかせ給うべし」「悪知識を捨て」というのは、いかにも弱々しい行き方にみえる。そうした行き方を、この場合、大聖人がすすめられた背景としては、前述の日女御前の人柄も考えなければならない。と同時に、当時の信徒の人々は、日蓮大聖人の教えの全貌を知ることが、ほとんどできずにいたことも考慮する必要がある。
日蓮大聖人の教えの全貌は、大聖人が個々の信徒に、その都度書かれたお手紙や法門書を集成し、御書全集としてまとめられた今日なればこそ、知ることができるのである。御在世当時の人々にとっては、自分がいただいたお手紙や、回りもちで読んだ御消息を通して知りうるものが全てだったであろう。
しかしながら、この「謗法の者をせかせ給うべし」ということは、折伏弘教に邁進する人にとっても、無関係の問題ではない。物理的には謗法の者と積極的に接するであろうが、精神的には断じて染められてはならない。この心の世界においては「謗法の者をせかせ給うべし」は、最も大事な戒めなのである。
第七章(御本尊の住処と意義を明かす)
本文
此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、
現代語訳
この御本尊は、全く他所に求めてはならない。ただ、我等衆生が、法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。十界具足とは、十界の各界が一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということである。これによって、御本尊を曼陀羅というのである。曼陀羅というのはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのである。
語釈
胸中の肉団
御本尊が妙法を唱える我らの生命と一体であるということ。
九識心王真如の都
天台宗、華厳宗などで生命に本来具わっている識を九つ立てて、第九識の阿摩羅識をもって、如来蔵識、清浄識といい、これを心王と立てる。心王とは、心の作用を起こす本体をいい、この心王に対して心数は心にともなって起こってくる作用である。真如とは、虚妄をはなれ、不変不改である真実をいう。この心王の住所ということから都という。
天竺
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
曼陀羅
梵語マンダラ(maṇḍala)の音写。曼荼羅などとも書き、道場・壇・輪円具足・功徳聚などと訳す。古代インドの風習として、諸仏を祀るために方形または円形に区画した区域に起源をもつ。転じて、信仰の対象として諸仏を総集して図顕したものを曼陀羅というようになった。①本尊のこと。②菩提道場のこと。釈尊が成道した菩提座、及びその周辺の区域。③壇のこと。仏像等を安置して供物・供具などを供える場所。④密教では本質、心髄などを有するものの意から、仏内証の菩提の境地や万徳具足の仏果を絵画に画いたものをいう。本抄の場合は、日蓮大聖人の出世の本懐である事の一念三千の御本尊のこと。
輪円具足・功徳聚
輪円具足とは、輪が欠けるところなく円いのと同じように全てのものが具わって欠けているものがないという意。功徳聚とは、功徳の集まりという意。
講義
この御本尊は、自分の外にあるものと思ってはならない。「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる」我々衆生の「胸中の肉団」にある、と仰せである。この文は、御本尊の正体、実体が何であるかを端的明快に示された、非常に重要な一節である。
既に述べたように、この御本尊は、釈尊が己心の生命を悟って、それを法華経として説き示したところにあらわれており、日蓮大聖人も、御自身の生命をそのまま図顕して、この御本尊を顕わされている。このことからもこの御本尊は、仏たると衆生たるとを問わず生命の奥底に実在する一実体にほかならないことが理解されよう。
ただ、この自身の奥底の生命を覚知した人を仏といい、それを覚りえず、瞬間瞬間に起こる妄想と妄念に惑わされている人を凡夫、衆生というのである。仏はこれを覚知しているから、その覚ったものをあらわし示してくれる。衆生は、仏によって顕わし示されたもの-すなわち本尊によって、自身の内に秘められた同じ生命を顕現していく。
