崇峻天皇御書(三種財宝御書)

崇峻天皇御書(三種財宝御書)

 建治3年(ʼ77)9月11日 56歳 四条金吾

背景と大意

本抄は、建治3年(1277年)9月、身延において認められ、鎌倉に住む四条中司三郎左衛門尉頼基(通称・四条金吾)に宛てられたお手紙です。

文永11年(1274年)頃から、四条金吾は主君である江間氏を大聖人の教えに帰依させようと折伏を重ねていました。しかし江間氏は良い反応を示さず、かえって金吾の所領を削り、遠く離れた越後国へ左遷すると脅しました。また、同僚たちは金吾に関する中傷や悪評を言いふらし、建治3年(1277年)6月、天台宗の僧・竜象房が大聖人の弟子・三位房に論破された「桑ヶ谷問答」において、金吾が騒動を煽ったとして訴えられてしまったのです。

日蓮大聖人は四条金吾に注意を促し、こうした厳しい状況下における最善の振る舞いについて具体的に指導されています。同年の暮れ、主君の江間氏が病に倒れると、金吾は医術の知識を生かして治療にあたり、主君の病を治しました。主君は大変感謝し、翌1278年には金吾の所領を元に戻し、後にさらに領地を加増しました。

本抄の冒頭で、大聖人は金吾に対し、主君への恩義を忘れてはならないと強調され、自身の内面における根本的な変革が、必然的に周囲の環境の変化をもたらすという仏法の法理を示されています。また、竜の口の法難で大聖人が処刑されそうになった際、金吾が共に死ぬことを誓ったことに触れ、今、金吾が厳しい試練に直面している中で、大聖人自身も彼を守るためにあらゆる力を尽くしていると認められています。そして、人間として生まれ、正法に巡り合うことができた幸運に感謝し、「心の財」を積み、人々の尊敬を勝ち得るべきであると教えられています。最後に、崇峻天皇などの歴史的な先例を引きながら、仏法者として日常の振る舞いを立派にし、他者への思いやりを持つべきであることを指導されています。

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