四条金吾殿御返事(此経難持御書)2014:02大白蓮華より先生の講義

四条金吾殿御返事(此経難持御書)2014:02大白蓮華より先生の講義

「妙法の勇者」に恐れなし!

2月は、御本仏・日蓮大聖人の御生誕の月であるとともに、恩師・戸田城聖先生の誕生の月でもあります。

毎年2月を迎えるたびに、私は、あらゆる大難を厳然と勝ち越え、広宣流布に身を捧げられた御本仏の御生涯、そして第2次世界大戦後の焼け野原に一人立たれた恩師の大闘争に思いを馳せ、さらなる大法弘通への報恩の誓いを新たにしています。

戸田先生は語られました。

「広宣流布は、一生の戦いである。いな、永遠の戦いである。たとえ苦難の嵐があっても、断じて負けるな!」

恩師は、社会から見捨てられ、いじめ抜かれてきた庶民を「本当にかわいそうだ、断じて幸福になってもらいたい」と抱きかかえていかれました。一人の友に同苦し、徹して励ましを送りながら、一歩また一歩と、広宣流布の大連帯を広げられていったのです。その原動力こそ“一対一の対話”でした。

学会の草創期、戸田先生は東京の市ヶ谷にあった学会の分室で、毎日午後2時から4時過ぎまで、訪ねてくる会員の指導・激励にあたられました。御自身が座る机の前に7・8脚の椅子がある小さな部屋で、恩師は訪れてきた友を温かく迎え、「どうした?」と気さくに語りかけられました。その慈愛と声とまなざしに、同志は心から安心して、率直に悩みをぶつけていったのです。

悩みも、経済苦、仕事の苦境、病気、家庭不和、子どもの問題、人間関係など先差万別でした。その一つ一つに先生は確信を込めて答えていきました。その激励に、同志は一人また一人と奮い立ったのです。

トンネルを抜ければそこに

ある時、戸田先生は苦難に立ち向かう友を励まして、こう語られたことがありました。

「人生は、トンネルに入ったような時もある。しかし、トンネルを抜ければ、また、きれいな景色が見えるではないか。途中で止まってはいけない。信心で最後まで戦い、進むのだ」と。

この「最後まで戦い、進む」という恩師の言葉に、皆、希望を見い出しました。

信心根本に進んでいく限り、いかなる難にも負けず、必ず勝利できる。恩師は、この絶対の確信を叫び、同志に語り抜かれたのです。

今回学ぶ「四条金吾殿御返事」には、困難に直面した門下に対する、大聖人の厳しくも温かな御指導が綴られています。

大聖人の励ましの世界の根底には、人間の無間の可能性への信頼と、万人への尊敬があります。

誰人も「師子王の心」を持ち、いかなる逆境をも突き抜ける力を本然的に具えている。それを取り出せば、いかなる人も仏に成れる。だからこそ信心を根本にしていく限り、どんな試練も恐れることはないと断言されているのです。

本文

 四条金吾殿御返事    文永十二年三月    五十四歳御作

   此経難持の事、抑弁阿闍梨が申し候は貴辺のかたらせ給ふ様に持つらん者は現世安穏・後生善処と承つて・すでに去年より今日まで・かたの如く信心をいたし申し候処にさにては無くして大難雨の如く来り候と云云、真にてや候らん又弁公がいつはりにて候やらん、いかさま・よきついでに不審をはらし奉らん、 

現代語訳

「此経難持」の事、弁阿闍梨日昭がいうには「私はあなたがいわれる通りに、法華経を持つ者は『現世は安穏にして後には善処に生まれる』と承って・すでに去る年から今日まで、型どうりに信心をしてきましたところが、現世安穏ではなくて、大難が雨のように降ってきました」といっていたとか。はたして、あなたが本当にいっていたことであろうか。それとも日昭の報告が偽りなのであろうか。どちらにしても、よいついでであるから不審をはらしましょう。

