弥三郎殿御返事
建治3年(ʼ77)8月4日 56歳 弥三郎
背景と解説
1. 執筆の背景と対論(法論)への準備
本抄は、身延の地において、門下の弥三郎(やさぶろう)に宛てて認められたお手紙です。一説には、駿河国沼津(現在の静岡県沼津市)に住んでいた「斎藤弥三郎」という人物ではないかとされています。また、最終段落の文言から、彼は武士であった可能性が示唆されています。
弥三郎は当時、浄土宗(念仏宗)の僧侶との対論を間近に控えており、大聖人に具体的なアドバイスを求めていたようです。本抄はその要請に対する大聖人の御返事であり、大きく以下の2つの部分に分けることができます。
- 前半部分(全体の大部分): 弥三郎が念仏の信者と議論する際に提示すべき、一般的な破折(反論)の論理の概要が示されています。
- 後半部分(「もしその僧が反論してきたら…」以降): 特定の論点において、どのように相手を追いつめていくべきかという具体的な方法が指示されており、弥三郎に対して断固たる闘志(精神)を奮い起こすよう促されています。
2. 釈尊の三徳と念仏の誤り
本抄の中では、この娑婆世界(しゃばせかい)の人々に対して、「主(主君)・師(師匠)・親(親族)」の三徳(さんとく)を兼ね備えているのは、釈迦仏(釈尊)ただ一人であると述べられています。
当時、浄土宗の影響力が急速に強まっていたため、人々は西方の極楽浄土にいる阿弥陀仏に深く帰依し、死後の往生(生まれ変わり)を願う傾向が強くなっていました。しかし大聖人は、この現実世界に実際に現れた仏教の歴史的開祖である釈尊をこそ敬うべきである、とその重要性を強調されました。
【大聖人の主張の本質】 この世界において、阿弥陀仏を崇拝して釈迦尊を軽んじることは、仏法上の根源的な「不忠(裏切り)」の行為にほかなりません。
したがって、念仏の信者たちは一見、熱心で敬虔な宗教行為に励んでいるように見えますが、その実、宗教的な意識を全く持たない不信心な人々よりも、はるかに深刻な罪を犯していることになります。彼らのこの重大な誤りこそが、当時の日本を襲っていた飢饉や疫病、そして目前に迫る蒙古襲来(元寇)という大災難を国にもたらしている原因であると、大聖人は説かれています。
第一章(法論の時、主張すべき内容を明かす)
本文
弥三郎殿御返事 建治三年 五十六歳御作
是は無智の俗にて候へども承わり候いしに貴く思ひ進らせ候いしは・法華の第二の巻に今此三界とかや申す文にて候なり、此の文の意は今此の日本国は釈迦仏の御領なり、天照太神・八幡大菩薩・神武天皇等の一切の神・国主並に万民までも釈迦仏の御所領の内なる上・此の仏は我等衆生に三の故御坐す大恩の仏なり、一には国主なり・二には師匠なり・三には親父なり、此の三徳を備へ給う事は十方の仏の中に唯釈迦仏計りなり、されば今の日本国の一切衆生は設い釈迦仏に・ねんごろに仕ふる事・当時の阿弥陀仏の如くすとも又他仏を並べて同じ様にもてなし進らせば大なる失なり、譬えば我が主の而も智者にて御坐さんを他国の王に思ひ替えて・日本国にすみながら漢土高麗の王を重んじて・日本国の王におろそかならんをば・此の国の大王いみじと申す者ならんや、況や日本国の諸僧は一人もなく釈迦如来の御弟子として頭をそり衣を著たり、阿弥陀仏の弟子には・あらぬぞかし、然るに釈迦堂.法華堂・画像・木像・法華経一部も持ち候はぬ僧共が.三徳全く備はり給へる釈迦仏をば閣きて・一徳もなき阿弥陀仏を国こぞりて郷・村・家ごとに人の数よりも多く立てならべ阿弥陀仏の名号を一向に申して一日に六万・八万なんどす、打ち見て候所はあら貴や貴やと見へ候へども・法華経を以て見進らせ候へば中中・日日に十悪を造る悪人よりは過重きは善人なり、悪人は何れの仏にも・よりまいらせ候はねば思い替る辺もなし、若し又善人とも成らば・法華経に付き進らする事もや有りなん、日本国の人人は何にも阿弥陀仏より釈迦仏・念仏よりも法華経を重くしたしく心よせに思い進らせぬる事難かるべし、されば此の人人は善人に似て悪人なり、悪人の中には一閻浮提第一の大謗法の者・大闡提の人なり、釈迦仏此の人をば法華経の二の巻に「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と定めさせ給へり、されば今の日本国の諸僧等は提婆達多・瞿伽梨尊者にも過ぎたる大悪人なり、又在家の人人は此等を貴み供養し給う故に此の国眼前に無間地獄と変じて諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる上他国より責めらるべし、此れは偏に梵天・帝釈・日月等の御はからひなり、かかる事をば日本国には但日蓮一人計り知つて始は云うべきか云うまじきかとうらおもひけれども・さりとては何にすべき、一切衆生の父母たる上・仏の仰せを背くべきか、我が身こそ何様にも・ならめと思いて云い出せしかば二十余年・所をおはれ弟子等を殺され・我が身も疵を蒙り二度まで流され結句は頚切られんとす、是れ偏に日本国の一切衆生の大苦にあはんを兼て知りて歎き候なり、されば心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還つて怨をなしなんど・せらるる事は心得ず候、又在家の人人の能くも聞きほどかずして或は所を追ひ或は弟子等を怨まるる心えぬさよ、設い知らずとも誤りて現の親を敵ぞと思ひたがへて詈り或は打ち殺したらんは何に科を免るべき、此の人人は我があらぎをば知らずして日蓮があらぎの様に思へり、譬えば物ねたみする女の眼を瞋らかして・とわりをにらむれば己が気色のうとましきをば知らずして還つてとわりの眼おそろしと云うが如し、此等の事は 偏に国主の御尋ねなき故なり、又何なれば御尋ねなきぞと申すに・此の国の人人余り科多くして一定今生には他国に責められ後生には無間地獄に堕つべき悪業の定まりたるが故なりと、経文歴歴と候いしかば信じ進らせて候、此の事は各各設い我等が如くなる云うにかひなき者共を責めおどし或は所を追わせ給い候とも・よも終には只は候はじ、此の御房の御心をば設い天照太神・正八幡もよも随へさせ給ひ候はじ、まして凡夫をや、されば度度の大事にもおくする心なく弥よ強盛に御坐すと承り候と加様のすぢに申し給うべし。
現代語訳
私(弥三郎)は無智の在家の身であるが、承わった法門の中でも、貴く思ったのは法華経第二の巻に説かれている今此三界とか申す御文である。この文の意は、今この日本国は釈迦仏の御所領であるということである。天照太神、八幡大菩薩、神武天皇等の一切の善神、国主並びに万民までもみな釈迦仏の御所領内に住むうえに、この釈迦仏は我等衆生に三つの故ある大恩の仏である。一には国主であり、二には師匠であり、三には親父である。この三徳を備えられることは十方の仏の中でただ釈迦仏だけである。
それ故に今の日本国の一切衆生は、たとえ、あたかも現在、阿弥陀仏に仕えているように釈迦仏にねんごろに仕えたとしても、他仏を並べて同じようにもてなしているので、それは大きな誤りである。たとえば自分の国主でしかも智者であるのを、他国の王に思いをかえて、日本に住んでいながら漢土や高麗の王を重んじて日本の王をおろそかにしたならば、この国の王がその人を、立派な人だというだろうか。
まして日本国の諸僧は一人も残らず釈迦如来の御弟子として頭髪をそり法衣を着ているのであり、阿弥陀仏の弟子ではない。ところが、釈迦堂、法華堂、画像、木像、更に法華経一部も持たない僧達が、三徳具備の釈迦仏をさしおいて、一徳も備えない阿弥陀仏を国中がこぞって郷、村、家ごとに人の数よりも多く立て並べ、阿弥陀仏の名号を一向に称え、一日に六万遍、八万遍などと言っている。見たところさも貴げであるけれども、法華経をもって見るならば、毎日毎日十悪を造る悪人よりもかえって罪が重いのはこうした善人である。
悪人はどの仏にも頼ることがないから仏について、思いをかえているということはなく、またその悪人が善人になることがあれば法華経につくこともあるであろう。今の日本の人々はどうしても阿弥陀仏より釈迦仏、念仏の信仰よりも法華経の信仰をより重く親しく心を寄せることは難しいであろう。それ故、この人々は善人に似て悪人なのである。悪人の中でも一閻浮提第一の大謗法の者であり、大闡提の人である。釈迦仏はこれらの人々のことを法華経二の巻に「其の人命終して阿鼻獄に入る」と定められている。しかれば今の日本国の諸僧等は、提婆達多・瞿伽梨尊者にも過ぎる大悪人である。また在家の人々はこれらの僧を貴び供養をしている故にこの国は、眼前に無間地獄と化し、人々は現身に大飢渇、大疫病など先代にない大苦を受け、そのうえ他国より責められるであろう。これはひとえに梵天、帝釈、日月等の御はからいなのである。
この道理を、日本国にはただ日蓮一人ばかりが知った。日蓮ははじめは言い出すべきか否かをあれこれ思いめぐらしたが、だからといってどうすべきか、一切衆生の父母である仏の仰せに背いてよいものか、我が身はいかようにもなれと思い切り、言い出したところ、二十余年の間、所を追われ、弟子等を殺され、我が身も傷をこうむり二度までも流罪に値い、あげくに首を切られようとした。
