第四章(同志の団結を強調)
本文
返す返す御心への上なれども末代のありさまを仏の説かせ給いて候には濁世には聖人も居しがたし大火の中の石の如し、且くは・こらふるやうなれども終には・やけくだけて灰となる、賢人も五常は口に説きて身には振舞いがたしと見へて候ぞ、かうの座をば去れと申すぞかし、そこばくの人の殿を造り落さんとしつるにをとされずして・はやかちぬる身が穏便ならずして造り落されなば世間に申すこぎこひでの船こぼれ又食の後に湯の無きが如し、上よりへやを給いて居して・をはせば其処にては何事無くとも日ぐれ暁なんど入り返りなんどに定めて・ねらうらん、又我が家の妻戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下か・天井なんどをば、あながちに・心えて振舞い給へ、今度はさきよりも彼等は・たばかり賢かるらん、いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ、いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ。
義経はいかにも平家をば・せめおとしがたかりしかども・成良をかたらひて平家をほろぼし、大将殿は・おさだを親のかたきとをぼせしかども平家を落さざりしには頸を切り給はず、況や此の四人は遠くは法華経のゆへ近くは日蓮がゆへに命を懸けたるやしきを上へ召されたり、日蓮と法華経とを信ずる人人をば前前・彼の人人いかなる事ありとも・かへりみ給うべし、其の上殿の家へ此の人人・常にかようならば・かたきはよる行きあはじと・をぢるべし、させる親のかたきならねば顕われてとは・よも思はじ、かくれん者は是れ程の兵士はなきなり、常にむつばせ給へ、殿は腹悪き人にてよも用ひさせ給はじ、若しさるならば日蓮が祈りの力及びがたし、
現代語訳
返す返すもこのような事は心得ておられる事ではあるが、末代の世情を仏は「濁悪の世には聖人であっても、世にあることは難しい。大火の中の石のようなものでしばらくは堪えているようであるが、終には焼け砕けて、灰となってしまうのである。賢人も仁・義等の五常を口には説くが、それをわが身に実行することはむずかしい」と説かれている。世のことわざにも、「高い地位についたら、長居をするな」というではないか。
たくさんの人々があなたを陥れようとしたのに陥れられず、もはや勝利を収めた身であるあなたが、もし短気をおこし穏かでなくして、陥れられるようなことがあったならば、世間にいわれるところの精出して漕いできた船が、もう少しで岸に着くところを覆えるようなものである。また、食事の後に湯がないようなものであり、残念なことである。
主君の屋敷では、部屋を与えられ、そこにいるのであるから、そこでは何事もないが、日暮れの帰宅、早暁の出仕などの際には、必ずねらうであろう。また自分の家の妻戸の脇や、持仏堂、家の中の板敷の下とか、天井などには、よくよく心をくばって振舞いなさい。
今度は前よりも彼等の謀りごとは、巧みになるであろう。何といっても、鎌倉の荏柄の夜廻りの人達ほど力になる者はいない。どんなに心に合わぬことがあっても、彼等と親しく交わっていきなさい。
源義経は、平家を攻め落とすことは全く難しかったが、平家方の阿波(徳島)の豪族・田口成良を味方にひきいれて、平家を亡ぼした。また頼朝は、長田忠致を親のかたきと思っていたが、平家を攻め落とすまでは、その首を切らなかった。
いわんやこの夜廻りの人達四人は、遠くは法華経のために、また近くは日蓮のために、命をかけて得た屋敷を、お上に召しあげられてしまったのである。このように日蓮と法華経を信ずる人々に対しては、以前にその人々にどのようなことがあったとしても、心にかけてあげなさい。その上、あなたの屋敷へこの人々が出入りするならば、敵も、夜行きあわないようにと、恐れるであろう。彼らにしても、親のかたきというわけではないから、よもや表ざたになってもよいとは思わないであろう。人目をはばかる者には、この四人ほど頼りになる兵士はいないであろう。常に仲睦まじくしなさい。あなたは短気な性質であるから、こういってもよもや用いないであろう。もし、そうであるなら、日蓮の祈りの力も及ばぬことである。