講義

 信心とは「勇気」の異名

人間の真価は、いざというときに現れます。信心をしていても、さまざまな苦境に陥ることはあります。いな、正しい信心に励むからこそ難に遭うのです。その時に、御本尊を信じ抜き、「負けじ魂」で前進する人は、必ず最後は 勝利していくことができる。信心とは「勇気」の異名です。大聖人はその「不退の勇者」の生き方を教えられているのです。

本抄は、文永12年(1275)3月、大聖人が54歳の時に身延で著され、鎌倉の四条金吾に送られたお手紙です。別名を「此経難持御書」といいます。冒頭に「此経難持の事」とあり、再び文末には「此れより後は此経難持の四字を暫時も忘れず案じ給うべし」と結ばれています。

「此経難持」とは、法華経見宝塔品第11にある「此の経は持ち難し」との文です。

法華経では、この見宝塔品から「虚空会の儀式」が始まり、滅後末法のための付嘱の儀式が厳粛に進行していきます。このなかで「此経難持」とは、末法において南無妙法蓮華経を持つことが至難であり、広宣流布が難事中の難事であることを示しています。

四条金吾がこのお手紙を頂く前年の文永11年(1274)3月、大聖人は佐渡流罪から鎌倉に帰還され、3度目の国主諌暁をされました。

そして、5月には身延に入られ、末法万年尽未来際への令法久住の総仕上げを開始されました。そうした大聖人の大闘争を目の当たりにした金吾は深い決意に立ち、同年9月、主君・江間氏を折伏します。しかし、江間氏は極楽寺良観を信奉していることから、金吾は主君から次第にうとまれていき、それにつけこんだ同僚から、激しい卑劣な迫害を加えられたのです。

「竜の口の法難」にも、決死の覚悟でお供した剛毅な四条金吾ですが、この時ばかりは、つい弱音を吐くほど、戸惑いを隠せずにいたのでしょう。“法華経を信じれば「現世安穏」になると聞き、信仰してきたのに、なぜ「大難」が雨のように降りかかるのか”。

こうした金吾の疑問を、弁阿闍梨日昭を通して聞かれた大聖人が、その不審に答える形で記されたのが本抄です。

“あなたが言ったことはほんとうなのか。それとも日昭の報告が誤っているのか”との仰せにも、金吾に対する心配りが感じられます。どこまでも、金吾のために、今こそ「此経難持」の言葉を命に刻ませようと、このお手紙を認められたのではないでしょうか。

仏とは戦い続ける人間

人間は、えてして「いざという時」に迷いが生じるのです。凡夫の身として仕方のないことでもありましょう。しかし、何があっても、信心の歩みは止めてはならない。」成仏への道を閉ざしてはならない。

日蓮仏法における成仏とは、“自身の生命に本来具わっている仏の境涯を涌現させ、何ものにも揺るがぬ、絶対的な幸福境涯を確立すること”にほかなりません。そのためには、絶えざる自身の生命練磨が不可欠です。

成仏とは、決してゴールではない。どのような事態にも突き進んでいく、勇気と智慧の人が仏です。

人間を離れて仏は存在しません。仏にも少病少悩というように、悩みも病もありなす。熾烈な魔との闘争もある。しかし、困難な環境を、さらなる飛躍・発展への好機と捉え返し、たゆまず前進する中に、本当の仏の生命の輝きがあります。戦い続ける人が仏だからです。

日蓮仏法における成仏とは、その仏の境涯を、私たちの現実の生活の中に現し切る中にあります。そのための信心の実践です。

戸田先生は、よく「たゆまず流れ出ずる水の信心であれ!溜まり水は動かないから腐ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退転である」とかたられていました。

