- 十八円満抄 第九章(天真独朗の止観と一念三千との関係示す)
- 現代語訳
- 語句の解説
- 講義
- 座主の云く天真独朗とは一念三千の観是なり、山家師の云く一念三千而も指南と為す一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く
- 和尚の云く天真独朗に於ても亦多種有り乃至迹中に明す所の不変真如も亦天真なり、但し大師本意の天真独朗とは三千三観の相を亡し一心一念の義を絶す此の時は解無く行無し教行証の三箇の次第を経るの時・行門に於て一念三千の観を建立す、故に十章の第七の処に於て始めて観法を明す是れ因果階級の意なり
- 大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でた大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でたるなり
十八円満抄 第九章(天真独朗の止観と一念三千との関係示す)
問うて云く天真独朗の止観の時・一念三千・一心三観の義を立つるや、答えて云く両師の伝不同なり、座主の云く天真独朗とは一念三千の観是なり、山家師の云く一念三千而も指南と為す一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く、和尚の云く天真独朗に於ても亦多種有り乃至迹中に明す所の不変真如も亦天真なり、但し大師本意の天真独朗とは三千三観の相を亡し一心一念の義を絶す此の時は解無く行無し教行証の三箇の次第を経るの時・行門に於て一念三千の観を建立す、故に十章の第七の処に於て始めて観法を明す是れ因果階級の意なり、大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でたるなり。
現代語訳
問うて言う。天真独朗の止観の時、一念三千・一心三観の義を立てるのであろうか。
答えて言う。行満・道邃の両師の伝は同じではない、座主の言うには『天真独朗とは一念三千の観のことである。このことを妙楽大師は“一念三千を指南とする”といっている。一念三千とは一心から三千を生ずるものでなく、一心に三千を生ずるものでもなく、並立でもなく、次第でもなく、ゆえに理非造作と名けるのである』と。
和尚の言うには『天真独朗においもまた多種類がある(乃至)迹門のなかに明かすところの不変真如もまた天真独朗なのである。ただし天台大師の本意の天真独朗とは三千三観の相を滅し、一心一念の義を絶したところにある。このときは解もなく行もない。教行証の三箇の次第を経るとき、行門において一念三千の観を建立するのである。ゆえに摩訶止観の全十章のうち第七章のところにおいて初めて一念三千の観法を明かしたのである。これは因果のうえに階級を定めるという意からである』と」と。
天台大師の内証の伝のなかには『第三の止観には伝転の義はない』と言っている。ゆえに証分の止観には別法を伝えているわけではないことを知らなくてはならない。
今、摩訶止観に記されているのは、始めから終わりまで、皆、教行のうえのことであって、実証の分ではないのである。
開元符州の玄朗師の相伝のいうところでは『言葉をもって伝えるときは行証ともに教となり、心をもってこれを観ずるときは教証は行の体となる。証をもってこれを伝えるときは教行もまた不可思議である』とある。後学は、この語に意を留めて決して忘れてはならない。これこそ、この宗の本意であり、立教の元旨なのである。道邃和尚の貞元の本義の源はここから出たのである」と。
語句の解説
天真独朗の止観
南岳大師は天台大師に三種止観を伝えたが、修善寺相伝日記では教門止観・行門止観・証分止観の三種を説く。そのうち教門止観には①廃教立観②開権顕観③天真独朗の止観の三種を説いている。すなわち「三には天真独朗の止観。謂く、理非造作のゆえに天真と曰い、証智円明のゆえに独朗と云う。全く観行の相を離れ、更に修すべき観もなく証すべき位もなし」とあり、天真独朗を示している。
止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
指南
教え示すこと。導くこと。師範の意味。中国唐代の「指南書」の故事によるものとされている。
並立
同時並存のこと。
理非造作
止観輔行伝弘決観1には「理非造作のゆえに天真と曰い、証智円明のゆえに独朗と云う」とある。
迹中に明す所の不変真如
円教では真如に隨縁と不変があるとし、随縁真如は本門で不変真如は迹門であるとしている。
大師
①大導師のこと。②仏・菩薩の尊称。③朝廷より高徳の僧に与えられた号。仏教が中国に伝来してから人師のなかで威徳の勝れたものに対して、皇帝より諡号として贈られるようになった。智顗が秦王広から大師号が贈られ、天台大師と号したのはこの例で、日本人では最澄が伝教大師・円仁が慈覚大師号を勅賜されている。
教行証
教行証とは教法と行法と証法のことで、三法ともいう。教とは仏の説いた教法をいい、行とは教法によって立てられた修行法をいい、証とは教・行によって証得される果徳をいう。
観法