仏がこの御本尊を図顕した目的は、衆生に衆生自身の生命に内在する本尊を覚知させることである。したがって「此の御本尊全く余所に求める事なかれ」と戒められているのである。もし、御本尊をただ仏によって与えられたものとして、信仰・礼拝さえすればよい、これに頼っていさえすればよいというのであれば、仏としてはこの御本尊を顕わした意図は満たされないどころか、全く違った方向へ歪められてしまったことになる。
御本尊を余所に求めている人は、あたかも鏡に映った自らの顔を見て、他人の顔と思い込んでいるようなものである。鏡は、それによって我が身を正すためにあるのであって、他人と思って喜んでいるのでは鏡としての用は果たせないのである。
大聖人が、このように、日女御前に対し、御本尊はあなたの外にあるのでなく、あなたの「胸中の肉団」にあるのだと教えられたのは、前段で、死後も厳然と守ってくれると仰せられたこととつながりがある。もし、外にあるものとすれば、死後も一緒ということはありえないから、「左右前後に立ちそひて」ということは信じられないということになる。「胸中の肉団」にあることによって、死後も寸時も離れないといえるのである。
ただ、このことから更に大切なことは、ここに日蓮大聖人の仏法が既存のあらゆる宗教と全く異なる基盤に立つものであるということである。
すなわち、過去のあらゆる宗教の行き方は、人間の外に、人間をはるかに越えた畏怖すべき存在を設定し、人間は、この存在つまり「神」に服従し、礼拝を捧げれば、この「神」によって守られ救われるということであった。このような宗教の行き方が、権威主義的な人間性格を形づくることは必然である。
それに対し、宇宙の最も本源的なものは、人間各自にとって、自分の外にあるのではなく、自己自身の内にある、否、自己の本質そのものである、というのが日蓮大聖人の仏法である。もとより、釈尊の場合も、法華経哲学というのは、まさにこれを教えたのであり、あえていえば、キリスト教も、本来はそうした考え方をもっていたようであるが、実体的に明確化することができなかった。そのため、後世の弟子達は、権威主義的な信仰姿勢に陥っていったのである。
ともあれ、日蓮大聖人の仏法によってはじめて、真に人間主義的信仰の大道が開かれたといってよい。大きい意味でいえば、そうした人間主義的宗教は、人類の英知と良識が等しく求めてきたものであったが、実体性をもたないため、三悪道の生命にとって馴染みやすい権威主義に毒され、たちまち途絶えてしまったのである。大聖人の仏法によって実体性が与えられることにより、人間主義的宗教への人類の願望ははじめて、実現化の道を得たといえるのではあるまいか。
九識心王真如の都
九識論は、仏法哲学の誇るべき洞察から打ち立てられた法門である。これは、人間の意識作用の分析から、精神構造の重要性を明らかにしたもので、ヨーロッパにおいては二十世紀初頭、フロイトなどによってようやく端緒が開かれた分野である。東洋においては、仏教発祥の当初から、はるかに深い人間分析がなされていたのである。
意識作用を観察すると、眼・耳・鼻・舌・身の五官・五根に、それぞれ識があることがわかる。常識的に考えると、これら五官は、あくまで一種の機械的装置のように思われ、それぞれに識があるというのは不思議なように感じられる。だが、眼・耳・鼻等、いずれも、それ自体で選択作用を行なっており、不要な情報は、そこでカットして大脳にまで伝えない、といったことは、既に科学的にも観察されている通りである。
さて、これら五官の各識の統活をするのが、大脳中枢神経の意識である。これを第六識と呼ぶ。意識とは「識知し思考する心」で、これは過去を追憶し、未来を予想する働きもする。
次に、第七識として末那識がある。末那とは思量するという意味であるが、この中核になるものは「自己を愛している領域の心」で、要するに自我意識である。したがって、よい意味では自己反省につながるが、半面、我見・我慢・我愛といった迷いの根源にもなる。
第八識を阿頼耶識という。阿頼耶とは貯蔵所の意味で、前の瞬間の心作用の印象をたくわえ、次の瞬間の心作用を引き起こす働きをするといわれる。訳して「含蔵識」と呼ばれるのは、この故である。
ふつう、第八識をもって心王としたが、華厳宗、天台宗においては、更に、その奥に根源的な識があるとし、これを阿摩羅識と名づけた。阿摩羅とは汚れがないという意味で訳して「根本清浄識」という。この第九識を根本の心王とし、八識以下を心数とした天台の法門を受けて「九識心王真如の都」といわれたのである。
いわゆる我々の生命の行ないによって善悪の宿業が蓄積されていくのは、第八識の領域である。ここまでは、自己の常住不変の我というものはなく、その本質は、因縁によって形成され、流転していく空なるものである。