この「此経難持」という法華経の文の後には、「是れは則勇猛なり、是れは則ち精進なり」と続きます。

「勇猛精進」とは、法華経を実践する根本の魂であり、心が勇猛果敢で、苦難に挑戦し、力を尽くして仏道修行に励むことです。

信心とは、常に自分自身との戦いであり、苦難に打ち勝つためには、戦いをやめてはならない。いな、戦い続けるなかに、必ず仏の生命が現れるのです。つまり、「此経難持」とは、法華経を持ち続けることの難しさを示すとともに、仏法者として、いかなる困難とも戦い続ける深い決意に立つことを教えているとも拝せます。かつて、初代会長の牧口常三郎先生は青年に語られました。

「勇猛精進したまえ!仏法は実行だよ。精進だよ。老齢にはなったが、私も実践しています」と。

勇んで挑戦するところに、生命の躍動があり、智慧も生まれます。そこに歓喜があり、希望がみなぎるのです。勇猛精進に徹する人には、永遠に行き詰まりがない。勇猛精進の人こそ、仏法の真髄を体得する人と言えるのではないでしょうか。

真実の「現世安穏」の大境涯

続いての御文に説かれる「現世安穏・後生善処」とは、法華経薬草喩品第5の文で、「現世安穏にして後に善処に生じ」と読みます。

この「現世安穏・後生善処」の一節について、大聖人は本抄以外にも、四条金吾に、その本義を繰り返し教えられています。 「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)では、「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり」(1143:03)と記されています。

「現世安穏」とは、何の難もないことではありません。どんいな難があっても微動だにせず、妙法を持ち抜いて師子王のように勇んで戦い、勝っていくことです。だから、法華経を持ち続ける中にこそ、本当の「現世安穏・後生善処」があるのです。

大聖人の御在世に、この仏法を持ち続けていくことがいかに至難であったか。

大聖人は、「我が弟子に朝夕教えしかども」(0234:08)、多くの弟子は、」実際に法難に直面すると、師の教えを忘れ、臆し、退いてしまったと、厳しく仰せです。

信仰に命を惜しまない四条金吾でさえも、現実の複雑な人間模様を通して信仰への妨害があった時に、「現世安穏」への確信が揺らいでしまう。そうした厳しい金吾の現実の葛藤を、大聖人は深く見通されたがゆえに、弟子の不安を晴らすために、大確信と慈愛の励ましを、繰り返し送り続けられたのです。

四条金吾もまた、その師の言葉を信じ実直な信心を実践し抜いたからこそ、たび重なる迫害に最後は勝利して、堂々たる師弟一体の栄光の実証を築きあげることができたのです。

本文

   法華経の文に難信難解と説き給ふは是なり、此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、「則為疾得・無上仏道」は疑なし、

現代語訳

  法華経法師品第十の文に「法華経は信じ難く理解しがたい」と説かれているのは、このことをいうのである。法華経を聞き受ける人は多い。だが、真実に聞き信受して、どんな大難がきても、この法華経をつねに憶い持って忘れない人はまれである。受けることはやさしいが、持つことはむずかしい。したがって、成仏は持ちつづけることにある。それゆえ、この法華経を持つ人は必ず難に値うのだと心得て持つべきである。法華経見宝搭品第十一に「法華経を暫くも持つ者は則ち為れ疾く速やかに、最高の仏道を得る」ことは疑いないのである。

講義

憶持不忘の人を仏は讃嘆

法華経は、仏の真意をありのままに説いた随自意の教えです。「難信難解」であり、法華経を弘通すれば、経文に説かれている通り、さまざまな反発や迫害に遭うことも必定です。大難は賢人・聖人も免れることはできません。まして、末聞の宗教革命となれば、非難を避けることはできないでしょう。

