下山御消息 第十二段第二(法華経誹謗は無間地獄の業因)
建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基
しかる後、実義を定めて云わく「今この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり。しかるに今この処は、諸の患難多し。ただ我一人のみ、能く救護をなす。また教詔すといえども、信受せず乃至経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賤憎嫉して、結恨を懐かん。その人は命終して、阿鼻獄に入らん」等云々。経文の次第、普通の性相の法には似ず。常には五逆・七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に、これはさにては候わず。在世・滅後の一切衆生、阿弥陀経等の四十余年の経々を堅く執して法華経へうつらざらんと、たとい法華経へ入るとも本執を捨てずして彼々の経々を法華経に並べて修行せん人と、また自執の経々を法華経に勝れたりといわん人と、法華経を法のごとく修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と、これらの諸人を指しつめて、「その人は命終して、阿鼻獄に入らん」と定めさせ給いしなり。
現代語訳
こうして後に、実義を定めて法華経譬喩品第三に「今この三界は皆我が所有である。その中の衆生はことごとく我が子である。しかも今この世界は諸の艱難辛苦が多く、これを救えるのはただ我一人のみである。また教えを諭したとしてもこれを信受せず…かえって経を読誦し書写しす所持する者を見て軽賎し憎嫉して、しかも恨みを懐くであろう。その人は命が終って阿鼻地獄に堕ちるであろう」と説かれたのです。
この経で説いている内容は普通の法理と異なっています。普通は五逆罪や七逆罪を犯した罪人こそ無間地獄に堕ちると定めているのですが、この経はそうではなく、釈尊在世、及び滅後の一切衆生の内、阿弥陀経等の四十余年の間に説かれた経々に堅く執着して法華経へ移ろうとしない者、法華経に入ったとしても権教への執着を捨てないまま法華経と並行して修行する者、自分が執着している経々が法華経に勝っていると主張する者や法華経を教え通り修行しても法華経の行者を侮辱する者、これらの人々を指して「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と断定されたのです。
講義
爾前経は方便であり法華経こそ真実であると釈尊自身が明言していることを示され、爾前権経に執着して法華経を軽んずる者は無間地獄に堕ちるというのが仏説であることを教示されています。それが本文に引用されている譬喩品第三の経文です。「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す、復教詔すと雖も而も信受せず、乃至経を読誦し書き持つこと有らん者を見て軽賎憎嫉して而も結恨を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん」とは、法華経を信ぜず、また法華経の行者を誹謗する者は、必ず無間地獄に堕ちることを示したものです。
普通の経文では、阿鼻地獄に墜ちるのは五逆・七逆罪を犯した場合と決まっています。それに対し法華経では、法華経を誹謗する罪・謗法罪こそ無間地獄の業因であることが強調されます。大聖人は以下に謗法を4つの類型に分類されています。
第一に、四十余年未顕真実の方便権経に固く執着し、法華経を信じないという謗法です。
第二・第三に、法華経の所説を信受したものの、爾前経と並べて同時に信仰しようとしたり、爾前経の方が勝れていると信じたりする謗法です。
そして第四に、法華経を信じ所説の通りに修行しつつも、法華経の行者を誹謗し卑しめる謗法です。
大聖人は「法門申さるべき様の事」で次のように仰せられている。
「方便と申すは無量義経に未顕真実と申す上に以方便力と申す方便なり、以方便力の方便の内に浄土三部経等の四十余年の一切経は一字一点も漏るべからざるか、されば四十余年の経経をすてて法華経に入らざらん人人は世間の孝不孝はしらず仏法の中には第一の不孝の者なるべし、故に第二譬喩品に云く『今此三界乃至雖復教詔而不信受』等云云」(御書全集1266頁2行目)
方便権経に執着して法華経を信じようとしないことは、親父たる釈尊の「正直捨方便」の戒めに背く故に、第一の不幸の失を免れることができないのです。更にまた、その次下に「教と申すは師親のをしへ詔と申すは主上の詔勅なるべし、仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり、されば四十余年の経経につきて法華経へうつらず、又うつれる人人も彼の経経をすてて・うつらざるは三徳備えたる親父の仰を用いざる人・天地の中に住むべき者にはあらず、この不孝の人の住処を経の次下に定めて云く『若人不信乃至其人命終入阿鼻獄』等云云、設い法華経をそしらずとも・うつり付ざらん人人・不孝の失疑なかるべし、不孝の者は又悪道疑なし故に仏は入阿鼻獄と定め給いぬ、何に況や爾前の経経に執心を固なして法華経へ遷らざるのみならず、善導が千中無一・法然が捨閉閣抛とかけるは・あに阿鼻地獄を脱るべしや」(御書全集1266頁7行目)と、本抄で示されていたいずれの謗法も結局は堕地獄を免れないことを明かされています。