第九識こそ常住不滅の実体であり、この常住の本地に自己の存在の基盤を置くとき、流転つねなき宿業に押し流されない、力強い自身の確立がなされるのである。そして、この第九識の自我は、清浄無垢であり、一切を楽しみきっていけるのである。いわゆる「常・楽・我・浄」の四徳を具えているのは、この第九識の根本的自我にほかならない。
この根本清浄識は、常住不変であるから、久遠元初そのままの我が生命の当体である。これを日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経と示され、かつ、南無妙法蓮華経を受持し唱題するとき、己心の奥底にあるこの久遠元初の大生命が顕現すると、その実践法を教えてくださっているのである。
曼陀羅と云うは天竺の名なり、此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり
曼荼羅とは梵語で、訳して輪円具足、功徳聚、道場、壇という。古来、仏や菩薩の像を安置した場所を称したようであるが、真言宗などでは、紙などに仏や菩薩を、八葉の蓮華をかたどって配置し描いたものを曼荼羅といった。
これに対し、日蓮大聖人は、中央に久遠元初の仏の宝号として南無妙法蓮華経としたため、その左右に、十界の一切を代表する衆生を配し、曼荼羅の本尊とされたのである。
真言の曼荼羅の場合は、仏・菩薩のみで、二乗、六道は捨てられてしまっている。しかるに、大聖人は、地獄界の代表としての提婆達多すら成仏を許された法華経の哲理に基づいて、十界全てを納めた曼荼羅とされたのである。
このことは、私達の生命に約していえば、二乗や六道を捨てるのではなく、妙法の光に照らされて、十界全て、すなわち私達の持っているあらゆる生命の働きが、私達の幸福を増進し、功徳を生ずる原理をあらわしているのである。
ここに、真実の輪円具足、功徳聚とよばれうるゆえんがある。真言の曼荼羅のごときは二乗、六道が欠けているのであるから、本当の輪円具足、功徳聚とはいえないし、したがって曼荼羅の名に合致していないことを知るべきであろう。
日蓮大聖人の御本尊は、真の輪円具足であるが故に、いかなる人も、最も勝れた人格へと生命の変革ができる。また真の功徳聚であるが故に、いかなる悩みも解決し、いかなる願いも叶う、素晴らしい御本尊なのである。
第八章(成仏の要諦「信」を説く)
本文
此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。
日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故によつて・此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり・たのもし・たのもし、如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、穴賢・南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす、されば止観の四に云く「仏法は海の如し唯信のみ能く入る」と、弘決の四に云く「仏法は海の如し唯信のみ能く入るとは孔丘の言尚信を首と為す況や仏法の深理をや信無くして寧ろ入らんや、故に華厳に信を道の元・功徳の母と為す」等、又止の一に云く「何が円の法を聞き円の信を起し円の行を立て円の位に住せん」弘の一に云く「円信と言うは理に依つて信を起す信を行の本と為す」云云、外典に云く「漢王臣の説を信ぜしかば河上の波忽ちに冰り李広父の讎を思いしかば草中の石羽を飲む」と云えり、所詮・天台妙楽の釈分明に信を以て本とせり、彼の漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば立波こほり行くぞかし、石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや、
現代語訳
この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。
「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである。
日蓮の弟子檀那等は、「正直に方便を捨てて」の文や「余経の一偈をも受持してはならない」の文の通り、法華経のみを唯一無二に信ずることによって、この御本尊の宝塔の中に入ることができるのである。まことに頼もしいことである。
