四条金吾殿御返事(智人弘法の事)

四条金吾殿御返事(智人弘法の事)

 建治2年(ʼ76)9月6日 55歳 四条金吾

背景解説

本抄は、建治2年(1276年)9月、身延から四条金吾へ送られました。主君である江馬氏(江馬光時)は、家臣である四条金吾が大聖人の教えを信仰していることを快く思わず、金吾に対して様々な迫害を加えました。ある時には、大聖人への信仰を捨てない(信心を翻さない)のであれば、日本海側の遠隔地である越後国(現在の新潟県)へ左遷すると脅したことさえありました。本抄は、このような苦境の中で指導を求めた金吾に対する大聖人の御返事です。

本抄では、仏法を流布させるために不可欠な二つの要素、すなわち「智者」と、その智者を助ける「支援者(檀越)」の関係について明らかにされています。

 

 

第一章(智人と檀那の関係を述べる)

本文

正法をひろむることは、必ず智人によるべし。故に、釈尊は一切経をとかせ給いて、小乗経をば阿難、大乗経をば文殊師利、法華経の肝要をば、一切の声聞、文殊等の一切の菩薩をきらいて、上行菩薩をめして授けさせ給いき。
 たとい正法を持てる智者ありとも、檀那なくんば、いかでか弘まるべき。しかれば、釈迦仏の檀那は梵王・帝釈の二人なり。これは二人ながら天の檀那なり。仏は六道の中には人天、人天の中には人に出でさせ給う。人には三千世界の中央の五天竺、五天竺の中には摩竭提国に出でさせ給いて候いしに、彼の国の王を檀那とさだむべきところに、彼の国の阿闍世王は悪人なり。聖人は悪王に生まれあうこと、第一の怨にて候いしぞかし。
 阿闍世王は賢王なりし父をころす。またうちそうわざわいと提婆達多を師とせり。達多は三逆罪をつくる上、仏の御身より血を出だしたりし者ぞかし。不孝の悪王と謗法の師とよりあいて候いしかば、人間に二つのわざわいにて候いしなり。一年二年ならず、数十年が間、仏にあだをなしまいらせ、仏の御弟子を殺せしこと数をしらず。かかりしかば、天いかりをなして天変しきりなり。地神いかりをなして地夭申すに及ばず。月々に悪風、年々に飢饉・疫癘来って、万民ほとんどつきなんとせし上、四方の国より阿闍世王を責む。既に危うく成って候いしほどに、阿闍世王、あるいは夢のつげにより、あるいは耆婆がすすめにより、あるいは心にあやしむことありて、提婆達多をばうち捨て仏の御前にまいりて、ようようにたいほう申せしかば、身の病たちまちにいえ、他方のいくさも留まり、国土安穏になるのみならず、三月の七日に御崩御なるべかりしが、命をのべて四十年なり。千人の阿羅漢をあつめて、一切経ことには法華経をかきおかせ給いき。今我らがたのむところの法華経は、阿闍世王のあたえさせ給う御恩なり。

 

現代語訳

  正法を弘めることは必ず智者でなければならない。故に釈尊は一切経を説かれて、そのうち、小乗経を阿難に、大乗経を文殊師利に付嘱された。しかし法華経の肝要を、いっさいの声聞、文殊師子等のいっさいの菩薩をきらい本化たる上行菩薩を召し出して付嘱されたのである。

