崇峻天皇御書(三種財宝御書)

第五章(主君の信頼は法華経の故なるを示す)

本文

竜象と殿の兄とは殿の御ためにはあしかりつる人ぞかし天の御計いに殿の御心の如くなるぞかしいかに天の御心に背かんとはをぼするぞ設い千万の財をみちたりとも上にすてられまいらせ給いては何の詮かあるべき・已に上にはをやの様に思はれまいらせ水の器に随うが如くこうしの母を思ひ老者の杖をたのむが如く・主のとのを思食されたるは法華経の御たすけにあらずや、あらうらやましやとこそ御内の人人は思はるるらめ・とくとく此の四人かたらひて日蓮にきかせ給へさるならば強盛に天に申すべし、又殿の故・御父・御母の御事も左衛門の尉があまりに歎き候ぞと天にも申し入れて候なり、定めて釈迦仏の御前に子細候らん。

現代語訳

竜象房とあなたの兄は、あなたのためには悪い人であった。そこで諸天の御計いによって、あなたの思う通りになったのである。しかるに、どうしてあなたは諸天の御心に背こうなどと思われるのであろうか。たとえ千万の財宝を得たとしても、主君にすてられてしまっては、何の意味もないではないか。

すでにあなたは主君からは親のように思われ、ちょうど水が器に随い、仔牛が母を慕い、また老人が杖をたよりにするように、主君があなたのことを信頼されているのは、法華経の偉大な力に守られているからにほかならないではないか。同僚の人々は、定めて羨ましいと思っていることであろう。早くこの四人と語りあって味方とし、その由を日蓮に聞かせなさい。そうするならば、日蓮もあなたのために、強盛に諸天の加護を祈りましょう。

またあなたのなき御父、御母のことも「左衛門尉が、非常に歎いております」と、諸天に申しいれてあります。必ず御本尊のおぼえもめでたいことであろう。

語釈

殿の兄

金吾の兄。法華経を信ぜず、あるいは竜象房に心をよせていたとも思われるが不詳。

故御父御母

金吾の父・中務頼員と母のこと。頼員は、北条朝時と、その子光時の二代にわたってつかえた。寛元4年(1246年)に光時が幕府の実権を奪おうとした陰謀に関係しているとの罪で、伊豆に流されたとき、多くの家臣が離れていったなかにあって、伊豆の国まで供奉した忠臣である。建長5年(1253)3月28二日になくなっている。母は、文永7年(1270)7月日に没しており、金吾とともに法華経を信じていたと思われる。

講義

四条金吾に敵対していた人々が敗れ、主君・江馬氏も金吾を頼らざるを得ない事態になってきていることは、すべて諸天のはからいでそうなってきたのである。したがって、いま短気を起こしてしまったならば、この諸天のはからってくれたことを壊すことになる。しかも、主君に捨てられてしまうということは人間としての敗北である等々と、さらに具体的に指導されている。ここは、とくに、これまで積みかさねられてきた一つ一つの勝利の成果を大事にしなければならないことを教えられている。

設い千万の財をみちたりとも、上にすてられまいらせ給いては、何の詮かあるべき

「上にすてられる」とは、主君・江馬氏からの信用を失ってしまうことである。四条金吾のように封建的な主君に仕える立場の場合には、それは一人の封建君主であるが、広く現代的な意味からいうと〝上〟とは社会にほかならない。したがって「上にすてられる」とは、社会的信用を失うということと理解すべきである。つまり、この文は、物質的な富よりも、社会的信用、一個の人間として、社会から信頼されることが大事であることを教えたものなのである。

どんなに巨富を積もうと、社会にあって人々から信用されない人は、寂しい。人から信頼されるということは、精神的な豊かさをもたらす。物質的な豊かさは、決してそのまま精神的な豊かさをもたらしはしない。もちろん、物質的な豊かさも、ある面で精神的豊かさを助ける条件にはなりうる。しかし、ほんとうの精神的豊かさは、物質によってではなく、人間の心によってのみもたらされるのである。ここに「社会的信用」を強調される所以がある。

とくとく此の四人かたらひて日蓮にきかせ給へ。さるならば強盛に天に申すべし

「此の四人」とは、すでに述べられてきたように、信心の故に地位を失い、いま四条金吾の身辺警護にあたっている人々である。したがって、四条金吾と生死を共にする人々ともいえる。大聖人は、四条金吾の無事を祈っておられるわけであるが、それには、金吾と常によりそい、生死を共にする人々と金吾が異体同心でなければならない。

このゆえに、四条金吾が、これらの人々と語り合い心のつながりを固めて、それを大聖人に報告するように指示されているのである。「異体同心事」の「異体同心なれば万事を成し」(1463:02)の有名な御文を思い浮かべるべき御指導である。

タイトルとURLをコピーしました