下山殿御消息(第六段第三)

下山殿御消息 第六段第三(良観の悪態と祈雨失敗の原因)

 建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基

これをもって彼らが大科をばしらるべきに、さはなくして、還って讒言をもちいらるるは、実とはおぼえず。詮ずるところは、日本国亡国となるべき期来るか。
また祈雨のことは、たとい雨を下らせりとも、雨の形貌をもって祈る者の賢・不賢を知ることあり。
雨種々なり。あるいは天の雨、あるいは竜の雨、あるいは修羅の雨、あるいは麤雨、あるいは甘雨、あるいは雷雨等あり。今の祈雨はすべて一雨も下らざる上、二七日が間、前よりはるかに超過せる大旱魃・大悪風、十二時に止まることなし。両火房真の人ならば、たちまちに邪見をもひるがえし、跡をも山林にかくすべきに、その義なくして、面を弟子檀那等にさらす上、あまつさえ、讒言を企て日蓮が頸をきらせまいらせんと申す上、あずかる人の国まで状を申し下して種をたたんとする大悪人なり。しかるを、無智の檀那等は恃怙して、現世には国をやぶり、後生には無間地獄に堕ちなんことの不便さよ。
起世経に云わく「諸の衆生有って放逸をなし、清浄の行を汚すが故に、天、雨を下らさず」。また云わく「不如法あり。慳貪・嫉妬・邪見・顚倒なるが故に、天則ち雨を下らさず」。また経律異相に云わく「五事有って雨無し。一・二・三、〈これを略す〉四には雨師婬乱、五には国王理治めず、雨師瞋るが故に、雨らず」云々。これらの経文の亀鏡をもって両火房が身に指し当てて見よ。少しもくもりなからん。一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか、二には慳貪なるか、三には嫉妬なるか、四には邪見なるか、五には婬乱なるか。この五つにはすぐべからず。

現代語訳

幕府はこのことをもって彼らの大罪をしるべきであるのに、そうではなくかえって彼らの讒言を用いられているのは本当のこととは思えません。結局、日本国が亡国となるべき時期が来たのでありましょうか。また祈雨のことについては、たとえ雨を降らせたとしても、どのような雨であるかによって祈る者の賢・不賢を知ることができます。雨といっても様々です。あるいは天雨、あるいは竜雨、あるいは修羅雨、あるいは麤雨、あるいは甘雨、あるいは雷雨等があります。今の祈雨はまったく一雨も降らないうえに二週間、以前よりはるかにすさまじい大旱魃が続き、大悪風が昼も夜もやむことがありませんでした。

両火房が真実の人であるならば、すぐさま邪見をひるがへし、山林に姿を隠すべきであるのに、そうではなく臆面もその顔を 弟子檀那等にさらすだけでなく、こともあろうに讒言を企んで、「日蓮の首をきってしまわれよ」と幕府に申し上げ、日蓮の身柄を預かっている佐渡の国の代官にまで書状を申し出して、日蓮を亡き者にしようと企んだ大悪人です。にもかかわらず無智の檀那等は良観をたのみにして、現世には国を滅ぼし、後生には無間地獄に堕ちるであろうことは何と哀れなことでありましょうか。

起世経には「諸の衆生があって放逸をなし、清浄な修行を汚す故に天は雨を降らさない」とあり、また「正法に背き慳貪・嫉妬・邪見・顛倒であるために天は雨をふらさない」とあります。また経律異相には「五つの理由があって雨が降らないのである。(一二三之は略す)四番目には雨師が婬乱のため、五番目には国王が理をもって国を治めず、雨師が瞋るために雨が降らない」とあります。これらの経文の所説を鏡として両火房が身にあてはめてみなさい。少しの曇りもなく符合するではありませんか。一つには名は持戒の僧と世に聞こえるけれども、実は放逸であるか、二には慳貪であるか。三には嫉妬であるか、四には邪見であるか、五には婬乱であるか。まさに、その実態は経文に説く五時に尽きるではありませんか。