これはひとえに、日本国の一切衆生が大苦にあうであろうことを、日蓮はかねて知って憐れんでしたことである。それ故に心ある人々は自分達のためにこんなに苦しんでくれたのかと思うべきである。もし恩を知り、心ある人々ならば日蓮が二つ打たれる杖の一つは替わって打たれるべきなのに、そうではなく、かえって日蓮大聖人に怨をなそうとすることはまことに理解できないことである。
また在家の人々がよくわけも聞かずして、あるいは所を追い、あるいは弟子等を怨むことはまことに不心得なことである。たとえ知らなくても誤って自分の親を敵と思い違え、ののしり、あるいは打ち殺したりしたならば、どうして罪を免れることができようか。
今の世の人々は自らの荒気を知らずして日蓮の荒気のように思っている。たとえば嫉妬深い女が、眼を瞋らして相手の女性をにらみ、自分のうとましい形相を知らずして、かえって相手の女性の眼が恐ろしいというようなものである。これらのことはひとえに仏法の道理について国主から御たずねがない故である。また、なぜ御たずねがないかといえば、この国の人々はあまりに科多くして、今生には他国に責められ、後生には無間地獄に堕ちることがすでに決まっているからである。
以上のような趣旨のことを言い「私はそれが経文に歴然と記されているから信ずるのである。このことはあなた方がたとえ自分のような、いうにかいない者どもを責めおどし、また所を追われたとしてもよもやただではすまないであろう。この御房の御心はたとえ天照太神、正八幡大菩薩でも、決して随わせることはできないのである。まして凡夫ができるわけがない。だから日蓮御房はたびたびの大難にも臆する心なく、いよいよ強盛におわしますのである、と承っている」と、しかるべき筋に申されるがよい。
語釈
今此三界
譬喩品の文「『今此の三界は』皆是れ我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ我が子なり、而も今此の処は、諸々の患難多し、唯我れ一人のみ能く救護を為す」とある。
天照太神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
八幡大菩薩
天照太神とならんで日本古代の信仰を集めた神であるが、その信仰の歴史は、天照太神より新しい。おそらく農耕とくに稲作文化と関係があったと見られる。平城天皇の代に「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり、百王を守護せん誓願あり」と託宣があったと伝えられ皇室でも尊ばれたが、とくに武士階級が厚く信仰し、武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝の幕府創設以来、鎌倉に若宮八幡宮をその中心として祭ってきた。
神武天皇
第一代の天皇。神日本磐余彦天皇のこと。神武天皇は後世の諡号。神日本は美称、磐余は大和の地名をいう。彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の第四子である。15歳で太子となった。日向を出発して瀬戸内海を東に進み、一度は難波に上陸したが、生駒の長髄彦に妨害され、海上を南に回って熊野から吉野を経て大和に入り諸豪族を征服し、ついに長髄彦を倒して大和を平定した。橿原宮で即位した。崩じて、畝傍山東北陵に葬られた。
三徳
①主徳、衆生を守る働き。②師徳、衆生を導き教化する働き。③親徳、衆生を利益する働き。三徳には法報応の三身をいう場合もある。
阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
漢土
漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。
高麗
朝鮮半島古代の王国。高句麗ともいう。
釈迦堂
釈迦像を安置する堂宇。
法華堂
法華三昧を行ずる堂宇。法華三昧堂ともいう。
画像
画像は絵に書いた仏菩薩の像で曼荼羅ということもある。
木像
木に彫られた仏・菩薩の像
十悪
十種の悪業のこと。身口意の三業にわたる、最もはなはだしい十種の悪い行為。倶舎論巻十六等に説かれる。十悪業、十不善業ともいう。すなわち、身に行う三悪として殺生、偸盗、邪淫、口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌、心の三悪としては、貪欲、瞋恚、愚癡がある。