語釈
聖人
①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。
賢人
賢明で高い人格をもった指導者。聖人が独創的な開拓者であるのに対し、賢人はそれをひきついでいく人を指す。仏法の上では聖人である仏の教えを守り、弘めていく人が賢人といえる。
五常
儒教で説く人の常に守るべき五つの道をいう。五倫、五行ともいう。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝の道があると説く。また白虎通義は五常として「仁・義・礼・智・信」を明かし、孟子は「父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」をあげている。
かうの座をば去れ
かうは甲。十干の第一であるところから、ものごとの他に勝れる時に用い、最上をあらわす。そうした名誉ある上の座が甲の座で、そこを去れというのは、そのような席に居ると、自ら心のおごりたかぶることもあろうし、他人のねたみをかうことにもなるから、いつまでも長居をしてはいけないという意味である。
妻戸
①殿造りで、建物の四隅に設けた外側に開く両開きの板戸。掛け金でとめる仕組みになっている。②両開きの板戸。端に設けた戸の意。
持仏堂
日常的に礼拝する仏像や位牌を安置する堂。念誦堂とも呼ばれ、僧侶のみが礼拝する場合は内持仏堂とも呼ぶ。一般世人の家では、仏像や位牌を安置する仏間、あるいは仏壇を指して持仏堂と言うこともある。
えがら
現在も鎌倉市二階堂に、荏柄の地名がある。もとは郷名で、大蔵ケ谷、扇ケ谷を含む。鎌倉幕府の館も、八幡宮の若宮大路も、この郷内にあったようである。
義経
源義經は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。
大将殿
(1147~1199)源頼朝のこと。鎌倉幕府初代将軍。清和源氏の嫡流・義朝の三男。右近衛府の長官である右近衛大将になったことから右大将と呼ばれた。平治の乱に敗れて逃げる途中、平氏にとらえられて伊豆へ流された。治承4年(1180)に以仁王の命旨を受け、北条時政の援助を得て挙兵したが、石橋山の合戦で平氏に敗れ、安房に逃れた。再起を図って間もなく勢力を回復し、富士川で平氏に大勝、後、鎌倉に居を構え、関東各地を固め、武家政権の基礎の確立を図った。以来、弟の範頼・義経らを西進させて木曽義仲を討ち、文治元年(1185)壇ノ浦で平氏を滅ぼした。ついで朝廷の信任を得た義経を追放し、その追補を理由に諸国に守護・地頭を設置し、武家政権を確立した。文治5年(1189)には藤原泰衡を討って奥州を勢力下に入れた。建久元年(1190)、上洛して権大納言・右近衛大将に任じられ、同3年(1192)征夷大将軍となって鎌倉幕府を開いた。
おさだ
尾張(愛知県)野間内海荘と駿河(静岡県)長田荘の在地領主で,長田荘司と称した。平治の乱に敗れた源義朝が郎党鎌田政家の舅忠致の家に身をよせるが,忠致は裏切って義朝と政家を謀殺した。のち壱岐守となる。
かくれん者
隠れようとする者。
講義
「返す返す御心への上なれども」と断わられて、末法の人間の心がいかに濁っているか、そのなかで特に周囲から憎まれている四条金吾は、いかに振舞うべきかを懇切丁寧に指導されている。
濁世には聖人も居しがたし……且くはこらふるやうなれども、終にはやけくだけて灰となる。賢人も五常は口に説きて、身には振舞いがたし云云
聖人・賢人を対にして用いることは、中国からの伝統で、御書のなかでも、しばしば出てくる。一般的な意味でいわれる「聖人」とは、その人の言動がおのずから人間としての崇高な理想をあらわしており、それが後世の人々に対して手本となるような存在をいう。「賢人」とは、そうした聖人の理想やその教えを受けついで、これを世の人々のために説き伝える人のことをいう。
