常忍抄

第六章(了性等は師子王の前の蚊虻)

本文

此れより後は下総にては御法門候べからず了性・思念を・つめつる・上は他人と御論候わば・かへりてあさくなりなん、彼の了性と思念とは年来・日蓮をそしるとうけ給わる、彼等程の蚊虻の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずしてうはのそらに・そしる程のをこじんなり、天台法華宗の者ならば我は南無妙法蓮華経と唱えて念仏なんど申す者をば・あれはさる事なんど申すだにも・きくわいなるべきに其の義なき上・偶申す人をそしる・でう・あらふしぎふしぎ、大進房が事さきざき・かきつかわして候やうに・つよづよとかき上申させ給い候へ、大進房には十羅刹のつかせ給いて引きかへしせさせ給うとをぼへ候ぞ、又魔王の使者なんどがつきて候いけるが・はなれて候とをぼへ候ぞ、悪鬼入其身はよも・そら事にては候はじ、事事重く候へども、此の使いそぎ候へばよるかきて候ぞ、恐恐謹言。

       十月一日                        日蓮花押

現代語訳

 これよりのちは下総においては法論すべきでない。了性房や思念房を論詰したうえは、他の人と法論したならば、かえって浅くなってしまうであろう。かの了性房と思念房は数年来、日蓮を謗っていると聞いている。彼等程度の蚊や虻のようにつまらぬ者が、日蓮ほどの師子王のごとき者を、聞きもせず見もしないで、いいかげんに謗るくらいの愚か者である。天台法華宗の者であるならば、自身は南無妙法蓮華経と唱えて念仏などを称える者のことを「あれは、あれでよい」などというだけでも奇怪であるはずなのに、奇怪だといわないばかりか、たまたま念仏の邪義を指摘する人を謗るということはまったくおかしなことである。大進房のことについては、前に書き送っておいたように、きわめて強く書き立てていいなさい。大進房には十羅刹女がつかれて引き返すようにされたのだと思われる。また第六天の魔王の使者などがついていたのが離れていったのだと思われる。「悪鬼がその身に入る」というのは、よもや嘘ではあるまい。いろいろのことがたくさんあるけれども、この使いが急いでいるので夜に書いた。恐恐謹言。

  十月一日               日 蓮  花 押

語釈

下総

 現在の千葉県北部および茨城・埼玉の一部を含む地域。

思念

 日蓮大聖人御在世当時に下総に住したと思われる天台宗の僧。

蚊虻

 蚊と虻。弱小なもの、つまらないもののたとえ。

天台法華宗

 天台大師が立てた法華宗。天台宗のこと。

十羅刹

 羅刹とは悪鬼の意。法華経陀羅尼品に出てくる十人の鬼女で、藍婆、毘藍婆、曲歯、華歯、黒歯、多髪、無厭足、持瓔珞、皐諦、奪一切衆生精気の十人をいう。陀羅尼品に「是の十羅刹女は、鬼子母、并びに其の子、及び眷属と倶に仏の所に詣で、同声に仏に白して言さく、『世尊よ。我れ等も亦た法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す』」とある。

悪鬼入其身

 勧持品に「濁劫悪世の中には、多くの諸の恐怖あらん、悪鬼其の身に入って、我を罵詈毀辱せん」とある。六道の一つである餓鬼道の衆生を鬼といい、天竜等の八部衆を神というが、この鬼神、天神、夜叉鬼等の類いを悪鬼という。人に対しては病気を惹き起こし、また思想の乱れを起こす。国家社会に対しては、天変地変や思想の乱れ等を惹き起こす働きをする。ここでは、法然・弘法等の邪宗の僧が、国家権力に取り入って、法華経の行者を迫害することをさす。兄弟抄には「第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経第五の巻に『悪鬼其の身に入る』と説かれて候は是なり」(1083:04)とある。

講義

終わりにあたって、天台の学僧・了性房を法論で破折したうえは、それ以外の者との法論はもはや無用であるとさとされ、蚊虻に等しい彼らは天台大師の本意すら弁えぬ奇怪な者であると断破されている。また大進房の信心の進退についてもお心を配られ、重ねて常忍に注意を喚起されている。

 本文にある思念という人物も、了性房同様、中山近在に住んでいた天台の学僧であろう。常忍等の折伏活動が活発化するにつれ、了性房とともに以前から日蓮大聖人を誹謗していたようである。

 しかし彼らは大聖人と直接会って法門を聞く勇気があるわけでもなく、ただ陰湿に弟子檀那を中傷・誹謗する、あたかも蚊虻のような動きをしていたのであろう。

 「彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(1190:08)と。また「師子王を吼る狗犬は我が腹をやぶる」(1525:03)である。まして野干、狗犬よりも劣る蚊虻の徒輩である。御自身を師子王になぞらえ、彼らを「おこじん」なりと鎧袖一触、歯牙にもかけない毅然たる態度を示されるなかに、末法の御本仏としての大確信が拝される。

 最後に、大進房の近況を伝える報告に対して指示されている。

 大進房は一度は大聖人門下に名を列ねながら、大聖人並びに門下一同を襲った弾圧の嵐に耐えかねて退転した人である。あるいは、本抄御述作の時点ではわずかでも正信にめざめる兆しがみられたのであろう。

 しかし、大聖人は状況の推移によって挙動を変える大進房の本質を見抜かれてか、けっして心を許すことなく、十分諌めるよう、常忍に注意を促されているのである。

 「悪鬼入其身はよも・そら事にては候はじ」とは、大進房の本心ではなく、悪鬼が其の身に入って動かしたのであろうとの意である。このように大きい慈悲に包容されたにもかかわらず、後年ふたたび退転し、弘安2年(1279)9月の熱原の法難の折には、謗徒に加担し、苅田狼藉という無実の罪で正信の農民達を捕えようとして落馬、それがもとで死亡したといわれる。

 大聖人は聖人御難事のなかで「大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるるか」(1190:05)と、正法の信を破った現罰なりと喝破されている。

 なお、同じ門下だった大進阿闍梨と大進房とを同一人物とする説が古来からあるが、大進阿闍梨は弘安2年(1279)8月以前に死去していることが、弘安2年8月17日御述作の曾谷殿御返事にみえており、両人は別人であろう。

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