聖密房御書

第一章(真言開祖等の主張を挙ぐ)

本文

聖密房御書    建治三年    五十六歳御作

  大日経をば善無畏・不空・金剛智等の義に云く「大日経の理と法華経の理とは同じ事なり但印と真言とが法華経は劣なり」と立てたり、良諝和尚・広修・維蠲なんど申す人は大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず但方等部の経なるべし、日本の弘法大師云く「法華経は猶華厳経等に劣れりまして大日経には及ぶべからず」等云云、又云く「法華経は釈迦の説・大日経は大日如来の説・教主既にことなり・又釈迦如来は大日如来の御使として顕教をとき給うこれは密教の初門なるべし」或は云く「法華経の肝心たる寿量品の仏は顕教の中にしては仏なれども密教に対すれば具縛の凡夫なり」と云云。

現代語訳

 大日経についての善無畏・不空・金剛智等の義は「大日経の理と法華経の理とは同じことである。ただ印と真言とが法華経は劣っている」と立てている。

 良諝和尚・広修・維蠲などという人は「大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばない。大日経は方等部の経にすぎない」と述べている。

 日本の弘法大師は「法華経は華厳経にさえ劣っている。まして大日経には及ぶべくもない」といっている。また「法華経は釈迦如来の説であり、大日経は大日如来の説である。教主がすでに異なっている。また釈迦如来は大日如来の御使いして顕教を説かれた。これは密教の初門なのである」といっており、あるいは「法華経の肝心である寿量品の仏は顕教のなかでは仏であっても、密教にくらべれば煩悩を具えた生死の苦に縛られている凡夫なのである」と説いている。

語釈

大日経

 大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。

善無畏

 (0637~0735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。

不空

 (0705~0774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。

金剛智

 (0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。

法華経

 釈尊一代50年の説法のうちはじめの42年にわたって、華厳・阿含・方等・般若と方便の諸経を説き、最後の無量義経で「四十余年未顕真実」と爾前諸経を打ち破り「世尊法久後、要当説真実」と立てて後、8年間で説かれた真実の経。六訳三存。現存しない経。①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)。②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)。③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)。現存する経。④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)。⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)。⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。即ち①釈尊の法華経二十八品②天台の摩訶止観③大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経と区分する。

印と真言

 印相と真言のこと。印とは決定不改または印可決定の義で、手指を種々に組み合わせて諸仏諸尊の内証の徳を表示する形式。真言宗でいう三密の中の身密にあたる。合掌ももちろん印である。真言とは真実の言葉という意味で、これを唱えれば不思議の功徳があるという。一種の呪文で、諸仏の梵名などを原語で唱えることなどを指す。真言宗にはこの印・真言が説かれているから法華経に優れているとの邪義を立てる。

良諝和尚

 生没年不明。中国・唐代の天台宗の僧。良湑とも書く。天台大師から第九代の伝法弟子。開元寺に住み、後に日本天台宗第五代になる智証が嘉祥4年(0851)にこの寺を訪れた時、天台宗旨を講述した。和尚は弟子から呼ぶ師匠の称。なお禅宗では「おしょう」、天台では「かしょう」、真言、律宗では「わじょう」と読む。

広修

 (0771~0843)。中国・唐代の天台宗の僧。広脩とも書き、至行尊者ともいわれる。道邃和尚の弟子となり、天台山禅林寺で天台の教観を学び、法華経・維摩経・金光明経等を日々読誦したといわれる。後に、請われて台州に行き、学堂で止観を講じた。円澄の「延暦寺未決三十条」の問いに対して、開成5年(0840)弟子の維蠲とともに答えている。

維蠲

 中国天台宗、天台山広脩座主の高弟。妙楽大師の法曽孫。

華厳経

 正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。

涅槃経

 釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。

方等部の経

 方等部に説法した種々の経典の総称。小乗を弾呵し一切衆生に広く平等に教法を説きしめしたもの。

弘法大師

 (0774~0835)。平安時代初期、日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。姓は佐伯氏。幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(0823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」3巻、「弁顕密二教論」2巻、「十住心論」10巻、「秘蔵宝鑰」3巻等がある。

釈迦

 釈迦仏、釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。

大日如来

 大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。

顕教

 「けんきょう」「けんぎょう」とも読む。文字の上にあらわに説き示された教え。真言宗では応身の釈迦仏が説いた法華経を「顕教」とし、法身の大日如来が説いた教法を密教とするという邪義を立てている。

密教

 呪術や儀礼、行者の憑依、現世肯定・性的要素の重視などを特徴とする神秘的宗教。インドにおいてヒンズー教の発展と密接な関係を持ち、大乗仏教と融合し、ネパール・チベット・中国・日本などに伝播していった。秘密仏教ともいう。真言宗の説く邪義がこれにあたる。

密教の初門

 弘法が顕教をさした言葉。釈尊は大日如来の使いとして顕教を説いたが、それは密教に導き入れるための入口であるとする邪義。

寿量品

 如来寿量品大16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211:17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752:04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753:07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。

具縛の凡夫

 煩悩をそなえて生老病死などの四苦・八苦などに縛られる凡夫のこと。

講義

 本抄は建治3年(1277)、日蓮大聖人が56歳の時、身延から安房国・清澄寺の聖密房に与えられたものである。

 聖密房については詳しいことはわからないが、本抄末尾の「これは大事の法門なり、こくうざう菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし」の御文と、別当御房御返事の「聖密房のふみに.くはしく・かきて候よりあいて.きかせ給い候へ、なに事も二間清澄の事をば聖密房に申しあわせさせ給うべく候か、世間のりをしりたる物に候へばかう申すに候」(0901:01)の御文から、清澄寺の住僧と思われ、世俗の道理もよく心得ていたため、浄顕房と思われる別等房に相談相手にするようすすめられたものと拝される。もちろん、大聖人の門下となっており、たびたび御指南を仰いでいたものであろう。

