寺泊御書(2011:11大白蓮華より 先生の講義)
正義は必ず勝つ!毅然たる師弟の大前進を
人間にとって最も尊貴な生き方とは何か。
私は迷わず、「正義」に生き抜くことであると答えたい。
正義が栄える世の中でなければ、本来、民衆が生命に具えている善性を薫発させていくことはできません。反対に、人々の無限の向上を否定する思想が広がってしまえば、不幸と苦しみが蔓延してしまう。
混沌とする時代・社会にあって、正々堂々と正義の真実を叫び抜く、これほど尊く、高潔な人生はありません。
「正義によって立て!汝の力、二倍せん」この有名な先哲の箴言は、私が座右の銘としてきた言葉です。若き日から胸に刻み、その通りに実践してきたつもりです。そして、波浪や烈風にあうたびに、正義によって立ち、力を増して乗り越えてくることができました。
私たちは、妙法という最高の法を持ち、全人類の宿命転換のために戦っている。広宣流布こそ、仏法の正義に生き抜く大闘争です。民衆救済の崇高な思想を持ち、決然と立ち上がった一人一人の力は、何倍にも何十倍にもなるのです。
日蓮大聖人は、その尊き御生涯にあって、万人の成仏を掲げ、仏法の精神を歪める諸宗に対して破邪顕正の闘争を続けられました。配流の地・佐渡の対岸に臨み、風待ちのために滞在されていた寺泊の地においても全くかわりませんでした。
「正義は必ず勝つ!」
「毅然たる我が前進を見よ!」
大弾圧の烈風に動揺を隠せない弟子門下たちに対して、一歩も退くことなく、威風堂々と大言論戦を展開するお姿を示す「反転攻勢の一書」が、今回拝する「寺泊御書」です。
本文
今月十月なり十日相州愛京郡依智の郷を起つて武蔵の国久目河の宿に付き十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ、此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲するに順風定まらず其の期を知らず、道の間の事心も及ぶこと莫く又筆にも及ばず但暗に推し度る可し、又本より存知の上なれば始めて歎く可きに非ざれば之を止む。
現代語訳
今月(十月である)十日に相州の国愛京郡依智の郷をたって、武蔵国の久目河の宿に着き、十二日かかって越後国の寺泊の港に着いた。
これから大海を渡って佐渡国に渡ろうとしているが、順風が定まらないために、出発の日がわからない。ここまでの道中のことは、想像も及ばないほどで、また筆に書くこともできない。ただ推量にお任せする。またこの苦難はもとより覚悟のうえなので、いまはじめて歎くことではないから、やめておく。
講義
厳寒の道を敢然と歩まれる
日蓮大聖人は、文永8年(1272)9月12日に竜の口の法難直後、約1カ月にわたり、相模国依智の本間六郎左衛門尉重連の屋敷に留め置かれました。そして10月10日に依智を出発され、武蔵国久米川を経由し、12日の道のりを経て、寺泊の港に着かれました。配流先の佐渡は目前ですが、順風待ちで船が出航できないため、寺泊で滞在されていたようです。本抄は、この寺泊で、10月22日に富木常忍に宛てて認められたお手紙です。
旧暦の10月といえば、現在の11月から12月にあたります。晩秋から冬に向かう季節です。吹きすさぶ北風の中、厳寒の北国へ一歩一歩、向かわれていく道中であったと拝察されます。北国への道は、まさに厳冬の如き法難への道でもあった。大聖人は、この法難の烈風の中を敢然と歩み抜かれたのです。
本抄で大聖人は仰せです。
「本より存知の上なれば」もとより覚悟の上なので、今初めて嘆くべきことではないのだ、と、大聖人自身は、いかなる艱難、苦難に遭おうとも、悠然たる御境涯であられた。その時、胸中に去来していたのは、ただただ、同様に迫害を受け苦しんでいる門下たちのことであったに違いありません。
「寺泊御書」の末尾では、富木常忍がお供に付けた入道を帰されるにあたり、「人人に是の如く申させ給え」「早早之を聴かす可し」本抄の趣旨をすぐに皆に伝えてほしい、と仰せです。