講義

大聖人は良観がなぜ雨を降らせることができなかったかについて、本抄で二つの経典を引いて示されています。まず第一は起世経です。同経の巻第八・三十三天品第八之三に雨の降らない原因が五つ挙げられています。本抄における引文は、道世の法苑珠林からのものと思われます。

起世経は、阿含部の経典の一つです。阿含経は、長部・中部・相応部・増支部・小部の五部から成る原始経典で、起世経はこのうち長部に属します。法苑珠林は、中国・唐代の道世が著した仏教関係の百科事典であり、全100巻を100668部の項目に分け、仏教における思想・術語・法数などを概説しています。同書巻第四には起世経を引いて雨の降らない原因を五つ挙げています。

「起世経に云うが如し。仏、諸の比丘に告げたまわく、五つの因縁有りて雨らさず。第五に閻浮提人・不如法有りて慳貪・嫉妬・邪見・顛倒なるがための故に天則ち雨らさず。此の因縁を以て相師迷惑し占雨不定なり」

ちなみに、五つの原因の第一は阿修羅が雨雲を海中に投げてしまう故、第二には火が雨雲を焼滅してしまうが故、第三は雨が雨雲を吹き飛ばしてしまう故、と説かれています。そして第四に衆生が放逸なる故、第五に閻浮提の人が慳貪・嫉妬・邪見・顛倒であるが故、との原因を挙げられています。これらの中から大聖人は本抄で第四・第五の原因を取り出され、それが良観に該当しているとされています。

次に経律異相が引用されています。同書は中国・南北時代に編纂され、経や律に散見される希有異相を収録した一種の百科事典です。全50巻を天・地・仏・菩薩等の21部の項目に分けて解説しています。この引用は、起世経に説く内容とほぼ一致しているといってよいでしょう。ただし、天台大師の法華文句では第五項目が違っており、国王の悪政にその原因があるとしています。本抄で引用されているのは、天台大師が法華文句で要約して引用したものに従っています。法華文句巻第七上には次のようにあります。

「五事に雨無し、一には風起きて吹く、二には火起きて焦がす、三には阿羅漢手をもって接し海に入る、四には雨師淫乱す、五には国王理をもって治めざれば雨師瞋るが故に雨さず」と。

ちなみに経律異相巻第一では、第一の因縁は火であり、第二は風、第三は阿羅漢となっています。そして第四として、雨師が方誕にして淫乱であるため、また第五に世間の衆生が清浄の行を汚し、慳貪・嫉妬・顛倒なるが故に雨が降らないとされています。

大聖人はこれらの中から四と五を挙げて、良観が雨を降らすことができなかった理由が明らかであるとされています。

第一に放逸ということです。これは良観の行動面についての指摘というよりも、僧侶としての本質的な在り方についての御指導と拝されます。つまり、良観が最も力を注いでいた社会事業にしても、世間の人々には世のため人のための慈悲の施しのように思わせながら、その本質は自身のための名聞名利の追求でしかなかったのです。

第二には慳貪なるが故です。慳貪とは、物を惜しんで人に与えず、貪り求めて飽き足らない心をいいます。これも、良観の社会事業が常に利権と深く結びついていた事実を思えば、まさに慳貪そのものであったといわざるをえません。

第三は嫉妬です。祈雨に失敗した後の良観の行動からも、彼がいかに嫉妬と憎悪の心を抱いていたかがわかるでしょう。

第四には邪見です。良観が「法華経第一」「正直捨方便」「不受余経一偈」等の仏説に背いて真言律宗の義を構えていることは、まさに邪見です。

第五に、雨師淫乱を挙げられています。ここで雨師とは雨を祈る祈禱師、すなわち良観のこととして用いられています。良観が持っていた比丘戒の250戒の中に「触女人戒」があります。また「塀所」「露所」が禁じられているように、女犯はおろか、女性と親密に話すことや一対一で対面することすら厳格に戒められているのです。しかしながら、現実の良観はどうであったでしょうか。良観が幕府高官の後家尼たちと常に親しく交わっていたことは、大聖人のことを讒言して迫害するのに、こうした女性を利用したことにも現われています。

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