また「題目弥陀称名号勝劣事」においては、念仏者が具体的にどのような主張をしていたかを挙げられている。ある者は次のように述べたという。
「念仏と法華経とは只一なり南無阿弥陀仏と唱うれば法華経を一部よむにて侍るなんど」(御書全集111頁9行目)
これは、法華経と浄土三部経の信仰を同一視するものなので、謗法の第二類型に当たります。また次のような例も挙げられています。
「此身にて法華経なんどを破する事は争か候べき念仏を申すもとくとく極楽世界に参りて法華経をさとらんが為なり」(御書全集112頁10行目)
「法華経は不浄の身にては叶ひがたし 恐れもあり念仏は不浄をも嫌はねばこそ申し候へ」(御書全集112頁11行目)
これらは両者とも法華経が深い教えであることは認めつつ、最も難信難解であることを理由として自宗の念仏信仰を正当化しようとするものであり、結局は今世における法華経信受を不要としているのであるから謗法の第三類型に当たることがわかります。要するに、たとえ法華経が最高の経典であることを認めたとしても、爾前の経々に固執することは、仏の「正直捨方便」の金言に背くが故に、謗法となるのです。
また、大聖人は「顕謗法抄」において、次のように仰せである。
「第八に大阿鼻地獄とは又は無間地獄と申すなり欲界の最底大焦熱地獄の下にあり此の地獄は縦広八万由旬なり、外に七重の鉄の城あり地獄の極苦は且く之を略す前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として大阿鼻地獄の苦一千倍勝れたり、此の地獄の罪人は大焦熱地獄の罪人を見る事他化自在天の楽みの如し、此の地獄の香のくささを人かくならば四天下・欲界・六天の天人・皆ししなん、されども出山・没山と申す山・此の地獄の臭き気を・をさへて人間へ来らせざるなり、故に此の世界の者死せずと見へぬ、若し仏・此の地獄の苦を具に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり、此の無間地獄の寿命の長短は一中劫なり一中劫と申すは此の人寿・無量歳なりしが百年に一寿を減じ又百年に一寿を減ずるほどに人寿十歳の時に減ずるを一減と申す、又十歳より百年に一寿を増し又百年に一寿を増する程に八万歳に増するを一増と申す、此の一増・一減の程を小劫として二十の増減を一中劫とは申すなり、此の地獄に堕ちたる者・これ程久しく無間地獄に住して大苦をうくるなり、業因を云わば五逆罪を造る人・此の地獄に堕つべし、五逆罪と申すは一に殺父・二に殺母・三に殺阿羅漢・四に出仏身血・五に破和合僧なり、今の世には仏ましまさず・しかれば出仏身血あるべからず、和合僧なければ破和合僧なし、阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし、但殺父・殺母の罪のみありぬべし、しかれども王法のいましめきびしく・あるゆへに此の罪をかしがたし、若爾らば当世には阿鼻地獄に堕つべき人すくなし但し相似の五逆罪これあり木画の仏像・堂塔等をやきかの仏像等の寄進の所をうばいとり率兜婆等をきりやき智人殺しなんどするもの多し、此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕つべし、されば当世の衆生十六の別処に堕つるもの多きか又謗法の者この地獄に堕つべし」(御書全集447頁2行目)
そのうえで大聖人は、五逆罪以外に誹謗正法の重罪によって無間地獄に堕ちることを示されるとともに、五逆と謗法の罪の軽重を比較すれば、謗法の方がはるかに重い罪であることを文証を挙げて明かされています。
その一つとして法華経常不軽菩薩品第二十の経文を引かれ、増上慢の四衆が瞋恚の心を生じて、不軽菩薩を悪口罵詈し、杖木瓦石をもって打擲した罪によって、千劫の長きにわたって阿鼻地獄に堕ち大苦悩を受けたことを通して、「法華経の行者を悪口し及び杖を以て打擲せるもの其の後に懺悔せりといえども罪いまだ滅せずして千劫・阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ、懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり況や懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出ずる期かたかるべし」(御書全集448頁11行目、顕謗法抄)と仰せられています。
このように、法華経誹謗、法華経の行者に対する誹謗・迫害の罪が重罪であるということは、法華経が他の経に比してはるかに偉大であり、力あることの証左にほかなりません。