寸暇を惜しんで門下への激励の書で綴られた様子が伝わってきます。その大慈大悲のお心が拝されてなりません。
本文
法華経の第四に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」、涅槃経の三十八に云く「爾の時に一切の外道の衆咸く是の言を作さく○大王今は唯・一の大悪人有り瞿曇沙門なり○一切の世間の悪人利養の為の故に其の所に往き集り而も眷属と為つて善を修すること能わず呪術力の故に迦葉及び舎利弗・目犍連等を調伏す」云云、此の涅槃経の文は一切の外道我が本師たる二天三仙の所説の経典を仏陀に毀られて出す所の悪言なり、法華経の文は仏を怨と為す経文には非ず、天台の意に云く「一切の声聞・縁覚並に近成を楽う菩薩」等云云、聞かんと欲せず信ぜんと欲せず其の機に当らざるは言を出して謗ること莫きも皆怨嫉の者と定め了んぬ、在世を以て滅後を推すに一切諸宗の学者等は皆外道の如し、彼等が云う一大悪人とは日蓮に当れり、一切の悪人之に集まるとは日蓮が弟子等是なり、彼の外道は先仏の説教流伝の後・之を謬つて後仏を怨と為せり、今諸宗の学者等も亦復是くの如し、所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う、
現代語訳
法華経の巻第四の法師品第十には「この法華経は如来の現に在ます時でさえ怨嫉が多い。ましてや釈尊の滅度の後においてをや」とあり、第五の巻の安楽行品第十四にはに「一切の世間の中に怨が多くて信じ難い」とある。また涅槃経の三十八には「その時に一切の外道が阿闍世王の前にでてみなこう言った『大王よ、今世の中に一人の大悪人がいる。瞿曇沙門がそれである。世間のあらゆる悪人は利欲のために彼のもとに集まって、その眷属となり、善いことをすることがない。また彼は呪術の力によって迦葉や舎利弗・目犍連を帰伏させ弟子としている』」とある。この涅槃経の文は、一切の外道が自分達の本師である二天三仙の説いた経典を仏陀に破られたために言った悪口なのである。
法華経の文は、仏を怨すという経文ではない。天台大師の解釈にも「一切の声聞・縁覚の二乗、ならびに始成正覚の仏を求めて久遠実成を信じない菩薩が怨である」とあるように、法華経を聞こうともせず信じよともしない人々は、言葉に出して誹謗することがなくても、みな怨嫉の者と定められているのである。
釈尊の在世のことから滅後を推し量ると、一切の諸宗の学者等はみな仏在世の外道のようなものである。彼等がいう「一大悪人」とは日蓮にあたる。「一切の悪人がそこに集まっている」とは日蓮が弟子檀那のことである。彼の外道は過去の仏の教えを誤り伝えて、かえって今の仏である釈尊を怨としたのである。今の諸宗の学者等もまたこれと同じである。結局のところは、仏の残された教えによって邪見を起こしたのである。ちょうど酔って目の回っている者が、大きな山が回っているように見えるのと同じである。
講義
「猶多怨嫉」「多怨難信」を示す
なぜ難にあうのか。当時、門下たちが抱いた疑問に明確に答えるためにも、何よりもまず法華経の経文から始められます。
「如来現在猶多怨嫉・況滅度後」「一切世間多怨難信」
末法において法華経を弘通すると迫害を受けることは必然であり、経文に記された通りです。大聖人こそが、その経文通りに実践し、難を受けられているのです。
諸宗の乱立する中にあって、大聖人がただお一人、法華経の正義を宣揚なされた。そして民衆を不幸へと陥れる謗法に対して決然と戦われていったのです。
しかし、諸宗の僧は、自宗の教えに執着するゆえに、かえって、誤りの本質を鋭く責められたことに対して憎悪を覚えます。そして、法論では敵わないために、讒言によって大聖人を陥れようと行動します。
さらに、その讒言によって幕府の権力者が動き、正義の人に大弾圧を加えたのが、竜の口の法難であり、佐渡流罪なのです。