たとえ正法を持つ智者がいたとしても、それを外護する檀那がいなければどうして正法が弘まるであろうか。それゆえ、釈迦在世においては、釈迦仏の檀那は梵王、帝釈の二人であった。これは二人とも天界の檀那である。仏は六道の中には人天に、人天の中では人界に出現されたのである。しかも人界の中では三千世界の中央である五天竺、五天竺の中には摩竭提国に出現されて、この国の王を檀那と定めるはずであったのに、この国の阿闍世王は悪人であった。聖人は悪王の国に生まれあうことが第一の不孝である。阿闍世王は賢王でその名を知られた父の頻婆沙羅王を殺した。それに加えて悪いことには、提婆達多を師匠としたのである。提婆達多は、三逆罪を犯したうえに、仏の御身から血を出した大悪人である。不孝の悪王と、謗法の師がよりあったのであるから、人々にとって、二重の災難であった。それが一年や二年の間だけでなく、数十年の間、仏にあだをなし、仏の御弟子を殺したことは、数えきれないほどであった。こうであったから諸天は怒り天変がしきりに起きた。地神も怒りをなして地夭はいい尽くせないほどであった。月月に悪風が吹き、年年に飢饉、疫病がやってきて、万民はほとんど死に絶えようとし、その上、四方の国からは、阿闍世王の国を攻めてきた。いまにも滅びようとした時、阿闍世王は夢の告げにより、あるいは耆婆のすすめるところにより、心におもいあたる節もあって、提婆達多を捨てて、釈尊の御前に参上し、さまざまに今までに犯した罪をおわび申し上げると、身体の病気もたちまちになおって、他国からの侵略もやみ、国内が平和になったばかりでなく、三月七日に崩御のはずであった寿命が、四十年も生き延びられた。この功徳に阿闍世王は、千人の阿羅漢を集めて一切経、とくに法華経をかき残させられたのである。今、われわれがよりどころにしている法華経は、阿闍世王が残された御恩なのである。

 

語釈

 智人

智慧のある人。智慧を得た仏のこと。

 

小乗経

仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。

 

阿難

梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。

 

大乗経

仏教を二つに大別したうちの一つ。自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の教えを小乗というのに対して、広く衆生を救済するために利他行としての菩薩道を説き、それによって成仏すると教えた法。乗は運載の義で、衆生の迷いの彼岸から、悟りの彼岸に運ぶための教法を乗り物にたとえたもの。大乗の大とは広大、無限、最勝を意味し、小乗に比べ、多くの人を彼岸に運べる優れた乗り物で大といった。天台大師の教判では華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃時の経教が大乗にあたる。

 

文殊師利

文殊師利菩薩のこと。文殊師利は梵語マンジュシュリー(Mañjuśrī)の音写。妙徳、妙首、妙吉祥と訳す。迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。法華経序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、同提婆達多品第十二で沙竭羅竜王の王宮に行き、女人成仏の範を示した竜女を化導している。

 

声聞

声聞界のこと。縁覚と合わせて二乗という。仏の教える声を聞いて悟る人をいい、小乗教の理想ではあるが、利己主義に陥るため、権大乗教では徹底的に弾呵され、煎る種のごとく、二度と成仏の芽を出すことがないと言われた。法華経にいたって、舎利弗・迦葉・迦旃延・富楼那等、声聞の十大弟子が得道する。そして歓喜した四大声聞の領解の文を開目抄には「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て一切をして聞かしむ我等今は真に 阿羅漢なり緒の世間・天人・魔・梵に於て普く其の中に於て・応に供養を受くべし」とあり、真の声聞とは、仏の弟子として、仏の教え、精神を民衆に聞かせ、後世に残していく人である。

 

菩薩

菩薩薩埵(bodhisattva)の音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。

 

上行菩薩

法華経従地涌出品第15で、大地から涌出した地涌の菩薩の上首。釈尊は法華経如来寿量品第16の説法の後に、法華経如来神力品第21で滅後末法のため、上行菩薩に法華経を付嘱したことをいう。上行菩薩の本地は久遠元初の自受用法身如来である。

 

六道

十界のうち、前の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を六道という。

 

三千世界

古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。

 

五天竺

インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。

 

摩竭提国

インド古代の王国、マガダ(Magadha)国のこと。現在のインド・ビハール州南部。仏教に関係の深い王舎城や霊鷲山はこの地にあった。

 

阿闍世王

梵語アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳される。釈尊在世における中インドのマガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿仏経疏によると、父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ、山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろうと予言した。そこで王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ、占い師は「男子が生まれるが、その子は王のとなるであろう」と予言したので、やがて生まれた男の子は未だ生まれないときから怨(うら)みをもっているというので未生怨と名づけられた。王はその子を恐れて夫人とともに高い建物の上から投げ捨てたが、一本の指を折っただけで無事だったので、阿闍世王を別名婆羅留枝ともいう。長じて提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って殺そうとするなどの悪逆を行った。後、身体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど、仏法のために尽くした。

