第三章(正像末弘の第三法門を明かす)
本文
総じて御心へ候へ法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり、五五百歳は是なり、
現代語訳
総じて心得ておきなさい。法華経と爾前経と相対して勝劣浅深を判別するのに当分・跨節の立て分けに三つの仕方がある。日蓮が法門は第三の法門である。
世間においてはあらあら夢のように第一、第二については述べているけれども、第三の法門については述べていない。
第三の法門は、天台大師や妙楽大師や伝教大師もあらあらこれを説き示しているけれども、いまだ説ききっていない。結局、末法の今に譲り与えられたのである。五五百歳というのはこれである。
語釈
第三の法門
三重に秘伝された寿量文底の一念三千。
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
五五百歳
釈尊滅後の時代を500年ごと5つに区切って、仏法流布の時代的推移を説き明かした中の第5番目。この時代は、仏法者が互いに自宗に執着して他人と争い、釈尊の正しい仏法が隠没する時代でありこれを「闘諍言訟・白法隠没」という。また、この時代は末法の正法たる日蓮大聖人の仏法がおこる時代でもある。
講義
ここまで「寿量品」とのみ呼ばれてきたが、そこに意味されている正像末弘の法とは、文上の寿量品ではない。それについて「日蓮が法門は第三の法門なり」と寿量文底秘沈・独一本門の深義であることが示されるのである。
「当分・跨節の事に三つの様有り」と仰せのように、法華経と爾前経とを比較して勝劣・浅深を判釈するとき、当分・跨節の義に三つの分別・段階がある。
当分・跨節は仏法判釈に際して用いる基準の一つであり、当分とはその分、そのままの意で、ある範囲内で論じた場合のことをいう。
それに対し、跨節とは節を跨ぐ意で、一重立ち入ってさらに深く高次元から論じることである。また一往・再往・部分観・全体観ともいえる。
「三つの様」の
第一は、爾前経は当分であるのに対し法華経は跨節である。これ権実相対にあたり、日蓮大聖人の第一法門である。
第二は、法華経迹門は当分で、法華経本門は跨節である。これ本迹相対にあたり、第二法門である。
第三は、釈尊の脱益仏法は当分で、日蓮大聖人の下種仏法は跨節である。これ種脱相対であり、第三法門である。
この「第三の法門」について日寛上人は「宗祖出世の本意なり」と述べられているように、種脱相対を明確にし、末法弘通の大白法たる三大秘法の大御本尊を建立されることが、日蓮大聖人の御本意であるから「日蓮が法門」といわれているのである。
ところが他宗では、「三つの様」について古来から天台大師が説いた「三種の教相」ととらえ、そのうちの第三の「師弟の遠近・不遠近の相」をもって、大聖人の「第三の法門」にあたるとの解釈をしている。不相伝のしからしむところとはいえ、甚だしい邪義に堕しているのである。
天台大師の「第三」をもって「第三の法門」とするならば、本文で「第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず」とは仰せられるわけがないのである。
三種の教相と第三法門
天台大師の三種の教相とは、釈尊の法華経と爾前経とを比較して、その勝劣を三つの観点から述べたものである。
すなわち、法華玄義巻一上に「教相を三となす。一には根性の融・不融の相、二には化導の始終・不始終の相、三には師弟の遠近・不遠近の相なり、教とは、聖人、下に被らしむるの言なり、相とは、同異を分別するなり」とある。
これを日蓮大聖人の法門「三つの様」と比較すると「世間に粗夢の如く一二をば申せども」という天台大師第一の「根性の融・不融の相」および第二の「化導の始終・不始終の相」は、ともに日蓮大聖人の第一法門、すなわち権実相対に入る。なぜなら、天台大師の第一・第二はともに爾前経と法華経迹門との勝劣を述べたものだからである。
天台大師の第三である「師弟の遠近・不遠近の相」は、日蓮大聖人の第二法門、すなわち本迹相対に属するのである。
妙楽大師が釈籤で「前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約す」と釈しているように、あくまでも釈尊の仏法における権実・本迹を論じたものであって、天台大師がすでに明確に論じているところであるから「日蓮が法門」といわれるわけがない。
日蓮大聖人は、これらの第一、第二法門より一重深い種脱相対を立てられて「第三の法門」とされたのである。
したがって「第三の法門」とは、日蓮大聖人独自の正義であり、天台大師の教域の全く及ばぬとこれであるゆえに「日蓮が法門」といわれているのである。
「四条金吾殿御返事」に「今日蓮が弘通する法門は・せばきやうなれども・はなはだふかし、其の故は彼の天台・伝教等の所弘の法よりは一重立入りたる故なり、本門寿量品の三大事とは是なり」(1116:09)と仰せの「一重立ち入りたる」法門こそ、大聖人の「第三の法門」にほかならない。その法体は「寿量品の三大事」たる三大秘法の南無妙法蓮華経である。
この種脱相対すなわち下種益と脱益の仏法の相対こそ、末法下種の機と在世脱益の機との相対の意を含んでいる。
ゆえに「開目抄」では「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189:02)と仰せられ、観心本尊抄では「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249:17)と、また「御義口伝」では「此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す云云」(0753:第三我実成仏已来無量無辺等の事:07)と述べられているのである。
また、その法体の顕示や弘通は当然ありえないから「末だ事了えず」と説かれたのである。所詮「第三の法門」は、法華経薬王品に「後五百歳」とあるように末法の要法であり、それを天台大師等は重々知っていたゆえに「末法の今に譲」ったのである。