崇峻天皇御書(三種財宝御書)2009:10、11,12月号大白蓮華より。先生の講義 

本文

  彼等が・いかにもせんと・はげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせて・をはすれば・外のすがたはしづまりたる様にあれども内の胸は・もふる計りにや有らん

現代語訳

 彼等が何とかしてあなたを陥れようと励んでいるところに、以前よりもあなたが主君に信用されているので、彼等は外面は静まったようであるけれども、胸の内は燃える計りの思いであろう。

講義

悪世末法の嫉妬社会に負けるな

 さらに、大聖人の筆は、金吾を取り巻く人々の心理にも及びます。金吾は主君・江間氏から、以前にもまして重用されるようになりました。それは、金吾を陥れようと躍起になっている勢力から見れば、決して許せないことである。したがって、彼らは表面は静かであったとしても、胸の内は燃え上がるばかりでいるだろうと、大聖人は喝破されておられます。金吾が置かれている状況を、大聖人は本当にこまやかにご存知です。悪世末法の娑婆世界にあって、貧瞋癡や慢疑の生命にとらわれ、怒りや争い、嫉妬の炎を燃やす人々が、人を悪口や讒言で陥れとうとする恐ろしさを深く認識しておられました。

 大聖人御自身、悪鬼入其身の嫉妬の悪僧である僣聖増上慢、またそれをとりまく道門増上慢・俗衆増上慢との闘争に勝ち抜いてこられた。嫉妬に照らされた命ほど恐ろしいものはありません。

 特に男の嫉妬は怖い。戸田先生もよく「男の嫉妬は真っ黒け」といっておられました。

 生命の次元から言えば、嫉妬は臆病・不安の裏返しであり、自分の弱さの投影です。若き日に読んだ、哲学者三木清の一文は、今も忘れられません。

 「嫉妬はつねに陰険である」「嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である」「自分がないことから嫉妬がおこる」

 仏の一門の前進を阻もうとする本質が嫉妬の生命であると看破すれば、恐れることはありません。大事なことは、私たちの「勇気」です。そして、「智慧」であり、「賢明な振る舞い」です。仏法の「人の振る舞い」こそが、勝利の要諦です。

 この後、再び大聖人は四条金吾に、微に入り細を穿つ注意を続けられます。

 「普段は嫉妬に狂った彼らの目に付かないようにして、以前よりも江間家の一族を敬い、子息たちがご主君のもとに来ているときには、ご主君のお呼びがあっても、しばらくは慎みなさい」

 「もし江間氏一族の子息たちや女房たちから『ご主君のご病気はいかがですか』と問われたならば、相手がどのような人であっても、膝をかがめて手を合わせ、『私の力が及ぶ病気ではありませんが、どのように辞退申し上げても、強いてとの仰せつけですので、ご奉公の身であるゆえ、このように治療いたしております』と答えなさい」

 「髪型も立派にはせず、直垂もぱりっとしたものではなくても、あざやかな小袖や、目立つような物などは着ないで、しばらくは辛抱してごらんなさい」

 おそらくは、四条金吾が自覚はしていても、つい出てしまう悪い癖や、あるいは、自覚すらしていなかった欠点を、大聖人はよく御存じであられるがゆえに、これはど細かい指導をされているのです。

 もちろん、仏法は、一人一人が自由自在に生きるための教えです。伸び伸びと快活に振る舞う力です。ただ「しばらくは」とあるように、大事な時には、最大に心を配り、賢明に、また慎重に振る舞うことも仏法です。

 大事な時に、最も必要な智慧を出し切って、最高の価値創造をしていく、あらゆる事象に柔軟に対応しながらも、根本の自分自身は微動だにしない。それが仏法の中道の智慧です。

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