曽谷入道殿御返事(如是我聞の事)

曽谷入道殿御返事(如是我聞の事)

 建治3年(ʼ77)11月28日 56歳 曽谷教信

(Ooh) Like a hidden truth inside the sutra’s core. A whispered title you can’t ignore (Yeah, yeah) IT’S THE HEART OF EVERYTHING YOU KNOW. THE UNSEEN POWER THAT WILL HELP YOU GROW. EVEN IF YOU DON’T KNOW WHAT IT MEANS. IT’S THE SOUL THAT’S LIVING IN BETWEEN. IT’S THE HEART OF EVERYTHING YOU KNOW. IT’S THE HEART OF EVERYTHING YOU KNOW (Yeah)

背景と大意

「如是我聞(かくのごとく、われきけり)」は、多くの経典の冒頭に現れる句です。経典は、釈尊の教えが弟子たちによってまず記憶され、後に文字として記録されたものです。したがって、この句は経典という形で書き記されようとしている内容の信憑性を証言するものですが、大聖人はここでそのより深遠な意義を明かされています。天台大師は「『是』とは仏より聞く所の法体の辞なり」と述べました。各経典の法体(本質)は、その題目によって表されます。そして法華経の題目・法体である「妙法蓮華経」こそが仏法の最高峰の教えです。ゆえに妙楽大師は天台大師の言葉を解説し、「是れ若し八教の外の法に非ずんば、豈に当経の教体と作らんや」と述べました。

本抄において日蓮大聖人は、法華経の題目である「妙法蓮華経」が法華経のみならず、一切経の精髄であることを強調されています。大聖人はそれを「八教の網目」を手繰り集める「網の綱(大綱)」に例えられています。これはまた、法華経の立場から見れば、他のすべての経典や教えも価値を持ち、法華経の真髄である南無妙法蓮華経を説明し弘めるために用いることができるということを意味します。

最後に大聖人は、『法華玄義』序文に対する章安大師の解釈を引用し、「妙法蓮華経は文でも義でもなく、法華経全体の深心(肝要)である」と結論づけられています。

また本抄は、人々がなぜ法華経の題目という最も深遠な法理を信じようとしなかったのかについても説明しています。人々は諸教の優劣・高低に基づいてその重要性を把握できず、教えを説く僧の身分や地位によって判断してしまったのです。この妙法蓮華経の法を説いたのは、名声ある高僧たちではなく、身分の卑しい僧侶である日蓮大聖人その人だったからです。

タイトルとURLをコピーしました