第一章(内薫外護の法門を挙げる)
本文
白小袖一領・銭一ゆい、また富木殿の御文のみ。なによりも、かき・なし・なまひじき・ひるひじき、ようようの物うけ取り、しなじな御使いにたび候いぬ。
さては、なによりも上の御いたわりなげき入って候。たとい上は御信用なきように候えども、とのその内におわして、その御恩のかげにて法華経をやしないまいらせ給い候えば、ひとえに上の御祈りとぞなり候らん。大木の下の小木、大河の辺の草は、正しくその雨にあたらず、その水をえずといえども、露をつたえ、いきをえて、さかうることに候。これもかくのごとし。阿闍世王は仏の御かたきなれども、その内にありし耆婆大臣、仏に志ありて常に供養ありしかば、その功大王に帰すとこそ見えて候え。
仏法の中に内薫外護と申す大いなる大事ありて宗論にて候。法華経には「我は深く汝等を敬う」、涅槃経には「一切衆生ことごとく仏性有り」、馬鳴菩薩の起信論には「真如の法、常に薫習するをもっての故に、妄心即ち滅して、法身顕現す」、弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり。かくれたることのあらわれたる徳となり候なり。
現代語訳
白小袖一枚、銭一結、また富木殿のお手紙にある果物、なによりも柿と梨、また生ひじき、干ひじき等の様々の物を受け取り、品々を御使の方から頂戴しました。
さて何よりも、主君・江馬氏の御病気のことは、嘆かわしく思っております。たとえ主君は法華経を信仰していないようであっても、あなたが主君の内にあって、その御恩のおかげで法華経を供養しておられるのであるから、その功徳はひとえに主君の病気平癒のための祈りとなるであろう。
大木の下の小さな木や、大河のほとりの草は、直接雨にあたることがなく、直接水を得ることがなくても、自然に露を伝え、水気を得て栄えるのである。
あなたと御主君との関係も、この通りである。
阿闍世王は釈迦仏のかたきであったが、その身内の耆婆大臣が釈迦仏を信じて常に供養していたので、その功徳が阿闍世王に帰したと説かれている。
仏法の中に、内薫外護という大事な法門があり、これは仏教の要めの原理である。
法華経不軽品には、「我れ深く汝等を敬う」とあり、涅槃経には「一切の衆生は悉く仏性がある」とあり、馬鳴菩薩の著わした起信論には「真如の法が常に薫習する故に、妄心が即滅して、法身が顕現するのである」と説かれ、また弥勒菩薩の著わした瑜伽論に、同じようなことが説かれている。隠れた行ないが、外に現われた徳となるのである。
語釈
白小袖
小さい袖の衣服。袖が筒状であったので、小袖といい、もとは下着であったが、のちに表着として用いられた。
一領
領は「くび」「えり」の意味。衣服の首を囲むところから、転じて衣服を数える単位になった。
一ゆひ
銭の中央の穴に紐を通して、一連にしたもの。ほぼ百文単位にして結んだものを、「一結」とか「一さし」とか呼んだ。
なまひじきひるひじき
ひじきの生と乾燥したもの。
阿闍世王
梵語アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳される。釈尊在世における中インドのマガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿仏経疏によると、父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ、山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろうと予言した。そこで王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ、占い師は「男子が生まれるが、その子は王のとなるであろう」と予言したので、やがて生まれた男の子は未だ生まれないときから怨(うら)みをもっているというので未生怨と名づけられた。王はその子を恐れて夫人とともに高い建物の上から投げ捨てたが、一本の指を折っただけで無事だったので、阿闍世王を別名婆羅留枝ともいう。長じて提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って殺そうとするなどの悪逆を行った。後、身体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど、仏法のために尽くした。