 本抄の大意は、真言宗を徹底的に破折されたもので、はじめにインド・中国・日本の三国にわたる真言師が法華経を大日経に劣るとした文証を挙げ、つぎにそれらの邪教を天台大師が立てた一念三千の法門の有無によって破折され、とくに理同事勝を破折し、一念三千の法門を盗み入れて「理」において同じとしたのは法盗人であり、因と真言があるから事において勝れているというのも法華経の二乗作仏・久遠実成の「事」に比べれば劣謂勝見の外道であると断じられている。

 つぎに真言・華厳の各宗の謗法の義を挙げ、最後に伝教大師による諸宗の破折と真言に対する態度を明かされ、理において劣る大日経が弘まったのは論師・人師のためであるとして、聖密房のことを思う故にこれらのことを記して学ぶようすすめられている。

 清澄寺は天台密経であり、長い間そのなかで学んできた聖密房に対して、法華最第一の正義を認識させ不退の信を確立させるために、あらゆる角度から真言の邪義を破折されたのであり、大聖人の深い御自愛が拝せられる御抄である。

 本抄の最初には、大日経と法華経の勝劣をどうとらえているか、中国真言宗の善無畏・不空・金剛智の三三蔵の義と、広修・良諝など中国天台宗の諸師の判釈、さらに日本真言宗の祖・弘法大師の教説を挙げられている。

 インドより中国へ渡り真言宗の開祖となった三三蔵は、大日経と法華経とを比較すると、所詮の理は同じだが、法華経には印と真言とが説かれていないので大日経に劣る、と理同事勝の義を立てた。

 それに対して、中国天台宗の第11代広修、及びその弟子良諝、維蠲は、大日経は法華経はおろか華厳経、涅槃経にも及ばない方等部の経であると明確に判釈している。

 これは、真言見聞に「遣唐の疑問に禅林寺の広修・国清寺の維蠲の決判分明に方等部の摂と云うなり、疑つて云く経文の権教は且く之を置く唐決の事は天台の先徳・円珍大師之を破す、大日経の指帰に『法華すら尚及ばず況や自余の教をや』云云、既に祖師の所判なり誰か之に背く可きや、決に云く『道理前の如し』依法不依人の意なり但し此の釈を智証の釈と云う事不審なり、其の故は授決集の下に云く『若し法華・華厳・涅槃等の経に望めば是れ摂引門』と云へり」(0143:04)とあるように、法華経と大日経の勝劣について義真・円澄などが中国に判決を仰いだことに対する回答であり、また授決集には智証の疑問に対する回答の記録である。

 ところが、日本真言宗の祖、弘法大師空海は、

   ①法華経は華厳経にも劣り、まして大日経には及ばない。

   ②法華経は釈尊の説、大日経は大日如来の説であり、教主が異なる。

   ③釈尊は大日如来の使いとして顕教を説いたもので、密経に入るための初門である。

   ④法華経の肝心である寿量品の仏は顕教の中では仏でも、密教からみれば煩悩に縛られた迷いの凡夫である。

 等の説を、十住心論・二教論・私蔵宝鑰などの著書で主張しているのである。

 ここに真言七重劣に「戸那・扶桑の人師一代聖教を判ずるの事」(0192:01)として、諸宗の人師が諸経の勝劣をどう判じていたかが示されているので挙げてみたい。

  法華経第一 ┐ 南岳の御弟子なり。

  涅槃経第二 ┼天台智者大師の御義 南岳の御弟子なり。陳隋二代の人なり。妙楽等之を用いる

  華厳経第三 ┘

  大日経第一 ┐

  法華経第二 ┼善無畏・不空等の義 唐の末・玄宗御宇の人なり。

  諸経 第三 ┘

  法華経第一 ┐

  涅槃経第二 ┼伝教の御義 人王五十代桓武の御宇及び平城・嵯峨の御代の人、比叡山延暦寺なり。

  諸経 第三 ┘

  大日経第一 ┐

  華厳経第二 ┼弘法の義 人王五十二代嵯峨・淳和二代の人、東寺・高野山なり。

  法華経第三 ┘

  大日経第一 ┐

  法華経第二 ┼滋覚の義 善無畏を以て師と為す、仁明・文徳・清和の三代、叡山講堂総持院なり。

  諸経 第三 ┘     智証之に同ず、園城寺なり。   

 このように、弘法の所説は、善無畏等の理同事勝の邪義をさらにすすめて、法華経と釈尊を卑しめているのである。

 大聖人は「弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論等云云、而も仏身を現ず此れ涅槃経には魔・有漏の形をもつて仏となつて我が正法をやぶらんと記し給う、涅槃経の正法は法華経なり故に経の次ぎ下の文に云く「久く已に成仏す」、又云く「法華の中の如し」等云云、釈迦・多宝・十方の諸仏は一切経に対して「法華経は真実・大日経等の一切経は不真実」等云云、弘法大師は仏身を現じて華厳経・大日経に対して「法華経は戯論」等云云、仏説まことならば弘法は天魔にあらずや」(0320:報恩抄:18)等と諸御抄で厳しく破折されている。

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