曽谷二郎入道殿御返事 第六章(三大師破折の所以を述べる)

    日蓮

疑つて云く汝が分斉・何を以て三大師を破するや、答えて云く予は敢て彼の三大師を破せざるなり、問うて云く汝が上の義は如何、答えて云く月氏より漢土・本朝に渡る所の経論は五千七千余巻なり、予粗之を見るに弘法・慈覚・智証に於ては世間の科は且く之を置く仏法に入つては謗法第一の人人と申すなり、大乗を誹謗する者は箭を射るより早く地獄に堕すとは如来の金言なり将又謗法罪の深重は弘法・慈覚等・一同定め給い畢んぬ、人の語は且く之を置く釈迦・多宝の二仏の金言・虚妄ならずんば弘法・慈覚・智証に於ては定めて無間大城に入り、十方分身の諸仏の舌堕落せずんば日本国中の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生は彼の苦岸等の弟子檀那等の如く阿鼻地獄に堕ちて熱鉄の上に於て仰ぎ臥して九百万億歳・伏臥して九百万億歳・左脇に臥して九百万億歳・右脇に臥して九百万億歳是くの如く熱鉄の上に在つて三千六百万億歳なり、然して後・此の阿鼻より転じて他方に生れて大地獄に在りて無数百千万億那由佗歳・大苦悩を受けん、彼は小乗経を以て権大乗を破せしも罪を受くること是くの如し、況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過・現・未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや。

 

現代語訳

疑つて云う。汝がような分斉で何をもって三大師を破すのか。

答えて云う。予はあえてかの三大師を破しているのではない。

問うて云う。汝が先に述べた義はどういうことか。

答えて云う。インドより中国・日本に渡った経論は五千七十余巻である。日蓮がほぼこれらの経論を見ると、弘法・慈覚・智証においては、世間の科はしばらく置くとして、仏法によって見るならば謗法第一の人々であるというのである。「大乗を誹謗する者は箭を射るより早く地獄に堕す」とは如来の金言である。そしてまた謗法の罪の深重であることについては弘法・慈覚等もまた同じく定められているところである。人の言葉はしばらくこれを置くとして釈迦・多宝の二仏の金言が虚妄でないならば、弘法・慈覚・智証は必ず無間大城に入り、十方分身の諸仏の舌が堕落しないならば、日本国中の四百五十八万九千六百五十九人の一切衆生は、かの苦岸比丘等の弟子檀那等のごとく阿鼻地獄に堕ちて、熱鉄の上に仰ぎ臥して九百万億歳、伏臥して九百万億歳、左脇に臥して九百万億歳、右脇に臥して九百万億歳、このように熱鉄の上にあって三千六百万億歳を送ることになるのである。その後、この阿鼻地獄に転じて他方の世界に生まれては大地獄に在って無数百千万億那由佗歳の間、大苦悩を受けるであろう。苦岸比丘は小乗経をもって権大乗を破っただけで、このような罪を受けたのである。いわんや今、三大師は未顕真実の経をもって三世の仏陀の本懐の説を破るのみでなく、更には一切衆生成仏の道をなくしているのである。この深重の罪は、過去・現在・未来の三世の諸仏もどうしてこれを窮められようか。どうしてこれを救うことができようか。

 

語句の解説

五千七十余巻

仏教経典は5048巻、または7338巻あるといわれている法華経題目抄には「像法に入つて一十五年と申せしに後漢の孝明皇帝・永平十年丁卯の歳・仏経始めて渡つて唐の玄宗皇帝・開元十八年庚午の歳に至るまで渡れる訳者・一百七十六人・持ち来る経律論一千七十六部・五千四十八巻・四百八十帙、是れ皆法華経の経の一字の眷属の修多羅なり」(0942:16)とある。

 

大乗

仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。

 

多宝

多宝如来のこと。東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。

 

虚妄

空中、空間の意。本品は虚空会の儀式の最後なので釈尊・大衆等はまだ虚空に住している。

 

十方分身の諸仏

中心となる仏が衆生教化のために、十方の世界に身を分かちあらわれた仏のこと。ここでは、虚空会座に集まった釈尊の分身仏をさす。

 

他方

他方の菩薩のこと。①他方の国土に住む菩薩。②釈尊以前の他仏に教化された菩薩。③娑婆世界以外の国土。

 

小乗経

仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。

 

権大乗

大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。

 

三世の仏陀の本懐の説

法華経のこと。

 

三世

過去世・現在世・未来世のこと。三世の生命観に立つならば、生命の因果の法則は明らかである。開目抄には「心地観経に曰く『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』等云云」(0231:03)とあり、十法界明因果抄には「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり」(0432:12)とある。

 

本懐

もとより心に懐く究極の目的。

 

講義

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