曽谷二郎入道殿御返事 第五章(三大師の悪を挙げる)
弘安4年(ʼ81)閏7月1日 60歳 曽谷教信
日蓮
問うて云く三大師とは誰人ぞや、答えて曰く弘法・慈覚・智証の三大師なり、疑つて云く此の三大師は何なる重科有るに依つて日本国の一切衆生を経文の其の人の内に入るや、答えて云く此の三大師は大小乗持戒の人・面には八万の威儀を備え或は三千等之を具す顕密兼学の智者なり、然れば則ち日本国四百余年の間・上一人より下万民に至るまで之を仰ぐこと日月の如く之を尊むこと世尊の如し、猶徳の高きこと須弥にも超え智慧の深きことは蒼海にも過ぎたるが如し、但恨むらくは法華経を大日真言経に相対して勝劣を判ずる時は或は戯論の法と云い或は第二・第三と云い或は教主を無明の辺域と名け或は行者をば盗人と名く、彼の大荘厳仏の末の六百四万億那由佗の四衆の如き各各の業因異りと雖も師の苦岸等の四人と倶に同じく無間地獄に入りぬ、又師子音王仏の末法の無量無辺の弟子等の中にも貴賤の異有りと雖も同じく勝意が弟子と為るが故に一同に阿鼻大城に堕ちぬ、今日本国亦復是くの如し。
去る延暦弘仁年中・伝教大師・六宗の弟子檀那等を呵責する語に云く「其の師の堕つる所・弟子亦堕つ弟子の堕つる所・檀越亦堕つ金口の明説慎まざる可けんや慎まざる可けんや」等云云、
現代語訳
問うて云う。三大師とは誰のことか。
答えていう。弘法・慈覚・智証の三大師のことである。
疑つて云う。この三大師にどのような重大な科があって、日本国の一切衆生を譬喩品の文の「其の人」の内に入れたのか。
答えて云う。この三大師は大小乗の戒を持った人であり、八万の威儀を備え、あるいは三千の威儀等を備えた顕密兼学の智である。そうであるから、日本国のこれまでの四百余年の間、上一人から下万民に至るまで、この三大師を仰ぐことはちょうど日月のごとく、尊ぶのは世尊のごとくであった。そのうえ、徳の高いことは須弥山にも超え、智慧の深いことは青い海にも過ぎるほどであった。ただ、残念なことは法華経を大日真言経に相対して勝劣を判ずる時、法華経をあるいは「戯論の法」といい、あるいは「第二の劣」「第三の劣」といい、あるいは教主を「無明の辺域」と名づけ、あるいは行者を「盗人」と名づけているのである。
かの大荘厳仏の末の六百四万億那由佗の四衆の場合は、おのおの業因は異っていたけれども師の苦岸比丘等の四人とともに同じく無間地獄に堕ちてしまった。また、師子音王仏の末法の無量無辺の弟子等のなかにも貴賎の異なりがあったけれども、同じく勝意比丘の弟子となったために一同に阿鼻大城に堕ちてしまったのである。今、日本国の人々もまた同じである。
去る延暦から弘仁年間に伝教大師が南都六宗の弟子檀那等を呵責して言った言葉として守護国界章に「其の師の堕つる所、弟子亦堕つ、弟子の堕つる所、檀越亦堕つ。金口の明説慎まざる可けんや慎まざる可けしんや」等とある。
語句の解説
重科
①重い罪②重い刑罰。
大小乗持戒の人
大乗と小乗の戒律を持った人のこと。
八万の威儀
大乗の菩薩が守るべき多数の意義。
三千
①三千大千世界のこと。②森羅三千の諸法のこと。③一念三千の三千のこと。観心本尊抄には「「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」(0238:02)とある。
顕密
真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた経を密教、法華経のようにあらわに教えを説かれたものを顕教という本末顚倒の邪義を立てている。真実は、大日経のごとき爾前の経々こそ、表面的、皮相的な教えで顕教であり、未曾有の大生命哲理を説き明かした法華経こそ密教である。寿量品には「如来秘密神通之力」とあり、天台の法華文句の九にはこれを受けて「一身即三身のるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等とある。
四百余年の間
弘法が弘仁14年(0823)嵯峨天皇から東寺を与えられてから本抄執筆の弘安4年(1281)までの期間。
須弥
須弥山のこと。古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
蒼海
海。大海原。
大日真言経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
戯論の法
戯論とは、児戯に類した無益な論議・言論のことで、無益な法のこと。
教主を無明の辺域
弘法は秘蔵宝鑰で、十住心を立て、法華経の教主は顕教のなかでは究竟の理法身であるが、真言門の初門に過ぎず、明の分位である果門に対すれば無明の辺域であると下している。
行者をば盗人
弘法の弁顕密二経論で、六波羅蜜経に真言陀羅尼を醍醐味としたものを、各宗の学者が盗用して、自宗の醍醐味にしたと批判している。
大荘厳仏
過去久遠無量無辺不可思議阿僧祇劫の仏。仏蔵経によれば、寿命は六十八百万億歳で、六十八百億の大弟子がいた。しかし出現した大荘厳仏の滅後百年に弟子は五派に分裂した。このなかで普事比丘だけは大荘厳仏の教えを正しく守ったが、他の苦岸、薩和多、将去、跋難陀の四比丘は邪道に迷い、邪見を起こして普事比丘を迫害した。四比丘とこれに従った大衆は地獄に堕ちたという。
六百八十万億那由佗の四衆
仏蔵経によると六百八十万億那由佗の諸人とは、大荘厳仏の弟子衆のことであり、普事比丘を迫害した在家出家の大衆は六百四万億人である。那由佗とは経典によって諸説あるが、倶舎論巻十二の説では現在の数の一千億にあたるといわれる。
四衆
比丘(出家の男子=僧)、比丘尼(出家の女子=尼)、優婆塞(在家の男子)。優婆夷(在家の女子)をいう。
苦岸等の四人
仏蔵経に出てくる苦岸、薩和多、将去、跋難陀の四人の出家者。邪見に陥った悪知識で640万億人を大阿鼻地獄に堕としたという。
師子音王仏
師子吼鼓音王如来のこと。諸法行法経に出てくる。過去・無量・無辺・不可思議・阿僧祇劫の仏で、国は千光明、寿命は十万憶那由佗歳。国土は説き尽すことができないほど荘厳で、この国の樹木は皆、七宝からなり、空の音・無相の音などの法音を出し、これら諸法の音をもって衆生を得道させたという。師子吼鼓音王仏は三乗の法を説き、九十九億の声聞の弟子は阿羅漢を得、九十九億の菩薩は無生法忍を得た。更にこの仏の説いた法は六万歳の間、住して後、樹木の法音も絶えてしまった。また師子吼鼓音王仏の末法に喜根比丘が現れ、諸法の実相を説いたが、勝意比丘に誹謗された。しかし喜根比丘は法を貫いて成仏し、勝意比丘等は地獄に堕ちたという。
勝意
勝意比丘のこと。諸法無行経巻下によると、過去に師子音王仏の末法の世に菩薩道を行じたが、同じ時代に菩薩行を修し、衆生に諸法実相を教えていた喜根菩薩を誹謗した。ある時、喜根菩薩の弟子の家で喜根菩薩を誹謗したが、その弟子と論争して敗れ、さらに家の外で喜根菩薩に向かって誹謗した。このことを聞いた喜根菩薩は七十余の偈を説いて大衆を解脱させたが、勝意比丘は地獄に堕ちて無量千万歳の苦を受け、彼の教化を受けた比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷もまた地獄に堕ちたとある。
檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。