この原理が分かっていても、いざ難に遭うと動揺してしまう。それゆえに大聖人は「大難来れども憶持不忘の人は希なるなり」と、厳愛の御指導をされているのです。

「憶持不忘」とは、常に心に思って忘れないこと、心の中にとどめること、覚えることの意です。

法華経の結経である普賢経には「深法を説くことを聞いて、其の義趣を解し憶持して忘れじ。日日に是の如くして、其の心は漸く利ならん」と記されています。

この「此経難事」「憶持不忘」の一点さえ見失わなければ、信心の極意を得ることができます。

「まことの時」に、信心を固く忘れぬ人こそ、人生の英雄であり、勝利者となるのです。

今、多くの新入会の友が誕生し、喜びあふれた入会記念勤行会が各地で開催されています。その時に、よく確認される御文が、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」との御指南です。

ここでは、末法の仏道修行の根本である「受持」について、特に「受」と「持」に分けて述べられています。

御本尊を受持することにもまして、信仰を持ち続け、一生涯信心を貫くことは、さらに至難なことです。大聖人は弟子や門下に対し、御書のいたる所で、信心を貫き通していくことの重要性を強調されています。

「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」(1182:四条金吾殿御返事:01)

「法華経の信心を・とをし給へ」(1117:四条金吾殿御返事:18)

「とをす」「とをし」との言葉から、一貫して変わることのない信心の姿勢を重んじられた大聖人の御心が拝されます。本抄で言えば、それが「成仏は持つにあり」との仰せです。「持つ」とは、競い起こる難と戦い、仏の教えを実践していくという能動的な姿勢にほかなりません。

信心を「貫き通す」「持ち続ける」には、不断の精神闘争が必要です。ただ漫然と信仰するだけでは、押し寄せる大難の前に敗れてしまいかねない。

「三障四魔」が競い起こった時に、それに立ち向かうか敗れてしまうか。信仰への非難や迫害、そして、宿業など自身を取り巻く環境に敗北するのか、攻め返していけるのかは、実は、私たちの信仰の強さ、深さです。常に自身の心を磨き、全部わが生命の変革から始まると決意をして、勝利するまで戦う誓願を起こすのです。それが「信心」にほかなりません。

「難来るを以て安楽」

「御義口伝」に「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し」(0751:第一唱導之師の事:15)とあります。

信心を常に奮い起こす中に、御聖訓の「貫く」「持つ」実践の成就があるのです。まさしく「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190:聖人御難事:11)との一節は“わが弟子を絶対に退転させてなるものか”“全員を勝利者、幸福者にさせたい”との大慈大悲の願いが込められているものと拝されます。

あらためて、「必ず難にあうのだと心得て持つべきである」「そのなかで、速やかに無上の仏道を得ることができる」との仰せは信仰の根幹を教えられたものです。

「難来るを以て安楽と意得可きなり」(0750:第一安楽行品の事:02)との御文の通り、広宣流布に生き切る信心を教えてくださったのが、先師・牧口先生であり、恩師・戸田先生です。

この両先生の不惜身命の実践に連なって、自身も広布の大道を生ききっていこうとする弟子の誓願と行動の中に、「成仏は持つにあり」の実現があります。

大聖人が仰せになられた「希なるなり」を、草創以来の歴史を通して、数多くの学会員が実現してきました。それが「創価学会の信心」です。

一人一人が、永遠に輝きわたる所願満足の人生を勝ちかざっていくことは、絶対にまちがいありません。

本文

   三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持とは云うなり、経に云く「護持仏所属」といへり、天台大師の云く「信力の故に受け念力の故に持つ」云云、又云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり」云云、 

現代語訳

  三世の諸仏の大事である南無妙法蓮華経を念ずることを持つというのである。法華経勧持品第十三には「仏の所属を護持する」といっている。天台大師は法華文句巻八では「信力のゆえに受け、念力のゆえに持つ」といっている。また見宝搭品第十一には「法華経は持ちがたい。もし暫くも持つ者は、我、即ち歓喜す。諸仏もまた歓喜するのである」と説いている。

