曽谷入道殿御返事(如是我聞の事)

第四章(法華経の行者の功徳と用心を明かす)

本文

今妙法蓮華経と申す人人はその心をしらざれども法華経の心をうるのみならず一代の大綱を覚り給へり、例せば一二三歳の太子・位につき給いぬれば国は我が所領なり摂政・関白已下は我が所従なりとはしらせ給はねども、なにも此の太子の物なり、譬えば小児は分別の心なけれども悲母の乳を口にのみぬれば自然に生長するを趙高が様に心おごれる臣下ありて太子をあなづれば身をほろぼす、諸経・諸宗の学者等・法華経の題目ばかりを唱うる太子をあなづりて趙高が如くして無間地獄に堕つるなり、又法華経の行者の心もしらず題目計りを唱うるが諸宗の智者におどされて退心をおこすはこがいと申せし太子が趙高におどされ・ころされしが如し。

現代語訳

今、妙法蓮華経と唱える人々は、経の心を知らなくとも、法華経の心を得るのみならず、釈尊一代の聖教の大綱を覚っているのである。

 例えば、一・二・三歳の太子であっても、王位につかれたならば、その国は、自分の所領となるようなものである。

 摂政・関白以下の人が、自分の臣下であるということは知らなくても、みんなこの太子の家来になるのである。

 たとえば幼児は物事を分別する心はないけれども、母親の乳を口にふくめば自然に成長するようなものであり、そこに趙高のような傲慢な臣下がいて、太子を侮蔑するようなことがあれば、その身を滅ぼすようなものである。

 今の諸経を所依とする諸宗の学者等は、法華経の題目を一心に唱える太子を侮って、趙高のように我が身を滅ぼして無間地獄に堕ちるのである。また法華経の行者の心も知らず、題目を一心に唱えていながら、諸宗の智者に滅せられて退転の心を起こすことは、胡亥という太子が趙高に威されて、ついに殺されたようなものである。

語釈

太子

 王位を継承すべき皇子・王子のこと。

摂政

 君主制を採る国家において、君主が幼少、女性、病弱、不在などの理由でその任務を行うことができない時、君主に代わってそれを行うこと、またはその役職のことである。多くの場合、君主の後継者、兄弟、母親、あるいは母方の祖父や叔父などの外戚が就任する。

関白

 天皇の代わりに政治を行う官職。律令に本来規定された官ではない令外官であり、実質上の公家の最高位であった。敬称は殿下。

所従

 従者。家来。

趙高

 (~前0207)。中国・秦代の宦官。始皇帝に仕えていたが、帝の死後、丞相の李斯と謀って詔を偽造し、帝の長子の扶蘇を殺して末子の胡亥を即位させ、権力を握った。旧臣を退けて酷政を行なったため、国中に乱を招いた。二世王を意のままに操り、李斯をも殺させたが、秦軍の形勢が不利とみるや二世王を殺害した。しかし、次いで即位した子嬰によって殺された。

無間地獄

 八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。

こがい

 胡亥のこと。秦朝の第2代皇帝。帝号は二世皇帝。中国では秦二世とも称される。姓は嬴。始皇帝の末子。

講義

一切経の究極であり大網である妙法蓮華経の題目を唱える法華経の行者の功徳と謗法・退転への用心とを説かれている。

 初めに、妙法蓮華経の題目を唱える人は、たとえ法華経の内容や妙法蓮華経の法理について何も知らなくとも、題目を唱えるだけで、法華経の心のみならず、釈尊一代の仏教を覚ったと同じ功徳を得ると仰せられている。

 そしてそれを1・2・3歳という幼少の太子であっても王位に就けば、幼少のゆえに、国が自分の所領であることも、摂政・関白以下諸大臣達が自分の所従であることも知らないが、しかし、位に就いたという、そのことによってすべてが自分の物となるようなものである、と仰せられている。

