四条金吾殿御返事(八風抄)2013:10大白蓮華より先生の講義

四条金吾殿御返事(八風抄)2013:10大白蓮華より先生の講義

師弟に生き抜く「賢人」の道を

今から32年前の秋、四国研修道場で、青年部の代表と懇談した折のことです。彼らが新しい学会歌の歌詞の案を持ち寄ってくれました。夜を徹して考えてきたのでしょう。青年たちの目は真っ赤でした。

自分たちが一切の魁となる。この深い決意に燃える青年たちがいれば、学会は盤石だ。未来は洋々と開かれている。私は、そう確信しました。

「分かった。君たちのために手伝うよ」

滞在中の数日間、20数回に及んで推敲をてがけました。

間断ない行事の合間を縫っての真剣勝負でした。

こうして完成したのが、今も烈々と歌い継がれている、あの「紅の歌」です。

2番目の原案には、「毀誉褒貶の人あるも」とありました。その歌詞を、私は「毀誉褒貶の人降し」と直しました。世間の風評など歯牙にもかけず、社会の荒波を毅然と勝ち越えていく「創価の魂」を、歌詞に託したかったのです。

「獅子として堂々と生き抜け」

戸田先生がよく青年たちに語られていた指針があります。

「決して恐れるな、獅子として堂々と生き抜け」と。

この言葉の通り、学会も、そして学会員も、草創以来、信念の道を貫き通してきました。どんな嵐の中でも、自分の座標軸を見失うことなく、我が使命の人生行路を真一文字に進んできました。

それゆえに私は、この学会精神を受け継ぐ青年たちの姿が何よりもうれしかった。

その思いは今もかわりません。

いよいよ世界中に地涌の青年の堂々たる陣列が築かれました。新たな時代に躍り出た、大いなる使命を担った青年たちです。それだけに皆、世間の評判や非難に一喜一憂することなく、世界広宣流布という大いなるロマンに向かって、目のさめるような自分自身の人間革命の戦いに、勝ち進んでいただきたいのです。

正義と充実の人生を送るための仏法です。

幸福と勝利の一生を築くための信心です。

そこで今月は「八風抄」との別名もある「四条金吾殿御返事」を拝して、八風という毀誉褒貶に動じない「賢人」の道を共々に学んでいきたいと思います。

本文

  我が身と申しをやるいしんと申し・かたがた御内に不便といはれまいらせて候大恩の主なる上すぎにし日蓮が御かんきの時・日本一同ににくむ事なれば弟子等も或は所領を・ををかたよりめされしかば又方方の人人も或は御内内をいだし或は所領をおいなんどせしに其の御内に・なに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候。

  このうへは・たとひ一分の御恩なくとも・うらみまいらせ給うべき主にはあらず、それにかさねたる御恩を申し所領をきらはせ給う事・御とがにあらずや、

現代語訳

あなた自身といい、親・親族といい、それぞれ家中のものとして恩恵を受けた大恩ある主君である。その上、日蓮が御勘気を受けた時、日本国一同の人が憎んでいたから、弟子等もある者たちは所領を幕府から取り上げられ、またそのものの主君である人々も、あるいは家中から勘当し、あるいは所領を追いはらったりしたのに、江馬氏はあなたに何のおとがめもなかったのは、あなたにとっては、なみなみならぬ大恩を受けたことになる。

このような大恩をうけたからに、たとえこれから一分の御恩を受けなくても、恨むべき主君ではない。それに重ねて御恩を期待して、これほどの所領をきらわれているのはあやまりではないだろうか。

講義

逆境の四条金吾を励ます

四条金吾は、大聖人門下の中でも特に実直に師を求め、勇敢に弘教に励んだ弟子でした。

大聖人が佐渡から帰還された文永11年(1274)9月、金吾は、親の代から仕える主君の江間氏を折伏しました。

江間氏は北条一族の中でも名門です。しかし、文永9年(1272)の二月騒動で処分を受けた名越氏の一門でもあります。蒙古襲来の危機が高まり、緊迫する中で、金吾は何としても恩ある主君の安泰のため、正法に目覚めさせたかったのでしょう。

