生死一大事血脈抄2014:05大白蓮華より先生の講義
本文
総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し、
現代語訳
総じて日蓮が弟子檀那等が、自分と他人、彼とこれとの隔てなく水魚の思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。しかも今、日蓮が弘通する法の肝要はこれである。
もし、弟子檀那等がこの意を体していくならば、広宣流布の大願も成就するであろう。これに反して、日蓮の弟子のなかに異体異心の者があれば、それは例えば、城者にして城を破るようなものである。
講義
凱歌の民衆世紀へ!「久遠の盟友」と異体同心の前進を
栄光燦たる5月3日!
それは、「久遠の盟友」である創価の師弟が、一閻浮提広宣流布という地涌の誓願を燃やし、威風堂々と出発する日です。
三世の同志が、わが使命の舞台で「勝利の旗」を掲げながら、心晴れ晴れと師のもとに共に集ってくる。
永遠に誉れ高き「凱旋」であり、永遠に新たな「出陣」です。我らは万年の未来へ瑞々しい大生命力を朗らかにスクラムで「前進」するのです。
「5・3」が巡り来るたび、私の胸には、あの日の厳粛な誓いが蘇ります。
1951年5月3日、わが師・戸田城聖先生は創価学会2代会長に就任されました。「広宣流布の大願」を果たすために、師匠が一人立たれた。そして後継の弟子もまた共に立ったのです。
戸田先生は、この5月3日に撮られたポートレートの裏に、一首の和歌を認めて私に授与してくださいました。
現在も
未来も共に
苦楽をば
分けあう縁
不思議なるかな
法華経には、師弟の永遠の宿縁を「在在諸仏土 常世師俱生」と説かれております。
広布の師弟は三世永遠に
広布の師弟は、久遠の妙法の光に包まれながら、三世の生死を永遠に共に生ききるのです。共に苦楽を分かち合い、共に戦い、共に苦難の山を越え、そして共に勝利するのです。
「未来も共に」と恩師から厳然と託された通り、私は1960年(S35)5月3日、師の「広宣流布の大願」を継いで、第3代会長に就任しました。今この瞬間も、恩師の誓願は、わが誓願として胸中に烈々と脈打っております。
広宣流布とは、妙法の大光を永遠ならしめ、あらゆる人を救いきっていく戦いです。当然、それは、一代の生涯だけでできる仕事ではありえません。「一切衆生皆成仏道」という法華経の根本目的が、途絶するようなことがあってはならないのです。
広宣流布という仏の根本の願いを実現するために、一人から一人へとバトンを渡すリレーのように、間違いなく、この誓願をつなぐのが師弟です。正しき「法」を継承する子弟があってこそ初めて、「広宣流布の大願」も現実のものとなるのです。
今回は、わが同志と共に「生死一大事血脈抄」の御文を拝しながら、創価学会は永遠に「師弟不二の信心」と「異体同心の信心」で勝利する、と確認したいと思います。
絢爛たる民衆勝利の大叙事詩を
私たちが常に拝してきた御文です。そしてまた、我ら創価学会の師弟こそが正しく拝してきた最重要の御金言といってよい。
今日、私たちが世界192ヶ国・地域にまで妙法を弘め、「広宣流布の大願」を実現してきた事実が、その何よりの証明であります。
御文には「日蓮が弟子檀那等」と仰せです。日蓮大聖人に直結する師弟の中心軸がすべての根幹です。
「生死一大事の血脈」とは、一切衆生に受け継がせ、万人を成仏させるための血脈です。日蓮大聖人は、釈尊から上行菩薩に託された妙法の血脈を万人に開かれました。この「仏に成る血脈」を継ぐためには、広宣流布への「師弟不二の信心」が必要なのです。この師弟の行動以外に、別に神秘的な血脈があるのでは断じてない。
それとともに、一人の人間における信心の確立のために、その宿命転換の劇、人間革命の劇を、全世界へ未来に無限に広げていくには、「異体同心の信心」で結ばれた組織が絶対に必要です。広布の師匠と「同じ心」すなわち師と同心の弟子たちが団結して「異体同心」の行動を続けることです。ゆえに、「師弟不二の実践」と「異体同心の組織」があって「広宣流布の大願」が実現するのです。
金剛不壊なる魂の柱を中心軸として、同心円を描くように同志の麗しい団結が幾重にも広がっていくのです。私たちは、この師弟不二の「縦糸」と、異体同心の「横糸」をもって、絢爛たる民衆勝利の大叙事詩を織り上げていくのです。
