下山御消息 第十三段第四(法華経誹謗に諸天等の治罰)
建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基
今の世も又一分もたがふべからず日蓮を賎み諸僧を貴び給う故に自然に法華経の強敵となり給う事を弁へず、政道に背きて行はるる間・梵釈・日月・四天.竜王等の大怨敵となり給う、法華経守護の釈迦・多宝:十方分身の諸仏・地涌千界・迹化他方・二聖:二天・十羅刹女・鬼子母神:他国の賢王の身に入り代りて国主を罰し国をほろぼさんとするを知らず、真の天のせめにてだにもあるならばたとひ鉄囲山を日本国に引回し須弥山を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも法華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に蹋たりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ日本守護の天照太神・正八幡等もいかでか・かかる国をばたすけ給うべきいそぎいそぎ治罰を加えて自科を脱がれんとこそはげみ給うらめをそく科に行う間・日本国の諸神ども四天大王にいましめられてやあるらん知り難き事なり
現代語訳
今の世もまた一分の狂いもなくまったくこの通りの状況です。日蓮を賎み、諸宗の僧を貴ばれるがゆえに、おのずと法華経の強敵となるということを弁えず、政道に背いたことをされたために、梵天・帝釈・日天・月天・四天王・竜王等の大怨敵とられたのです。法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩・迹化他方の諸菩薩・二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神等が他国の賢王の身に入り代わって、この国主を罰し、国を滅ぼそうとしているということを知らないでいます。
もし真に諸天の責めであるならば、たとえ鉄囲山で日本国を取り囲み、須弥山を蓋として、十方世界の四天王を集めて波打ち際に並べて防がせようとしても、法華経の敵となって教主釈尊よりも大事な法華経の行者たる日蓮を法華経の第五の巻で打ち、法華経十巻をひき散らかし散々に踏みにじられた大禍は現当二世にわたって逃れ難いでありましょう。
日本国の守護神である天照太神・正八幡大菩薩等もどうしてこのような国をお助けになるでありましょうか。逆に急いでこの国を罰することによって、自らの罪科を脱がようとしておられるに違いないのです。それとも罰しないという失によって、日本国の諸神はすでに四天王に戒められているのでありましょうか。いずれとも知り難いことです。
講義
臣下の諌めを用いなかったために滅びていった中国の夏の紂王や呉王、インドの阿闍世王や日本の平宗盛らの例を引かれたうえで、「今の世」もまったく同様であると仰せられています。
すなわち、幕府は日蓮大聖人の諫言を用いようとせず、かえって軽んじ、諸宗の僧侶を尊んでいるために、法華経の強敵となっていることに気付かないでいます。しかも、大聖人を政道を曲げてまで処刑しようとさえしたのです。
このように、幕府は政道を無視して理不尽に大聖人を迫害したことによって、梵天・帝釈・日月等の諸天善神の大怨敵となってしまったのです。なぜならば、幕府の政道の基本たる貞永式目は、これら梵釈・四天等に起請してこそ、定めた条目を守るべきことが明記されているからです。しかも、法華経の行者である大聖人を迫害したことは、法華経守護の釈迦・多宝・十方諸仏・地涌千界・迹化他方の諸菩薩等から治罰を受けることになるのでっす。
梵天・帝釈以下の諸天善神が法華経の行者を守護することについては法華経安楽行品第十四に、「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も衛護し、能く聴く者をして、皆歓喜することを得せしめん」とあります。大聖人は「諌暁八幡抄」でこの安楽行品の文を引かれて「経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり」(御書全集588頁14行目)と仰せられています。このゆえに、大聖人に敵対する者に対しては、諸天善神がこれを罰するのです。
このように謗法の国を治罰するというのとは別に、正法が失われた国を諸天は捨て去るという原理も説かれています。それは、正法の法味は諸天にとっての威光勢力を増すもとだからです。したがって、国主等の為政者が正法に敵対し、正法が廃れれば、諸天は法味をなめて威光勢力を増すことができないために、その国を去ってしまうのです。「唱法華題目抄」には「守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ利生を止此の国をすて他方に去り給い」(御書全集8頁8行目)と仰せです。
「立正安国論」に引用されている金光明経には次のようにある。