大聖人は続く御文で、涅槃経の文を通して、この迫害の構図について述べられます。
ここでは、釈尊からバラモン教の教説を破折された外道が、阿闍世王に讒言したことが記されています。
「瞿曇沙門という一大悪人がいる」「一切の悪人が、そのもとに集まっている」人々を生老病死の苦しみから救うために立ち上がり、修行し、民衆の中に分け入って説法を続けてきた釈尊にとってみれば、いわれなき非難中傷があったことは、言うまでもありません。
それに続く御文では、大聖人と門下に対する悪行や罵詈雑言が、これと同じ構図に当てはまることを、鋭く指摘しておられます。
「一大悪人とは日蓮に当れり」
「一切の悪人之に集まるとは日蓮が弟子等是なり」
ここに仰せの通り、例えば極楽寺良観らの一派は、自分たちの邪義を隠そうとして、守護・地頭に対して「日蓮とその弟子たちは、阿弥陀仏を火に入れ、水に流したりする。あなたたちの大怨敵である」と、作り話を並べ騒ぎ立てました。そして「頸を切れ、所領を追い出せ」などと、権力者を動かしたのです。
釈尊の時代の外道たちも、大聖人御在世の批判者たちも、同じ手段で謀略を巡らせていった。いつの時代にも、正義を装った偽物が、根拠なきデマで真の「正義の人」を迫害するのです。
「仏法に依って邪見を起こす」諸宗の僧は、自分たちのほうが仏法を誤って理解し、邪見を起こしていることに気がつかない。
そのことを大聖人は、酒に酔った者が、自分の目が回っているのに、大きな山が回っていると錯覚しているのと同じであると、その転倒を喝破されています。
創価学会も創立以来、「猶多怨嫉」「多怨難信」と経文に説かれるままの迫害との連続闘争でした。
戸田先生が次のように言われたことが、今もって脳裏に鮮やかに浮かびます。
「牧口先生が幾たびとなく弟子に語った、この言葉を断じて忘れてはならない。
『悪口罵詈、猶多怨嫉の難は法華経の実践者の誉れなのである』と」
その通り、初代、2代会長は、正義を貫き通し、法難のために投獄されたのです。私も無実の罪で牢に入りました。その後も、幾多のデマによる激しき中傷がありました。
しかし学会も三代の師弟もまた、一切の障魔の嵐を敢然と勝ち越えてきました。御聖訓通りの実践で、謀略や迫害に断じて屈することなく正義を叫び続けてきたからです。“難こそ誉れ”と、金剛不壊の異体同心の団結で歩みを進めてきたから勝利できたのです。
本文
法華経の第四に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」、涅槃経の三十八に云く「爾の時に一切の外道の衆咸く是の言を作さく○大王今は唯・一の大悪人有り瞿曇沙門なり○一切の世間の悪人利養の為の故に其の所に往き集り而も眷属と為つて善を修すること能わず呪術力の故に迦葉及び舎利弗・目犍連等を調伏す」云云、此の涅槃経の文は一切の外道我が本師たる二天三仙の所説の経典を仏陀に毀られて出す所の悪言なり、法華経の文は仏を怨と為す経文には非ず、天台の意に云く「一切の声聞・縁覚並に近成を楽う菩薩」等云云、聞かんと欲せず信ぜんと欲せず其の機に当らざるは言を出して謗ること莫きも皆怨嫉の者と定め了んぬ、在世を以て滅後を推すに一切諸宗の学者等は皆外道の如し、彼等が云う一大悪人とは日蓮に当れり、一切の悪人之に集まるとは日蓮が弟子等是なり、彼の外道は先仏の説教流伝の後・之を謬つて後仏を怨と為せり、今諸宗の学者等も亦復是くの如し、所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う、
現代語訳
法華経の巻第四の法師品第十には「この法華経は如来の現に在ます時でさえ怨嫉が多い。ましてや釈尊の滅度の後においてをや」とあり、第五の巻の安楽行品第十四にはに「一切の世間の中に怨が多くて信じ難い」とある。また涅槃経の三十八には「その時に一切の外道が阿闍世王の前にでてみなこう言った『大王よ、今世の中に一人の大悪人がいる。瞿曇沙門がそれである。世間のあらゆる悪人は利欲のために彼のもとに集まって、その眷属となり、善いことをすることがない。また彼は呪術の力によって迦葉や舎利弗・目犍連などを帰伏させ弟子としている』」とある。この涅槃経の文は、一切の外道が自分達の本師である二天三仙の説いた経典を仏陀に破られたために言った悪口なのである。
