曽谷二郎入道殿御返事 第四章(重罪の根源は三大師にあるを標す)

曽谷二郎入道殿御返事 第四章(重罪の根源は三大師にあるを標す)

 弘安4年(ʼ81)閏7月1日 60歳 曽谷教信

    日蓮

問うて云く何を以てか日本国の一切衆生を一同に法華誹謗の者と言うや、答えて云く日本国の一切衆生衆多なりと雖も四十五億八万九千六百五十九人に過ぎず、此等の人人・貴賤上下の勝劣有りと雖も是くの如きの人人の憑む所は唯三大師に在り師とする所・三大師を離る事無し、余残の者有りと雖も信行・善導等の家を出ず可らざるなり、

 

現代語訳

問うて云う。何をもって日本国の一切衆生をおしなべて法華誹謗の者であるというのか。

答えて云う。日本国の一切衆生は数が多いといっても四百五十八万九千六百五十九人にすぎない。これらの人々に貴賎上下の勝劣があるといっても、この人々がたのみとするところは、ただ三大師である。師とするところはただ三大師を離れることはないのである。三大師以外の者があったとしても、信行・善導等の流派を出ることはない。

 

語句の解説

信行

三階禅師のこと。(05400597)中国・隋の時代の僧で天台とほぼ同時代の人。三階の仏法を立てたのでこの名がある。8歳で出家し、のちに相州の法蔵寺で具足戒を受けた。隋の開皇のはじめ真寂寺で「三階仏法」4巻をはじめ多くの書をあらわした。三階仏法を主張して在家仏法のはじめとなった。隋の開皇14年(059755歳で死んだ。三階教は一時は長安、大興の都を中心にひろまったが、隋の文帝、唐代の則天皇后、玄宗などによって圧迫され、やがて亡びてしまった。

 

講義

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