本文
蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財つませ給うべし。
現代語訳
蔵にたくわえる財宝よりも、身の財がすぐれており、その身の財よりも、心に積んだ財が第一である。この文を御覧になってから以後は、こころの財を積んでいきなさい。
講義
磨き抜かれた心こそ無上の価値
本抄の中で、最も有名な一節です。
「蔵の財」とは、物質的な財産のこと。
「身の財」とは、健康や身につけた技能。
「心の財」とは、一面から言えば、「心の豊かさ」のことです。根本的には「信心」であり、信心によって磨かれる「仏性の輝き」です。
この一節で大聖人が示されているのは、三種の「財」の順序、すなわち明確な価値基準です。
今、金吾が置かれている状態は、所領没収の危機の中にあります。もちろん、所領などの財産自体が、生活の糧として大事なことは言うまでもありません。
しかし「蔵の財」「身の財」にもまして、「心の財」を積むことが一切の勝利の根本となります。
これまで、金吾が信心根本で戦ってきたことは「心の財第一」にあたります。それゆえに、まず第一歩は勝利した。だからこそ大聖人はあえて、今後とも変わらない普遍的な勝利への指針として、ここに明確に示されたのでしょう。
そして「心の財」を根本とした時に、実は「蔵の財」も、「身の財」もその真実の価値を正しく発揮することができるのです。一言で言えば「心の財を築く」という人生の根本目的が大事です。この根本目的を喪失してしまえば、たとえ「蔵の財」や「身の財」をもっていようとも、それらへの執着が生ずる。それは失うことへの不安ともなり、かえって苦しみの因となる。あくまで大事なのは、「心の財」を積み上げていくことです。ここに正しい人生の目的観があります。