曽谷二郎入道殿御返事 第三章(一切衆生一業の所以を説く)

曽谷二郎入道殿御返事 第三章(一切衆生一業の所以を説く)

 弘安4年(ʼ81)閏7月1日 60歳 曽谷教信

    日蓮

問うて云く衆生に於て悪人・善人の二類有り、生処も又善悪の二道有る可し、何ぞ日本国の一切衆生一同に入阿鼻獄の者と定むるや、答えて云く人数多しと雖も業を造ること是れ一なり、故に同じく阿鼻獄と定むるなり。
  疑つて云く日本国の一切衆生の中に或は善人或は悪人あり善人とは五戒・十戒・乃至二百五十戒等なり、悪人とは殺生・偸盗・乃至五逆・十悪等是なり、何ぞ一業と云うや、答えて云く夫れ小善・小悪は異なりと雖も法華経の誹謗に於ては善人・悪人・智者・愚者倶に妨げ之れ無し是の故に同じく入阿鼻獄と云うなり、

 

現代語訳

問うて云う。衆生には悪人と善人の二種類がある。ゆえにその生まれる所にもまた善と悪との二道があるはずである。どうして日本国の一切衆生が一同に「入阿鼻獄」の者と定めるのであろうか。

答えて云う。人数は多いけれども、造る業は一つである。ゆえに同じく「阿鼻獄」と定めるのである。

疑って云う。日本国の一切衆生の中には、あるいは善人、あるいはは悪人がいる。善人とは五戒・十戒・乃至二百五十戒等の戒律を持つ人である。悪人というのは殺生・偸盗・ないし五逆・十悪等を犯す人である。どうしてそれを一つの業というのであろうか。

答えて云う。小善と小悪の異なりはあっても法華経の誹謗においては善人・悪人・智者・愚者の違いはない。このゆえにみな同じく「入阿鼻獄」というのである。

 

語句の解説

五戒

小乗教で、八斎戒とともに俗男俗女のために説かれた戒。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少ない。死んでは、また人に生まれ、慶幸をうけることができるという。

 

十戒

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界をいう。観心本尊抄には「或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり」(0241:07)「四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(0241:11)とある。

 

二百五十戒

男性出家者(比丘)が守るべき250カ条の律(教団の規則)。『四分律』に説かれる。当時の日本ではこれを受けることで正式の僧と認定された。女性出家者(比丘尼)の律は正確には348カ条であるが、概数で五百戒という。『叡山大師伝』(伝教大師最澄の伝記)弘仁9年(818年)暮春(3月)条には「二百五十戒はたちまちに捨ててしまった」(趣意)とあり、伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は大乗戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。こうしたことも踏まえられ、日蓮大聖人は、末法における持戒は、一切の功徳が納められた南無妙法蓮華経を受持することに尽きるとされている。

 

殺生

生きものを殺すこと。十悪の第一。四重禁の一つ。仏法では最も重い罪業の一つとし、五戒・八戒・十戒等の一つに不殺生戒を挙げている。

 

偸盗

人の物を盗むこと。十悪の一つ。四重禁の一つ。

 

五逆

五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。

 

十悪

十種の悪業のこと。身口意の三業にわたる、最もはなはだしい十種の悪い行為。倶舎論巻十六等に説かれる。十悪業、十不善業ともいう。すなわち、身に行う三悪として殺生、偸盗、邪淫、口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌、心の三悪としては、貪欲、瞋恚、愚癡がある。

 

誹謗

悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢.・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」(1382:04)とある。

 

講義

タイトルとURLをコピーしました