「日蓮が一門」の和合僧
我ら「創価」の集いが、仏法上、どれほど大切な存在か。
初代会長・牧口常三郎先生は、法難で投獄された獄中で検事の訊問に答えて、創価教育学会は、いわゆる僧侶が運営する寺院などではなく、独立した「立派な一個の在家的信仰団体」であります、と断言されていました。
学会は、末法悪世の真っ直中で妙法を広宣流布し、現実社会の変革を担い、豊かな価値創造をなしていく団体であると構想されていたのです。
しかし、時の国家権力の苛烈な弾圧に耐えられず、大半の幹部は退転、悲惨な戦乱の中で、会員はちりぢりとなり、組織は壊滅状態になってしまった。敗戦直後の1945年(S20)7月、戸田先生は、一人、獄中闘争を乗り越えて出獄されるや、直ちに学会組織の再建に着手されます。
「もう二度と失敗はしないぞ!」
先生は、戦時中の苦い教訓から、いかなる迫害があっても広宣流布のために不撓不屈で戦う民衆組織を築こうとされたのです。
師弟不二の信心で一人立つ師子がいれば、時代の隔たりや物理的な距離も飛び越えて、広宣流布の突破口が必ず開かれる。その人の周りに、必ず大聖人直結の「日蓮が一門」の和合僧がつくられていく、という洞察だったのです。
「師弟ノ道ヲ、留メオク」
戸田先生から、私は直々に「生死一大事血脈抄」の講義を受けました。特に忘れられないのは、先生の事業が最悪の苦境にあった時期、1950年(S25)の師走のことです。先生は学会を護るために、理事長職を退かれ、いつか大使命に立つ日を期されていました。その心も知らず、内外から先生への悪口罵詈が渦巻く最中の講義でした。
さらに年が明けた1月、私はこの「生死一大事血脈抄」の御文を、生命に刻みつけるがごとく日記に書き留めました。先後、再建に踏み出した創価の師弟が、再びの大難の嵐を乗り越えられるか否か、その正念場の時です。その日々の中で、私は誓いました。
「師弟ノ道ヲ、留メオクコト」
久遠の師匠から、久遠の弟子に妙法流布の誓願と使命を付嘱することは、法華経の最重要のテーマです。
この師弟の原理を末法今時に移して、釈尊、そして日蓮大聖人の御遺命である妙法流布の大願を遂行するために出現したのが、私ども創価学会なのであります。
大難を勝ち越え、恩師は2代会長に就任されると同時に、最も重要な布石をされました。それが学会組織の刷新でした。この時、創刊まもない聖教新聞には「人類救済の組織成る」との鮮烈な見出しが躍りました。
当時、わずか3000人にすぎない学会です。しかし、人数の多寡など関係ありません。広宣流布を目指す「異体同心の結合」は、必ずや人類史的な大使命を果たしていくことを、戸田先生は深く大確信なされていたのです。
インド独立の父マハトマ・ガンジーの信念が思い起こされます。「その使命に対する抑え難い信念によって火がつけられた、決然とした人々からなる小さな団体は、歴史の流れを変えることができる」
「広宣流布の大願」という尊き使命に燃えて戦う、「抑え難い信念」で織り成された「民衆勝利のための組織」は、まさに「歴史の流れ」を変えてきたのであります。
仏道修行に励む善き友の集い
恩師が「戸田の命よりも大切」と言われた創価学会の組織。あらためて、その仏法上の意義を確認すれば「和合僧」ということができるでしょう。正法を行ずる人々の「集い」を意味します。
正しき「法」を永遠に伝え残していくには、必ず伝持の人がいなければならない。さらにいえば、組織がなくてはなりません。
釈尊の在世にあっても、その周りに弟子たちの集いが生まれていった。
ある時、多聞第一の弟子・阿難が「善き友・善き仲間と共にあることは、仏道修行の半ばを成就したに等しいのではないでしょうか」と、師匠に質問しました。すると、釈尊はこう答えたと伝えられます。
「いや『半ば』ではありません。仏道修行の『すべて』です」と。
釈尊は、さらに言葉を継いで語っています。
「阿難よ、考えてごらんなさい。人々は、私を善き友とすることで、生老病死の苦悩から自由になっているのではありませんか。このことから考えてもわかるでしょう、善き友、善き仲間と共にあることが、仏道修行の『すべて』なのです」