 また、題目を続けていけば、自然のうちに成仏の境界に到達することを、あたかも物事を分別する心をもたない幼児が、母の乳を口に含み飲んでいくうちに自然に成長してゆくのと同じであるとも述べられている。

 したがって、増上慢の臣下が、何も知らないと思ってその太子を侮辱すると逆に自分の身を滅ぼすことになるのである。

 そのたとえとして、中国の秦の時代に始皇帝に仕えた宦官の趙高の話を挙げられる。

 趙高は、始皇帝の死後、その長子の扶蘇を殺して、末子の胡亥を二世皇帝として擁立し、権力を握った。次いで、胡亥をも殺して自ら王になろうとしたが、ついに第三世公子嬰に野望を見抜かれ誅殺されたという。

 そして、趙高におどされ、だまされたあげく、殺されてしまった胡亥を例に引かれ、法華経の題目を信受した人は、諸宗の僧達におどされたりだまされたりして正法を退転するようなことがあってはならないと戒められている。

 もし法華経を退転するようなことがあるならば、それはちょうど胡亥が趙高におどされて殺されたようなものであると仰せられている。

小児は分別の心なけれども悲母の乳を口にのみぬれば 自然に生長する

 ここでの「小児」は法華経を信ずる者に、「分別の心」がないのは法華経の心や一代聖教の勝劣・浅深等の内容について何も知らないことに、また「悲母の乳」は妙法蓮華経の題目に、それぞれたとえられているのである。

 すなわち、法華経を信ずる者が、法華経や諸経の内容について何も知らなくても、ただひたすら南無妙法蓮華経と題目を唱えていくだけで“自然に成長”し、成仏していくことができる、と仰せられているのである。

 言い換えれば、妙法蓮華経の題目にはそれだけ絶大な功力があるということである。

 妙一尼御前御返事にいわく「夫信心と申すは別にはこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く・子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり、しかのみならず正直捨方便・不受余経一偈の経文を女のかがみをすてざるが如く・男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給うべく候」(1255:01)と。

 ここに仰せの御文と照らし合わせて深く拝していきたい。

第五章(正像末弘の妙法を弘通するを明かす)

本文

南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり、かかるいみじき法門なれども仏滅後・二千二百二十余年の間・月氏に付法蔵の二十四人弘通し給はず、漢土の天台妙楽も流布し給はず、日本国には聖徳太子・伝教大師も宣説し給はず、されば和法師が申すは僻事にてこそ有るらめと諸人疑いて信ぜず是れ又第一の道理なり、譬えば昭君なんどをあやしの兵なんどが・おかしたてまつるを・みな人よも・さはあらじと思へり、大臣公卿なんどの様なる天台・伝教の弘通なからん法華経の肝心・南無妙法蓮華経を和法師程のものがいかで唱うべしと云云、汝等是を知るや烏と申す鳥は無下のげす鳥なれども鷲鵰の知らざる年中の吉凶を知れり、蛇と申す虫は竜象に及ばずとも七日の間の洪水を知るぞかし、設い竜樹天台の知り給はざる法門なりとも経文顕然ならばなにをか疑はせ給うべき、日蓮をいやしみて南無妙法蓮華経と唱えさせ給はぬは小児が乳をうたがふて・なめず病人が医師を疑いて薬を服せざるが如し、竜樹・天親等は是を知り給へども時なく機なければ弘通し給わざるか、余人は又しらずして宣伝せざるか、仏法は時により機によりて弘まる事なれば云うにかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ。

現代語訳

南無妙法蓮華経というのは釈尊一代聖教の肝心であるばかりでなく、法華経の心であり、体であり、究極の教えなのである。

 このような尊極の法門であるけれども、仏滅後・二千二百二十余年の間、インドにおいて付法蔵の二十四人は弘通されず、中国の天台大師も妙楽大師も流布されなかった。日本国では聖徳太子・伝教大師も説き弘められなかった。

