曽谷二郎入道殿御返事 第七章(法華の「第一」と諸経の「第一」を比較)

曽谷二郎入道殿御返事 第七章(法華の「第一」と諸経の「第一」を比較)

 弘安4年(ʼ81)閏7月1日 60歳 曽谷教信

    日蓮

法華経の第四に云く「已説今説当説・而於其中・此法華経・最為難信難解」又云く「最在其上」並に「薬王十喩」等云云、他経に於ては華厳・方等・般若・深密・大雲・密厳・金光明経等の諸教の中に経経の勝劣之を説くと雖も或は小乗経に対して此の経を第一と曰い或は真俗二諦に対して中道を第一と曰い或は印・真言等を説くを以て第一と為す、此等の説有りと雖も全く已今当の第一に非ざるなり、然而るに末の論師・人師等謬執の年積り門徒又繁多なり。

 

現代語訳

法華経の第四の巻の法師品第十には「已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も難信難解なり」と説かれ、また安楽行品第十四には「最も其の上に在り」と説き、並びに薬王菩薩本事品第二十三は「十喩」等が説かれている。

他経においては、華厳経・方等経・般若経・深密経・大雲経・密厳経・金光明経等の諸教の中に勝劣を説くとはいっても、あるいは小乗経に対して「此の経は第一」といい、あるいは真俗二諦に対して「中道は第一」といい、あるいは印と真言等を説くことを第一としているのである。このような説があっても、そこで言っていることは全く「已今当の第一」ではない。そうであるのに、末の論師・人師等は長年にわたって誤った教えに執着し、また多くの人々が門徒となったのである。

 

語句の解説

 薬王十喩

薬王菩薩本事品で法華経が諸教の中ですぐれていることを十喩をもって述べた文。すなわち、諸水の中に海第一なるが如く(第一・水喩)、衆山の中に須弥山第一なるが如く(第二・山喩)、衆星の中に月天子第一なるが如く(第三・衆星喩)、日天子の諸闇を除くが如く(第四・日光喩)、諸王の中に転輪聖王第一なるが如く(第五・輪王喩)、三十三天の中に帝釈天第一なるが如く(第六・帝釈喩)、大梵天王の一切衆生の父なるが如く(第七・梵王喩)、一切凡夫の中に五仏子第一なるが如く(第八・四果辟支仏喩)、一切の無学の中に菩薩第一なるが如く(第九・菩薩喩)、仏の諸法の王なるが如く(第十・仏喩)である。

 

華厳

華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。

 

般若

般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。

 

大雲

北凉の曇無識の訳。大方等夢想経のこと。中国,北涼の曇無讖によって漢訳された。大方等無想大雲経6巻の略称。国王の仏教保護を説くこの仏典には,浄光天女が王位をつぐ,という一節があった。唐の則天武后の愛人,薛懐義は,洛陽の僧法明ら9人と共同で,この経に付会した讖文をつくり,太后は弥勒仏の下生なり,まさに唐に代わって帝位に即くべしと宣伝し,永昌元年(0689)7月にはこの経を全国にわかち,いわゆる武周革命の端緒を開いた。

 

密厳(経)

3巻。中国・唐代の不空訳。大乗密厳経のこと。8品からなる。三界六道の煩悩を断じた初地以上の菩薩が生ずる国として密厳経を説き、次に如来の法性は不生不滅・清浄無垢であると観ずる境地を如来蔵とし、更には万法の唯識の所現であるとして、その万法の根源を阿頼耶識として説いている。最後に密厳国に生ずるためには阿頼耶識を悟り、如来蔵を得べきであるとして、この三者を一体のものとしている。異訳に中国・唐代の地婆訶羅の大乗密厳経3巻がある。

 

金光明経

釈尊一代説法中の方等部に属する経。正法が流布するところは、四天王はじめ諸天善神がよくその国を守り、利益し、国に災厄がなく、人々が幸福になると説いている。訳には五種がある。①金光明経、四巻十八品、北涼の曇無讖訳、北涼の元始年中②金光明更広大弁才陀羅尼経、五巻二十品、北周の耶舍崛多訳、後周の武帝代③金光明帝王経、七巻十八品、梁の真諦訳、梁の大清元年④合部金光明経、八巻二十四品、隋の闍那崛多訳、大隋の開皇17年⑤金光明最勝王経、十巻三十一品、唐の義浄訳、周の長安3年。このうち、①には吉蔵の疏があり、天台大師が法華玄義二巻、法華文句六巻にこの経を疏釈しているため、広く用いられている。わが国では聖武天皇が国分寺を全国に建てたとき、妙法蓮華経と⑤金光明最勝王経を安置した。大聖人が用いられているのは①と⑤である。

 

真俗二諦

真諦と俗諦のこと。①真諦・絶対不変の真理。究極の真実。第一義諦。勝義諦。②俗諦・世間一般で認められる真実。世間の道理。

 

中道

苦楽の二受や有無の二辺、断常の二見などの両極端に執着しない不偏にして中正の道をいう。①快楽主義と苦行主義の二つの生き方を捨てること。②竜樹の中道論では空こそ生滅・有無等の両辺を超越した諸法のありのままの姿であり、これを中道としている。③天台は空仮中の三諦・円融に基づく中道を説いた。④日蓮大聖人は一生成仏抄のなかで、次のように述べられている。「有無の二の語も及ばず有無の二の心も及ばず有無に非ずして而も有無に徧して中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり、此の妙なる心を名けて法とも云うなり」(0384:08)と。非有非無の中道の理の本体を妙法蓮華経とするのである。

 

印・真言

印相と真言のこと。印とは決定不改または印可決定の義で、手指を種々に組み合わせて諸仏諸尊の内証の徳を表示する形式。真言宗でいう三密の中の身密にあたる。合掌ももちろん印である。真言とは真実の言葉という意味で、これを唱えれば不思議の功徳があるという。一種の呪文で、諸仏の梵名などを原語で唱えることなどを指す。真言宗にはこの印・真言が説かれているから法華経に優れているとの邪義を立てる。

 

已今当

法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし」とある。天台大師はこの文を法華文句巻八上に「今初めに已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈し、「已説」は四十余年の爾前の経々、「今説」は無量義経、「当説」は涅槃経をさすとしている。

 

論師

阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。

 

人師

人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。

 

謬執

謬に執着すること。

講義

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