大闡提
一闡提と同義。一闡提は梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写で、一闡底迦とも書く。本来は「欲求しつつある人」の意であり、快楽主義者や現世主義者をさした。断善根・信不具足と訳す。正法を信ずる心がなく、成仏の機縁をもたない衆生のこと。涅槃経巻二十六に「一闡は信となづけ、提は不具と名づく、信不具の故に一闡提と名づく」とある。
提婆達多
提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
瞿伽梨尊者
梵語コーカーリカ(Kokālika)の音写で、倶伽利・仇伽離などとも書き、悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。雑阿含経巻四十八等によると、提婆達多を師と仰ぎ、釈尊の制止も聞かず、舎利弗や目連を悪欲があると誹謗した。その報いによって、身に悪瘡を生じて大蓮華地獄に堕ちたといわれる。
無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
他国より責めらるべし
蒙古の襲来のこと。文永11年(1274)10月と弘安4年(1281)の二度を意味する。
梵天
仏教の守護神。色界の初禅天にあり、梵衆天・梵輔天・大梵天の三つがあるが,普通は大梵天をいう。もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされた「ブラフマン」を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
日月
日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
二十余年・所をおはれ(弥三郎睺返事の)
二十余年とは、建長5年(1253)4月28日~建治3年(1277)をいう。この間の所を追われる大難としては文応元年(1260)8月27日・松葉ケ谷の法難、弘長元年(1261)5月12日・伊豆流罪、文永8年(1271)10月10日の佐渡流罪に代表される。
弟子等を殺され
文永元年(1264)11月11日、安房国小松原において、地頭・東条景信の襲撃を受けて弟子の鏡忍房、門下の工藤吉隆が傷を負い、殺されたことをいう。
我が身も疵を蒙り
文永元年(1264)11月11日、安房国小松原において、地頭・東条景信の襲撃を受けて、大聖人ご自身が深手の傷を受けられたことを意味する。
二度まで流され
伊東・佐渡の二度にわたる流難をさす。すなわち、妙法蓮華経勧持品第十三の「濁世の悪比丘は、仏の方便、随宜所説の法を知らずして、悪口して顰蹙し、数数擯出せられ、塔寺を遠離せん」の文を身業読誦なされたのである。開目抄(0202)には「今の世の僧等・日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし、又云く『数数見擯出』等云云、日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はず況や余人をや、末法の始のしるし恐怖悪世中の金言の・あふゆへに但日蓮一人これをよめり」とある。
頚切られんとす
文永8年(1271)9月12日、北条執権の内管領で侍所司でもある平左衛門尉頼綱は武装した家人を率いて、松葉ケ谷の草庵を襲って日蓮大聖人を捕らえ、夜半、竜の口刑場で頸を刎ねようとしたが、果たせなかった法難。種種御振舞御書にくわしい。
あらぎ
荒々しく乱暴なさま。
とわり
一人の男性をめぐって対立する相手の女性。先妻に対する後妻や、正妻からみた遊女等の意と思われる。
講義
本抄は、題号にもあるとおり弥三郎という人に与えられた御書である。
弥三郎というのは、伊豆の川奈の船守弥三郎と混同されやすいが、全くの別人といわれている。一説によれば、駿州沼津(静岡県沼津市)の斎藤弥三郎のことであるとされる。
その弥三郎が、浄土宗の人と法論を行うときの内容の準備や心構えについて、身延におられる日蓮大聖人に御指南を仰いだのに対し、親切丁寧に答えられたのが、本抄である。
建治3年(1277)8月4日、大聖人56歳の御手紙とされている。しかし、本抄の御真筆は現存していない。