耆婆大臣
耆婆とは、梵語でジーヴァカ(Jīvaka)という。祇婆、時婆、耆域と音写し、活、命、能活、固活、更治、寿命等と訳す。得叉尸羅の賓迦羅について、医学を七年間学んで摩竭提(まかだ)国に帰り、難病を治して医王の名をあげた。阿闍世王に大臣として仕え、王が父を殺し母の韋提希(いだいけ)を殺そうとしたのを月光大臣とともに諌め、後に王が身に悪瘡ができたときは釈迦に帰依して信心し懺悔する以外にないと勧め、ついに帰依させた。
内薫外護
一切衆生の生命に内在する仏性が内から薫発して、仏性を覆いかくすもろもろの妄念を払いのけて顕現することを内薫という。さらにこの内薫に対応し、外から自己を護り助ける働きがあらわれる。これを外護という。妙楽の摩訶止観輔行伝弘決第四に「内薫に非ざるよりは何ぞ能く悟りを生ぜん、故に知んぬ、悟を生ずる力は真如に在り、故に冥薫を以て外護と為すなり」とある。
宗論
①経を総括して法義を立てて、宗旨とすること。②宗派間の論議のこと。勝劣・真偽を決定する法論。
我深く汝等を敬う
法華経常不軽菩薩品第二十には「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」とある。不軽菩薩は威音王仏の滅後、その像法時代に二十四文字の法華経を弘めて、いっさいの人々をことごとく礼拝してきた。ときに国中に謗法者が充満しており、悪口罵詈また杖木瓦石の迫害をうけた。しかし、いかなる迫害にも屈することなく、ただ礼拝を全うしていた。こうして不軽菩薩は仏身を成就することができたが、不軽を軽賤した者は、その罪によって千劫阿鼻地獄に堕ちて、大苦悩をうけ、この罪を畢え已って、また不軽菩薩の教化を受けることができたという。なお、不軽菩薩を末法今時に約して、御義口伝(0766)に「過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類は不軽なり云云」とある。
一切衆生悉く仏性有り
「一切衆生・悉有仏性」のこと。生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており、すべて悟りうるという仏教の思想。諸説もあって、なかには仏性をもたないものもありうるとする説 (法相宗) 、草木などの精神性をもたないものにまで仏性があるとする説 (天台宗) 、精神性をもたないものは仏性をもたないとする説 (華厳宗) などがある。
馬鳴菩薩
付法蔵の第十二。仏滅後600年ごろに出現し、大乗教をおおいにひろめた。梵名はアシュヴァゴーシャ(Aśvaghoṣa)。はじめ婆羅門の学者として一世を風靡し、議論を好んで盛んに仏教を非難し、負けたならば舌を切って謝すと慢じていたが、富那奢に論破され屈服して仏教に帰依し弘教に励んだ。馬鳴の名は、過去世に白鳥を集めて白馬を鳴かせて、輪陀王に力を与え、仏法を守ったためといわれる。著書には「仏所行讃」五巻、「犍稚梵讃」1巻、「大荘厳論」15巻等がある。
起信論
「大乗起信論」のこと。馬鳴著と伝えるが,中国撰述の疑いもある。五世紀頃の成立か。大乗仏教の代表的概説書。大乗に対する正しい信心を起こさせることを目的とし,心を本来の面(心真如門)と活動の面(心生滅門)の二面から考察する。
真如の法常に薫習するを以ての故に妄心即滅して法身顕現す
一切衆生にそなわるべき性分を仏性とも真如ともいい、この仏性が熏発することによってこれを覆い隠している妄心を滅し、法身を顕現させることが内熏である。この法身の顕現によってまた内からの熏発を外護することになる。
弥勒菩薩
慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。
瑜伽論
法相宗所依の論。瑜伽師地論、ヨーガーチャーラ・ブーミ(Yogācārabhūmi-śāstra)。弥勒説・玄奘訳百巻。瑜伽は相応と訳す。一切の境・行・果・教が互いに相応することをいう。師地は、三乗の行者が聞思等によって次第に瑜伽を修習して境界を深め、それぞれの分に従って諸の有情を教化することをいう。瑜伽論の所行の境界には、第一・五識身相応地から第十七・無余依地までの十七地がある。十七地は以下の通り。1.五識身相応地、2.意地、3.有尋無伺地、4.無尋唯伺地、5.無尋無伺地、6.三摩哂多地、7.非三摩哂多地、8.有心地、9.無心地、10.聞所成地、11.思所成地、12.修所成地、13.声聞地、14.独覚地、15.菩薩地、16.有余依地17.無余依地。