法を観ずることで、観念・観察・観行・観門等というのに同じ。法を観ずるとは、心を一処に定めて、智慧によって対境を思察、分別、照見うること、すなわち修行の方法の意味である。日蓮大聖人の仏法でいえば、信心によって御本尊を証徳すること。各宗とも、それぞれの観法があり、小乗教においては、声聞の修行として四諦観を説き、縁覚の修行として十二因縁の観法を説いた。権大乗教において法相宗は五重唯識観を立て、三論宗は八不中道観を、華厳宗は四界観を、浄土宗は観無量寿経によって阿弥陀の依正二報を観ずる十六観を説く。これらは四十余年の爾前権教の観法であり、真実の観法ではなく、これによって成仏はできない。天台大師は止観において、釈尊の実教たる法華経にもとずいて、一心三観・一念三千の観法を説いた。しかし、止観でいう一念三千の観法といっても、所詮、像法時代の修行であって末法には用をなさない。日蓮大聖人は、病治抄に「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなり」(0998:15)とあり、末法においては、観法とは事の一念三千の大御本尊を修行するにつきるのである。一念三千法門には「一念三千の観念も一心三観の観法も妙法蓮華経の五字に納れり、妙法蓮華経の五字は又我等が一心に納りて候けり」(0414:06)ともある。
因果階級
因果の故に階級・順序を定めること。
第三の止観
証分の止観のこと。
伝転の義
後世に伝えていく奥義のこと。
証分の止観
三重の止観のひとつ。止観を経説として他に伝えることは教門の止観、観念観法の行法として伝えるときは行門の止観、天台大師の内証の妙観とその対境としての妙法は不思議・不可説であってこれを証分の止観という。
開元符州の玄師
(0673~0754)左渓玄朗のこと。中国天台宗の第5代座主。9歳で出家し、21歳のとき清泰寺に住した。その後光州の岸律師について律を学び、経・論を学んだ。また東洋天宮寺の慧威の下で、法華・止観・大論・浄名などを修め、一宗の義に通達したという。弟子に妙楽がいる。開元は玄師の生存時の年号。符州は生誕地。
後学
①人の開いた学問や知識を後から学んでいく後進・後生・後輩。②後のためになる知識・学問。
講義
ここから、大段の第三に入る。修禅寺相伝日記の文は引用されている。
まず、天真独朗の止観のときに一念三千・一心三観の義を立てるのか、という問いがあり、その答えとして行満と道邃の両師の間において相伝の違いがあることを述べ、以下、行満の相伝と道邃の相伝をそれぞれ紹介している。そして、天真独朗の止観と一念三千との関係を釈している。
座主の云く天真独朗とは一念三千の観是なり、山家師の云く一念三千而も指南と為す一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く
ここでの「座主」とは行満座主と思われる。行満は、天真独朗の止観と一念三千との関係について、両者は同じである、と述べている。その理由として、山家師の「一念三千を指南と為す」という文を引いている。
行満座主は、この妙楽大師の「一念三千を指南とする」という文に基づき「一念三千とは一心より三千を生ずるにも非ず一心に三千を具するにも非ず並立にも非ず次第にも非ず故に理非造作と名く」と述べている。
すなわち、一念三千というのは、一心を実体と立てて、この一心から三千という万法が生ずるとする。哲学上にいう一種の「発出論」でもなければ、同じく一心をやはり実体と立てて、この一心が三千万法を含み包み込む、というものでもない。
またその両者が併存しているものでもなく、また最初は、一心から三千万法を生じ、次に、その一心が三千万法を含む、というように次第するものでもない。
要するに、一心即三千、三千諸法即一心であり、これを「理非造作」と名づく、と述べているのである。
「理非造作」という言葉は、妙楽大師の止観輔行伝弘決卷一において「理非造作のゆえに天真と曰い、証智円明のゆえに独朗と云う」と説かれているのである。
「理非造作」とは「理は造作に非ず」と読み、前述したごとく、一念三千の理は後天的にだれかによって作られたものではなく、天然自然の理であることを述べたものであり、したがってこれを「天真」ともいうのである。
次に「証智円明」とある。「証智」とは、菩薩が中道真実の理を証悟する智慧を指し、「円明」とは、完全無欠で隠れなく明らか、であることをいう。これを「独朗」、すなわち、独り朗らかに悟っている、ということである。
このように、行満座主は、天真独朗の止観と一念三千の観法とは全く同じである、としているのである。
和尚の云く天真独朗に於ても亦多種有り乃至迹中に明す所の不変真如も亦天真なり、但し大師本意の天真独朗とは三千三観の相を亡し一心一念の義を絶す此の時は解無く行無し教行証の三箇の次第を経るの時・行門に於て一念三千の観を建立す、故に十章の第七の処に於て始めて観法を明す是れ因果階級の意なり
「和尚」とは、次に述べられている言葉の内容から推量して、道邃のことであろうと思われる。道邃は、天真独朗についても多種多様な在リ方があり、法華経迹門に説かれる「不変真如の理」もまた「天真」といえるとしている。ただし、天台大師の本意の天真独朗とは、三千諸法や三観は消滅し、一心や一念という義を絶したところであり、したがってここでおいては、解や行ということもない、といっている。
換言すれば、天台大師の本意は、一切の法門の名称や修行の段階を超えた、不思議実相の観、に存在するというのである。