なんとしても、未来の福運のために、仏道に心を打ち込んでいきなさい。「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、成仏していくことが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。
仏法の根本は、信をもって源とするのである。
それゆえ、天台の摩訶止観の第四に「仏法は海のように深く広大であって測り知れない。ただ信によってのみ入ることができる」と説かれている。同じく妙楽の弘決の第四には「止観の『仏法は海の如し、唯信のみ能く入る』とは、孔子の教えでさえも信ずることを第一にしている。まして、仏法の深い哲理は信なくして、どうして入ることができようか。故に、華厳経には『信は道の根源であり、功徳を生み出す母体である』」等と説かれている。また天台の止観の第一に「どのようにして円教の法を聞き、円教の信を起こし、円教の行を立て、円教の位に昇ることができるのであろうか」との言葉があり、これについて妙楽は、弘決の第一に「円教の信というのは、円教の法理を聞いて信を起こすことであり、信を修行の根本とするのである」と述べている。
外典の書にも、次のような話が記されている。
「後漢の世祖・光武帝がまだ一武将であった時、戦いに敗れ敵に追われて敗走する途中、大河にさしかかり進退極まってしまった。その時、臣下の王覇は、河が凍っていると報告し、王もその言葉を信じたがために、河上の波はたちまち氷結して渡ることができた。また、李広という武将は、虎に殺された父の復讐の一念ゆえに、草かげの岩を虎と信じて弓を射たところ、石に矢が立った」ということである。
しょせん、天台、妙楽の釈では明らかに、信を根本としているのである。彼の漢王も、臣下の言葉を疑わずに信じた故に、それまで波の立っていた水面がたちまちに凍っていったのである。石に矢が立ったのも、父のかたきと信じた一念の強さ故である。まして、仏法においては、なおさらのことである。
語釈
以信得入
譬喩品の偈。「信を以て入ることを得」と読む。「汝舎利弗すら、尚此の経に於いては、信を以って得たり、況や余の声聞をや、其の余の声聞も、仏語を信ずるが故に、この経に随順す、己が智分に非ず」とある。智慧第一の舎利弗すら、信によって悟ったのである。
正直捨方便
法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。
不受余経一偈
法華経譬喩品第3の文。「余経の一偈をも受けざれ」と読む。真実の大乗経典である法華経のみを信じて、それ以外の一切の経典の一偈・一句をも信受してはならないということ。
後生
未来世。後の世のこと。また未来世に生を受けること。三世のひとつ。
外典に云く「漢王……」
漢王とは中国、後漢朝の創始者光武帝(BC0006年~)のこと。光武帝がまだ一武将のとき、戦いに敗れ、敵に追われて逃げる途中、大河にぶつかった。そこで家臣のなかで最も信頼していた王覇をつかわし視察させた。舟がなくて渡れない状態だったが王覇は真実をいうのにしのびず、河は凍っていて渡ることができると報告した。帝がこれを信じて前進したところ、たちまち河が凍ってしまったという。
李広父の讎を……
史記の李将軍伝にある。李広は中国前漢・武帝時代の将軍。隴西・成紀(甘粛省秦安県)の人。虎に殺された李広将軍の父の復讐のため猟に出て、草原の中の石を父を殺した虎と信じ切って矢を射たところ、石に矢が立ったという。このことから石虎将軍とも呼ばれた。
講義
信心こそ、成仏の鍵であることを述べられた段である。成仏とは、妙法すなわち南無妙法蓮華経を覚知することである。南無妙法蓮華経こそ「諸仏の智慧」つまり仏の悟りであり、あらゆる仏を仏たらしめているところの悟りの当体なのである。しかしながら、方便品に釈尊自ら言うように「諸仏の智慧は甚深無量」であって、その智慧の門は難解難入であり、一切の声聞・辟支仏の知る能わざる所なのである。では、何によってこの門に入ることができるか。この答えが「舎利弗すら尚此の経に於いては、信を以って入ることを得たり……己が智分に非ず」である。すなわち、仏の教えを心から信ずることによって初めて入ることができる、というのである。