 

提婆達多

提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。

 

三逆罪

五逆罪のうち提婆達多の犯した三逆罪をいう。それは一つに、大衆に囲繞されることを仏と等しいと考え、釈迦をねたむのあまり和合僧団を破り、五百人の釈迦の弟子をたぶらかした。二つには、釈迦を殺さんとして耆闍崛山の上から大石を投じたが、地神が受けとめたため、その砕石がとびちって釈迦の足にあたり、小指より血を出した。三つには、阿羅漢果をえた蓮華色比丘尼が提婆を呵責したので、拳をもって尼を打ち即死させた。この仏を恐れない悪業のため、提婆は大地が裂けて生きながら地獄に堕ちたのである。

 

耆婆

梵語でジーヴァカ(Jīvaka)という。祇婆、時婆、耆域と音写し、活、命、能活、固活、更治、寿命等と訳す。得叉尸羅の賓迦羅について、医学を7年間学んで摩竭提国に帰り、難病を治して医王の名をあげた。阿闍世王に大臣として仕え、王が父を殺し母の韋提希を殺そうとしたのを月光大臣とともに諌め、後に王が身に悪瘡ができたときは釈迦に帰依して信心し懺悔する以外にないと勧め、ついに帰依させた。

 

たいほう

わびること。罪のゆるしを請う。懺悔すること。また、信伏随従の義である。

 

千人の阿羅漢

マカダ国の王舎城付近の畢波羅窟で行われた第一回の仏典結集の時に集まった阿羅漢のこと。

 

講義

  本抄は、別名を智人弘法抄といい、建治2年(12769月、日蓮大聖人が55歳の時、身延で認められ、四条金吾に送られた御手紙である。当時、金吾は大きい難関に直面していた。すなわち、主君の江馬氏は、家臣の讒言に動かされ、中傷を信じ、金吾に対して、越後(新潟県)へ領地替えをするという内命を下した。

金吾は、急遽この事実を身延の大聖人に報告し、今後のとるべき態度、方針などについて相談したのである。これに対し日蓮大聖人が、対処の仕方、態度について詳細に書かれたのが本抄である。

本抄は、はじめに「正法をひろむる事は必ず智人によるべし(中略)設い正法を持てる智者ありとも檀那なくんば争か弘まるべき」と、正法弘通のためには、正法を持った智人と、その檀那が大事であるとの原理を述べられ、四条金吾は末法の弘法の智人たる大聖人にとって大事な檀那であるから、必ず諸天の加護があると断言され、最後に主君にどのように返答すべきか具体的にこまごまと教えられている。

 

正法をひろむる事は必ず智人によるべし

 

いかに偉大な正法であっても、法それ自体では自然に弘まることはない。妙法においても同様である。もしその人を得なければ法はうずもれてしまうであろう。ゆえに「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(0856:百六箇抄:03)とあり、また「一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(0465:持妙法華問答抄:17)といわれているのである。

その正法をひろめる人は〝智人〟でなければならない。一般的な意味での〝智人〟としての条件は、さまざまに論ずることができるが、ここでいわれる〝智人〟の根本的条件はその時代にひろまるべき正法を深く、正しく理解し、体得していることである。ゆえに「小乗経をば阿難、大乗経をば文殊師利、法華経の肝要をば……上行菩薩」と、その法に応じて、ひろめるべき人が定められたことをあげられているのである。

したがって、いま末法広宣流布の時にあたって、三大秘法の仏法をひろめるべき智人とは、この三大秘法の大仏法を正しく深く理解し体得する人でなければならない。その意味で、仏法流布の実践者は、まず何よりも、仏法の理念を体得した智慧の人でなくてはならないのである。

この仏法哲理への体得を根幹として、そこから当然、時代を正しく認識し、民衆の機根、思想状況に合わせて、賢明に自在に説き、実践化できるということも〝智人〟の条件となってくる。もし、これが自在に、正しくできなければ、根本の仏法そのものの理解も浅いものでしかないというべきである。こうした仏法自体への理解という根本から派生する〝智人〟としての条件は、教・機・時・国・教法流布の先後の、いわゆる五綱を正しくわきまえることといえよう。