法華経の文は、仏を怨すという経文ではない。天台大師の解釈にも「一切の声聞・縁覚の二乗、ならびに始成正覚の仏を求めて久遠実成を信じない菩薩が怨である」とあるように、法華経を聞こうともせず信じよともしない人々は、言葉に出して誹謗することがなくても、みな怨嫉の者と定められているのである。
釈尊の在世のことから滅後を推し量ると、一切の諸宗の学者等はみな仏在世の外道のようなものである。彼等がいう「一大悪人」とは日蓮にあたる。「一切の悪人がそこに集まっている」とは日蓮が弟子檀那のことである。彼の外道は過去の仏の教えを誤り伝えて、かえって今の仏である釈尊を怨としたのである。今の諸宗の学者等もまたこれと同じである。結局のところは、仏の残された教えによって邪見を起こしたのである。ちょうど酔って目の回っている者が、大きな山が回っているように見えるのと同じである。
講義
「猶多怨嫉」「多怨難信」を示す
なぜ難にあうのか。当時、門下たちが抱いた疑問に明確に答えるためにも、何よりもまず法華経の経文のから始められます。
「如来現在猶多怨嫉・況滅度後」「一切世間多怨難信」
末法において法華経を弘通すると迫害を受けることは必然であり、経文に記された通りです。大聖人こそが、その経文通りに実践し、難を受けられているのです。
諸宗の乱立する中にあって、大聖人がただお一人、法華経の正義を宣揚なされた。そして民衆を不孝へと陥れる謗法に対して決然と戦われていったのです。
しかし、諸宗の僧は、自宗の教えに執着するゆえに、かえって、誤りの本質を鋭く責められたことに対して憎悪を覚えます。そして、法論では敵わないために、讒言によって大聖人を陥れようと行動します。
さらに、その讒言によって幕府の権力者が動き、正義の人に大弾圧を加えたのが、竜の口の法難であり、佐渡流罪なのです。
大聖人は続く御文で、涅槃経の文を通して、この迫害の構図について述べられます。
ここでは、釈尊からバラモン教の教説を破折された外道が、阿闍世王に讒言したことが記されています。
「瞿曇沙門という一大悪人がいる」「一切の悪人が、そのもとに集まっている」人々を生老病死の苦しみから救うために立ち上がり、修行し、民衆の中に分け入って説法を続けてきた釈尊にとってみれば、いわれなき非難中傷があったことは、言うまでもありません。
それに続く御文では、大聖人と門下に対する悪行や罵詈雑言が、これと同じ構図に当てはまることを、鋭く指摘しておられます。
「一大悪人とは日蓮に当れり」
「一切の悪人之に集まるとは日蓮が弟子等是なり」
ここに仰せの通り、例えば極楽寺良観らの一派は、自分たちの邪義を隠そうとして、守護・地頭に対して「日蓮とその弟子たちは、阿弥陀仏を火に入れ、水に流したりする。あなたたちの大怨敵である」と、作り話を並べ騒ぎ立てました。そして「頸を切れ、所領を追い出せ」などと、権力者を動かしたのです。
釈尊の時代の外道たちも、大聖人御在世の批判者たちも、同じ手段で謀略を巡らせていった。いつの時代にも、正義を装った偽物が、根拠なきデマで真の「正義の人」を迫害するのです。
「仏法に依って邪見を起こす」諸宗の僧は、自分たちのほうが仏法を誤って理解し、邪見を起こしていることに気がつかない。
そのことを大聖人は、酒に酔った者が、自分の目が回っているのに、大きな山が回っていると錯覚しているのと同じであると、その転倒を喝破されています。
創価学会も創立以来、「猶多怨嫉」「多怨難信」と経文に説かれるままの迫害との連続闘争でした。
戸田先生が次のように言われたことが、今もって脳裏に鮮やかに浮かびます。