 それゆえ、日蓮のような法師がいうことは僻事にちがいないと人々が疑って信じないのももっともな道理である。譬えば、王昭君のような美しい人を賤しい兵士が辱めたといっても、まさかそのようなことはないだろうと思うのと同じである。大臣・公卿などに比すべき天台大師・伝教大師ですら弘通しなかった法華経の肝心である南無妙法蓮華経を、日蓮ほどの法師がどうして唱えることができよう、と思うのも当然のことである。

 しかし、汝等は知っているであろうか。カラスという鳥はもっとも卑しい鳥であるけれども、鷲や熊鷹ですら知らない年中の吉凶を知っているのである。

 また蛇という動物は竜や象にはるかに及ばないが、七日のうちに洪水の起こることを知ることができる。

 たとえ竜樹菩薩や天台大師の知っておられない法門であっても、経文のうえに明らかに説かれているならば、どうして疑うことができようか。

 日蓮を卑しんで南無妙法蓮華経と唱えないのは、幼い児が乳を疑ってなめず、病人が医師を疑って薬を服さないようなものである。

 竜樹・天親等は南無妙法蓮華経を知っておられたが、時が来ず、機根がなかったのであろうか、その他の人々の場合は、知らなかったので流布しなかったのであろう。

 仏法は時により、機根によって弘まるものであるから、いうべきほどでない者でない日蓮が、その時にあたったのである。

語釈

付法蔵の二十四人

 釈尊滅後の正法時代に、教法の付嘱をうけ、次の人に伝えた正法護持者24人。「大夫志殿御返事」には「所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は未田地・第四は商那和修・第五は毱多・第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は毘羅・第十四は竜樹・第十五は提婆・第十六は羅睺羅・第十七は僧佉難提・第十八は僧佉耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者」(1079:07)とある。

漢土

 漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。

天台

 (0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。

聖徳太子

 (0574~0622)。飛鳥時代の人。用明天皇の第二子。厩の中で誕生し、一度に八人の奏上を聞き分けることができたので、名を厩戸豊聡耳皇子といい、また上宮太子とも呼ばれた。推古天皇の皇太子となり、摂政として国政を総理し、数多くの業績を残した。まず、冠位十二階を制定して従来の世襲的な氏姓政治から官僚政治への転換を図り、十七条憲法を定めてこれを国家原理とし、中央集権国家の建設を進めた。また、小野妹子を随に派遣して国交を開き、大陸文化の摂取に努めるなど、内政、外交ともに活発な行動を展開した。太子の政治思想は、十七条憲法に「篤く三宝を敬え」と記したことにも明らかなように、仏教に深く根差しており、仏法興隆を治国の根幹とするものであった。そして法華経・維摩経・勝鬘経の大乗仏典の註釈諸を著した。また法隆寺、四天王寺等も太子の建立によると伝えられている。このように聖徳太子の業績には目覚ましいものがあり、日本における仏法興隆の先駆的功績者であるとともに、飛鳥文化の中心的人物である。

伝教大師

 (0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。

和法師

 和は親しみまたはあなどりの意をあらわす。法師とは僧侶のこと。

僻事

 道理にあわないこと。事実と違っていること。

昭君

 王 昭君のこと。匈奴の呼韓邪単于、復株累若鞮単于の時代の閼氏。姓を王、諱は牆または嬙。字を昭君。晋・司馬昭の避諱により王明君・明妃ともいう。日本では通常、王昭君と呼ばれるが、地元では単に昭君と呼ばれている。荊州南郡出身で、楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる。