 

設い正法を持てる智者ありとも檀那なくんば争か弘まるべき

 

檀那とは「施主」と訳し、仏法を弘める智人を経済的・物質的に支える役目をする人である。すなわち、仏法を伝持し、弘める人はいわゆる世俗の生産活動を離れた立ち場であるから、自ら生活の資を得ることができない。したがって、この人を尊敬し、支持する人々の経済的・物質的援助によって支えられなければ、生きてゆけないであろう。

仏法の伝持者・弘通者は、物質的にはこうして檀那の提供によると共に、そのかわり、仏法の力によって、精神的な豊かさを社会に還元したのである。これは、いわば分業の原理であって、単に仏法のみでなく、あらゆる宗教も、あるいは芸術、政治、科学技術なども、すべてこの原理によって維持され発展してきたといえる。

しかしながら、仏法を「ひろめる」という積極的な活動の面からいえば〝檀那〟のもつ意義、使命も、いま一歩大きい立場で捉えなければならない。すなわち、世俗にあってしかも仏法を深く理解している〝檀那〟は、仏法を世俗社会に反映し、展開し、実践化していくうえでの、重要な〝カナメ〟といえる。つまり、仏法が、世俗を離れた修行僧の独占物となってしまうのでなく、ひろく社会にひろがり、万人の信仰と実践の法となるためには〝檀那〟は、単なる〝施主〟ではなく、仏法を根底として社会の繁栄と人々の幸福のために活躍する積極的な実践者でなければならないのである。

釈迦の仏法においては、本格的な信行者は出家僧のみであり、これを王候、富豪等が檀那となって外護した。経文の殆んどが、世俗を捨てた弟子たちを対象に説かれていることは、釈迦仏法の性格を象徴的に示している。これに対し、日蓮大聖人の仏法は、その御書の殆んど全てが世俗の人々を対象にあらわされており、出世の本懐である三大秘法の御本尊も、在家の人を願主として図顕された。ここに、日蓮大聖人の仏法の、社会に開かれゆく姿を明確に見ることができる。

 

不孝の悪王と謗法の師とよりあひて候しかば、人間に二のわざはひにて候しなり

 

人間にとって、最大の災いは、現実社会についての一切の決定者・支配者である王が、人間として失格者というべき悪人であること、精神面での根本を規定する宗教の問題について、正法を破壊する謗法の師が指導者であることだとの御文である。

「不孝の悪王」とは、人間としての最も基本的な条件を、自らの生を与えてくれた親に対する報恩、孝とし、それすら満たしていない失格者という意味をいわれたものと考えられる。

現実の人生を生きていくうえで、幸・不幸を左右する直接的な外的要因は、社会――人間社会である。君主制体制においては、社会のあらゆる意思は王によって決まったから、「悪王」をもって、不幸の一つの元凶とされたのである。現代の民主主義体制にあっては社会そのものと考えるべきである。

人間は物質的なものによって生きるものではない。外的要因のみによって幸・不幸を左右されるのではない。精神的なもの、内面的要因によって左右される比重は、むしろ物質的外的な要因のそれよりも更に大きい。この精神的なもの、内的要因を決定するのが思想哲学、なかんずく宗教である。しかも、これは、三世の生命観からみた場合、物質的・外的要因が現世のみにとどまるのに対し、精神的・内的要因は未来世にわたるのである。

このゆえに「不孝の悪王と謗法の師とよりあひて候しかば、人間に二のわざはひ」といわれたのであり、この文はまた、人間社会になくてはならない二つの要因を明確に呈示されたものということができるのではないだろうか。

 

 

第二章(末法の智人を明かす)