「牧口先生が幾たびとなく弟子に語った、この言葉を断じて忘れてはならない。
『悪口罵詈、猶多怨嫉の難は法華経の実践者の誉れなのである』と」
その通り、初代、2代会長は、正義を貫き通し、法難のために投獄されたのです。私も無実の罪で牢に入りました。その後も、幾多のデマによる激しき中傷がありました。
しかし学会も三代の師弟もまた、一切の障魔の嵐を敢然と勝ち越えてきました。御聖訓通りの実践で、謀略や迫害に断じて屈することなく正義を叫び続けてきたからです。“難こそ誉れ”と、金剛不壊の異体同心の団結で歩みを進めてきたから勝利できたのです。
本文
卞和は足を切られ清丸は穢丸と云う名を給うて死罪に及ばんと欲す・時の人之を咲う、然りと雖も其の人未だ善き名を流さず汝等が邪難も亦爾る可し。
現代語訳
中国の卞和は足を切られ、清丸は穢丸という名をつけられたうえ、死罪にされようとした。その当時の人々はそのありさまを笑ったが、笑われた人は名を残し、笑った人々はその名を後世まで残していない。汝らの邪な非難もまた同様であろう。
講義
正義の反転攻勢を開始
末法とは、仏教内で争いが絶えない時代です。実際に大聖人の時代には仏教が「八宗・十宗」と分かれ、それぞれが自説に執着をもち、互いに争っていました。大聖人は本抄で涅槃経に説かれる「贖命重宝」の法門を挙げられます。そして、釈尊滅後に人師・論師が立てた宗派の教えを基準とするのではなく、仏が残した一切経を根幹とすべきだと教えられています。
「贖命重宝」とは“最も大切な命を守るための重宝”という意味です。大聖人は、この「命」とは法華経を譬え、「重宝」とは、法華経前後に説かれたすべての経を譬えると仰せです。
すなわち、万人の成仏という仏意を明らかにし、その仏意の実現を説いた法華経こそが仏法の命ともいうべき教えであり、諸経に説かれる法理がいかに価値があるといっても、法華経の仏意に背けば意味がないということです。
しかし、当時の諸宗の僧たちは、一切経に基づく法華最勝の結論を無視し、それを大聖人が指摘すると、ますます自宗の誤りに執着しました。挙げ句には、悪心が強盛であるゆえに争う心を起こし、仏法的にも社会的にも何ら罪のない大聖人および門下たちを迫害し、しかも、それを喜ぶという異様な姿をあらわしていきます。大聖人は本抄で、公式の法論を避けて逃げ、権力と癒着して正義の人を亡き者にしようとした当時の諸宗の僧らの実態を鋭く論破されています。
本抄で「贖命重宝」の法門に言及されているのは、仏法の命ともいうべき法華経を、命をかけて弘める「法華経の行者」の精神を示す意があられたと拝することができます。それとともに、特に、天台密経を含む真言宗の根本的な過ちに対する本格的な破折に着手されるためとも拝察できます。
当時、盛んに真言宗の祈禱が行われていましたが、それを根本で支えているのが真言宗および天台密経の「理同事勝」の教義でした。すなわち、法華経に基づく成仏の「理」である一念三千は大日経にも説かれているとしたうえで、大日経は印と真言という「事」が説かれている点で勝れているとするものです。
これに対して大聖人は、大日経も法華経の前後の経典であることは変わりがないので、法華経という命を贖う重宝と位置づけるべきであり、法華経こそが根本の経典であることを明かされています。
いずれにしても大聖人が真言破折を本格的に展開されていくのは、佐渡期から身延期にかけてとなりますが、本抄はその導入が示されているともいえます。
あらためて考えてみれば、この時点で大聖人は、流罪地を目前とした状況に置かれています。しかし、破折顕聖の炎はいやまして盛んに燃えておられる。むしろ、今まで以上に、新たな広宣流布の戦いの地平が開かれていることが本抄からも伝わってくるのです。
いうならば、大難のさなかで大聖人は、広宣流布の再構築を目指されたとも拝することができます。