ところが、江間氏は極楽寺良観の信奉者でした。この金吾の折伏が発端となり、次第に江間氏から疎まれるようになります。

さらには、もともと江間氏から信頼が厚かった金吾を嫉む同僚たちがこれを機にさまざまな謀略を巡らすようになったのです。

金吾を取り巻く状況は悪化し、建治2年(1276)には、金吾に対して越後への領地替えの内命が下りました。

この報告を聞かれた大聖人は、金吾に対して、所領のことなど大した問題ではなく、何があっても主君の側から離れずに仕え抜くよう教えられました。

金吾も、大聖人の御指南通りに迷いなく行動しました。しかし、所領などに目もくれず、命を賭して主君を守ろうという金吾の誠心誠意の姿勢は、嫉妬の家臣たちによって捻じ曲げられていきます。

〝主君の命令を断った”などと讒言が行われる状況のなか、一本気の金吾は、自身の潔白と真意を伝えるためでしょうか、所領問題で主君を訴訟しようと思いつめるようになったのです。これらの報告を聞かれたことに対する御返事が本抄です。

主君からの書状と、金吾からの手紙を引き合わせて御覧になった大聖人は「さきにすいして候」と、このような事態は前々から心配し、推察していたと述べ、金吾を温かく包み込まれます。そして、今回の所領問題の本質が、いったいどこにあるのかを懇切丁寧に指導・激励されていきます。

すなわち、「所領を嫌い、主君を軽んじている」「恩賞を差し控えるべきである」との讒言による圧迫を加えているのは、金吾の存在を嫉む側近の家臣であり、同僚であることを指摘されます。

正義の人が、悪質なデマや讒言で陥れられる。これは古今東西、変わることのない迫害の構図です。その謀略に翻弄されて、勇み足で取り返しのつかない行動に出てしまえば、それこそ敵の思う壺です。

「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず」です。本質を冷徹に見抜く目を持たなくてはならないのです。

本抄で大聖人は、金吾に対して「御心えあるべし御用心あるべし」と、心を 引き締めてよく考えていくよう諫められています。

仏法は「人の振る舞い」を尊重

大聖人は諄々と諭されます。

金吾にも、また親や親族にも、ことのほか目をかけてくれた大恩ある主君ではないか。大聖人が幕府からの迫害を受け、佐渡に流罪された時、多くの門下にも弾圧が及ぶなか、江間家では何ごともなかったのは、並々ならぬ大恩ではないか。

ゆえに、何の恩賞がなくても、主君を恨むべきではないと、大聖人は教えられています。それを、恩賞を望み、今回の所領を嫌っているように思われてしまうことは、金吾の過ちであると、厳愛の指導をされているのです。

大聖人はこれまでも、金吾に対して再三にわたって、恩ある主君に仕える仏法者としての姿勢を示されてきました。

金吾が武士をやめて入道になりたいとの心情を吐露した際にも、主君の恩を説き、「いかなる命になる事なりとも・すてまいらせ給うべからず」と、何があっても主君を捨ててはならないと、金吾の考えに反対されました。

また領地替えの話が出た際には「入道殿の御前にして命をすてんと存じ候」と命懸けで主君に仕える覚悟を述べるよう指導されています。

仏法では、「人の振る舞い」という究極の道理を説いています。

他の門下から、信仰ゆえの圧迫を受ける中、金吾は江間氏によって守られてきました。

すなわち、大局から見れば、江間氏は、広宣流布の一端を支えてくれた存在であるともいえる。

ゆえに、仏法の上からも、道理の上からも、金吾が恩ある主君に仕えきっていくことが、人間としての正しい生き方であり、振る舞いであることを説かれているのです。

本文

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるを・ひりに主をうらみなんどし候へば・いかに申せども天まほり給う事なし、 

現代語訳

賢人とは八風といって八種の風に犯されないのを賢人というのである。八風とは利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。およそ世間的利益はあっても喜ばず、衰えるのを嘆かないということである。この八風に犯されない人を、諸天善神は守られるのである。ところがそれを、道理にそむいて主君を恨んだりすれば、どんなに祈っても諸天は守護しないのである。

講義

「八風」に侵されない人生を

今いる使命の場所を何としても勝ってもらいたい。大聖人は金吾に対して、「八風」に侵されない人こそが「賢人」であることを教えられています。

「八風」とは仏道修行をさまたげる働きであり、「利・誉・称・楽」の四順と、「衰・毀・譏・苦」の四違があります。

それぞれを簡潔に言い表すと次のようになります。

「利は、」は、利益を得て潤うこと

「誉」は、世間から誉められること

「称」は、人々から称えられること

「楽」は、心身が楽しいこと

「衰」は、さまざまに損をすること

「毀」は、世間から軽蔑されること

「譏」は、人々から悪口を言われること

「苦」は、心身がくるしむこと

一般的に人々が望み求めることが四順であり、いやがり避けることが四違です。

しかし、仮に四順を得たとしても、それは一時的、相対的な幸福にすぎません。

世間体や恰好、形式ばかり気にして、内実をおろそかにしたり、世間の毀誉褒貶や目先の利害損得の風向きのままに流されてしまう。それでは、大きな時代変動の嵐の前には、ひとたまりもなくなくなってしまいます。