本文

是はさてをきぬ・仏の阿闍世王にかたらせ給いし事を日蓮申すならば日本国の人は今つくれる事どもと申さんずらんなれども・我が弟子檀那なればかたりたてまつる、仏言わく我が滅後・末法に入つて又調達がやうなる・たうとく五法を行ずる者・国土に充満して悪王をかたらひて・但一人あらん智者を或はのり或はうち或は流罪或は死に及ぼさん時・昔にも・すぐれてあらん天変・地夭・大風・飢饉・疫癘・年年にありて他国より責べしと説かれて候、守護経と申す経の第十の巻の心なり。
  当時の世にすこしもたがはず、然るに日蓮は此の一分にあたれり・日蓮をたすけんと志す人人・少少ありといへども或は心ざしうすし・或は心ざしは・あつけれども身がうごせず・やうやうにをはするに御辺は其の一分なり・心ざし人にすぐれて・をはする上わづかの身命をささうるも又御故なり、天もさだめて・しろしめし地もしらせ給いぬらん殿いかなる事にもあはせ給うならば・ひとへに日蓮がいのちを天のたたせ給うなるべし、人の命は山海・空市まぬかれがたき事と定めて候へども・又定業亦能転の経文もあり・又天台の御釈にも定業をのぶる釈もあり、前に申せしやうに蒙古国のよするまで・つつしませ給うなるべし、

 

現代語訳

これはさておいて、釈尊が阿闍世王に語られたことを日蓮がいうならば、日本国の人は、今日蓮のつくった話だというであろう。しかし、あなたは私の弟子檀那であるから話します。

釈尊のいわれるには「我が滅後、末法に入って調達のように、尊げな姿をして五法を行ずる者が国に充満して、悪王を味方にし、ただ一人正法を弘める智者をののしり、あるいは打ち、あるいは流罪にし、あるいは死にいたらせる時、昔にも増してより以上の天変、地夭、大風、飢饉、疫病が年々にあり、他国からその国を攻めるであろう」と説かれている。これは守護国界主陀羅尼経という経の第十の巻の心である。

この経文はいまの世と少しも違わない。そして、日蓮は「但一人あらん智者」の一分に当たっている。この日蓮を助けようと志す人々が多少あるが、あるいは志が薄かったり、あるいは志は厚いようではあるけれども、実践が志にともなわない。さまざまであるが、あなたは、その一分に当たっている。日蓮を助けようとする志は弟子檀那の中ですぐれているばかりか、日蓮がわずかの身命をここまで支えることができたのも、あなたの実践のおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地も御存知であろう。もし、あなたの身にいかなる災難でも起こったならば、それは、ひとえに日蓮の命を天が断とうとするのも同然である。

人の命は、山海空市の何処にあっても死から免れ難いことであると定められているけれども「定まった業報でさえも正法修行によって、よく転ずる」という経文もあり、また、天台の御釈においても、定業を延べることができるという釈もある。前の便りでもいったように、蒙古国の攻め寄せてくるまでは用心しなさい。

 

語釈

調達

提婆達多のこと。

 

五法

ここでは提婆達多の説いた五法をいう。弘決の婆沙説によれば、①糞掃衣(人の捨てた汚れた衣を洗って作り直して着る)。②常乞食(常に托鉢をする)。③一坐食(一日に一度しか食事をとらない)。④常露座(常に樹下石上に坐って、室宅で坐らない)。⑤塩および五味を受けず(塩および酸・苦・甘・辛・鹹の五味をとらない)。以上の五法を提婆は行じて、釈尊より優れていると見せ、人々の心をひきつけようとした。

 

守護経

守護国界主陀羅尼経のこと。中国・唐の般若・牟尼室利の共訳。守護国界経、守護経と略す。10巻。陀羅尼の力によって国主を守護することが、すべての人々を守護することになると説く。ここでは山海・空市まぬかれがたき事を示す。

 

定業亦能転

過去の業因によって定まった業報を現世の正法修行によって能く転ずること。すなわち宿命転換のことをいう。「可延定業書」(0985)に「業に二あり一には定業二には不定業、定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや」とある。なお定業、不定業については涅槃経師子吼菩薩品第十一に詳しく説かれている。一説には妙楽の法華文句記巻第十下に「若し其の機感厚きは、定業も亦能く転ず」とある文をさすともいう。

 

天台の御釈

天台の摩訶止観巻第八下に「仮令、衆障峯起すとも当に死を推して命に殉ふべし、残生余息、誓って道場に畢る。捨心決定せば何の罪か滅せざらん、何の業か転ぜざらん」とある文をさすか。または、妙楽の法華文句記巻第十下に「若し其の機感厚きは、定業も亦能く転ず」とある文をさす。

