常忍抄
弘安元年(ʼ78)10月1日 57歳 富木常忍
第一章(稟権出界正釈を示す)
本文
御文粗拝見仕り候い了んぬ。
御状に云く常忍の云く記の九に云く「権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す」云云、了性房云く全く以て其の釈無し云云、記の九に云く寿量品の疏「無有虚出より昔虚為実故に至るまでは為の字去声権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す三乗は皆三界を出でずと云うこと無し人天は三途を出でんが為ならずと云うこと無し並に名けて虚と為す」云云、文句の九に云く「虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し、故に知んぬ昔の虚は実の為去声の故なり」と云云、寿量品に云く「諸の善男子・如来諸の衆生小法を楽う徳薄垢重の者を見て乃至以諸衆生乃至未曾暫廃」云云、此の経の文を承けて、天台・妙楽は釈せしなり、此の経文は初成道の華厳の別円より乃至法華経の迹門十四品を或は小法と云い或は徳薄垢重・或は虚出等と説ける経文なり、若し然らば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は依経の如く其の経を読誦すとも三界を出でず三途を出でざる者なり何に況や或は彼を実と称し或は勝ぐる等云云、此の人人・天に向つて唾を吐き地を爴んで忿を為す者か。
現代語訳
お手紙あらあら拝見いたしました。
ご書状によると、常忍殿が「法華文句記の第九巻に『権教を受けて三界を出離する、というのを名づけて虚出とするのである』とある」と言ったところ、了性房は「まったくもって、その釈はない」と言ったということであるが、法華文句記の第九巻には「法華文句の『無有虚出』から『昔虚為実故』までの文については、権教を受けて三界を出離するのを名づけて虚出とするのである。三乗はみな三界を出ないということはなく、人界・天界の者は三途を出るためにならないということはない。これをともに名づけて虚とするのである」とあり、法華文句の第九巻には「虚から出て真実の覚りに入らない者はない。ゆえに、昔の虚は真実の覚りに入れるためであることを知るのである」とある。法華経寿量品第十六に「諸の善男子よ、如来は諸の衆生の小法を欲する徳薄垢重の者を見ては、この人のために『私は若くして出家し、無上の覚りを得たのである』と説くのである。(中略)諸の衆生は種々の性質、種々の欲望、種々の行為、種々の想いが別々であるがゆえに、諸の善根を生起させようと思って多くの因縁や譬喩や言葉をもって種々に法を説くのである。そのような仏の振る舞いは、いまだかつて瞬時も止むことがない」とある。この経文をうけて天台大師や妙楽大師は釈したのである。この経文は、釈尊が初めて覚りを開いて最初に説いた華厳経の別円二教から法華経の迹門十四品までを小法といい、徳薄垢重、虚出等と説いた経文である。もしそうであれば華厳経を所依とする華厳宗、深密経を所依とする法相宗、般若経を所依とする三論宗、大日経を所依とする真言宗、観無量寿経を所依とする浄土宗、楞伽経を所依とする禅宗等の諸経の諸宗は、依経のとおりにその経を読誦したとしても三界を出離せず、三途を出られないのである。ましてや、それらの経を真実の教えと称したり、あるいは法華経より勝れている等というにいたってはなおさらである。これらの人々は天に向かって唾を吐き、大地をつかんで怒りをなす者と同じである。
語釈
常忍
(1216~1299)富木五郎左衛門尉常忍のこと。因幡国富城庄の本主で、父蓮忍の代から下総国八幡荘若宮に移り、千葉氏に被官したとつたえられている。その後、入道して常忍と称した。建長5年(1253)ないし翌6年に入信して以来、房総方面の門下の中心とした活躍し、鎌倉の四条金吾とも力を合わせて外護の任にあたった。大聖人より日常と法諱をいただいている。大聖人より観心本尊抄、法華取要抄、四信五品抄等数十編にのぼる御書をいただいている。
記
妙楽大師が天台の法華文句をさらに解釈した「法華文句記」のこと。妙楽は中国の唐代の人で天台宗第九祖。天台より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の教義を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。そのなかでも、天台大師の注釈は天台の幽旨を明解にしたもので、法華玄義を法華玄義釈籤、摩訶止観を摩訶止観輔行伝弘決としている。
了性房
(1213~?)千葉県市川市真間町にあった天台宗檀林の化主。東京都で生まれ、幸範について出家し、天台額学を学んだ。叡山に登って研鑽し、土佐堅者の称号を得た。のちに檀林を設けて関東における天台教学を興隆させたといわれる。
寿量品の疏
法花文句記のなかの如来寿量品に関する注釈の箇所。
為の字去声
去声とは漢字の四声の一つで、最初高く急に下る調子の声音をいう。この音によって字の意味が異なることがあり、「為」の字についていえば、平声の場合は「なす」等の意であり、去声の場合は「ため」等の意味となる。
三乗
十界のうち声聞・縁覚・菩薩の三をいう。それぞれ、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗という。声聞乗は仏説中の四諦の理を観じて自らの成仏を願い、精進するもの、三生または六十劫の後に解脱する機類をいう。縁覚乗は辟支仏乗ともいい、三界の迷いの因果を十二に分けた十二因縁を観じて、この十二因縁を順次滅し、最後に根本の無明を打ち破り、煩悩を断じ灰身滅智して四生または百劫の後に真の寂滅に帰するものをいう。菩薩乗とは一切衆生を済度することを願い、無上菩提を求め、三阿僧祇百大劫または動踰塵劫などの無量無辺の長い劫の間、六波羅蜜を行じて解脱するものをいう。