ここには“師と共に歩む”という師弟の道を根幹としながら、善き友、同志と共に生き抜くことが、生老病死の苦悩を乗り越えていく大道であると示されています。
今の私たちの表現でいえば「師弟不二」と「異体同心」でありましょう。
また仏典によれば、別の機会に、智慧第一の舎利弗が感慨深く述懐します。「わが師よ、善き友、善き仲間と共にあることは、まさに仏道修行の『すべて』ですね」と。釈尊と阿難の問答を確認するような一言でした。
すると釈尊は、「善きかな、善きかな」と讃え、重ねて“善き友と歩むことが仏道修行の全体である”と強調しています。
釈尊は、共に仏道修行に励む仲間のつながりを、最大に大切にしていました。この師弟と同志の集いが和合僧です。「不敗なる集い」とも呼ばれています。
それは、万人に、また世界に広々と開かれた集いでした。釈尊は、集いに加わる友を、世間的な身分や階級の差別を超えて、最大に尊敬を込めて歓迎したといいます。
お互いに敬い、励まし合う、人間と人間の心通い合うつながりが、本来の仏法の世界なのです。
この和合僧を破壊することは、自ら「仏になる道」を閉ざし破壊する、まさに「城者として城を破る」獅子身中の虫の姿であることはいうまでもありません。
団結こそが「勝利の力」
異体同心こそ「不敗なる集い」の根幹です。そして団結こそは「勝利の力」です。いうまでもなく、これは万般に通ずる原理です。
アメリカの独立運動に絶大な影響を与えたトーマス・ペインは訴えています。
「われわれの偉大な力は数にあるのではなく、団結にある」
いわんや、広宣流布の信心を根本にした「異体同心の団結」は絶対勝利の兵法です。我らは、この不敗の民衆の城を守り、永遠に勝って、勝って、勝ち抜いていくのです。「異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なしと」(1463:02、異体同心事)「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候」(1463:05、異体同心事)とは、不滅の御金言です。この勝利の方程式は今も変わりません。
互いに「皆仏なり」との尊敬を
しかし、生身の人間、末法の凡夫の集まりであり、団結・団結と言いさえすれば、簡単に結束できるというものではありません。
好きになれない人、気の合わない人がいるというのは、人間社会の現実であり実相です。だからこそ、一時の感情に流されず、互いに心を合わせよう、団結していこうという意志が大事なのです。そこに我慢編集の泥沼などに足を取られぬ「賢者の正道」があるのです。
正義感が強い反面、短気で感情が顔に出やすい四条金吾に対して、大聖人は「いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ」(1172:07、崇峻天皇御書)「常にむつばせ給へ」(1172:13、崇峻天皇御書)等々、幾度となく周囲の人間関係の配慮をこまやかに指導されています。
さらに「松野殿御返事」には「忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」(1382:10)「法華経の一偈一句をも説かん者をば『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理なれば仏の如く互に敬うべし」(1383:02)と仰せです。
まさしく私たちが肝に銘じるべき大事な御指南でありましょう。「法華経を持つ者は必ず皆仏」です。喧嘩して悪口を言い合う仏もいなければ、いがみ合う仏もいません。
ともあれ、人間は人間の輪の中でしか磨かれません。どこまでも人間の中へ!これが大乗菩薩の誓いです。わがままな自分を乗り越えて成長しゆくための人間修行です。
「一人立つ」真の勇者に
私が若き日から、広布の大闘争に臨んで、胸に刻んできた御聖訓があります。
それは「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして.法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(1224:03、辧殿尼御前御書)の師子吼です。
一切衆生を苦悩の大海から救う広宣流布の戦いとは、法華経の行者の軍勢と第六天の魔王の軍勢との激烈な攻防戦であることが明かされています。
