下山御消息 第十二段第一(浄土三部経は未顕真実の方便権教)
建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基
また「念仏無間地獄、阿弥陀経を読むべからず」と申すことも、私の言にはあらず。夫れ、弥陀念仏と申すは、源、釈迦如来の五十余年の説法の内、前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり。しかれども、「如来の金言なれば、定めて真実にてこそあるらめ」と信ずるところに、後八年の法華経の序分たる無量義経に、仏、法華経を説かせ給わんために、まず四十余年の経々ならびに年紀等をつぶさに数えあげて、「いまだ真実を顕さず乃至終に無上菩提を成ずることを得ず」と、そこばくの経々ならびに法門をただ一言に打ち消し給うこと、譬えば、大水の小火をけし、大風の衆の草木の露を落とすがごとし。しかる後に、正宗の法華経の第一巻に至って、「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」、また云わく「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ」と説き給う。譬えば、闇夜に大月輪の出現し、大塔を立てて後、足代を切り捨つるがごとし。
現代語訳
また「念仏は無間地獄の業因であり阿弥陀経を読誦してはならない」と主張していることも、わたしが勝手にいっているのではありません。そもそも弥陀念仏は、その源をたどれば、釈尊五十年の説法のうち、法華経を説く以前の四十余年の説法中の阿弥陀経等の三部経より出たものです。
しかし、釈尊の金言であるからきっと真実であるに違いないと信じていたところ、最後の八年間に説かれた法華経の序分にあたる無量義経の中で、釈尊は法華経を説かせ給うために、まず四十余年の間に説いた経々とその年数等を具体的に数えあげて「これらの教はいまだ真実を顕していません。(乃至)結局これらによって無上の悟りを得ることはできない」と説かれ、それらの多くの経々とその法門をたったの一言で打ち消されたのです。このことは譬えば大水が小さな火を消し、大風が多くの草木の露を吹き落とすようなものです。
そのうえで正宗分である法華経の第一巻、方便品に至って「世尊は法門を長きにわたって説かれた後に、必ず真実の教えを説くであろう」と仰せられ、また「正直に方便を捨てて、ただ無上道のみを説くであろう」と説かれたのです。これは譬えていえば、闇夜に大月輪が現れて他の星が光を失い、大塔を立てた後には不要になった足場を取り除くようなものです。
講義
日蓮大聖人は建長5年4月28日、立教開宗にあたって、まず禅宗と浄土宗の僻見を破折され、法華経こそ釈尊一代の教法の中で最勝の教えであることを説かれました。この浄土宗破折のため、早速、地頭・東条景信による迫害を受けられましたが、それ以来、「其の後二十余年が間・退転なく申す」(御書全集894頁5行目、清澄寺大衆中)と仰せのように、一貫して諸宗を破折してこられたのです。
本段では、このように「念仏無間」等と主張しておられることが、決して我見によるものではなく、釈尊の仏説に拠っていることを述べられています。すなわち、釈尊自身が浄土三部経は方便権教であり、真実の法華経が明かされた後は捨てるべきであると言明されているのである、と。したがってこの段は、本抄冒頭の「阿弥陀経を読誦しない理由」あるいは「法華経を読誦する理由」についての直接的回答と拝することができるでありましょう。
阿弥陀如来の名号を称える称名念仏を宗旨とする浄土宗が依経としているのは、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の三部経です。
大聖人は、題目と念仏の相違を「諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば瓦礫と如意宝珠の如くに侍るなり」(御書全集111頁4行目、題目弥陀名号勝劣事)と仰せられていますが、念仏宗というものについては「念仏は無間地獄の業因なり法華経は成仏得道の直路なり」(御書全集97頁1行目、念仏無限地獄抄)とさらに厳しく断じられています。
諸仏の名号そのものは、ただ功徳が薄いというだけですが、宗派としての念仏宗は、かえって人々を無間地獄に堕とす毒の存在です。
大聖人がこのように「念仏無間」と断じられているのは、一つには、日本浄土宗の開祖たる法然が「選択集」を著して、浄土三部経以外の諸経を捨閉閣抛せよと唱えたことによります。すなわち、三部経の中の無量寿経には、阿弥陀如来が仏になるために法蔵比丘として修行中に立てた48願が記されていますが、その第18願に「唯五逆と誹謗正法を除く」とあることから、法然が法華経を含めて、浄土三部経以外の諸経を捨閉閣抛せよと主張していることは、阿弥陀の本願に漏れるので極楽浄土へ往生することはできません。しかもそればかりか、誹謗正法の大重罪を犯しているのであるから、法華経譬喩品第三に説かれたところによれば、無間地獄に堕ちることになるのです。
また一つには、そもそも本抄に述べられているように、浄土三部経は釈尊が自ら「未顕真実」とした方便権教であるが故に、それを根本とすることは、仏説に背くことになるからです。それ故「念仏無間」という破折は、大聖人の自分勝手の説ではなく、釈尊の経文により導き出されたものであるのです。
本抄の仰せによれば、浄土三部経は、釈尊一代の説法のうち、法華経を説く以前の40余年の説法に含まれます。釈尊の説法であるからには、これらの説法もすべて真実であろうと考えがちであるが、実は釈尊自身がこれらの諸経には自らの悟った真実を明かしていません。法華経にこそ真実を説くと明言しているのです。すなわち、法華経の開経たる無量義経説法品第二で、それまで説いてきた経々を数え上げ、次のように説いているのです。
「善男子、我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」。
この経文の意味は極めて明瞭であり、これらの40余年間の末顕真実の説法に依拠しては成仏はできないと言うことです。ゆえに大聖人は「四十余年未顕真実」の一言を、大水が小火を消すようなものであり、大風が草木の露を吹き飛ばすようなものであると仰せなのです。
法華経の方便品第二には「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」また「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」とあります。つまり、爾前の教えはすべて方便であり、法華経こそが真実・無上の教えであると釈尊自身が明らかにしているのです。大聖人は本抄で、このように法華経が説かれた以後の爾前経について、闇夜に大月輪が出現したのちに光を失う諸星のようなものであり、大塔を建立した後には足場は取り除かれるようなものであると譬えられています。