 

蒙古国

13世紀の初め、チンギス汗によって統一されたモンゴル民族の国家。東は中国・朝鮮から西はロシアを包含する広大な地域を征服し、四子に領土を分与して、のちに四汗国(キプチャク・チャガタイ・オゴタイ・イル)が成立した。中国では5代フビライ(クビライ。世祖)が1271年に国号を元と称し、1279年に南宋を滅ぼして中国を統一した。鎌倉時代、この元の軍隊がわが国に侵攻してきたのが元寇である。日本には、文永5年(12681月以来、たびたび入貢を迫る国書を送ってきた。しかし、要求を退ける日本に対して、蒙古は文永11年(1274)、弘安4年(1281)の2回にわたって大軍を送った。

 

講義

前章では、智人と檀那によらなければ仏法は弘まらないことが明かされたが、本章では、それを受けて、末法において日蓮大聖人がその〝智人〟であり、四条金吾は〝智人〟たる大聖人を助けるすぐれた檀那である、したがって、仏法守護の諸天善神が金吾を守らないわけがない、と力強く激励されている。

四条金吾は、鎌倉の信徒たちの中心として先駆をきって弘法に励み、大聖人が佐渡に流されていた時も、また身延に入られてからも、かわらず御供養の品々を送り続けた大信者である。

大聖人が今日まで命を長らえ得たのは四条金吾のおかげであり、いま四条金吾の身に何かがあれば、それは大聖人自身の命を断つのと同じである。そのようなことは絶対にあるわけがないとの大確信と、四条金吾への限りない慈愛が、この章の御文にこめられている。

 

人の命は山海空市まぬがれがたき事と定めて候へども、又「定業亦能転」の経文もあり

 

定業とは、過去の因によって、このような果報を受けなければならないと定まっている業をいう。業には善悪の両方があるが、いずれにせよ、その果報がはっきり定まるほど強い因を過去につくった場合が定業である。

不定業とは、ある程度の方向性が定まっているといった弱いもので、今世の注意、心がけ、努力によって変わりうる業である。

定業をつくる原因は、慣習として繰り返す行為と、淳浄の心をもってする行為、そして仏・法・僧への祈りの三種があるとされる。これらは、深く生命に刻みこまれ、未来を強く規定していくのである。そして、ひとたび定業となったことは、山・海・空・市いかなるところにあろうと、これをまぬかれることはできない。

逆に、過去にいかなる定業があるにせよ、現在、仏・法・僧すなわち正法に強く祈り、淳浄の心をもって信仰に励み、しかも怠ることなく信行学を貫くならば、悪い定業を転じ成仏への最高の定業を築いていくことができる。ここに、正しい仏法による宿命転換の原理がある。

 

 

第三章(主君への返答を教示する)

本文

主の御返事をば申させ給うべし・身に病ありては叶いがたき上・世間すでに・かうと見え候・それがしが身は時によりて憶病はいかんが候はんずらん、只今の心は・いかなる事も出来候はば入道殿の御前にして命をすてんと存じ候、若しやの事候ならば越後よりはせ上らんは・はるかなる上不定なるべし、たとひ所領を・めさるるなりとも今年は・きみをはなれまいらせ候べからず。
  是より外は・いかに仰せ蒙るとも・をそれまいらせ候べからず、是よりも大事なる事は日蓮の御房の御事と過去に候父母の事なりと・ののしらせ給へ、すてられまいらせ候とも命はまいらせ候べし・後世は日蓮の御房にまかせまいらせ候と高声にうちなのり居させ給へ。

       建治二年丙子九月六日                 日蓮花押

     四条金吾殿

 

現代語訳

主君への御返事を次のようにいいなさい。「私は、いま病気でありますので遠国に行けとの主命に叶いがとうございます。その上、世情は大事が起こりそうな気配です。それがしの身は、その時にあたって、どうして臆病のはずがございましょうか。只今の心は、たとえどのようなことが起きようとも、入道殿の御前で一命を捨てる覚悟でございます。もし一大事が起きたときに、越後から、鎌倉の主君のもとに馳せ参ずるのには、あまりに遠すぎるし、行くことができるかどうかもわかりません。それゆえ、たとえ所領を取り上げられても、今年は、御主君の御側を離れません。