何が日本国を狂わせているのか。亡国・亡民という危機に瀕している日本国の人々を救うために、真に弘めるべき大法とは何か。その末法の法華弘通にあって、日蓮大聖人はいかなる存在か。そして、どのような精神で立ちあがってこそ真正の法華経の行者と言えるのか。大聖人は、流罪地で「開目抄」「観心本尊抄」等を著され、末法万年の民衆救済の大仏法を確立されていかれるのです。
幕府がどのように大聖人を処罰しようと、「師子王の戦う魂」を奪うことはできません。檻に入れようとも、師子王の魂を封じ込めることはできない。大聖人は門下に、この師子王の自由自在の大境涯を教えようとされたとも拝されます。
大聖人に対する邪難を破折
本抄では当時、迫害の渦中に大聖人に寄せられた批判を4点あげられています。すなわち、
第1に”末法の衆生の機根を知らずに、粗雑な折伏行を立てるから難にあう”
第2に”勧持品に説かれる折伏は高位の菩薩の行であり、初心の菩薩は安楽行品の摂受を行ずるべきで、日蓮はこれに違背している”
第3に“自分も内心は法華第一の義を知っているが言わないでいる”
第4に”日蓮が諸宗を折伏しているのは、教相の面だけを見ているにすぎない”
などとする批判です。
しかし、大聖人は、これらを「汝等が邪難」と退けられます。本抄では、末法において、法華経の経文通りに戦う姿を示されていることで総括的に破折し、ここでは一つ一つ細かくは言及されていませんが、詳しくは、佐渡期の諸御抄で明確に示されています。
例えば「開目抄」では「末法に摂受・折伏あるべし」(0235:12)と、無智の者・悪人が国土に充満している時は、安楽行品に説かれる「摂受」を第一とし、邪智・謗法の者が多い時は不軽品に説かれる「折伏」を第一とすべきであると説かれています。
末法では「闘諍言訟・白法穏没」の時であり、権教と実教が入り乱れしまっている。そうした正と邪が転倒する時にあっては、正邪を明確に決する折伏行こそが、時に適った実践であり、弘めるべき正しい方軌なのです。
そしてまた、大聖人の折伏の闘争とは、民衆を目覚めさせ、民衆に力を与え、民衆による堅固な団結を築くための、宗教観の大転換であったとも拝されます。それは「人間のための宗教」の確立ともいえましょう。
今日で言えば、宗教は、人々の精神の向上に寄与するものでなければならない。すなわち、万人の幸福の実現を掲げて、人間の善性を薫発する宗教、すなわち、民衆を尊敬し、強く賢くしていく宗教であるのか、反対に、人間を愚かにして、権力に隷属させていく宗教なのか。宗教の使命と役割が、今ほど問われている時代はありません。
人間主義の宗教の要件として、宗教は独善であってはならない。まして、日蓮仏法は、対話の宗教です。
現代にあっては、幾多の宗教紛争の悲劇を超えるためにも、宗教観対話のさらなる推進が切望されています。互いに切磋琢磨しあい、平和に貢献していく宗教、人間主義の宗教が待望されているのです。
翻って大聖人の御在世当時、法華経誹謗を繰り返す諸宗は、まさに、万人の仏性の開発を否定して、仏教本来の精神を見失っていたといえます。
法華経に違背し、仏教の本質を否定する諸宗を大聖人は、言論の力で論破された。先に述べた通り、最も指摘されたくない点を痛烈に破折された既成宗教は、あらゆる方策を用いて大聖人に迫害を加えてきました。
本抄に戻れば、続く御文以降では、そもそも根拠なき、実態なき批判などに翻弄されてはならないことを示されていきます。
大聖人はここで、正義の人でありながら、迫害されたものの、後世に名を残した卞和と清丸の故事をひかれます。すなわち、正義のために迫害を受け、世間から非難された人々こそが、後に真実が明らかになった時に、後世に「善き名」を残しているのです。
反対に、こうした人をあざ笑い、批判した者たちの名など、後世に残るわけではありません。ましてや、迫害した人間は「悪名」が永遠に歴史に刻まれるだけです
「汝等が邪難も亦爾る可し」と、厳然と大聖人は師子吼されます。
歴史が必ず真実を証明する!