事実、大聖人の御生涯は命に及ぶ大難の連続でありました。一瞬の油断も許されない日々を、威風も堂々と戦い抜かれたのです。
大聖人は、後年、「諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん」(0843:天台大師を魔王障礙せし事:07)と悠然と言われています。いわば、第六天の魔王が「参りました」と降参しているだろうと喝破なさっているのです。
魔王の軍勢を震え上がらせる師子王の大闘争は、諸天善神を味方にして加勢させ、竜の口の法難をも勝ち越えられました。
「日蓮が一門」は、一人ももれなく、この師子王の魂を受け継いだ勇者の集いです。
「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず」(0910:種種御振舞御書:12)と厳命された通り、我ら異体同心の民衆のスクラムは、何ものにも臆さぬ師子と師子の強靭なる連帯なのであります。
異体同心の鉄壁の団結を可能にするのは、「一人立つ」信心です。「誰かがやるだろう」「自分には関係ない」という他人任せ、人を恃む弱さや無責任さのあるところには、本当の団結はできません。
「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(1467:高橋殿御返事:05)と仰せのごとく、自分のいるその場所、その地域で一人立つのです。
「関西は、ますます強くなる」
戸田先生の願いは、いかなる権力の魔性の迫害にも負けない、不撓不屈の民衆城を築くことでした。
忘れもしない1957年(S32)の7月17日、無実の罪で投獄された私が2週間ぶりに出獄したその日、諸天の怒りのような凄まじい豪雨の中、中之島の中央公会堂で抗議の集会「大阪大会」が開催されました。
大阪事件は、関西の団結の中心にいた私を狙い撃ちにし、そこから戸田先生の逮捕まで視野に入れた学会弾圧でした。普通であれば、組織は壊滅させられていたでしょう。しかし、権力が凶暴な牙をむいたその時、創価の師弟も、正義の民衆であるわが関西の同志も、毛筋ほどもおそれはなかった。
戸田先生は、関西の同志がこのたびの難を誰一人として他人事とせず、わが事のように激怒し、共に祈り、共に戦った団結を心から讃えました。そして私に「これで関西は、ますます強くなるぞ」と、断固たる口調でおっしゃられたのです。
今や、我が師匠の悲願の通りに、異体同心にして難攻不落の「錦州城」が、大関西に、そして日本中、世界中にそびえ立っております。そのことが、私は嬉しくてなりません。
地涌の連帯で世界広布が実現
私が第3代会長に就任し、いよいよ世界広宣流布の時代が始まりました。あの国に、またあの地にと、妙法の一粒種が次々と誕生し、使命を自覚した勇者が、一人また一人と立ち上がっていきました。
厳しい冬のような時代を経た国や地域もありました。しかし、そうした地ほど、今、立派に社会に実証を示しています。
南米ブラジルでは、軍事政権下の不当な圧力が続き、18年間、私は訪れることができませんでした。また、戦前・戦中に軍国日本の支配に苦しんだ歴史を持つ韓国・台湾では、根強い誤解や偏見ゆえに、わが同志は幾多の苦難を耐え抜かねばなりませんでした。しかし、いずれの地にあっても、あらゆる試練を「異体同心の団結」で乗り越え、見事なる模範の世界市民の集いへと発展していったのです。
釈尊生誕の天地ネパールの同志とお会いした時、私は、「第一に仲良く、第二に仲良く、第三にも仲良く」と指針を送りました。
何があろうが、同志が心を合わせ、仲良く前進する集いの中に、「希望」があります。「幸福」があります。「勝利」があります。
コートジボワールをはじめ、希望の大陸アフリカの国々の同志は、「イタイドウシン!」「ビクトワール!」を合言葉に、麗しい前進を続けています。
「異体同心」の「異体」とは、「多様性」ということができます。
私は、アメリカ文化本部の方々と懇談した折、「画一主義」は独裁・専制に通ずる。仏法は、そして、わがSGIは、伸び伸びと「多様性」を楽しみ、生かしていくのですと申し上げたことがありました。
