崇峻天皇御書(三種財宝御書)2009:10、11,12月号大白蓮華より。先生の講義 

本文

  殿は腹悪き人にてよも用ひさせ給はじ、若しさるならば日蓮が祈りの力及びがたし、竜象と殿の兄とは殿の御ためにはあしかりつる人ぞかし天の御計いに殿の御心の如くなるぞかしいかに天の御心に背かんとはをぼするぞ設い千万の財をみちたりとも上にすてられまいらせ給いては何の詮かあるべき・已に上にはをやの様に思はれまいらせ水の器に随うが如くこうしの母を思ひ老者の杖をたのむが如く・主のとのを思食されたるは法華経の御たすけにあらずや、あらうらやましやとこそ御内の人人は思はるるらめ・とくとく此の四人かたらひて日蓮にきかせ給へさるならば強盛に天に申すべし、

現代語訳

 あなたは短気な性格であるから、こういってもよもや用いないでしょう。もし、そうであるなら、日蓮の祈りの力もおよばなくなります。

 竜象房とあなたの兄は、あなたのためには悪い人であった。そこで天の御計らいによって、あなたの思う通りになったのである。しかるに、どうしてあなたは諸天の御心に背こうなどと思われるのであろうか。たとえ千万の財宝を得たとしても、主君に捨てられてしまえば、何の意味もないではないか。

 すでにあなたは主君から親のように思われ、ちょうど水が器に随い、仔牛が母を慕い、また老人が杖をたよりにするように、主君からあなたのことを信頼されているのは、法華経の偉大な力に守られているからにほかならないではないか。同僚の人々は、定めて羨ましく思っていることであろう。早くこの四人と語りあって味方とし、その由を日蓮に聞かせなさい。そうするならば、日蓮もあなたのために、強盛に諸天の加護を祈りましょう。

講義

「人を敬う振る舞い」を世界が待望

 ここまで様々な御指導を重ねてこられたうえで、大聖人は再び、「あなたは短気な人だからきっと聞き入れないでしょう。私が祈っても、力が及びませんよ」と記されました。

 大聖人は折々に、師匠と弟子との祈りが一致しなければ絶対に叶わないと仰せです。門下であって、金吾ほど命を賭けて大聖人をお守りした人はいないでしょう。しかし、自分に負けて短慮の行動をとることは信心を根幹として師弟不二の行動をとった自分を失って、愚かな人間に戻ることにほかならない。ゆえに、いくら大聖人が祈られても、祈りの力は叶わなくなると仰せなのです。

 「短気ではいけない」との重ねての戒めに、金吾も襟を正したことと思います。特に今度は「夜廻りの四人」と仲良くすべきだとの御指導の直後に再び厳重に言われていることに注目しておきたい。すなわち、「異体同心」そして「師弟不二」こそが仏法の実践の肝要だからです。この一点が欠ければ広宣流布は断絶してしまうと言っても過言ではありません。

 次に、先に指示した「夜廻りの人々と仲良くなる」ということについて、「結果を日蓮に聞かせてください。そうすれば、強盛に諸天に祈りましょう」と綴られています。

 これは個人指導の急所です。指導・激励は、その場限りで終わらない。指導した側も最後まで祈り切る。大聖人自ら、常にそのように振る舞いを重ねておられたことが拝されます。

 学会は「責任ある指導主義」を掲げています。心から励まし、目標を示したうえで、相手と自分が「二人三脚」の思いで挑戦の歩みを開始する。そして、結果が出るまで、指導した側も祈り抜く。この精神で歩んできたから、学会はここまで伸びてきたのです。

 主君・江間氏との信頼関係。同僚たちからの中傷、讒言、襲撃の危機。長兄の敵対、他の兄弟たちとの不仲、一部の同志間の怨嫉。こうしたことの一つ一つを、大聖人が心配され、手を打たれている。家族にもまさる情愛で、金吾を守り、慈しみ、導いておられたことが御文から偲ばれます。

 門下の一人一人を徹底して大切にする。こまごまとした御配慮が、仏法の人間主義です。

 釈尊が衆生の機根に応じて、「法」を自在に説かれたことも、仏典に記されています。

 ある時、愛児を亡くして悲嘆にくれていた母親に釈尊は出会った。この時、釈尊は「あなたが町へ行って、芥子の種をもらってくれば、その子を救う薬をつくろう。ただし死人を出したことのない家からでないといけない」と語った。母親が家々を回るうちに、どの家も身内の死を経験していることに気づく。やがて、人生の無常を打開しようと彼女は釈尊の弟子になった。

 ある時、釈尊はスリハントクが一人で泣いている所に通りかかる。聞くと、十四文字の言葉を覚え切れず、仲間から見放されたという。釈尊は語った。「あなたは自分が愚かだと分かっている。スリハントクよ、その人は、本当は一番賢い人だ。一番愚かなものは、自分が頭が良いと思っている者のことだよ」。釈尊に励まされたスリハントクは、やがて大勢から慕われる模範の指導者になった。

 この「一人を大切に」「人を敬う振る舞い」という、大仏法の人間主義の水脈は今、創価学会の中に脈々と受け継がれています。牧口先生、戸田先生も、どこまでも一人を大切にされました。

 牧口先生は、高齢をいとわず、遠くは大阪、下関、そして九州へと、いくつも列車を乗り継ぎ、硬い座席に揺られながら、繰り返し足を運ばれた。「一人」に会うためであり、「一軒」の家庭を励ますためでした。訪問した家庭では、会員の家族にも会い、悩みの一つ一つに耳を傾け、「信心即生活」の基本を、かんでふくめるように教えていかれた。

 更に、目白の自宅で、毎週一回は個人指導の日をもたれ、訪れる数人から数十人の友の指導・激励に全魂を傾けられました。これは下田で不敬罪等の容疑で逮捕される直前まで続けられ、検事による起訴状には、起訴理由の項目の一つに、この「個人指導」が挙げられています。

 冒頭に紹介したように戸田先生も同じであられた。別次元の話になりますが、この「一人を大切にする」仏法の人間主義の源流を忘れて、濁流と化したのが邪宗門です。

 人間主義こそ、間違いなく21世紀の潮流となります。私がお会いした世界の識者たちは、皆、同じ認識に立っておりました。

 現代文明は、人と人との「善のかかわり」が希薄になっていると指摘されて久しい。あるいは、国家間、民族間、宗教観、文明間で分断が進むか、かろうじて協調が可能かとの岐路にある。この断絶を越えて、万人を敬う「人の振る舞い」を実現する思想を、世界は今、求めています。そして、それを人格のうえで実際に実現しているのが、わが創価学会・SGIのメンバーです。学会員の振る舞いこそ、「現代の菩薩の実践」「生きた仏の行動」として高く評価される時代に入っております。

 「人の振る舞い」とは、いわば、地球文明の新しい人間像を示した行動の哲学です。人間主義の実践者、行動者を世界が待望しています。「一人を大切」にする私たち学会員の振る舞いこそ、新時代の人格のモデル、模範として各国・各地域で賞讃されているのです。

タイトルとURLをコピーしました