本抄の構成は、大きく二段に分かれ、前段は初めの「是は無智の俗にて候へども承わり候いしに貴く思ひ進らせ候いしは……」から「……御坐すと承り候と加様のすぢに申し給うべし」までの文である。ここでは、浄土宗の人との法論のときに、弥三郎が主張し述べるべき内容が筋道を立てて説かれている。
後段は「さて其の法師物申さば取り返して……」から最後までで、具体的な法論の場での折伏の仕方と法論における心構えを示されている。
なお、最後のところで「今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり」と仰せの御文から、おそらく弥三郎は武士であったであろうと推測される。
弥三郎の立場で表現されている御文と大聖人の立場での表現とが混在しているところで、多少わかりにくいが、あえていえば、冒頭の「是は無智の俗にて候へども承わり候いしに貴く思ひ進らせ候いしは・法華の第二の巻に今此三界とかや申す文にて候なり」は、弥三郎の立場での表現で、相手方に向かってこのように言いなさいとの口上である。
すなわち「自分は在俗の身で仏法について深く知っているわけではないが、日蓮大聖人から教わった法門で、自分でも納得し大事なことと思ったことは、法華経譬喩品に説かれている、釈迦仏こそ三徳具備の仏であるという点である」と言いなさいということである。
そのうえで、以下は大聖人のお考え、立場を述べられていく。それは何よりも、弥三郎自身がしっかりその内容を理解し、大聖人のお心を自らのものにして、確信をもって相手に対するよう期待されたからであろう。
打ち見て候所はあら貴や……日月等の御はからひなり
当時の人々は、念仏を熱心に信仰していることを貴く、すばらしいことと思っていた。確かに、表面だけ見れば、信仰心が厚いことはよいことのように思われる。
しかし、その信仰している対象、教えの内容に一歩入って見るならば、間違った対象を本尊として拝み、正法に背く教えを信ずることは、いかなる世間的な悪業も及ばない、深刻な極悪の業となってしまうことを知らなければならない。
およそ信仰とは無縁の悪人は、もともと、どんな仏をも拝まないから、正しい仏をさしおいて誤った仏を拝むという仏法上の極悪業を犯す恐れはない。むしろ、はるかに軽い世間的悪業にとどまるのである。また、世間的悪故の苦悩の中から、正しい信仰につく可能性もある。
それに対し、いわゆる善人と見える人々は、世間一般の風潮に従順であるから、国をあげて信仰している阿弥陀仏信仰から離れることがむずかしい。
この謗法・一闡提という仏法上の誤りは、無間地獄に堕ちる極重業であり、したがって、そうした邪法を人々に教える「今の日本国の諸僧等」は、釈尊を憎み害を加えた提婆達多や瞿伽梨よりも、更に罪深い大悪人であると仰せられている。
しかも、そのような出家の僧にだまされ、彼らを崇重して、日本中の在家の人々は、一闡提に加担しているが故に、死後に無間地獄に堕ちるばかりでなく、現世に無間地獄があらわれてさまざまな苦しみにあっているのであると指摘されている。
毎年のように起こっていた飢饉や伝染病がそれであり、更に、すでに文永11年(1274)秋に現実となり、次にいつまた襲ってくるかしれなかった蒙古襲来がそれであり、これらの災いは「梵天・帝釈・日月等の御はからひ」であると言われている。
すなわち、邪法・邪師を重んじ法華経の行者である日蓮大聖人を国をあげて迫害しているため、その日本の人人に対し諸天善神が治罰を加えているのであると、その本質を教えられている。
いうまでもなく「梵天・帝釈・日月等の御はからひ」とは、人々が正法に背いていることに対する治罰ということであるが、それはまた、今世の間に、自らの信仰の誤りに気づかせようとの御はからいであるということでもある。
この治罰の厳しさに目覚めて、邪法の信を捨て正法への信心を立てれば、死後の無間地獄からもまぬかれるし、今生における種々の災厄をもなくすことができるのである。
法華経譬喩品の「今此の三界は、皆な是れ我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり、而るに今此の処は、諸の患難多し、唯だ我れ一人のみ、能く救護を為す」という文は、釈迦仏が娑婆世界の衆生にとって、主・師・親三徳を備えた大恩ある仏であることを示したものである。
すなわち、「今此の三界は、皆な是れ我が有なり」が国主の義、「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」が親の義、「唯だ我れ一人のみ、能く救護を為す」が師匠の義、にあたる。