講義
この手紙は建治3年(1277)9月11日の日付けになっている。内容は、主君・江馬氏が病気になったのに対し、一応は正法の実践者である四条金吾を迫害したための罰であることを指摘されながら、いよいよ四条金吾自身は心を引きしめ、身を慎しむよう、短気から軽率な行動をとらないよう戒められている。そして、忍耐が大事であることを教えるために、短気のため身を滅ぼした崇峻天皇の故事を例に引かれているので、「崇峻天皇御書」と名づけられているのである。
なお、江馬氏が病気になったことに関連して想起すべきことがある。それは、同年7月に四条金吾に与えられたお手紙のなかで「大事の御所労を法華経の薬をもつて・たすけまいらせて給て候所領なれば召すならば御所労こそ又かへり候はむずれ」(1164:12)と、奉行人にいっておくよう書かれていたことである。2ヵ月後に、まさにその通りになったのである。
それだけに、四条金吾がこのことを、うっかりして口に出す恐れは多分にある。もし、そうなれば、主君の怒りもさることながら、金吾を快く思わない同僚のなかには、金吾の命をねらう者さえ出てこないとは限らない。この点を、大聖人は憂慮されて、このお手紙を書き、厳重に戒められているのである。
まして、大聖人のお心は、この段にも「さてはなによりも上の御いたはりなげき入って候」と仰せられているように、決して予言した通りになったからとか、現罰が明々であるとか、悦んではおられない。どこまでも苦しんでいる当人、たとえ、それが仏法に敵対している人であろうと、その人の苦しみを我が苦しみとして、深く心配されているのである。われわれは、真に仏法を信じ実践する人の精神をそこに学ばなければならない。
さらに、仏法の哲理の上からいって、四条金吾が大聖人に種々御供養をし、仏法のために活躍できるのも、ひとえに、主君・江馬氏が金吾に恩顧をかけてくれている故である。いいかえれば、それは、もとをただせば主君・江馬氏から出たものといっても過言ではない。したがって、金吾が積んだ妙法の功徳は、全て江馬氏の上にも還っていくのである。
このことは、ひるがえっていえば、現代の民主主義社会にあっては、個人の信心実践の功徳が、この社会全体の繁栄として反映されていく、との原理を示している。個人の仏法による実証は、その人個人にとどまることなく、家族に地域社会に、ひいては人類社会全体にまで影響していくのである。なぜなら、個人は社会の測り知れない恩恵によってその存在を支えられているからである。
仏法の中に、内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候
内薫外護とは、読んで字のごとく「内より薫じ外より護る」ということである。いまの四条金吾の場合についていえば、四条金吾は江馬家の家臣である。四条金吾が、江馬氏のもとに生活を全うできることを感謝し、また江馬氏のおかげで法華経に供養することもできるのだと達観していくならば、それが、ひるがえって、江馬氏も、この金吾を大事にし、ひいては妙法の信仰を外護する働きを果たしていくことになる。金吾の内より発する信心と感謝の念が、江馬氏の外より護る浄らかな生命の働きを呼び起こしていくこととなるのである。
もとより、内薫外護という言葉の本来意味したものは、法華経不軽品、涅槃経、起信論の文を引かれているように、個人における仏性の顕現の原理を示している。すなわち、あらゆる衆生の生命に、もともと仏性が内在しており、これを内より薫発することによって、周囲の人々や現象も、この顕れはじめた仏性の強化を助ける作用をするというものである。
ただ大事なことは、根本はあくまで内薫という、自己の生命の変革、自己の開発にあるという点である。その反映として〝外護〟の面があらわれる。〝内薫〟を忘れて〝外護〟のみを求めるのは、本体を忘れて影を求めるに等しい。これは、個人における成仏の道においても、一家の変革においても、社会、世界の変革においても、相通ずる大事な一点であることを忘れてはなるまい。