こうして、信によって入り、仏の智慧に到達し、これを得ることができる。ということは、凡夫の浅く小さな智慧で、宇宙大にも比すべき仏の智慧を包みこむことはとうていできるはずもない。ただ仏の言を信じ、仏の智慧に従うことによって、仏の智慧を自らのものとすることができるのである。
これを更に掘り下げて論ずれば、仏の教えを信ずる我々の心自体が、我々の生命に具わっている仏界=仏の智慧に他ならない。「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり」(0241-15)と観心本尊抄にいわれ、日寛上人は「法華経を信ずる心強きを名けて仏界と為す」と釈されているのもこの故である。日蓮大聖人は、この南無妙法蓮華経すなわち仏の生命、仏の智慧を御本尊としてあらわされたのであり、しかも、この妙法は我々の生命の内にある信心の心なのであるから「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と断言されているのである。
此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり
御本尊が私達の信心におさまっているということと、私達が御本尊の宝塔の中に入るということと、相矛盾するようであるが、ここに成仏の極理がある。
御本尊の宝塔の中へ入ると仰せられているのは、御本尊を紙にしたためられ、あるいは板に刻まれた平面的な一幅の曼荼羅と見るかぎり、奇異な表現と受け取れよう。だが、御本尊をよく拝するとき、実は立体の構成になっていることがうかがわれるのである。
中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」とあり、その左右に釈迦、多宝が配されている。向かって左が釈迦であり、右が多宝である。席順は釈迦が上座、多宝が下座である。しかるに上行、無辺行以下の九界の衆生については、向かって右に上行、無辺行、左に浄行、安立行等とある。すなわち、上座に位置すべき上行、無辺行が、釈迦、多宝の席順を基準にみると、下座になっているのである。
これは、釈迦・多宝と、上行以下の九界とは、逆の向きに列なっていることを示すのである。つまり釈迦・多宝がこちらを向いているのに対し、上行以下は、それに向かい合っていることになる。したがって、御本尊に対座して私達が勤行しているとき、私達は上行以下の人々と共に、御本尊の中に入っていることになるのである。これが「此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」といわれる意味である。
故に、日々の勤行、唱題は、御本尊にあらわされている荘厳な宝塔の儀式に、私達自身も列なっている厳粛な瞬間であることを銘記すべきであろう。
この御本尊の宝塔の中に入るには、信心がなければならない。「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」との天台の言葉が引かれているが、御本尊のこの宝塔、すなわち仏の生命のこの儀式は、宇宙の大きさと等しい広大な拡がりをもっている。だが、信なくして入ることはできない、ということである。
そして、既に述べたように、御本尊を信ずる私達の心それ自体が仏界であり、即、御本尊を収めているのである。したがって、正報に即してみれば、御本尊は私達の〝信心〟の二字におさまり「胸中の肉団におはす」とともに依報に即してみれば、私達の身が「御本尊の宝塔の中へ入る」つまり、私達の住するこの世界・宇宙がそのまま宝塔となっているのである。ここに、依正不二の原理がある。
円信と言うは理に依つて信を起す云云
止観の「何が円の法を聞き、円の信を起し、円の行を立て、円の位に住せん」の文についての妙楽の釈である。
円信とは、すなわち妙法の信、真実の信である。仏法でいう真実の信とは、盲信ではない。あくまで「円の法」を聞くことにより、その〝理〟を対象として起こるものである。俗に、信心を揶揄して「鰯の頭も信心から」などといわれるが、本当の仏法の信とは、そんなものでは全くないことを知るべきである。〝信〟という文字自体、二つの意味をもっている。一つは「真実を言う」ことであり、一つは「疑わない」ということである。究極するところ、この両方が合致して「信」の意義は満たされるといえよう。仏が真実の法を示し、それを衆生が疑わないことによって、仏と衆生とは一つに結びつけられるのである。
ここに、正しい仏法の理を求める教学研鑽が信を深める原理がある。そして深められた信は必ず、更なる求道心を呼び起こし、一層、仏法の理を求めることになるのである。
