本文
人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、
現代語訳
人間として生まれてくることは、難しいことであり、爪の上の土のように、わずかな存在である。また、たとえ人間として生まれてきても、その身を持つことは難しく、太陽が昇れば、すぐ消えてしまう草の上の露のようにはかないものである。たとえ、百二十歳まで長生きしても、汚名を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげる事こそ大切である。
講義
真の人生の勝利者たれ
「爪の上の土」よりも受けがたい人身。
「草の上の露」よりも持ちがたい人身。
大聖人は、人間として生まれたこの一生がどれほど、かけがえのないものであるが、さらには、人間として生きているこの一日が、今という一瞬が、どれほど貴重なものであるかを示されています。
「120まで生きて名を汚して死ぬよりは、生きて1日でも名をあげることが大切である」との仰せは、人生の価値は、何によって決まるのかを教えられています。人生の目的を何に定め、それに向かってどのように前進したのか。そこから人間として生きる「価値」が生まれます。
このことを踏まえて大聖人は、四条金吾の根本的な勝利のために、具体的な指標として、「主の御ためにも仏法の御ためにも 世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」とよびかけられています。
具体的には、主君との信頼関係の再構築、信仰者としての不退の実践、世間からの信用という三つの勝利が必要であると示されています。
この三つに、仏性の内薫という「仏の宝」が輝いているのです。言い換えれば、人間として生きるすべての局面において、仏性の輝きを放つときこそ、真の勝利であるということです。
そして、その勝利の証しとして「よかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」と示されています。
これは、仏法者の勝利の実証の姿として重要な指針です。すなわち、根本的な勝利とは、人々が「よかりけり・よかりけり」と賞讃せずにはいられない。また、一人一人がこうした信頼を勝ち得ることが広宣流布の戦いであるともいえるでしょう。
周囲から「よかりけり」と賞讃されることは、仏法者としての「人間性の力」以外の何ものでもありません。「心の財」の力があるゆえに、人々から信頼され、模範の存在として高い評価を得る。仏性が人間性の輝きとして現れ、その素晴らしさが、信頼をしていない人々の心をも打っていく「あの人は、どこか違う。輝いているものを持っている」という信用を得ることが、仏法の確かな実証です。
金吾にとって、主君や、主君の一族、同僚、兄弟、同志といった、自身を取り巻く人間関係は、決して順調とはいえなかった。一本気な性格が災いしていた面もあるでしょう。しかし、そうした課題を解決せずに信仰の勝利者には、なれない。
それゆえに、たえず心を磨き、大いなる人間革命の実証を示して、鎌倉門下の中心者として模範のリーダーに成長してほしい。深い人生を勝ち抜いてほしい。この師匠の慈愛が「鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」との御指導に込められていると拝されます。