三界
欲界・色界・無色界のこと。生死の迷いを流転する六道の衆生の境界を三種に分けたもの。欲界とは種々の欲望が渦巻く世界のことで、地獄界・餓鬼界・修羅界・畜生界・人界と天界の一部、六欲天をいう。色界とは欲望から離れた物質だけの世界のことで、天界の一部である四禅天をさす。無色界とは欲望と物質の制約を超越した純然たる精神の世界のことで、天界のうちの四空処天をいう。
人天
人界と天界のこと、また、その衆生。人界は人間としてのごく普通な平穏な心・生命状態・境涯。天界は快楽に満ちた境涯。
三途
死者が行くべき三つの場所。猛火に焼かれる火途、刀剣・杖で強迫される刀途、互いに食い合う血途の三つで、それぞれ地獄道・畜生道・餓鬼道にあてる。三悪道。三悪趣。
文句
天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈をへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
小法
小乗の法。経力の少ない法。
徳薄垢重
徳が薄く、煩悩の垢が重いこと。
未曾暫廃
「未だ曾て暫くも廃せず」と読む。仏が衆生を教化して仏道に入らしめるための説法は、いまだかつて瞬時も止むことなく、なされてきているの意。
天台
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
妙楽
(0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
初成道
インド生誕の釈尊が、菩提樹下で初めて悟りを成じたこと。
華厳
華厳経のこと。正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
別円
別教と円教のこと。①別教。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。②円教。三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満に説かれるので円教という。界外の理を明かし、万法の円融相即を説き、一即一切、一切即一であり、三諦についていえば三諦それぞれが不但で即空・即仮・即中という円融の三諦を説く。一行即一切行、一位即一切位と説き、初心の行位に万行・万位の功徳を包摂するので、一切衆生を対象として救済する利益を有する。
迹門十四品
垂迹仏が説いた法門の意で法華経二十八品中の序品第一から安楽行品第十四までの前十四品をさす。内容は、諸法実相、十如是の法門のうえから理の一念三千を説き、それまで衆生の機根に応じて説いてきた声聞・縁覚・菩薩の各境界を修業の目的とする教法を止揚し、一切衆生を成仏させることにあるとしている。しかし釈尊が過去世の修行の結果、インドに出現して始めて成仏したという、迹仏の立場であることは爾前と変わらない。
華厳宗
華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
深密経
解深密経のこと。五巻。唐代の玄奘訳。内容は、己心の外にあると思われる諸現象は、ただ阿頼耶識によって、認識の対象に似たすがたを心に映じ出されたものにすぎないという唯識の義、および諸法の如実の性相を明かし、実践修行の方法・行位・証果・化他の力用を説いている。なお漢訳には三種がある。法相宗の依経である。
法相宗
解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
般若経
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
三論宗
竜樹の中論、十二門論と提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。大乗の空理によって、自我を実有とする外道、法を実有とする小乗を破し、さらに成実の偏空をも破している。究極の教旨として八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道を唱えた。日本には推古天皇33年(0572)1月1日、高句麗僧・慧灌が伝えた。現在は東大寺に伝わるのみである。
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
真言宗
大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
浄土宗
阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
楞伽経
漢訳本に四種あり、三種の訳書が現存する。仏が楞伽山頂で大慧菩薩に対して説いたとされる経。唯識の立場からさまざまな大乗の教義が列挙されている。また名字によって一切法の相を分別することを虚妄としてしりぞけ、四種の禅を明かし、諸法の空・無生・不二を悟って仏の境界に入るよう勧めている。達磨は禅宗の依経とした。
禅宗
禅定観法によって開悟に至ろうとする宗派。菩提達磨を初祖とするので達磨宗ともいう。仏法の真髄は教理の追及ではなく、坐禅入定の修行によって自ら体得するものであるとして、教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏などの義を説く。この法は釈尊が迦葉一人に付嘱し、阿難、商那和修を経て達磨に至ったとする。日本では大日能忍が始め、鎌倉時代初期に栄西が入宋し、中国禅宗五家のうちの臨済宗を伝え、次に道元が曹洞宗を伝えた。