第九章(五種の妙行を挙げ本抄を結す)
本文
法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり、此の事伝教大師入唐して道邃和尚に値い奉りて五種頓修の妙行と云う事を相伝し給ふなり、日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求る事なかれ、神力品に云く、委くは又又申す可く候、穴賢穴賢。
建治三年八月二十三日 日蓮花押
日女御前御返事
現代語訳
御本尊を受け持って南無妙法蓮華経と唱えることが、すなわち、五種の修行を具えていることになるのである。このことは、伝教大師が中国に渡り、道邃和尚に会って、五種頓修の妙行ということを相伝されたのである。
日蓮の弟子檀那にとっての信心の肝要は、そのこと以外に、断じて求めてはならないのである。神力品にも説かれているが、くわしいことは、またの機会に申し上げることにいたしましょう。あなかしこ、あなかしこ。
建治三年八月二十三日 日 蓮 花 押
日女御前御返事
語釈
五種修行
五種の妙行ともいう。受持・読・誦・解説・書写をいう。法師品に「若し復人あって、妙法華経の乃至一偈を受持、読誦し、解説、書写し、此の経巻に於いて、敬い視ること仏の如くにして(中略)是の諸人等、未来世に於いて、必ず作仏することを得ん」とある。法華経で説かれた仏道修行。このなかで受持が最も根本である。この五種の修行には、一字五種の修行、要法五種の修行、略品五種の修行の三義がある。末法においては受持即観心である。観心本尊抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)とある。自行化他に配すれば受持・読・誦・書写は自行、解説は化他である。
道邃和尚
天台より七祖の法孫。興道尊者、止観和尚という。長安(陜西省長安県)の人。もと唐の監察御吏であったが、栄位を捨てて出家し、大暦年中(0766~0779)に妙楽の弟子となり、研学に励むこと五年、幽玄を悟ってとどこおりなく、妙楽はこれを喜んで「吾が子それ能く嗣いで吾が道を興さん」といったという。「弘決」四十巻を授けられた。貞元12年(0796)に天台山に入り九年にして浙江省の竜興寺に移り、この時日本の伝教が法を求めて入唐した。道邃は天台の止観円頓の法を授け、後に天台山国清寺において没す。
講義
末法の修行においては受持が肝要であり、御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と唱える一行のなかに、五種の修行を具足することを明かされている。これは単に末法のみの正行であるのみでなく、伝教大師が道邃より相伝を受けたのも五種頓修の妙行である。故に、これこそ日蓮大聖人が弟子・門下に与える肝要であり、相伝すべきものであることを述べ、本抄を結ばれている。
法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる、即ち五種の修行を具足するなり
法華経法師品第十には、法華経を修行する五つの行が説かれている。
「若し復た人有って、妙法華経の、乃至一偈を受持・読誦し、解説・書写し、此の経巻に於いて、敬い視ること仏の如くにして」とある。この五種の修行は、正像年間における釈迦仏法の修行法である。
末法は、受持をもって正行とし、他の一切の修行は受持のなかに含まれるということである。
観心本尊抄には「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)と受持即観心を明かしている。
更に、御義口伝には「此の妙法等の五字を末法・白法隠没の時上行菩薩・御出世有って五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り」(0783:02)とある。
これらの文証より、受持の一行こそ、日蓮大聖人門下の肝要であるということは明らかである。
このように、ただ受持の一行に全てを含む修行法により、仏法は万人のものとなる。ただし、この受持は「受くる」と「持つ」の二つになり「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136:四条金吾殿御返事:05)とおおせられるように、生涯、いかなる苦難にあおうと持ちぬき、実践を持続しきることに、成仏の要諦があることを知らなければならない。