講義

社会に信念の人を

大聖人は続いて「三世の諸仏が最も大事にしている南無妙法蓮華経を念ずることを『持つ』というのです」と仰せられています。私たちが「持つ」べき妙法が、いかに深遠であるのか。三世のあらゆる仏が修行の根本とした成仏の法が南無妙法蓮華経であり、この一法こそが私たちが持つべき法であることを示されています。

この南無妙法蓮華経を「受持」する修行は、「信力」によって受け、「念力」によって持つことになるのです。

ここで、「念」とは、「覚えておくこと」「忘れないこと」です。自身が師匠に約束した誓願を貫き通していく。そのことが「持つ」ことの最大の力となるのです。

そして、「此経難事」と心得て、仏法を持つ者が、仏から最大に賞讃され、大功徳を得ていくことは間違いありません。

戸田先生はかつて「社会に信念の人を」と題して、こう述べられました。

きちんと出来あがっているように見えて、なんとなくもの足りない日本。何となく底が浅い日本。そのうつろさ、空虚さを、どう打ち破るか。

原因は「人」にある。一人一人が「生き生きとして、はちきれるような生命力」にかがやくことだ。「信念の人」をつくることだ。

そのためには「正しい宗教によって生命力を強める以外にはない」と。これが、戸田先生の教えと行動でした。

また、このようにも、よく語られていた。

御本尊を信じ、人生を生き切っていけ!これが一切だ。いくら愚癡をこぼしていても、つまらぬことでくよくよしても、どうしようもないではないか。御本尊に題目をあげて、自分の境遇で、自分の立場で生き切っていけ!」と。

どこまでも、信心根本に生き抜く人が、勝利の人生を歩んで行けるのです。

結局、困難というものは、どんなに逃げ回ったとしても、避けることはできません。同じ生きるなら、「さあ、何でもかかってこい」と勢いよく、強い生命力で楽しんで悠々と迎え撃つほうが、爽快であり、価値的です。学会には言うに言われぬ苦悩や悲嘆に屈せず、逞しく乗り越え、快活に戦い抜く姿を、誇りをもって人に示していく、信心の英雄というべき、無名の庶民が無数に存在します。

大変であっても、明るい、苦しいはずなのに、賑やかに前進する。腹を決めて、大境涯から一切を包み込んでいく。自他共の幸福の実現。自他共の宿命の転換を目指し、日々、奔走する学会員の姿が、どれはど多くの人々に勇気と希望と確信をあたえていくことか。後世の民衆史に燦然と刻まれる大英雄たちであることは疑いありません。

本文

   火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし、

現代語訳

  火に薪を加える時には火は盛んに燃える。大風が吹けば求羅は倍増するのである。松は万年の長寿を持つゆえに枝をまげられる法華経の行者は火と求羅ようなもので、薪と風とは大難のようなものである。法華経の行者は久遠長寿の如来である。ゆえに松の枝を切られ、曲げられることは疑いないのである。これより以後は「此経難持」の四字を暫時も忘れずに案じていきなさい。

講義

大難が信心を強める

最後に大聖人は、難に挑む私たちの姿勢はいかにあるべきかを、譬えをもって、また道理のうえから示されています。

火の中に薪を入れると、火は一層大きく燃え上がり、勢いを増します。求羅とは仏典に出てくる想像上の生き物ですが、風が吹けば吹くほど成長し、体が大きくなるといわれます。ここでは、火と求羅を、法華経の信仰者としての私たちの信心に譬えられ、薪と風を、その信心に反対する大難に譬えられています。

すなわち、火が薪を加えられて一層燃え上がり、求羅が大風を受けてますます大きくなるように、私たちも大難に遭えば遭うほど、信心の炎を燃え上がらせ、一層たくましく成長していくべきである、と教えられているのです。

「法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑いなかるべし」とは、妙法を実践する者は久遠の妙法をわが生命とすることにより、「久遠長寿の如来」になることができる、そのための修行であるから、そこに熾烈な難が競うことは当然である、との仰せです。

