兵衛志殿御返事(深山厳冬の事)第一章(御供養の志を称える)

兵衛志殿御返事(深山厳冬の事)第一章(御供養の志を称える)

 弘安元年(ʼ78)11月29日 57歳 池上宗長

 銭六貫文〈内一貫、次郎よりの分〉、白厚綿の小袖一領。
 四季にわたりて財を三宝に供養し給う、いずれもいずれも功徳にならざるはなし。ただし、時に随って勝劣・浅深わかれて候。うえたる人には、衣をあたえたるよりも、食をあたえて候は、いますこし功徳まさる。こごえたる人には、食をあたえて候よりも、衣はまたまさる。春夏に小袖をあたえて候よりも、秋冬にあたえぬれば、また功徳一倍なり。これをもって一切はしりぬべし。
 ただし、このことにおいては、四季を論ぜず、日月をたださず、ぜに・こめ・かたびら・きぬこそで、日々月々にひまなし。例せば、びんばしゃらおうの教主釈尊に日々日々に五百輛の車をおくり、阿育大王の十億の沙金を鶏頭摩寺にせせしがごとし。大小ことなれども、志はかれにもすぐれたり。

————————————–(第二章に続く)———————————————-

現代語訳

銭六貫文、そのうち一貫文は次郎殿からの分として、また白の厚綿小袖一揃いをいただきました。

四季を通じて、種々の品を三宝(御本尊)に供養されることは、全てが全て功徳にならないものはありません。ただし、時によって、その功徳に勝劣浅深があります。飢えている人には、衣服を与えるよりも食物を与える方がすこし功徳は勝り、寒さに凍えている人には、食物を与えるよりも衣服を与える方がもっと功徳は勝れております。また、春・夏に厚綿の小袖を与えるよりも、秋・冬に与えた方が功徳は倍増します。これによって一切が分かるでしょう。

しかし、供養については、あなたからは四季の別なく、日月も問わず、銭・米・帷子・衣小袖を月々日々ひまなくいただいております。たとえば、頻婆娑羅王が教主釈尊に対して、毎日、五百輌の車に供養の品を積んで送り、阿育大王が十億の沙金を鶏頭摩寺に布施したごとくです。これらの人とあなたの供養とは、大小の相異はありますが、信心の志においては彼の頻婆娑羅王や阿育大王にも勝れて尊い。

語句の解説

びんばしゃらわう(頻婆娑羅王)

梵名ビンビサーラ(Bimbisāra)の音写で、影勝・顔色端正などと訳す。釈尊在世における中インド・摩竭陀国の王。阿闍世王の父。釈尊に深く帰依し、仏教を外護した。提婆達多にそそのかされた阿闍世太子に幽閉されるが、かえって阿闍世太子の不孝を悲しみ諌めた。阿闍世太子は獄吏に命じて食を断ち、ついに王は命終した。この時、王は釈尊の光明に照らされ、阿那含果(あなごんか)を得たといわれる。

 

阿育大王

前三世紀頃の人。阿育は梵名アショーカ(Aśoka)の音写。阿輸迦とも書き、無憂と漢訳する。また天愛喜見王とも呼ばれる。インドのマウリア朝第三代の王。祖父チャンドラグプタはナンダ朝を倒して、ほぼ全インドにわたる最初の大国家を建設し、阿育の時に全盛期を迎えた。阿育王は篤く仏教を信仰し、諸僧を供養するとともにその慈悲の精神を施政に反映した。さらに、八万四千の塔を造り、仏舎利を供養した。付法蔵経等によると、徳勝童子・無勝童子という二人の子供は、王舎城で乞食行をしていた釈尊に砂の餅を供養した。徳勝が供養し、無勝は横で合掌したという。その功徳によって釈尊滅後百年に徳勝は阿育大王と生まれ、無勝は阿育王の后、あるいは阿育王と同じ母のもとに生まれたという。

 

鶏頭摩寺

鶏園寺・鶏林精舎・鶏寺・鶏園ともいう。梵語ククッタ―ラーマ(Kukkutārāma)、音写して屈屈吒阿濫摩僧伽藍という。古代インド・摩竭陀国華氏城の東南にあった寺で阿育大王の建立したもの。大唐西域記巻八によると、「王は仏法を信じて以来この寺で種々の善根を修し、群臣と共にこの寺に詣でては、千僧を召集し、凡聖の両衆に対して四事(衣服・飲食・散華・焼香)を供養した」とある。阿育王が第三回の仏典結集を行なった伽藍は、この鶏頭摩寺をさすと考えられる。

講義

兵衛志宗長から御供養をいただいたことに対し、その純真な信心をめでられると共に、御供養の精神を教えられたところである。この御手紙は、弘安元年(127811月、身延からのものである。11月の身延といえば、ふだんの年でさえ、寒さが厳しいのに、この年は、後にもくわしく述べておられるように、例年になく、早くも大雪に見舞われ、厳しい寒さにおそわれている。その山中におられる大聖人のことを思って、宗長は白厚綿の小袖をお届けしたのであろう。この真心を大聖人は心から称えられているのである。

御供養は、どこまでも信心のほとばしりから差しあげるものであって、御供養の大小、金額の多少は問題ではない。頻婆娑羅王の五百輌の食糧、阿育大王の十億の沙金よりも、兵衛志殿が真心こめて届けてくれた厚綿の小袖の方が、どれほどすばらしい御供養であるか知れない、とほめられたのである。

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