大聖人の断固たる大確信が胸に迫ります。
本文
勧持品に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈し」等云云日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる、「及び刀杖を加うる者」等云云、日蓮は此の経文を読めり汝等何ぞ此の経文を読まざる「常に大衆の中に在つて我等が過を毀らんと欲す」等云云、「国王大臣婆羅門居士に向つて」等云云、「悪口して顰蹙し数数擯出せられん」数数とは度度なり日蓮擯出衆度流罪は二度なり、法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し、其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し
現代語訳
勧持品第十三には「諸の無智の人々が悪口罵詈をする」とある。日蓮はこの勧持品の文のとおりになっている。汝らは、なんでこの経文に入らないのか。また「そして刀杖を加える者がいる」と。日蓮はこの経文を身で読んだのである。汝らは、なんでこの経文を身で読まないのか。また「つねに大衆のなかで、法華経の行者を毀ろうとする」とも、「国王・大臣・婆羅門等に向かって法華経の行者を誹謗する」とも、「悪口し、軽蔑して、そのために法華経の行者は数数処を追われたりする」ともある。数数とはたびたびである。日蓮は処を追われることは数回、流罪は二度である。法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品であり、今の勧持品は過去の不軽品である。今の勧持品は未来には不軽品となって修行の範となるであろう。その時、勧持品を色読した日蓮は過去の不軽菩薩として折伏の範となるであろう。
講義
大聖人の闘争に三類の強敵が出来
誰が経文通りの実践をしているのか。大聖人こそが法華経を身読されたことを明らかにされ、批判者たちの偽の仮面をはぎ取られ、その正体をあばかれていきます。
法華経勧持品では、滅後末法の法華経弘通の行者に「三類の強敵」が競い起こることが示されています。この「三類の強敵」について具体的に説かれた文が、有名な「勧持品二十行の偈」です。
この段では、「二十行の偈」の文に引かれながら、一つ一つが大聖人の身に当てはまることを確認されていきます。そして、「汝等何ぞ此の経文を読まざる」と仰せのように、経文通りの迫害を受けている者は、ほかに誰もいないことを厳しく指摘しておられます。
なかでも「常に大衆の中に在って」「国王大臣」「三類の強敵」のうち、最も見破りにくい僭聖増上慢の姿を表した文です。大聖人は、当時、生き仏のようにあがめられていた極楽寺良観の本質を、道理と実証のうえから暴かれました。それに反発した良観らは、デマや讒言によって大聖人を迫害しました。まさに僭聖増上慢の姿があらわになったのです。これも経文通りです。
また「悪口して顰蹙し数数擯出せられん」とあります。大聖人は「所を追われることは幾度も、流罪は二度である」と仰せです。すなわち、伊豆流罪・佐渡流罪という2度の流刑は、まさに「数数見擯出」の経文を身で読まれた以外のなにものでもありません。
“すべてが経文に書いてある通りではないか。私は、その通りの難を受けているのだから、正しいということではないか。誰がこのことを批判できようか。反対に非難する人間たちで経文を身で読んだ者がいるのか”
迫害する者や、それに加担する諸宗の人々への痛烈な破折です。同時に、現実の難に惑う弟子門下たちに対しての力強い御指導であったとも拝されます。
続く御文で、大聖人は結論として、次のようにおおせになっています。
「法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し、其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し」
実に重要な御文です。
法華経には過去・現在・未来と三世にわたる仏法の弘通が説かれています。そして、悪世における不惜身命の実践こそ、それにあたることが示されているのです。ここで、「過去の不軽品」とは、釈尊の過去世における不軽菩薩の実践のことを指しています。