したがって「聖人」が、色心・言行ともに崇高な徳をあらわしているような場合に名づけられるのに対し、「賢人」は〝言〟と〝行〟とが必ずしも一致していない場合がある。この違いを踏まえて、大聖人はこのように述べられているのである。
すなわち、言行共に高徳であるべき〝聖人〟といえるような人は、人々の心がすさみ、生命が濁りきっている世の中では、まず存在しがたい。「且くは」とは、ある意味で「理想にもえ、情熱にあふれた青年の時には」とも読める。その若い間は、理想をかかげ、そのように振舞いもするが、四十歳、五十歳と年をとってくるにつれて、熱もさめ、理想もどこかへ消えて、自己の生存のため、名聞名利のために振舞うようになってしまう。「やけくだけて灰となる」のである。
また〝賢人〟の場合は、言葉で理想を説けばよいのであるから、その意味では、いつまでも〝賢人〟でいることはできる。しかし、濁世にあっては、とうてい、自らの言うとおりに自ら行動することはできず、人々も、実行不可能であることを知って、やがては、その言葉にも耳を傾けなくなってしまうであろう。
このことを通して大聖人が教えられていることは、そうした濁世にあっては忍耐が大事であるということである。短気を起こして自己の主張を通そうとしても、そのために世間の邪悪な攻撃を激化させ、集中させることになり、自ら崩れ去っていくばかりだからである。正義を貫くのに忍耐などということは卑劣であるように受けとられるかも知れないが、六波羅蜜のなかにも〝忍〟があげられているように、また「忍辱の鎧を着て」と教えられるように、正義を貫くためにこそ〝忍〟が大事になってくるのである。
日蓮と法華経とを信ずる人人をば、前前彼の人人いかなる事ありとも、かへりみ給うべし
日蓮大聖人は人法一箇の御本仏である。ゆえに法華経すなわち南無妙法蓮華経の大法と並べて〝日蓮〟と名を示していらっしゃるのである。末法万年において、否、久遠元初以来のいつの時代においても、宇宙のどこにあっても、妙法と連ねて、自分のために命をかけ、信じ通した人は尊いといい切れる人は、日蓮大聖人以外にはない。
もとより、人間の生命は尊厳であるから、誰びとであれ、その生命を尊び、生命を守るために自らの生命をなげだすことは、人間として最も尊い行為である。しかし、自分のためにと自らこのように言う資格ある人は、人法一箇の仏以外にはありえないのである。もし、大聖人以外にそのように言い他人に強制する者があったとすれば、それは、たとえばヒトラーのような独裁者の論理であろう。このように、人間はみな平等に尊い存在であって、一人の人間のために、生命と人間としての誇りを犠牲にさせられるようなことがあってはならないのだという徹底した人間主義のみが、ファシズムの危機に陥ることを防ぐ、唯一の根本的なブレーキなのである。
殿は腹悪き人にて、よも用ひさせ給はじ。若しさるならば、日蓮が祈りの力及びがたし
大聖人の愛弟子を思う慈悲は無限であり、その幸せを祈る力は絶大である。しかし、それを受ける弟子が、真に大聖人を信じ、かつ大聖人の教えどおりに実践しなければ、大聖人の慈愛も、祈りの力も、あらわれることはない。いわゆる大聖人の慈愛は〝仏力〟であり、その祈りの力は〝法力〟である。弟子の大聖人を信ずる力は〝信力〟であり、教えどおり実践する力は〝行力〟である。仏力・法力といえども、信力・行力により、それに応じてあらわれるのである。信力・行力が無限大であれば、無限大の仏力・法力があらわれる。
したがって、秘められた仏力・法力は絶対的であるが、それがどれだけあらわれるかは、信力・行力によるのであり、相対的なものなのである。仏の力、仏法の力が絶対だというのも、この関係をよくわきまえて理解されなければならない。なにもしないで、仏力・法力が自らあらわれ、働くということはない。それでは〝人間不在〟であり、これは、全知全能の神の恣意的な力の発現を説く一神教的宗教の特質である。仏教は、人間を焦点においた、人間主体の、全くこれらとは異なる偉大な宗教なのである。