三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄) 第二章(化他の経の位置づけ)

三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄) 第二章(化他の経の位置づけ)

 弘安2年(ʼ79)10月 58歳

一には化他の経とは法華経より前の四十二年の間説き給える諸の経教なり此れをば権教と云い亦は方便と名く、此れは四教の中には三蔵教・通教・別教の三教なり・五時の中には華厳・阿含・方等・般若なり法華より前の四時の経教なり、   

 

現代語訳

一には化他の経とは法華経よりまえの四十二年の間に説かれた、もろもろの経教である。これを権教といい、または方便と名づける。

これは化法の四教のなかでは、三蔵教・通教・別教の三教であり、五時のなかでは華厳・阿含・方等・般若という、法華経よりまえの四時の経教である。

語句の解説

法華経

梵名サッダルマプンダリーカ・スートラ(Saddharmapuṇḍarīka-sūtra)、音写して薩達摩芬陀梨伽蘇多覧、「白蓮華のごとき正しい教え」の意。経典として編纂されたのは紀元一世紀ごろとされ、すでにインドにおいて異本があったといわれる。そのためこれを中国で漢訳する段階では、訳者によって用いた原本が異なり、種々の漢訳本ができたと推察される。こうしてできた漢訳本は、①法華三昧経(六巻。魏の正無畏訳。0252年訳出)。②薩曇分陀利経(六巻。西晋の竺法護訳。0265)。③正法華経(十巻。西晋の竺法護訳。0285年)。④方等法華経(五巻。東晋の支道根訳。0335)。⑤妙法蓮華経(八巻。姚秦の鳩摩羅什訳。0406年)。⑥添品妙法蓮華経(七巻。隋の闍那崛多・達磨笈多共訳。0601)の六種である。このうち現存するのは③正法華経、⑤妙法蓮華経、⑥添品法華経の三種があるが(六訳三存)、⑤妙法蓮華経が古来から名訳とされて最も普及しており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。内容は、それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一し、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調する。

 

四教

ここでは天台大師が立てた化法の四教(蔵教・通教・別教・円教)のこと。教法の内容によって分類したもの。

 

三蔵教

天台大師が釈尊の一代聖教を教法の内容によって立て分けた化法の四教(蔵・通・別・円)のうちの三蔵教のこと。略して蔵教ともいう。経律論の三蔵をそなえ、三界(欲界・色界・無色界)の内(界内)の生死・因果のみを明かし、諸法をその構成要素に分析して空とする析空観を観法として、諸法の空をみて不空を知らない但空の理を説く。主として二乗(声聞・縁覚)を対象とし、付随して菩薩を対象とする。阿含経がこれにあたる。

 

通教

天台大師が釈尊の一代聖教を教法の内容によって立て分けた化法の四教(蔵・通・別・円)のうちの通教のこと。大乗の初門となる教えで、前の三蔵教と後の別教・円教とに通ずるので通教という。また、三乗(声聞・縁覚・菩薩)に通じる教えなので通教という。蔵教と同じく界内の理を明かし、諸法の体に即してそのまま空とする体空観に立ち、空の中に自ら不空が存在するという不但空の理を説く。声聞・縁覚・菩薩がともに学ぶが、菩薩を正機とする。方等部・般若部等の諸経典中に説かれる。

 

別教

天台大師が釈尊の一代聖教を教法の内容によって立て分けた化法の四教(蔵・通・別・円)のうちの別教のこと。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。代表的なものに華厳経がある。

 

五時

五時教判のこと。天台大師が諸経典の教えを釈尊一代で説かれたものとみなし、成道から入滅までの教えを内容によって五つの時期に分類し、矛盾なく理解しようとした。華厳時・阿含時(鹿苑時)・方等時・般若時・法華涅槃時をいう。

 

華厳

五時のうち華厳時に説かれた経。釈尊が伽耶城(ガヤー)近くの菩提樹の下で成道した後、三七日(3週間)、華厳経を説いた期間。

 

阿含

五時のうち阿含時に説かれた経。華厳時で教えを理解できなかった者がいたので、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑などで12年間、衆生を仏法に誘引するため長阿含経などの四阿含を説いた期間。大乗に対して小乗と位置づけられる。

 

方等

五時のうち方等時に説かれた経。続いて16年間(一説には8年間)、阿弥陀経・維摩経などの諸大乗経典を説き、小乗に執着する声聞を糾弾して大乗を慕わせた期間。

 

般若

五時のうち般若時に説かれた経。鷲峰山(霊鷲山)・白露池など四処十六会で14年間(一説には22年間)、般若経などの一切皆空の教えを説き、衆生の機根を菩薩として高めた期間。

 

講義

ここから、一代聖教を自行と化他に分けたなかの化他について、その内容が説かれていく。しかし、化他といっても、自行の法門に導く方便であるゆえに、自行との対比によってしか示しえないから、自ら自行の法門にも触れていかざるをえないことになる。

ここで、「化他の経」と表現されているのに対し、自行についてその内容が示される段では、「二に自行の法とは是れ法華経八箇年の説なり」と、「自行の法」と述べられている。

この〝法〟と〝経〟との言葉の使い分けは、自行と化他の相違を踏まえられたものと拝せる。すなわち、自行とは仏の悟りそのものを表す随自意の教えであるうえから、〝法〟(真理)と述べられ、化他の場合はその真理である〝法〟に導くための方便として、九界の衆生の機根や性質にしたがって種々に〝経〟(教え)を説き分けるゆえに〝経〟といわれたと考えられるのである。

さて、〝化他の経〟とはいかなる内容のものであるかについては、今この本文に「一には化他の経とは法華経より前の四十二年の間説き給える諸の経教なり此れをば権教と云い亦は方便と名く、此れは四教の中には三蔵教・通教・別教の三教なり・五時の中には華厳・阿含・方等・般若なり法華より前の四時の経教なり」と仰せられているように、釈尊の一代五十年の説法のなかでは、最後八年の自行の法=法華経が明かされる以前の四十二年にわたって説かれた諸経のことである。この化他の経は法華経の実教に対して権教であり、法華経の真実に対して方便という。

この実教・権教、真実・方便の立て分けについては、本抄の以後の展開において繰り返し説かれていくので、そこで詳しく説明することとしたい。

 

此れは四教の中には三蔵教……法華より前の四時の経教なり

 

四教の立て分けでいえば、蔵・通・別の三教が「化他の経」であり、円教が「自行の法」となる。五時の立て分けのなかでは、華厳時・阿含時・方等時・般若時の経教が「化他の経」となり、法華涅槃時の経が「自行の法」となる。

ただし、厳密にいえば、法華涅槃時の涅槃時に関していえば、涅槃経のなかの〝円教〟の部分に限って自行に組み込まれていると考えられる。

また、法華経二十八品が自行の法となることは当然として、開経の無量義経、結経の普賢経も「自行の法」のなかに含められていると拝察すべきであろう。

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