大臣

 太政官の上官の長。

公卿

 朝廷や王族に仕える貴族の総称。

烏

 カラスのこと。古くから神意を伝える霊鳥といわれ、年中の吉凶を知るとわれている。

蛇

 ヘビのこと。古くから水の神の使者といわれている。

竜樹

 梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。

天親

 天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。

機

 宗教の五綱のひとつ。説法を受ける所化の衆生の機根。人々の仏教を信じ理解する能力。人々がどのような教えを求め、どの法によって教化される衆生であるかを知ること。

講義

ここまで明らかにされたように、南無妙法蓮華経の題目は釈尊一代の肝心であることはもとより法華経の心であり体であり所詮である。

 しかし、これほどの法門であったけれども、仏滅後2220余年の間に、月氏の付法蔵の24人も弘通しなかったし、中国の天台大師・妙楽大師も弘通しなかった。

 また、日本の聖徳太子・伝教大師も宣説しなかった。すなわち、南無妙法蓮依経は正像末弘の大法なのである。

 したがって、そのような偉大な法門を、当時の無知の人から見て、卑しい凡夫僧である日蓮大聖人が弘通するということを、認めようとしないのも道理であるといわれ、王昭君をたとえに挙げられている。しかし、外見は卑しくとも優れている力をもっている例があることを、カラスや蛇によって述べられ、大聖人が凡夫僧であるからといって、その弘めておられる妙法を受け入れようとしないのは愚かであるとされている。そして「仏法は時により機によりて弘まる事なれば云うにかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ」と仰せられ、大聖人こそ時機にかなって三大秘法の南無妙法蓮華経を弘通する末法の御本仏であられることを明かされている。

設い竜樹天台の知り給はざる法門なりとも経文顕然ならばなにをか疑はせ給うべき

 竜樹菩薩や天台大師のような正像の偉大な正師が仮に知らない法門であったとしても、経文に明確であるなら信ずべきであると述べられ、仏法は、人に依るのではなく、法すなわち仏説たる経によるべきであることを仰せ得られている。

 この御文のまえで、カラスというげすの鳥でも鷲のしることのできない“年中の吉凶”を知ることができるし、蛇は竜や象に及ばないが7日に起こる洪水の有無を知っている、という例を挙げられる。この例によって物事の本質を知っているか否かは、決して外見の上からは決めることができないということを説かれて、竜樹・天台大師という偉大な論師人師と比較して大聖人を嘲笑することの愚かさを暗に破折されている。

 この御文は「設い竜樹天台の知り給はざる法門なりとも」と、仮にも竜樹や天台大師の知らなかった法門であるとしても、と設定条件を付けられている。実際は、あとの御文で「竜樹・天親等は是を知り給へども時なく機なければ弘通し給わざるか」と仰せのように、知っていたけれども、時と機に合わなかったので弘めなかったのである。

 このことを、開目抄には「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189:02)と述べられている。

 また撰時抄には「仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり」(0272:16)と説かれている。

 開目抄では「文の底にしづめたり」と仰せであるのに、本抄では「経文顕然」と、また撰時抄でも「経文の面に現前」と仰せになっているのは何ゆえか。

 その理由・意味について日寛上人は依義判文抄、撰時抄文段等において、論じられている。

 今、その内容を要約して述べると、それは「法華経の謂れ」を知ったうえで依義判文するから経文の面に現前なのである。「法華経の謂れを知る」とは法華経の文底の謂れを知ることである。すなわち、末法の御本仏のお悟りを“義”として法華経の文を“判”ぜられるから、経文の面に最大深密の正法が眼前なのである。

仏法は時により機によりて弘まる事なれば云うにかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ

 仏法の流布は時により機によりなさればならないことについては、日蓮大聖人が諸御書に仰せられる通りである。

 とくに宗教の五綱を明かされた教機時国抄では著名である。

 しかし、ここでは法華経の肝心の法門・南無妙法蓮華経を大聖人が弘通することに疑義を抱く考え方に対して、時と機根が一致しなければ、いかに偉大な論師・人師といえども、弘通しえないことを明かされている。

 それに対して、御謙遜の立場から「云うにかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ」と仰せられている。その元意はいうまでもなく、日蓮大聖人こそ末法の時と機根にかなった法華経の肝心即寿量品文底の南無妙法蓮華経の深密の法門を弘通される御本仏であられることを明かされているのである。

タイトルとURLをコピーしました