「金光明経に云く『其の国土に於て此の経有りと雖も未だ甞て流布せしめず捨離の心を生じて聴聞せん事を楽わず亦供養し尊重し讃歎せず四部の衆・持経の人を見て亦復た尊重し乃至供養すること能わず、遂に我れ等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ甘露の味に背き正法の流を失い威光及以び勢力有ること無からしむ、悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん、世尊我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無けん、但だ我等のみ是の王を捨棄するに非ず 必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん、既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有つて国位を喪失すべし、一切の人衆皆善心無く唯繋縛殺害瞋諍のみ有つて互に相讒諂し枉げて辜無きに及ばん、疫病流行し彗星数ば出で両日並び現じ薄蝕恒無く黒白の二虹不祥の相を表わし星流れ地動き井の内に声を発し 暴雨・悪風・時節に依らず常に飢饉に遭つて苗実成らず、多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地所楽の処有ること無けん』」(御書全集18頁3行目)
また「報恩抄」では同経の次の文を引かれています。「金光明経に云く『時に鄰国の怨敵是くの如き念を興さん当に 四兵を具して彼の国土を壊るべし』等云云、又云く『時に王見已つて即四兵を厳いて彼の国に発向し討罰を為んと欲す我等爾の時に当に眷属無量無辺の薬叉諸神と各形を隠して為に護助を作し彼の怨敵をして自然に降伏せしむべし』等云云」(御書全集313頁5行目)
大聖人はこの経文に続いて、「最勝王経の文又かくのごとし、大集経云云仁王経云云、此等の経文のごときんば正法を行ずるものを国主あだみ邪法を行ずる者のかたうどせば大梵天王・帝釈・日月・四天等・隣国の賢王の身に入りかわりて其の国をせむべしとみゆ」(御書全集313頁8行目)と述べられています。
さて本抄では「法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界・迹化他方・二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神」が「賢王の身に入り代りて国主を罰し」と仰せられています。つまり、諸天のみならず諸仏・諸菩薩も、法華経を守護するために、他国の賢王の身に入り代わって法華経に敵対する国主を責め、その国を滅ぼすであろうと仰せなのです。これは、仏・菩薩にとっても、その成道の根本は妙法であり、あらゆる功徳の根源も妙法であるがゆえに、妙法を何よりも大切にするからです。具体的に釈迦・多宝・十方分身の諸仏、いわゆる三仏が守護することについては「諸法実相抄」に次のように仰せられています。
「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし」(御書全集1361頁10行目)
また地涌千界等の菩薩の守護については、「顕仏未来記」に「仏の滅後に於て四味・三教等の邪執を捨て 実大乗の法華経に帰せば 諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん」(御書全集507頁5行目)と述べられ、「日女御前御返事」には、「陀羅尼品と申すは二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説きけり、二聖と申すは薬王と勇施となり・二天と申すは毘沙門と持国天となり・十羅刹女と申すは十人の大鬼神女・四天下の一切の鬼神の母なり・又十羅刹女の母あり・鬼子母神是なり、鬼のならひとして人を食す、人に三十六物あり所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑と髪と毛と気と命等なり、而るに下品の鬼神は糞等を食し・中品の鬼神は骨等を食す・上品の鬼神は精気を食す、此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり、鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す・悪鬼は法華経の行者を食す」(御書全集1246頁7行目)と、二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神による守護が明かされています。
すなわち法華経陀羅尼品第二十六において、まず薬王菩薩は釈尊に、「世尊、我今当に説法者に陀羅尼呪を与えて、以って之を守護すべし」と誓い、勇施菩薩も、「我亦法華経を読誦し、受持せん者を擁護せんが為に陀羅尼を説かん」と法華経の行者を守護することを誓っているのです。また、毘沙門天・持国天王・十羅刹女・鬼子母神もそれぞれ陀羅尼を説いて法華経を受持する者を擁護することを述べています。
この故に、国主が法華経の行者を迫害した場合、これらの諸仏・菩薩・諸天等は法華経の行者を守護するために国主を治罰するのです。本抄で大聖人は、一国謗法と化した日本国が他国に攻められる所以がそこにあると仰せです。
教主釈尊より大事なる行者
この一節は、序講でも触れたように、日蓮大聖人が末法における御本仏であることを示唆された重要な御文です。
日蓮大聖人と釈尊との関係を知るうえで、「諸法実相抄」の次の御文はとりわけ重要でありましょう。
「如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり」(御書全集1358頁12行目)
同抄は文永10年(西暦1273年)5月、佐渡流罪中に著され、最蓮房日浄に与えられました。インド応誕の釈尊に対して、末法の凡夫僧たる大聖人こそ本仏であるということを示された画期的な法門と拝されます。
経文に説かれる三十二相八十種好の仏は、仏の生命の尊さを象徴化して描いたものであり、実在する仏は凡夫僧であるということを意味しているともいえます。これをさらに立ち入って解釈するならば、「凡夫」とは大聖人御自身にほかならないことが、本抄の「教主釈尊より大事なる行者」という御文に照らして明瞭となるのです。大聖人の御振る舞いは凡夫僧としての御振る舞いなのです。