にもかかわらず、天台大師はなぜ一念三千の法門を説き、かつ修行の階梯を説いたかといえば、あくまで、天台大師己証の境地である不思議実相の観を、多くの弟子や衆生に獲得せしめるためであった、という。
「教行証の三箇の次第を経るの時・行門に於て一念三千の観を建立す」とは、一念三千や一心三観の「観法」は、「教」という仏の経法、「行」という、仏の教法により立てた修行法、「証」という、教法と行法によって証得される果徳、この「三箇の次第」のうちの「行門」として建立されたものである、ということである。
そのことは、天台大師の摩訶止観十章の構成をみれば明らかである。摩訶止観は、大意・釈名・大相・摂法・偏円・方便・正修・果報・起教・旨帰の十章からなっているが、前の六章では、止観を実修するための、其準としての正しい知識や実践の方軌などを明かし、第七章で初めて止観の正しい修し方を示したのである。
このことは、摩訶止観巻五上にも「前六重は修多羅に依りて以って妙解を開く」と述べているとおりであり、第七章の正修の意義について、妙楽大師は止観輔行伝弘決卷五で「止観に至って正しく観法を明かすに、並びに三千を以って指南と為す。乃ち是れ終究竟の極理なり」と述べている。
このような行門の一念三千・一心三観の立て方は、弟子や衆生のために、あえて因から次第に果に至るという「階級」を設けたものである、というのが「是れ因果階級の意なり」という意味である。
天真独朗と止観と一念三千との関係をめぐっての、行満と道邃の二人の相伝の相違においていえることは、行満が天真独朗の止観と一念三千の観法とを一体としてとらえるのに対し、道邃のほうは、天真独朗の止観こそ天台大師の本意そのものであるとしたうえで、一念三千の観法はどこまでも衆生のために設定した「行門」であるとしていることである。
大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でた大師内証の伝の中に第三の止観には伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ宛かも此の宗の本意・立教の元旨なり和尚の貞元の本義源此れより出でたるなり
「大師内証の伝」とは、天台大師の内心の悟りを伝えた相伝、ということである。
そのなかに「第三の止観には伝転の義無し」とある、という。「第三の止観」というのは教・行・証のなかの「証分の止観」である。
これについて、修禅寺相伝日記に「問う、一家の本承に教・行・証の三重の止観あり、其の相はいかん。答う、貞元二十四年六月三日の伝法に云く、『止観に別相なし、ただ衆生の心性を点ずる、即ち是れなり。亦三種を分かつ。一には教、二には行、三には証なり』と」とある。
意味は、もともと止観とは、衆生の心の本性を「点ずる」、すなわち点検することであって、別の相はないのであるが、これを分けて、教・行・証の三種の止観を設定したのである、ということである。
貞元二十四年六月三日の伝法とは、伝教大師が道邃和尚から授けられた相承をさしている。第三の止観とは、教・行・証の三種止観のうち「証」の止観のことである。
この第三の止観に「伝転の義無し」というのは、証分の止観には「伝転の義」、すなわち、後世に伝え転じていく意義はないということである。
これに関して、同じく修禅寺相伝日記には「証分の止観とは、本所に於いて通達するに更に大師の説を待つべからず。文に意く『天真独朗』と。若し大師の他説を待たば更に独朗に非ず」とある。
証分の止観とは、天真独朗の止観と同じもので、天台大師の内証・本意の不思議実相の止観であり、不可説にして言語道断・心行所滅の境地である。ゆえに、「他説」すなわち言語にして説いたものは、証分の止観ではないとしているのである。
これに対し、「教」の止観は、教説として他に伝えることが可能なのであり、「行」の止観は同じく、観念観法の修行法として伝えることができるものである。
ゆえに「証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂而して実証の分に非ず」と述べているのである。第三の止観=証分の止観には、特別の法を伝えないのであり、したがって、摩訶止観十章の初めから終わりに至るまで説かれているところの種々の事柄はすべて、三種止観のうち教・行の二門に属するところであって、実証の分たる「証分」の止観については一言も説かれていない、としている。
次の、開元符州の玄師の相伝の内容は、言葉をもって止観を伝えるときは、行も証もともに「教」となり、心で止観を行ずるときは教も証も「行体」となり、証をもって止観を伝えるときは、教も行も皆「不思議」となると、述べている。つまり、前述のように教・行・証の三種止観は、本来、別々のものではないということである。
「後学此の語に意を留めて更に忘失すること勿れ」との文は、以上、天台大師の内証の伝、天台第五代座主左渓玄朗の相伝によって、天真独朗の止観、すなわち、第三・証分の止観=不思議実相の止観を根本にしつつも、教門の止観、行門の止観についてもその役割と必然性をよく知悉して、道を踏み外してはならないと教えているのである。
これが、道邃和尚の貞元の相伝の本義であることを説き「宗の本意・立教の元旨」である、と結論している。