また「今の勧持品」とは、これまで拝してきたように「二十行の偈」に説かれる三類の強敵と敢然と戦い、法華経を弘通されている大聖人の御闘争そのものです。
すなわち“過去の不軽菩薩の一切衆生礼拝の闘争を、今末法において、三類の強敵と戦いながら私がこの身で実践しているのである”との、厳然たる御宣言です。
また「未来には不軽菩薩になるに違いない」と仰せです。これは「其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たる可し」とあるように“未来には、不軽菩薩と同じく必ず皆を救って成仏するであろう”との大確信の御言葉です。
大聖人は「佐渡御書」でも、不軽菩薩と「同じ因」を行ずることで、成仏という「同じ果」を得ることができると仰せです。
すなわち、三類の強敵と戦う姿の中に成仏があることを門下に教えられていると拝することができます。
本抄では、この御文の後、三類の強敵は現実に出現している。したがって、事実のうえで、経文の通りに大聖人が末法の地涌の実践を貫かれていると示されていきます。
「信心は大聖人の時代に還れ」
まさに「寺泊御書」は、冒頭に「本より存知の上」とあったように、大聖人は覚悟のうえで、むしろ、仏意仏勅のままに戦う御自身の心境を門下に教えられている御書です。
本抄御執筆の翌月、佐渡で直ちに著された「富木殿御返事」では「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(0955:15)とも仰せです。何があろうが、命が続く限り、私は戦い続ける。師の峻厳な戦いを受け継ぐ不二の弟子よ、出でよ。大聖人は、このような御心境であられたでしょうか。
ともあれ、忘れてはならないことは、大聖人の不惜身命の実践とは、すべて経文通りであられたということです。今日の私たちでいえば“御書の通り”“大聖人の仰せの通り”ということであります。
「信心は日蓮大聖人の時代に還れ!」とは戸田先生の永遠の指導です。大聖人の御精神こそが「永遠の学会精神」「師弟の魂」です。
創立の月、そして如説修行の学会が“魂の独立”から20年を迎える11月、あらためてこの「創立の心」を確認しておきたい。
民衆救済のため、一人立ち上がられた大聖人のお心を、完全に見失ったのが邪宗門です。かっての宗門は広宣流布を忘れ、軍国主義の思想統制の中で権力からの弾圧を恐れ、御書の要文を削除した。そして、世界広宣流布がいよいよ上げ潮となった時には嫉妬に狂って、和合僧団である学会の分断を謀りました。濁流と化し邪教と化してしまった。
一方、大聖人の御精神のままに、人々の幸福のため、世界平和のため、正法を護持し弘通してきたのが学会員です。御聖訓に拝し、実生活の上で眼前の苦難に耐え、宿命転換を果たしているのは、誉れの我が同志の皆さま以外、断じてないのです。大聖人が御照覧であられます。諸仏・諸天が皆さまを讃嘆されています。
いかなる逆境を前にしても、正義の旗高く、毅然と進みゆく。これが初代・2代・3代の創価の師弟が貫いてきた魂であり「創立の心」なのです。
戸田先生は言われました。
「苦悩する自身の生命は、同じく、その苦悩を打開する力を持っている」
また「試練の山を一つ切り抜けるたびに、成仏という、崩れることのない境涯となっていくのである」
さらに「広宣流布という偉大な理想を実現するうえにおいても、苦悩や経済苦といった人々の苦しみの解決を第一歩としなければ前進はない」と。
皆さま方一人一人の信心の勝利から一家の勝利、広宣流布の勝利は無量無辺に広がっていくのです。
世界は今、さまざまな困難や課題を前にして、先行きの見えない茫然とした不安が蔓延し、行き詰まりを見せている。このような時だからこそ「民衆に活力を与える宗教」「人間革命の正義の宗教」が求められています。
その先頭を担うのは、私が最も信頼する後継の青年部の諸君です。
どうか、大聖人のお心のままの「破邪顕正」「立正安国」の大闘争に我が身を置いて前進をお願いします。
邪悪の根を断ち切る正義の言論を!
民衆一人一人を幸福へと導く対話を!
平和の礎を築く世界平和の拡大を!
どこまでも、大聖人門下の誉れも高く、3代の師弟の「創立の心」のままに、威風も堂々と、晴れやかに連戦連勝の勝ち戦を頼みます。