下山御消息 第十段第一(主師親の三徳をそなえた大聖人)
建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基
自讃には似たれども、本文に任せて申す。余は、日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三つの故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使いなり。経に云わく「即ち如来の使いなり」。また云わく「眼目なり」。また云わく「日月なり」。章安大師云わく「彼がために悪を除くは、則ちこれ彼が親なり」等云々。しかるに、謗法・一闡提の国敵の法師原が讒言を用いて、その義を弁えず、左右なく国の大事たる政道を曲げらるるは、わざとわざわいをまねかるるか。はかなし、はかなし。しかるに、事しずまりぬれば、科なきことは恥ずかしきかの故に、ほどなく召し返されしかども、故最明寺入道殿もまた早くかくれさせ給いぬ。
現代語訳
自讃するようではあるけれども、経文に従って述べるならば、私には、上は天子より下は万民に至る日本国の一切の人々に対して三つの故があります。一つには父母です。二つには師匠です。三つには主君の御使です。法華経法師品第十には「即ち如来の使いなり」とあり、見宝搭品第十一には「眼目なり」とあり、如来神力品第二十一には「日月なり」とあります。また章安大師の涅槃経疏には「彼の為に悪を除くのは、すなわち彼の親である」等と述べられています。
そうであるのに北条氏が正法に背く一闡提の国敵である法師らの讒言を信用して、その内容を吟味せずに、何の詮議もなく大事な政道を曲げられたのは、わざと災いを招こうとされたのか、全くはかないことです、はかないことです。しかし、事態が鎮まってみると、無実の罪で罰したことが恥ずかしかったためか、間もなく赦免となり、鎌倉へ戻されたのですが、最明寺の入道殿もそれから間もなく他界されてしまったのです。
講義
ここは、日蓮大聖人が主師親の三徳を具備された末法の御本仏であることを示唆された重要な個所です。三徳のうち主徳については「主君の御使いなり」と仰せられていますが、もとよりこれは当時の社会状況を考慮されての御謙遜の言葉です。このことは他の御書に照らして明らかです。例えば「一谷入道御書」では「日蓮は日本国の人人の父母ぞかし・主君ぞかし・明師ぞかし」(御書全集1330頁9行目)と明確に「主君」であると述べられています。
さて、本抄では、御自身が主師親の三徳を具備されていることを示されるにあたって、幾つかの経釈を引かれています。
初めの「即如来の使なり」とは、法華経法師品第十に「若し是の善男子・善女人、我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし。是の人は即ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ずるなり」とある中の一節です。
「四条金吾殿御返事」では、次のように仰せです。
「末代の法華経の聖人をば何を用つてかしるべき、経に云く『能説此経・能持此経の人・則如来の使なり』八巻・一巻・一品・一偈の人乃至題目を唱うる人・如来の使なり、始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり。日蓮が心は全く如来の使にはあらず凡夫なる故なり、但し三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値へば如来の御使に似たり」(1181頁17行目)と。
このように、大聖人は、御自身が法華経勧持品第十三に予言された三類の強敵による迫害、二度にわたる流罪という大難を受けられたことをもって法師品の「即如来の使」にあたるとされています。そして、法華経譬喩品第三に「今此の三界は、皆是れ我が有なり」とあるように、この娑婆世界は釈尊の領有するところであり、釈尊は娑婆世界の一切衆生に対して「主」にあたります。この釈迦如来の使いということから「主君の御使なり」と仰せられているのです。
次の「眼目なり」とは、法華経 見宝搭品第十一に「仏の滅度の後に、能く其の義を解せんは、是れ諸の天人、世間の眼なり」とある文の意を取って述べられたものと拝されます。
「諌暁八幡抄」では、この文の意味について、次のように仰せです。
「日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天・世間の眼にあらずや、眼には五あり所謂・肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり、此の五眼は法華経より出生せさせ給う故に普賢経に云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是れに因て五眼を具する事を得給う」等云云、此の方等経と申すは法華経を申すなり、又此の経に云く「人天の福田・応供の中の最なり」等云云、此等の経文のごとくば妙法蓮華経は人天の眼・二乗・菩薩の眼・諸仏の御眼なり」(御書全集582頁3行目)と。
「御講聞書」には、同じくこの文について「此の経文の意は、法華経は人天・二乗・菩薩・仏の眼目なり、此の眼目を弘むるは日蓮一人なり、此の眼には五眼あり、所謂肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり、此の眼をくじりて別に眼を入れたる人あり、所謂弘法大師是なり、法華経の一念三千・即身成仏・諸仏の開眼を止めて、真言経にありと云えり、是れ豈法華経の眼を抽れる人に非ずや、又此の眼をとじふさぐ人あり所謂法然上人是れなり、捨閉の閉の文字は、閉眼の義に非ずや、所詮能弘の人に約しては、日蓮等の類い世間之眼なり、所弘の法に随えば、此の大乗経典は、是れ諸仏の眼なり」(御書全集841頁1行目)とあります。
すなわち、法華経は、人天・二乗・菩薩の眼ばかりでなく、諸仏の眼なのです。それは、諸仏が法華経によって五眼を得ることができたからです。この場合は、法に約して法華経を「諸仏の眼」とされたものです。また、人に約せば別しては日蓮大聖人、総じて大聖人に連なる弟子・檀那が「世間の眼」にあたると仰せられています。
では、この「眼目」は、主師親の三徳とどのような関係にあるのでしょうか。
日寛上人は「主師親三徳抄」において「師は弟子の眼を開く豈に弟子のために眼目なるに非ずや、若し師無ければ即ち盲目なる故なり」と示されています。大聖人は「報恩抄」に於いて「日蓮が慈悲曠大ならば 南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(御書全集329頁3行目)と仰せられているように、大聖人こそ末法の一切衆生の盲目を開き、成仏の直道たる南無妙法蓮華経を教えられた師匠にほかならないのです。