要は、八風に動じない「自分自身」であることです。

大聖人は、利益があっても喜ばず、損しても嘆かないような、八風に侵されない人を必ず諸天が守っていくと仰せです。

牧口先生が拝された御書には、この御文に厳然と線が引かれております。

堂々と真の賢人の生き方を

また牧口先生はこう指導されています。

「御書にも『愚人にほめられたるは第一のはぢなり』(開目抄下:0237:08)とあり、仏法者たる者は物事の根本、価値観を判断するさい、あくまで仏法で説く厳しき因果関係を基準にしなければならない。ひとの毀誉褒貶に左右されては大善人とはなれない」

戸田先生も「青年訓」で、「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」と呼びかけられています。

これが牧口先生、戸田先生の師弟に貫かれた学会精神です。

「〝まさか”が実現」と世間をあっと言わせた、あの昭和31年の大阪の戦いの直後にも、戸田先生はこのように語られました。

「なにも、新聞にほめられたからといってうれしがることもなければ、悪口をいわれて驚くこともなければ、われわれの信仰は、ただ一途の信仰でなければならない」

いよいよ学会の存在が社会で注目を集める中にあって、学会員はただただ、真っ直ぐな信心を貫き、折伏行に励んでいくよう指導されたのです。

法華経に説かれる通り、悪口罵詈を受けてこそ、正しき信仰者の証しがある。広宣流布の不撓不屈の闘争は、ほかの誰でもない。御本仏が御照覧くださっています。これ以上の栄誉はありません。

八風に侵されない不動の人、すなわち、何ものにも揺るがぬ心で、絶対的な幸福を追求する人こそが「賢人」です。真実の信仰者の究極の姿も、ここにあるのです。

では、誰よりも真っ直ぐに師を求め、広宣流布の戦いに挑んできた金吾に対して、大聖人は、なぜここまで事細かに「賢人の道」を教えられたのでしょうか。

それは、金吾自身の人間革命、人間としての成長によって、問題を根本的に解決していくべきであることを教えられていると拝されます。

「賢人」とは一般的にも、正邪を峻別する力のある人を指します。本質を把握する力を持つ人ともいえるでしょう。

八風に動じない確固とした自身を築くためには、正邪を峻別し、幸不孝の因果を説く「法」と「師匠」の存在が不可欠です。

正しい法に説かれるがままに、そして正しい師匠の指導通りに実践に励む。その「賢人の道」を貫き、妙法を根本とした生き方に徹するからこそ、諸天善神も守ると大聖人は仰せなのです。

反対に「非理」、道理に背いた者は諸天は守りません。仏法は、法に基づく道理の世界だからです。

「負けじ魂 朗らかに」

さて、八風に侵されない「賢人」の生き方とは、別の言い方をすれば「負けない人」の異名ともいえるでしょう。

学会が、大難の連続の中、なぜこれだけの大発展を遂げることができたのか、それは、尊き我が学会員の皆さまが八風に動ずることなく、真っ直ぐな信心を貫き、断じて負けない人生を歩まれてきたからにほかなりません。だから、諸天からも厳然と守られたのです。

「負けじ魂」です。

負けないことが人生勝利の最大の要諦といっても過言ではありません。途中はどんなに辛く苦しくとも、へこたれない。あきらめない。粘り強く歩みを進めた人が、最後には必ず勝つのです。

大聖人も金吾の人柄を「極めて負けじ魂の人であり、同志を大切にする人である」と、最大に讃嘆されています。

「負けじ魂」の人には、決して悲愴感が漂うようなことはない。

「負けじ魂 朗らかに」です。

常に頭を上げ、前を向いて、胸を張り、朗らかに堂々と「負けじ魂」を発揮していくことです。

私たちは「衆生所遊楽」の大仏法を持っているのです。「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(四条金吾殿御返事:1143:05)です。すべてを見おろして、一歩また一歩と信心に励んでいけばよいのです。

世界はますます深い仏法を求めている時代に入っています。

一人一人が生まれ変わった息吹で、勇敢に楽しく賢く、広宣流布の大闘争を展開していこうではありませんか。これこそが、いかなる毀誉褒貶の八風にも微動だにしない、「賢人」の生き方です。