法華経の行者に難が起こるのは、「久遠長寿の如来」の境涯を得ること、すなわち“成仏”という偉大な目的のための修行であるからです。松が長年の風雪に鍛えられ枝を、曲げられながら逆に見事な枝振りとなっていくように、逆境を勝利への源泉としてこそ、成仏の大境涯を得ることができる、と大聖人は述べられています。

したがって、どんな障魔が競い、苦難があろうと、それに負けずに信心に励めば、いよいよ威光勢力を増し、福運を増大することになります。「久遠長寿」です。私たちが苦悩を突き抜けた時に、偉大な境涯革命をした自分を知ることができる。広宣流布という壮大な目的に向かって、師弟一体で永遠に戦い続ける境地こそ「久遠長寿の如来」の生命にほかなりません。言うならば、崩れざる幸福境涯の確立です。

ゆえに、大聖人が仰せの「此経難事の四字」を片時も忘れずに胸に刻み、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」との勇敢な前進が肝要なのです。

ブラジルSGI発展の因

苦難を乗り越えた先に、晴れ晴れとした大きな勝利が開かれる。このことを、身をもって示してきたのが、ブラジルSGIの同志です。

今から30年前の1984年4月2日、私は3度目となるブラジル訪問を果たしました。

この10年前の74年3月、私は訪問先のアメリカからサンパウロでの文化祭に向かう予定でした。しかし、軍事政権によってビザが発給されず、ブラジルに入国できなかったのです。ブラジルの同志の胸中を思うと私の心は張り裂けそうでした。しかし、電話を通して、私はブラジルのリーダーに言いました。

「辛いだろう。悲しいだろう。悔しいだろう。しかし、これも、すべて御仏意だ。きっと、何か大きな意味があるはずだよ」「ブラジルは、今こそ立ち上がり、これを大発展、大躍進の因にして、大前進を開始していくことだ。また、そうしていけるのが信心の一念なんだ。長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」と。ブラジルの同志は、ここから「よし!ブラジルの国土を変革するような題目をあげ抜こう!ムトイ・マイス・ダイモクを合言葉に前進しました。

翌75年4月んは、首都ブラジリアの誕生15周年を祝う記念行事の一環として、ブラジリア連邦区からの要請で文化祭を開催しました。その模様は、地元紙にも「わが国の誇る文化団体」と報道され、社会の見る目も段々と変わっていきました。

そして迎えた84年2月、軍政から民政へ道を開いたフィゲイレド大統領の招聘により、18年ぶり3度目の訪問が実現したのです。

ブラジルのメンバーは、平和のため、人々の幸福のために日々、行動し、社会の発展に貢献してきました。偉大な勝利の実証を示していました。

1984年2月25日、私は、待ちに待った友の乱舞の中に飛び込みました。第1回SGIブラジル大文化祭のリハーサルの際は場内を一周し、本舞台でも感動の渦の中にいました。会場に響きわたった「ピゲ!ピゲ!」の大歓声は今も、耳から離れません。ブラジルは、まさに全世界の王者として大発展を遂げています。

「師弟直結」勝利への軌跡

本抄を頂いた四条金吾の苦難は、その後、数年にわたって続きましたが、常に大聖人より御指導を受けて、見事に乗り越えていきました。そして、主君を誠実に看病したことから、信頼を回復し、弘安元年(1278)には、所領も増加するという大勝利の実証を示したのです。

金吾は大聖人に直結していたからこそ、信心を貫き、勝利することができたのです。

信心とは間断なき魔との闘争です。

信心とは、行き詰まりとの戦いです。

信心とは諦めない勇気です。

信心とは「困難に立ち向かう心」です。

そして、信心とは、御聖訓を勇敢に実践する「師弟不二の心」です。

私たちは、どこまでも御本仏の言葉を心に刻み、不退の勇者として共戦のスクラムも固く、世界広布新時代を前進してまいりたい。

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