多様性が共存する社会は、よく「オーケストラ」や「サラダボウル」に譬えられます。多彩な楽器の音色が見事なハーモニーを奏でるように、また彩り豊かな野菜が、器の中でそのままにぎやかに調和して光っているように、人々が共生できる社会です。
実際、わがSGIが、多民族・多文化の国や地域にあって、「多様性」を大きな特色としていることに対して、世界の識者たちからも評価と信頼が寄せられています。
その意味でも、創価の「異体同心」の集いは、実はグローバル社会の理想をすでに体現しているといって過言ではありません。
この地球上のいずこの地であっても、そこに決然と一人立つ、わが創価の同志の連帯が広がれば、幸福への「価値創造の道」が開かれ、「平和と希望の調べ」が奏でられていく。そういう時代がいよいよ到来しているのです。
尊き同志を仏菩薩が御賞讃
末法今時において、万人成仏の妙法を世界に広宣流布していくのは、一体、誰か。
現実のうえで、苦悩に喘ぐ人々の真っ直中に飛び込み、友の絶望の闇を破らんと、明日への希望の光を送ってきたのは誰か。
自らも困難と戦いながら、悩める友の心に寄り添い、粘り強く、生きる勇気と生命力を呼び覚ます対話を重ねてきたのは誰か。
「今こそ宿命転換の時です。さあ、一緒に題目をあげて戦いましょう!」「冬は必ず春となります。この苦難を乗り越え、絶対に幸せになるんですよ!」日本中、世界中で、あの満々たる確信と励ましを送り続けてきたのは誰なのか。
それは、わが尊き同志の方々です。地涌の菩薩の教団である創価学会であり、我ら創価の師弟にほかなりません。
広宣流布の誓願に生ききる創価学会が厳然とあればこそ、法華経寿量品の「常住此説法」久遠の仏が娑婆世界に在って永遠に妙法を説き続ける、という法理も、事実のうえのこととして現出するのです。創価学会が仏意仏勅の教団である意味もここにあります。まさに、創価学会こそ、現代における仏法正統の「和合僧」です。
このゆえに、恩師・戸田先生は、学会は未来の経典に「創価学会仏」として記されるであろうと予見されたのであります。
御本仏日蓮大聖人が、そして三世十方の仏菩薩が、我ら創価の世界広布の前進を最大に喜ばれ、「善きかな、善きかな」と御賞讃であることは絶対に間違いありません。
「共に励まし共々に征かなむ」
本年1月、「世界広布新時代 開幕の年」のスタートとなる本部幹部会に寄せて、私は恩師の和歌を認めた「書」を紹介し、あらためて全世界の同志に贈りました。
この歌を刻んだ歌碑は「広宣流布大誓堂」の北側の広場にも厳然と、設置されております。
妙法の
広布の旅は
遠けれど
共に励まし
共々に征かなむ
我ら創価の師弟は、三世永遠の不二の心で「共に」生き、「共に」戦い、そして「共に」広宣流布の大願を果たし抜くのです。
私たちは皆、生老病死という根源的な苦悩と向き合い、「自他共の幸福」を勝ち取るために戦う、同じ目的を共有した同志です。
ゆえに創価学会は「共に励まし合う集い」です。「共に学び合い、触発し合う集い」です。「共に苦難を乗り越え、成長していく集い」です。
私の脳裏には、あの東日本大震災の被災地にあって、人々の心を結び、勇気と希望を贈りながら、復興への光を大きくひろげてきた。あまりにも尊き同志の姿が離れません。
「負げてたまっか!」と不屈の魂を燃やして、一歩また一歩と、地を這うように進んできた友から周りへと、今、明日への「福光」がいよいよ輝きだしているのです。
日本だけではありません。世界の各地でも、さまざまな困難に対して「共に」励まし合いながら、不撓の闘争が繰り広げられています。また、これからも、否、未来永遠に、我ら創価の同志は前途にいかなる嵐があろうとも、麗しい異体同心の信心で、どこまでも「共に」励まし合って進むのです。何ものをも恐れず、「共々に」勇気と希望の遠征を続けるのです。
そこにこそ妙法の一閻浮提広宣流布の実現があります。「それはまた、「生命の讃歌」「人間の讃歌」の地球社会の道でもあるのです。
麗しい「異体同心」の民衆の団結が、奇跡の中の奇跡として、人類史に凱歌の歴史として刻まれる日が必ず訪れると確信します。
「民衆世紀」の夜明けは世界の地涌のスクラムから、すでに始まっているのです。
わが愛する
世界の青年たち
未来の使者たち
そして、心から信頼する
壮年・婦人の創価家族と共に
勝利と栄光と希望の「5・3」を
迎えられることに
深く深く感謝して