これ以外にどのような仰せを蒙っても、少しも恐れはいたしません。これよりも大事なことは、日蓮の御房の御事と亡くなった父母のことであります」とはっきりと言いきりなさい。また「お見捨てになっても、私の命は差し上げます。後世は日蓮の御房にまかせてあります」と声高らかに申し上げなさい。

建治二年丙子九月六日       日 蓮  花 押

四条金吾殿

 

語釈

世間すでにかうと見え候

世間には、早くも重大事が起こるかにみえるとの意。重大事とは、蒙古軍が襲ってくることである。本書を認められた2年前の文永11年(127410月に第一回目の蒙古襲来、いわゆる文永の役があった。これは斥けることができたが、翌建治元年(12754月に蒙古国の使者・杜世忠・何文著等五人が長門国室津(山口県豊浦郡豊浦町)へやってきた。幕府は、これらの使者を9月に、竜口で斬首し、12月には、安芸国の御家人や九州諸侯に「異国征伐」の準備を命じている。そして建治2年(12763三月には、第二次の蒙古襲来に備えて九州博多の海岸に要害石築地――いわゆる防塁の構築にかかり、8月にほぼ完成するに至っている。弘安4年(12815月には、第二回目の蒙古襲来、いわゆる弘安の役となる。

 

越後

北陸道7か国の一。現在の新潟県の、佐渡を除く全域にあたる。越の国を天武天皇の時代に3分して成立。古称、こしのみちのしり。

 

入道殿

江馬入道光時のこと。四条金吾頼基の主君親時の父親。北条義時の孫で、名越遠江守朝時の嫡子。寛元元年(1243)に越後守に任ぜられ、また将軍頼経の近侍となる。のちに頼経が譲位、入道したが、その周辺に謀叛のうわさが立ち、光時などもあやしまれた。光時は薙髪し出家してわびたが、伊豆江馬に流された。頼経も京都に護送された。その後、光時は許されて鎌倉に帰ったが、その間ずっと金吾の父は主君光時を守り最後まで仕えた。

 

不定

①一定しないこと。②意外なこと。

 

丙子

干支の組み合わせの13番目で、前は乙亥、次は丁丑である。陰陽五行では、十干の丙は陽の火、十二支の子は陽の水で、相剋(水剋火)である。

 

講義

主君・江馬氏に対し、どのように返答をすべきか、こと細かく教えられた段である。だがこれは、単に、それだけで終わる内容ではない。この御文のなかから、社会にある大聖人の信徒の、信仰と社会に対する根本的な心がまえが学びとられなければならない。

まず、社会人として大事なことは、自分がその社会でもっている責任をどこまでも全うする、ということである。それは、封建的な主君の命令にさからっても、貫くべきものとして、明確に示されている。大聖人のお考えにある社会人としての倫理は、封建的主従関係の中にあった特殊な倫理を超えたものであったことが、ここにはっきりとよみとれよう。

第二に「是よりも大事なる事は日蓮の御房の御事と、過去に候父母の事なり」という一文に示される、人間としての本源的な問題である。「父母の事」とは、人間としての普遍的な倫理である。これは、たとい主君の命たりといえども、破ってはならないものである。つまり、一個の人間としての存在の基盤にかかわることである。これは、社会的立ち場による主君への忠誠という倫理に優先するのである。

更に「日蓮の御房の御事」とは、自己の宗教的信念、仏法の問題――ひいては、これは自覚ある人間としての精神の自由の領域である。これもまた、社会的忠誠に優先する。なぜなら、社会的忠誠は、現世の物質的幸福にしかかかわりえないが、仏法の問題は、三世にわたる生命の幸・不幸にかかわるからである。故に、現世のこの生命は、鎌倉武士として、主君に捧げるけれども、後世については「日蓮の御房にまかせまいらせ候と、高声にうちなのり居させ給へ」と教えられているのである。

 

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