次に「日月なり」とは、法華経如来神力品第二十一に「日月の光明の、能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅し、無量の菩薩をして、畢竟して一乗に住せしめん」と説かれている文の意を取られたものです。大聖人はこの文について「此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の文字をば誰とか思し食す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり」(御書全集1102頁5行目)と述べられています。故に「斯の人」とは、末法に上行菩薩の再誕として出現された日蓮大聖人の御事にほかなりません。
「寂日房御書」には「日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし、かやうに申せば利口げに聞えたれども道理のさすところさもやあらん、経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり」(御書全集903頁2行目)と仰せられています。
また、「四条金吾殿女房御書」には「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり」(御書全集1109頁5行目)と述べられているように、「日蓮」の「日」とは「日月」の「日」、「蓮」は汚泥より生じて清浄な花を咲かせる「蓮華」の「蓮」を意味しており、大聖人が「日蓮」と名乗られたこと自体そこに甚深の意義が拝されます。
さらに、相伝書の「産湯相承事」には「日蓮の日は即日神・昼なり蓮は即月神・夜なり、月は水を縁とす蓮は水より生ずる故なり」(御書全集879頁16行目)と、「日蓮」の二字に「日月」の意が含まれていることを示されています。言い換えれば「日蓮」とは体であり、「日月」とは用の関係にあるといえるでありましょう。
そして、日月は末法万年の一切衆生の煩悩の闇を照らす光明を象徴しているがゆえに、これも師の徳をあらわしているのです。ゆえに佐渡御書には「日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり」(御書全集957頁18行目)と明言されています。
最後に、章安大師の涅槃経疏の文を引かれているが、これは三徳のうち親徳を示していることは明らかでありましょう。この文は涅槃経寿命品第一の三の文を釈して述べた言葉です。
すなわち涅槃経には「若し善比丘あって法を壊る者を見て、置きて訶責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駆遣し訶責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり」とあり、章安大師はこれを釈して「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼の人の怨なり…彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」と述べています。
仏法を破壊している諸宗と、その邪義を信じている人々に対して、その謗法を破折し、悪を除くことは「彼が親」としての慈悲の行為にほかならないのです。この親徳には、父の徳と母の徳の二意があり、日寛上人は次のように仰せです。
「父母とは慈悲広大の義なり、慈は謂く愛念をいとしむ、秘は謂く愍傷かなしむ、一切衆生六道輪廻をいとをしみかなしむ、又大悲与薬として無漏の薬を与えんがため預め灸治を加うるなり、是れ父の徳なり、故に慈父と云うなり大悲抜苦して飢寒の苦を抜かしむ為に衣食を与ふるなり。是れ母の悲なり」と。
そして、大聖人が諸宗謗法の悪を除くために、迫害を受けながら、もっぱら折伏されたのは、後の薬を与えるために灸治を加えられたものであり、父の徳によるものとされます。
これに対して大聖人は「諌暁八幡抄」に「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲」(御書全集585頁1行目)と仰せられているのは、日寛上人によれば、衆生の地獄道・餓鬼道の苦しみを除こうとされた大聖人の大悲を示されたものであり、まさに母の徳を述べられているといいます。ゆえに大聖人は本抄で「父母なり」と仰せなのです。
このように本抄では簡潔に経釈を挙げられるのみですが、それぞれが大聖人にことごとく符合しており、このことをもって御自身が主師親の三徳を具備されていることが明かされていくのです。
ところで、大聖人がこの主師親の三徳を仏にのみ備わった徳として捉えられていたことは、一代五時継図、釈迦一代五時継図において、章安大師の涅槃経疏における「一体の仏を請じて、主師親と作す」との釈を引かれていることや、あるいは「八宗違目抄」において主師親の三徳を法報応の三身に約して示されていることからも明らかであり、本抄でも在世の釈尊に約して「一身に三徳を備へ給へる仏」と仰せられていることからも明白です。
特に本抄では、釈尊が我々にとっての「賢父」であるうえ、しかも「明師」であり「聖主」であると示されたうえで、大聖人自身が日本国の一切衆生にとっての主師親であることを明かされています。したがって、大聖人はただ単に上行菩薩の再誕であるということにとどまらず、その御内証は末法の御本仏であることを示唆されていると拝さなくてはなりません。
日寛上人は、「撰時抄」において末法の主師親を明かされた「法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く『彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり』(御書全集265頁11行目)との御文について「内証深い秘の故に『主師親』といいます。蓮祖即ちこれ久遠元初本因妙の教主釈尊なり。秘すべし、秘すべし」と釈されていますが、これは本抄においてもあてはまることです。
すなわち久遠元初の自受用報身如来という大聖人の御内証は、容易に明かすことのできない深秘にして難信難解の法門なるがゆえに、主師親の三徳を具備されていることをもって、その御内証の一端を示唆されているのです。
主師親が仏にのみ備わった力用であり、かつまた大聖人が末法の一切衆生の主師親を備えておられるとするならば、それは大聖人こそ末法の御本仏であられるということです。しかしながら、釈尊を本仏とする文上仏法に執着する他門流では、大聖人を上行菩薩の再誕としての外用の面でしか捉えず、釈尊の使いであるとのみしています。
したがって、大聖人が諸御書において自ら末法の主師親なりと明言されている御文に対してすらもあくまで「仏使」としての使命感、仏との一体感のあらわれと矮小化してしまい、大聖人の御真意を拝せないのです。
それゆえにこそ、本抄の「教主釈尊より大事なる行者」との御言葉についても、後世の加筆であるなどといって認めようとしないのでありましょう。