さて本抄に戻ると、本文には、日本の国主がいかに蒙古の襲来に備えて防御に努めようとしても、法華経の仇となって教主釈尊よりも大事なる立場にあられる大聖人を、法華経第五の巻で打ったという大謗法の罪は現当二世にわたって免れ難い、と弾訶されているところです。
恐れ多くも大聖人を法華経第五の巻で打ったのは、平左衛門尉頼綱の一の郎従・少輔房でした。すなわち、文永8年(西暦1271年)9月12日、竜の口の法難の当日、平左衛門尉が大聖人を召し捕るために松葉ヶ谷の草庵を襲った際、その配下にある少輔房は、大聖人が懐中にしていた法華経第五の巻をもって大聖人の頭を三度打ったのです。この法華経第五の巻には三類の強敵が刀杖の難等を加えることを予言する勧持品第十三が収められています。
「上野殿御返事」に「杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども第五の巻をもつてうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり、されば・せうばうに日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には・法華経の故とはをもへども・いまだ凡夫なればうたてかりける間・つえをも・うばひ・ちからあるならば・ふみをりすつべきことぞかし、然れども・つえは法華経の五の巻にてまします」(御書全集1557頁7幼芽)と不思議なる経文の符合を指摘されています。
また本抄では、大聖人を迫害したこの「大禍」は、現当二世にわたって逃れることはできないと仰せになっています。蒙古襲来による国難はその総罰のあらわれですが、別罰として日寛上人は撰時抄愚記で、本抄の御文を引かれて、「この大科終に免れずして、平左衛門尉頼綱も宗祖滅後十二年に当たって一類皆滅亡せり」と、平左衛門尉の一族が大聖人滅後十二年にして滅びたことを、大聖人の兼知末萌における滅後符合の一例として挙げられています。
当時、幕府で強い力をもっていたのは、安達泰盛と平左衛門尉頼綱の二人でした。泰盛は執権時宗の外戚であり、頼綱は得宗の家人である御内人の筆頭でした。
時頼の後を継いで執権となった長時・政村はいずれも得宗ではありませんでしたが、これは得宗家の嫡子である時宗が幼少であったためです。御内人が権力の中枢に近づいたのは、文永5年(西暦1268年)に得宗が執権につくことによってです。その中心人物が平左衛門尉であり、内管領という彼の地位は御内人方の頭首を意味していました。
幕府のなかで御家人が勢力を強めてくるにつれて、一般の御家人は外様といわれるようになり、その対立が激化するようになりました。外様の筆頭が時宗の舅にあたる安達泰盛でした。弘安7年(西暦1284年)に時宗が34歳の若さで亡くなり、貞時があとを継ぐと、権力の主導権をめぐる平左衛門尉と安達泰盛との対立は、ついに弘安8年(西暦1285年)11月、霜月騒動と呼ばれる抗争となって勃発し、これは頼綱・御内人方の勝利に終わりました。
この騒動は、泰盛の子宗景が藤原氏を改めて源姓としたことから、頼綱はこれは、将軍になろうとする野心があったからだと貞時に訴え、泰盛一族を滅ぼしたものです。その結果、頼綱が権力を独占するに至りました。
しかし、権勢をほしいままにした頼綱の専横も長くは続かなかった。頼綱の嫡男左衛門尉宗綱が、父の頼綱を、次男飯沼安房守資宗を将軍に立てようとの陰謀を企んでいると執権・貞時に密告したのです。正応6年(西暦1293年)4月22日、貞時は頼綱父子を誅殺し、併せて一族郎党を滅ぼしました。また密告した平宗綱も佐渡に流されました。
平左衛門尉一族滅亡について日寛上人は次のように仰せられています。
「今案じて云く、平左衛門入道果円の首を刎ねらるるは、これ則ち蓮祖の御顔を打ちしが故なり。最愛の次男安房守の首を刎ねらるるは、これ則ち安房国の蓮祖の御頸を刎ねんとせしが故なり。嫡子宗綱の佐渡に流さるるは、これ則ち蓮祖聖人を佐渡島に流せしが故なり。その事、既に符合せり、豈大科免れ難きに非ずや」
まさに「聖人御難事」に「末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(御書全集1190頁2行目)と仰せの通りの結末であったといわざるをえません。
法華経法師品第十には、「若し悪人有って、不善の心を以って、一劫の中に於いて、現に仏の前に於いて常に仏を毀詈せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以って在家出家の、法華経を読誦する者を毀眥せん、其の罪甚だ重し」とあるように、法華経を受持する者をたとえ一言でも誹謗する罪は一劫という長い間、仏を罵る罪よりも重いとされているのです。いわんや「教主釈尊より大事なる行者」であられる大聖人を迫害した罪は、現当二世にわたって免れないのです。
法華経譬喩品第三には、「若しは仏の在世、若いは滅度の後に、其れ斯の如き経典を、誹謗すること有らん。経を読誦し書写すること、有らん者を見て、軽賤憎嫉して、結恨を懐かん、此の人の罪報を、汝今復聴け、其の人命終して、阿鼻獄に入らん、一劫を具足して、劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して、無数劫に至らん」と説かれており、大聖人はこの経文を「法蓮抄」に「今法華経の末代の行者を戯論にも罵詈・誹謗せん人人はおつべしと説き給へる文なり」(御書全集1042頁8行目)と釈されています。