本文

だんなと師とをもひあひて候へども大法を小法をもつて・をかしてとしひさしき人人の御いのりは叶い候はぬ上、我が身も・だんなも・ほろび候なり。

現代語訳

このように、檀那と師匠とが心が同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなもので叶うわけがない。

また、檀那と師匠とが心を同じくした祈りであっても、長い間、邪法によって正法を犯している人々の祈りはかなわないばかりか、わが身も檀那も、共に滅びるのである。

講義

師弟共戦の祈りが根本

八風に侵されない賢人の道を示された大聖人は、重ねて訴訟は思いとどまるべきであることを指摘されます。

そして、実際に大聖人の仰せの通りに行動した大学三郎や池上宗仲の祈りは叶ったこと。後に退転した波木井実長は、大聖人の御指導に反してしまい、祈りが少しは叶ったかもしれないが、思うような結果ではなかったことを例示されます。

大聖人は結論として「だんなと師とをもいあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし」と述べられ、師弟の呼吸が一致した祈りが要諦であることを示されています。私たちが、何度も何度も拝してきた重要な御文です。

大聖人は別の御書で「師弟相違せばなに事も成べからず」(華果成就御書:0900:09)とも仰せです。

「師弟不二」こそ、仏法の極意であり、根幹です。

弟子が師匠に心を合わせ、広宣流布へ心を合わせ、真剣に祈り、戦っていく。その祈りは厳然と叶っていくことを確信して進んでいくことです。

子弟と心を合わせる、呼吸を合わせるとは、「広宣流布の誓願」を同じくすることです。

「一人を徹底して励ます行動」を同じくすることです。

師匠ならば、どう祈り、どう考え、どう行動するのか。その一点を心の中心に置き、師の指導を胸に実践していく中に、師弟の呼吸は通い会うのです。

民衆のため国を救う大闘争

さて、御文に戻れば、大聖人は、「弟子と師の思いが合っていたとしても、長年にわたって、勝れた法を劣った法をもって汚した人々の祈りは叶わないうえ、我が身も弟子も滅びてしまう」と仰せです。

すなわち、師弟の呼吸が合った祈りであるとともに、妙法に基づいた祈りでなければならないと示されています。

さらにこの御文の後段では、その具体的な事例として、大聖人は、天台座主や明雲が平家側につき、真言の祈禱を行ったことを挙げられます。

源氏と平家の争いの時には、明雲が平家側につき、真言で祈りました。しかし、滅びたのは平家の方でした。朝廷と幕府の争いでは、朝廷側では慈円が真言で祈ったものの、同じく滅びたのは朝廷の方でした。

このような歴史的事実があるにもかかわらず、大聖人は、真言にどのような誤りがあるのかを怪しむ人はいないと仰せです。

この真言による2回の祈禱によって、日本国内において、相対立する勢力の一方が敗北・滅亡しました。しかし、3回目となる真言による祈禱とは、朝廷・幕府ともにすがる蒙古の調伏です。

その結果、もたらされるのは朝廷・幕府双方の滅亡であり、日本全体の亡国につながりかねません。

幸不幸の正しい因果をわきまえて祈らなければ、今度は一国が滅びてしまう。一番苦しむのは民衆である。それだけは何としても食い止めなければならない、との大聖人の大慈悲が感じられてなりません。

本文

されば此の事御訴訟なくて又うらむる事なく 御内をばいでず我かまくらにうちいて・さきざきよりも出仕とをきやうにて・ときどきさしいでて・おはするならば叶う事も候なん、あながちに・わるびれて・みへさせ給うべからず、よくと名聞・瞋との。

現代語訳

したがって、今度の所領替えのことについては、訴訟をおこさないで、また、主君を恨まずに、御内からも出ないで、自分はそのまま鎌倉にいて、以前よりも出仕をひかえて、ときどき出仕するようにしていったら、あなたの願いも叶うこともあるでしょう。決して悪びれた振る舞いをしてはいけません。欲や名聞名利を求めたる瞋る心をおこさないように。…。

講義

門下に人間学の真髄を教える

大聖人は、今後の金吾の具体的な行動について指導されていきます。

訴訟を起こさないこと、また主君を恨まないことは、本抄前半で既に指摘された通りです。そして、江間家に仕えることをやめずに鎌倉にいて、そのうえで、以前よりも控えて時々、出仕するよう促されています。