いうまでもなく、日本はこの「三界」の内にあり、故に「今此の日本国は釈迦仏の御領なり」と、日本国も釈迦仏の統治する領土であると述べられるのである。
主・師・親三徳を備えた釈迦仏が、日本国を含めて娑婆世界を統領するとのこの文は諸御書に引かれおり、浄土宗の阿弥陀仏信仰を破折されるとき、必ずといってよいほど、この観点からなされている。
阿弥陀仏は、どこまでも、西方浄土の教主であり、娑婆世界の衆生とは無縁の仏である。この他土の無縁の仏を信仰することは、ちょうど、自分の国の王を敬わずに他国の王を敬うようなものなのである。
大聖人は、寿量文底独一本門の正義を明らかにするにあたって、まず第一段階として、権実相対の立場から、法華経に導くため、権教の阿弥陀信仰を打ち破って、法華経の教主である釈尊を立てられたのである。
したがって、ここでいう釈迦仏は、阿弥陀仏信仰を破るという目的から挙げられているのであり、大聖人の元意の辺は文底下種の釈尊即久遠元初の自受用報身如来こそ、末法一切衆生にとって主師親三徳具備の仏であられることはいうまでもない。
かかる事をば日本国には……加様のすぢに申し給うべし
以上のように、日本国中の人々が謗法を犯し、その報いとして国土の災難を招いているのであるという根源的な因果関係を、日本国中でただ一人知った日蓮大聖人が謗法を責めるに至った経緯と、その謗法呵責に対して人々が迫害をもって応えた心理構造を、わかりやすく示されている。
この部分の御文は、開目抄の次の一節を思い起こさせて重要であるので、引用しておく。
「此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年・辺土に生をうけ其の上下賎・其の上貧道の身なり、輪回六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、大小乗経の外凡・内凡の大菩薩と修しあがり一劫・二劫・無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬべかりし時も・強盛の悪縁におとされて仏にもならず、しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか久遠五百の退転して今に来れるか、法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し理深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙 の度すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやすらいし程に宝塔品の六難九易これなり、我等程の小力の者・須弥山はなぐとも我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ。既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし」(0200:02)。
この開目抄の御文とあわせて拝読すると、末法の御本仏・日蓮大聖人が、大慈大悲のうえから謗法呵責に立ち上がられ、競い起こる大難をものともせず戦い抜かれた御心境をうかがい知ることができるであろう。
なかでも、本節最後の「此の御房の御心をば設い天照太神・正八幡もよも随へさせ給ひ候はじ、まして凡夫をや、されば度度の大事にもおくする心なく弥よ強盛に御坐す」との御文は、弥三郎の立場から日蓮大聖人の姿を述べた表現になっている。
大聖人の謗法呵責の折伏実践は、あくまで民衆を救わんとの大慈大悲から出た行動であるだけに、いかなる事があっても止められることはないのである。
なお、この段の中で「心ある人は、大聖人が自分達の為に苦労しているのだと思って、大聖人が二つ打たれるところを、一つは自分が替わろうと思うべきである」と言われているのは、次の「又在家の人人の能くも聞きほどかずして……」に対するもので、出家者の立場を言われている。後者の在俗の人々は仏法について知らないのであるが、知らないからといっても、悪いことは悪いのであり、謗法の僧と一緒になって大聖人を迫害した罪を免れることはできないのである。
そして、日本中が謗法に迷っている最も根本は、国主が正法を尋ねようとしないところにあり、国主が大聖人の諌めにもかかわらず正法を求めないのは、国中の万民が余りにも罪多い故、現当二世にわたって大罰を受けるべきことが定まっているためであると言われている。