第五章(空海の亀化兎角の妄論を破す)
本文
空海和尚は此の理を弁へざる上・華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて法華経は猶華厳経にをとれりと僻見せり、亀毛の長短・兎角の有無・亀の甲には毛なしなんぞ長短をあらそい兎の頭には角なし・なんの有無を論ぜん、理同と申す人いまだ閻魔のせめを脱れず、大日経に劣る華厳経に猶劣ると申す人・謗法を脱るべしや、人は・かはれども其の謗法の義同じかるべし、弘法の第一の御弟子かきのもときの僧正・紺青鬼となりし・これをもつてしるべし、空海悔改なくば悪道疑うべしともをぼへず其の流をうけたる人人又いかん。
現代語訳
空海和尚はこの理を弁えないばかりか、すでに破折されている華厳宗の邪義を借りとって、法華経は猶華厳経よりもなお劣るとの僻見を立てたのである。これは亀毛の長短を論じ、兎の角の有無を論ずるようなものである。亀の甲には毛がないのに、なんでその長い短いを争い、兎の頭には角はないのに、なんで角の有無を論ずるのだろうか。
法華経と大日経とは理は同じといった善無畏でさえも閻魔の責をまぬかれなかったのである。大日経より華厳経は劣り、その華厳経よりも法華経はなお劣るという人が、謗法の罪を脱れることができるだろうか。人は変わっても、その謗法の義は同じであろう。弘法の第一の弟子の柿本紀僧正が紺青鬼となったわけも、このことから知るべきである。空海が悔い改めなければ悪道に堕ちることは疑うべくもない。空海の流れをうけた人々もまた同様であろう。
語釈
空海和尚
(0774~0835)。日本真言宗の開祖。空海は諱。諡号は弘法大師。姓は佐伯、幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(0823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」三巻、「弁顕密二教論」二巻、「十住心論」十巻、「秘蔵宝鑰」三巻等がある。
毛の長短・兎角の有無
亀の毛の長短と兎の角の有無のこと。現実にないものについて論議する愚かさをいうのに用いられる。
謗法
誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。
かきのもときの僧正
(0800~0860)は、平安時代前期の真言宗の僧。父は巡察弾正紀御園。空海十大弟子の一人で、真言宗で初めて僧官最高位の僧正に任ぜられた。詩文にも優れ、空海の詩文を集めた『性霊集』を編集している。また、長く神護寺に住し、その発展に尽力した。高雄僧正・紀僧正・柿本僧正とも称される。
紺青鬼
紺青色をした鬼のこと。仏法では鬼とは夜叉・羅刹・餓鬼などの餓鬼界に住する禽獣・変化をいう。乱暴でいかめしい姿をしており、人の功徳や生命を奪うものとされる。
講義
本章では、弘法大師空海が理同事勝の邪義たるを知らず、そのうえ法華経にも劣るとした謗法の罪を挙げ、必ず悪道に堕すべきことを強調されている。
日本の真言宗の祖・弘法大師空海の僻見については、撰時抄の次の御文に詳しい。
「弘法大師は同じき延暦年中に御入唐・青竜寺の慧果に値い給いて真言宗をならはせ給へり、御帰朝の後・一代の勝劣を判じ給いけるに第一真言・第二華厳・第三法華とかかれて候、此の大師は世間の人人もつてのほかに重ずる人なり、但し仏法の事は申すにをそれあれども・もつてのほかにあらき事どもはんべり、此の事をあらあら・かんがへたるに漢土にわたらせ給いては但真言の事相の印真言計り習いつたえて其の義理をばくはしくもさはぐらせ給はざりけるほどに日本にわたりて後大に世間を見れば天台宗もつてのほかに・かさみたりければ、我が重ずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに本日本国にして習いたりし華厳宗をとりいだして法華経にまされるよしを申しけり、それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけん・すこしいろをかえて此れは大日経・竜猛菩薩の菩提心論・善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども天台宗の人人いたうとがめ申す事なし」(0276:18)
このように、弘法が理同事勝の悪義によって、法華経を大日経に劣るとしただけではなく、大日経に劣る華厳経にもなお劣るとしたことを、大聖人は「人は・かはれども其の謗法の義同じかるべし」と破され、「空海悔改なくば悪道疑うべしともをぼへず其の流をうけたる人人又いかん」と責められている。
善無畏等の理同事勝の邪義をそのまま日本に伝え、法華経を第三の戯論と下した弘法大師の大謗法たる理由を簡潔に述べ、その流れをくむ真言師が、改悔して正法に帰さなければ悪道に堕ちると戒められているのである。