講義
本抄は建治3年(1277)10月1日、聖寿56歳の御時、身延で述作された富木常忍へのお手紙である。
当時、下総真間に天台宗の檀林があり、その天台宗の了性房と常忍との間で法論が行われた。その状況報告を受けられた日蓮大聖人が、その問答の内容について後日の万全を期するため御指南されたものである。
まず法論の主題となった禀権出界について御教示され、爾前迹門の小法をもって本門の大法を謗っている当時の諸宗はことごとく邪宗邪義であり、出離生死は不可能であると断破されている。
そして法華経と爾前の諸経を当分・跨節で相対し、三重に従浅至深して、正像未弘の大法を「日蓮が法門」「第三の法門」とされ、種脱相対の立場から大聖人の法門が独自の正法であることを明かされている。
さらに了性房の法論の敗北は謗法の科の顕れであると断じられ、また止観の行者の持戒の有無に触れて、末法の持戒の者は「市の中の虎」と末法無戒を教示されている。
そのうえで今後の問答を誡められ、大進房の近況については捨邪帰正の志がなおあいまいであり、道理を尽くして十分反省をうながすよう教導されている。
「此の使いいそぎ候へばよるかきて候ぞ」と末文にみられるように、常忍の便りを持参した使者が急ぎ下山するため、返事を持たせて帰すべく、夜におしたためになられた御様子が拝せられる。
弟子檀那のひたむきな折伏活動を賞でられながらも、細部にわたって御心を配られる大慈悲が胸にひしひしと伝わってくるようである。
御真筆は中山法華経寺に伝えられており、御自署花押も存する。なお系年については諸説あり、御書全集では建治3年(1277)とされているが、近年、御花押についての拝考結果から、本文の全体および蕨手の形状と、それに至る運筆が、弘安元年(1278)から2年ごろの御花押に類似点が拝せられるとして、弘安元年(1278)と推定するのが有力である。
常忍抄の題号は後代に付されたものであるが、冒頭の法門御指南の内容から「禀権出界抄「禀権抄」また「第三法門抄」とも呼ばれる。
さて、本章は常忍と了性房との問答の主題となった文句記九の「権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す」の文についての御指南である。了性房は「そのような釈文はない」と否定したようであるが、明らかに文句記九にある。
虚出とは虚しい出離のことで、出離とは迷いの世界を離れて悟りの境地に至ることをいう。ちなみに禀とは受ける、さずかるの意である。
法華経以前の権教で、三乗が三界六道の迷いを出で離れたというのは、まだ真実の出離ではないとの意である。ゆえに〝虚出〟と名づけているのである。
したがって、記の九の文の意味は、権教によっても三乗は三界を、人・天は三途を出離するのであるが、これらはともに法華経の真実の出離に対すれば仮の出離、つまり虚出であるとの釈である。
この釈は、寿量品の「諸の言説する所は、皆な実にして虚しからず」の文を、天台大師が文句九で注釈し「虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し云々」と述べた文を、さらに妙楽大師が解説したものである。
すなわち、爾前権教はあくまでも仏の本意である法華経寿量品を説くための仮の教え、方便であり、寿量品が説き明かされて、初めて真実の出離が可能となる。「三大秘法抄」に「但専ら本門寿量の一品に限りて出離生死の要法なり」(1022-02)と説かれるとおりである。ひるがえって寿量品から爾前権教を望めば「昔の虚は実の為の故」となり、会入ののちは寿量品の説明文、助証となるゆえに、寿量品に説かれるように「皆実不虚」となるのである。
この天台大師・妙楽大師の説くところは、寿量品の「諸の善男子よ。如来は諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見て(中略)諸の衆生は、種種の性、種種の欲、種種の行、種種の憶想分別有るを以ての故に(中略)作す所の仏事は、未だ曾て暫くも癈せず」の経文を承けて釈したものである。
この寿量品の文意によれば、釈尊成道後、初転法輪となった華厳経をはじめとした、いわゆる爾前四十余年の諸経ならびに法華経迹門十四品まではすべて小法、虚の出離の法であり、あるいはその教えを受ける機根の衆生は徳薄垢重の者となる。
このことを小乗大乗分別抄には「又法華経の寿量品に楽於小法・徳薄垢重者と申す文あり、天台大師は此経文に小法と云うは小乗経にもあらず又諸大乗経にもあらず久遠実成を説かざる華厳経の円乃至方等般若法華経の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法なり」(0520:09)と述べられている。
〝小法〟とはたんに小乗経に限らない。諸大乗経も法華経迹門も、久遠実成を説いた寿量品に対すれば、小法であり、乗の法となるということである。
したがって、諸法はこれらの〝小法〟を依経としているのであるから、どんなに経説のごとく修行しても、真実の出離を得られるわけがない。まして、これらの〝小法〟をもって真実とし、仏の本懐たる法華経寿量品に勝る等というは言語道断であり、謗法の罪科を還って我が身に重ねることになるのである。
三論宗の「会二破二」、法相宗の「一乗方便・三乗真実」、真言宗の「法華は無明の辺域・戯論の法」「理同事勝」、浄土宗の「千中無一」「未有一人得者」「理深解微」などが「天に向つて唾を吐」く法華経誹謗の邪論として挙げられよう。