下山御消息(第十二段第四)

下山御消息 第十二段第四(法華経説法と観音・勢至喜薩)

 建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基

その時、阿弥陀仏の一・二の弟子、観音・勢至等は、阿弥陀仏の塩梅なり、双翼なり、左右の臣なり、両目のごとし。しかるに、極楽世界よりはるばると御供し奉りたりしが、無量義経の時、仏の阿弥陀経等の四十八願等は「いまだ真実を顕さず」、乃至法華経にて「一に阿弥陀と名づく」と名をあげて、これらの法門は真実ならずと説き給いしかば、実とも覚えざりしに、阿弥陀仏正しく来って合点し給いしをうち見て、「さては、我らが念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮台と合掌の印とは、虚しかりけり」と聞き定めて、「さては、我らも本土に還って何かせん」とて、八万・二万の菩薩のうちに入り、あるいは観音品に「娑婆世界に遊ぶ」と申して、「この土の法華経の行者を守護せん」とねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内、南方補陀落山と申す小所を、釈迦仏より給わって宿所と定め給う。

現代語訳

その時、阿弥陀仏の第一・第二の弟子である観音菩薩と性至菩薩等は阿弥陀仏のあたかも按配であり、鳥の両翼のようなものでした。また左右の臣下であり、両目のようなものでした。この二菩薩は極楽浄土からはるばると阿弥陀仏のお供をしてきましたが、釈尊は無量義経において、阿弥陀経等の四十八願等の法門を未顕真実と説かれ、さらに法華経において一名阿弥陀仏とその名を挙げて、これらの法門が真実ではないと説かれたのです。

それを聞いた二菩薩はまさか真実であるとも思わなかったけれども、阿弥陀仏が来て確かに同意されたのを目のあたりにし、それならば我らが念仏者等を九品の浄土へ迎えるための蓮台と合掌の印とは虚妄であると理解したのです。

それでは、自分達も本土の極楽世界に戻っても仕方がないとして、八万あるいは二万という無数の菩薩の中に入り、観世音菩薩普門品第二十五に「娑婆世界において遊ぶ」と説かれているように、この娑婆世界において法華経の行者を守護しようと懇ろに誓われたのです。日本国に近い一閻浮提の中の南方にある補陀落山という小さな場所を釈迦如来から賜り、そこを住所と定められました。

講義

大聖人はここで、観無量寿経では、西方極楽浄土の阿弥陀如来、および、その脇士である観音・勢至菩薩が、共に法華経の会座に連なり、以後、この娑婆世界を住処とすることを指摘されています。

さらに勢至菩薩は、得大勢菩薩の名で常不軽菩薩品第二十の対告宗として登場し、観音菩薩は観世音菩薩普門品第二十五で、「云何がしてかこの娑婆世界に遊ぶ。云何がしてか衆生のために法を説く。方便の力其の事云何」との無尽意菩薩の問いに釈尊が答えて、三十三身を現じて諸の国土に遊び衆生を救済すると説かれています。観音品には、次のようにあります。

「善男子、若し無量千万億の衆生有って、諸の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて、一心に名を称せば、観世音菩薩、即時に其の音声を感じて、皆解脱することを得せしめん。」

このように、観音菩薩が三十三身に化身して、衆生を救済するであろうと説くこの品は、後代に独立して観音経といわれ、土俗信仰と混合して日本中に広まりましたが、もとより南無観世音菩薩ととなえることは、法華経の本来の意義を汲むものではありませんでした。観世音菩薩の自在神力を説く法華経を信受することが前提となっていなければならないからです。大聖人は「御義口伝」で次のように御教示されています。

「今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は観音の利益より天地雲泥せり、所詮観とは円観なり世とは不思議なり音とは仏機なり観とは法界の異名なり既に円観なるが故なり」(御書全集776頁、第二観音妙の事、2行目

観無量寿経においては、観音・勢至菩薩は阿弥陀仏の脇士とされていますが、これは阿弥陀仏を他仏として説く爾前・迹門の所談であり、法華経本門では、先に述べたように、阿弥陀仏は久遠実成の釈尊の分身であることが明らかにされています。したがって、これらの諸菩薩と釈尊との関係も本門の意から問いなおさなければなりません。このことは「開目抄」にも明確に述べられています。

「今久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光・月光・西方阿弥陀如来の観音勢至・乃至十方世界の諸仏の御弟子・大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩・猶教主釈尊の御弟子なり、諸仏・釈迦如来の分身たる上は諸仏の所化申すにをよばず 何に況や此の土の劫初より・このかたの日月・衆星等・教主釈尊の御弟子にあらずや」(御書全集214頁15行目

このように、阿弥陀如来・薬師如来等の諸仏が釈尊の分身たることが明らかになった以上、それら諸仏の弟子とされていた観音・勢至等の諸菩薩もその根源を尋ねればことごとく釈尊の弟子であったことが明らかになるのです。爾前・迹門はその根源を明らかにしていないゆえに、当分の意をもって阿弥陀如来等の弟子と名づけていたのです。言い換えれば、爾前権教で説かれる諸仏・諸菩薩はことごとく法華経によってはじめて、その真実の立場、働きが明らかになったのです。

この意味において、阿弥陀の四十八願等も、法華経が説かれなければ、すべて虚妄の教えであり、法華経を離れては阿弥陀仏自身、虚仏に過ぎません。なぜならば、無量寿経において、四十八願のすべてを成就して仏になったと説かれる阿弥陀仏も実は法華経を種子として正覚を成じたのです。大聖人は「題目阿弥陀名号勝劣事」に次のように仰せられています。

「弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は妙法蓮華経の五字を習つてこそ仏にはならせ給ひて侍れ、全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給いたりとは見えず」(御書全集115頁16行目

これは、法華経迹門で説かれる阿弥陀仏について述べられたものですが、三世十方の諸仏は妙法蓮華経の五字を種子として成道されたのです。また、大聖人は本抄で具体的に観音・勢至菩薩の行動と心情を描かれています。これは仏法の道理の上から当然のこととしてわかりやすく説かれたものと拝されます。

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