本文
彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ、和讒せし人も又其の病にをかされぬ、良観は又一重の大科の者なれば大事に値うて大事を・ひきをこして・いかにもなり候はんずらん、よもただは候はじ。
現代語訳
彼らが柱とたのむ竜象房も、すでにたおれてしまった。讒言した人々も、また同じ病におかされてしまった。良観はもう一層仏法上の大罪がある者であるから、大事件にあい、大事をひきおこして、法罰をこうむるこたにもなるであろう。よもやただではうまないでしょう。
講義
勝利してこそ「正義」は証明!
邪悪の徒には栄えなし。 妙法の因果の理法に照らして、正邪の決着は厳然です。
金吾のことを快く思わない人々が頼みとする竜象房は既に病に倒れてしまい、金吾を讒言した同僚も同じ病にかかってしまった。
さらに大聖人は、卑劣な悪事を働いていた良観に対しても「重い大罪がある者なので、ただではすまないでしょう」と仰せになっています。
極楽寺良観は、大聖人が出現されなかったら、その醜悪な本性が暴露されることなく、“生き仏”のように仰がれる一方であった可能性があります。しかし、祈雨の対決に敗れ、恥をさらした良観は、いっそう巧みに権力者に取り入り、大聖人の迫害を企てます。
大聖人が身延に入られてからも、虚栄と保身の良観は、絶えず自身の正体が暴かれる不安におびえて、仏の勢力を恐れて臆病な生き方をされていたことでしょう。仮に虚勢をはっても、心はいつもおびえている。魔性としてうごめいていけばいくほど、生命の奥底では絶えず惨めな自分を意識していたことでしょう。
「デマゴーグの勝利は一時的だ、けれども破滅は永久だ」という言葉があります。デマの扇動者は永久に後悔の人生となり、心の敗残者となるのです。
この時期、四条金吾が勝利し、池上兄弟が勝利していきます。それはとりもなおさず、陰謀をめぐらし、大聖人門下の迫害をはかった良観の大敗北です。良観の悪事は散々たる失敗に終わりました。いわば、弟子が魔性に追撃の鉄槌を加えたことになるのです。
「悪は多けれども一善にかつ事なし」(1463:異体同心事:06)
「一善」です。師弟が一体となれば、必ず、最後には魔を破ることができます。
魔性を破れば、必ず新たな時代が開幕します。四条金吾のドラマは、魔の勢力に対して、仏の勢力が「人の振る舞い」で勝利した体験談であったといっても、過言ではないでしょう。
現代にあっても、時代は人間主義を求めています。「人の振る舞い」が、ますます重要になることは間違いありません。
戸田先生は、よく「誠意、誠実と」いっても、行動をともなわなければ、何にもならないぞ」と語られていました。大事なのは、「行動」です。そして、何よりも私たちの「人の振る舞い」という行動が、世界中で求められ、期待される時代になりました。
私たちの舞台が開かれるのも、いよいよこれからです。
「民衆の世紀」へ、
「女性の世紀」へ、
「青年の世紀」へ、
「子どもの世紀」へ、
「平和の世紀」へ、
「文化の世紀」へ、
「教育の世紀」へ、
「人道の世紀」へ、
「生命の世紀」へ、
21世紀はいよいよこれからが本番です。私たちの「人の振る舞い」が輝きを増す時代が到来しました。