今は時を待って誠実に、忍耐強く行動せよ。金吾の置かれている状況をよく知悉されているがゆえの、的を射た御指導と拝されてなりません。

また、決して悪びれた態度を見せてはいけないとも注意されています。金吾には全く非がありません。だからこそ、卑屈になる必要はなく、仏法者として堂々と振る舞うべきであることを教えられているのです。

本抄の最後が「よくと名聞・瞋との」と、文章の途中で終わっているのは、これ以降の御文が失われ、伝わっていないためです。

そのうえで拝察すれば「欲」に支配されてはならない。「名聞」に踊らされてもならない。「瞋」の心を露わにするのは愚かなことである。およそ、このような趣旨の戒めが続いていたのではないでしょうか。

大聖人はこのように、折りにふれて、当時の金吾の境遇に適つた具体的な御指導を続け、人間学の真髄を教えられました。

金吾も、こうした大聖人の御指南を深く心に刻み、その通りに実践する弟子でありました。今いる場所から逃げることなく、時を待ち、粘り強く戦い、人としての振る舞いに徹していったのです。

やがて地域でも職場でも、見事な勝利の実証を示していきました。

一人を励ます行動が仏法に脈動

このように、目の前で苦しむ一門下に対して、大聖人は何度も何度も激励・指導を重ねてこられました。師匠とは何と有り難い存在なのでしょうか。金吾もまた、その師の有り難さが分かる弟子でありました。

徹底して一人を励まし抜く。これこそが、大聖人の御振る舞いに直結し、今、創価学会に貫かれる永遠不滅の魂です。

牧口先生は、ご高齢にかかわらず、会員からの悩みを聞くと、すぐに行動に移される方でありました。

青年に頼まれ、その家族への弘教のため、福岡県の八女にも訪れられました。三等車の堅い座席で、丸一日以上の旅でした。

「なぜ、わざわざ、こんな遠くの一家族のところまで来てくださるのか」との質問に、牧口先生は「一人の本物の同志を育てたいからです」と答えられています。

この大誠実の行動で、一人の青年を育成されたのです。

戸田先生も人材育成の要諦を個人指導におかれていました。

第2代会長に就任後、戸田先生は、市ヶ谷にあった学会本部の分室で、毎日のように学会員の個人指導にあたられました。当時の幹部たちは、分室に通い、先生の指導を真剣に見て学び、そのあり方を身につけていきました。

すなわち、先生の個人指導とは、不孝に苦しむ学会員を何としても救いたいという大激励であると同時に、幹部の指導力を磨く、またとない機会ともなっていったのです。

私も徹底して一対一の励ましの対話に取り組んできました。

あの地でもこの地でも、日本であろうと海外であろうと、相手が、円熟の多宝の大先輩の時も、まだ幼き後継の未来部の友の時も。そして、その人が信心していようが、していまいが、徹して一人を。

いかなる人であれ、目の前に縁した方に、何としても元気になってもらいたい。勇気を奮い起こしてもらいたい。励まさずにはいられない。ただただ、その一心で、全国・全世界を駆け巡ってきたのが、戸田先生と不二の私の人生であるといっても過言ではありません。

晴れ晴れと世界広布の本舞台に

戸田先生は語られていました。

「大作、学会の本当の偉大さが分かるのは200年後だ。200年先まで考えて、広布の盤石な路線を作っておくのだ」

その「200年後」への中間点ともいうべき学会創立100周年が近づいてきました。これからが広布の正念場です。

まして、広宣流布は万年の民衆を救う大聖業です。それゆえに、今、どう未来への手を打つのか。どう人材の城を築くのか。戸田先生のお心を我が心として、私は常に手を打ってきました。

今、学会員の存在は社会で信頼と友情の絆を結び、次代を照らす松明として輝き、社会からの賞讃と期待を集める時代に入ってきました。三類の強敵を乗り越え、広宣流布の勢いが増しています。皆さまの尊い労苦のおかげで、世界中でSGIへの賛同の輪が広がっています。

いよいよ世界広宣流布の新時代を迎えました。世界広布の本舞台です。従藍而青の時です。

「創価の世紀」の到来です。

だからこそ大事なのは「一人」です。

大聖人が四条金吾を励まし、示されたように、一人一人が地域や社会から信頼される「賢人」となっていく。それが、世界広宣流布を実現していく実践です。

「一人」が人間革命して、八風に侵されない賢人の生き方を確立していく。

「一人」が発迹顕本して、今世における地涌の使命を果たし抜いていく。

「一人」が元初の誓いに立ち返り、勇気と歓喜の行動を積み重ねていく。

すべては「一人」から始まります。

一人の「心」から、新時代が始まるのです。

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