下山御消息 第三段第三(正直の行者は法華経のみを信受)
建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基
これまた私の責めにはあらず。法華経には「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ」云々。涅槃経には「邪見の人」等云々。「邪見」「方便」と申すは、華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経々なり。「捨てて」とは、天台云わく「廃つるなり」。また云わく「謗とは背くなり」。「正直」の初心の行者の法華経を修行する法は、上に挙ぐるところの経々・宗々を抛って、一向に法華経を行ずるが真の正直の行者にては候なり。しかるを、初心の行者、深位の菩薩のように彼々の経々と法華経とを並べて行ずれば、不正直の者となる。世間の法にも、賢人は二君に仕えず、貞女は両夫に嫁がずと申す、これなり。
現代語訳
これもまた伝教大師が勝手に責めて言っていることではありません。法華経方便品第二には「正直に方便の経々を捨てて但無上道を説く」とあり、涅槃経には「邪見の人」と説いています。「邪見」「方便」というのは、「華厳経・大日経・般若経・阿弥陀などの四十余年の爾前の諸経典のことです。「捨」とは天台大師の言われるには「廃することである」と、また「謗とは正法に背くことである」と。
正直の初心の行者が法華経を修行する方法は、以上に挙げた方便の経典や宗派をなげうって専ら法華経を修行することであり、それが真の正直の行者なのです、しかるに初心の行者が修行の進んだ深位の菩薩と同じ様に爾前の諸経典と法華経とを並行して修行すれば、不正直の者となります。世間の法においても、「賢人は二君に仕えず、貞女は二人の夫に嫁がず」といっているのはこのことです。
講義
「正直に方便を捨て但無上道を説く」
ここでは、南都諸宗を破折し、もっぱら最勝の経たる法華経を受持すべきことを主張した伝教大師の言葉が決して己義ではなく、経文に裏付けられたものであることを、法華経や涅槃経の経文、天台大師の釈を挙げて示されています。
釈尊一代の中で爾前の経教は、衆生の機根に合わせて説いた方便の教えであり、真実究竟の教えである法華経が説かれれば、それらに執着してはならないのです。大聖人は、諸御抄で爾前権教を足代に、法華経を搭に譬えられています。つまり、塔が出来上がれば、足代は不要になり除去されるのであり、上野殿母御前御返事に次のように仰せられている。
「足代と申すは一切経なり大塔と申すは法華経なり、仏一切経を説き給いし事は法華経を説かせ給はんための足代なり、正直捨方便と申して法華経を信ずる人は阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて抛ちてのち法華経をば持ち候なり、大塔をくまんがためには足代大切なれども大塔をくみあげぬれば・足代を切り落すなり、正直捨方便と申す文の心是なり」(御書全集1569頁15行目)
また、この法華経方便品第二の文と併せて涅槃経の文を引かれていますが、この「邪見の人」の文は、迦葉菩薩が釈尊の説く如来常住の義を了解したことをもって正見となし、それ以前の自分たちは「邪見の人」であったと述べた言葉です。
天台大師は摩訶止観巻二下において、「大経に云く、『此れよりの前は我等皆邪見の人と名づく』と、豈悪に非ずや。唯、円の法のみ名づけて善と為す」と述べ、更に大聖人は開目抄でこの釈を引かれて「外道の善悪は小乗経に対すれば皆悪道小乗の善道・乃至四味三教は法華経に対すれば皆邪悪・但法華のみ正善なり」(御書全集227頁9行目)と御教示されています。
このように、未顕真実の40余年の方便権教を捨てて、正善の法たる法華経のみを信受する者が正直の行者であり、まことの正見の人なのです。
世間の法にも賢人は二君に仕へず貞女は両夫に嫁がず
この話は、史記の田単伝第22にあります。時は紀元前3世紀、中国の戦国時代のこと、燕が斉を打ち破ったとき、燕は斉の王蠋の人物を恐れ、「もし斉に背いて燕の武将になれば一万戸の領地を与えるが、それを聞き入れないなら殺す」と脅しました。しかし王蠋は「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫をかえず」といい自ら命を絶ったといいます。
ここで、大聖人は、武士であった下山兵庫五郎光基に、この史記の話を引用して、元来、法華経を根本とした天台宗の者が法華経以外の念仏に心を移していることの非を厳しく説かれたのです。
当時の天台宗においては、絶待妙と称して法華経以外の念仏や真言など様々な行を併行して修していました。絶待妙とは相対妙に対する語で、一切の比較相対を絶して妙なることをいい、天台大師の法華玄義漢二上に説かれる法門です。つまり、法華経の真理によって釈尊の説いた一切の教法を判釈すれば、大小・権実等の区別がなくなり、悉く大乗であり、真実の教えとなる、と説く教義です。
言い換えれば、相対妙が、ある教法と他の教法とを比較相対し、その勝劣を明らかにして、一方を麤法として斥け、他方を妙法として歎ずるのに対して、より高い次元から両者を統一・融和し、劣った法であっても妙法の体内における一分の真実を説いた教えとして位置づけるのが絶待妙の立場であるといってよいでしょう。大聖人は次のように仰せです。
「絶待妙と申すは開会の法門にて候なり、此の時は爾前権教とて嫌ひ捨らるる所の教を皆法華の大海におさめ入るるなり、随つて法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌わるる者無きなり、皆法華の大海の不可思議の徳として南無妙法蓮華経と云う一味にたたきなしつる間 念仏・戒・真言・禅とて別の名言を呼び出す可き道理曾て無きなり」(御書全集377頁1行目)
しかしながら、ここで忘れてはならないことは、絶待妙は常に相待妙を前提としたものであるということである。しかるにそれを忘れて、いかなる爾前経もすべて真実を説いたものだといって、何を修行してもよいというのは、大なる誤りである。
そうした誤った考えに陥りやすいことについて、大聖人は先に諸宗問答抄の次下に「世間の人・天台宗は開会の後は相待妙の時斥い捨てられし所の前四味の諸経の名言を唱うるも又諸仏・諸菩薩の名言を唱うるも皆是法華の妙体にて有るなり大海に入らざる程こそ各別の思なりけれ大海に入つて後に見れば日来よしわるしと嫌ひ用ひけるは大僻見にて有りけり、嫌はるる諸流も用ひらるる冷水も源はただ大海より出でたる一水にて有りけり」(御書全集377頁5行目)と示されています。
それは「設ひ爾前の円を今の法華に開会し入るるとも爾前の円は法華の一味となる事無し、法華の体内に開会し入れられても体内の権と云われて実とは云わざるなり」(御書全集378頁4行)と述べられているように、爾前権教は、開会の後も体内の権であって、体内の実とはならないからです。
そもそも、爾前経に並べて行じるのは「但楽って、大乗経典を受持して、乃至、余経の一偈をも受けざる有らん」と仏の戒めに背くことです。故に、大聖人は「世間の法」として賢人と貞女の例を挙げて、法華経と諸経の兼行がいかに道理に反することであるかを示されているのです。