四条金吾女房御書

 懐胎のよし承り候い畢わんぬ。それについては符のこと仰せ候。日蓮、相承の中より撰み出だして候。能く能く信心あるべく候。たとえば、秘薬なりとも、毒を入れぬれば薬の用すくなし。つるぎなれども、わるびれたる人のためには何かせん。なかんずく夫婦共に法華の持者なり。法華経流布あるべきたねをつぐところの玉の子出で生まれん。めでたく覚え候ぞ。色心二法をつぐ人なり。いかでかおそなわり候べき。とくとくこそうまれ候わんずれ。この薬をのませ給わば、疑いなかるべきなり。
 闇なれども灯入りぬれば明らかなり。濁水にも月入りぬればすめり。明らかなること、日月にすぎんや。浄きこと、蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮また日月と蓮華とのごとくなり。信心の水すまば、利生の月、必ず応を垂れ、守護し給うべし。とくとくうまれ候べし。法華経に云わく「かくのごとき妙法」。また云わく「安楽にして福子を産まん」云々。
 口伝相承のことは、この弁公にくわしく申しふくめて候。則ち如来の使いなるべし。返す返すも信心候べし。
天照太神は、玉をそさのおのみことにさずけて、玉のごとくの子をもうけたり。しかるあいだ、日の神、我が子となづけたり。さてこそ正哉吾勝とは名づけたれ。日蓮、うまるべき種をさずけて候えば、いかでか我が子におとるべき。
 「一つの宝珠の、価直三千なるもの有り」等、「無上の宝聚は、求めざるに自ずから得たり」、釈迦如来「皆これ吾が子なり」等云々。日蓮あにこの義にかわるべきや。幸なり、幸なり。めでたし、めでたし。またまた申すべく候。あなかしこ、あなかしこ。
  文永八年五月 日    日蓮 花押
 四条金吾殿女房御返事

 

現代語訳

  懐妊のことについて聞きました。それについて符をいただきたいとの事ですので、日蓮が相承の中から撰び出しました。これを服するためには、強盛な信心がなければなりません。たとえば、どんな秘薬であっても毒を入れたならば薬の効果は少ないし、また、いかなる剣であっても、臆病な人にはなんの役にもたたないものです。

信者のなかでも、とりわけあなた方夫婦は共に法華の持者です。法華経が流布していく種を継ぐところの玉のような子供が生まれるでしょう。まことにめでたいことです。法華経の持者であるあなた方二人の色心の二法を継ぐ人です。どうして出産が遅れたりすることがありましょうか。必ず、安産されるでしょう。この妙法という最高の薬を服されるならば疑いはありません。闇であっても灯をともせば明るくなり、濁水でも月が映れば澄んでみえるものです。

明るいことでは日月にすぎるものはなく、浄らかなことでは蓮華に勝るものがありましょうか。法華経は日月と蓮華のように最高の法です。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのです。日蓮もまた日月と蓮華のようなものであります。信心という水が澄むならば、利生の月は必ずその影を映し、諸天が守護することは間違いないのです。したがって、必ず安産されるでしょう。法華経方便品に「是くの如き妙法」と、また法師功徳品には「安楽にして福子を産まん」と説かれています。

口伝相承のことは、この弁公に詳しく申し含めてあります。すなわち弁公は如来の使いです。くれぐれも信心を起こしていきなさい。

天照大神は素戔嗚尊に玉を授け、素戔嗚尊は玉のような御子をもうけました。それゆえ日の神は、その子をわが子と呼んだのです。また、御子の誕生で素戔嗚尊は邪心のないことが証明されたので、正哉吾勝と命名されたのです。日蓮はあなたのお子に、安楽に生まれてくるよう、種を授けたのですから、どうしてわが子に劣りましょうか。

法華経の提婆品に「一つの宝珠有り、その価は三千大千世界なり」等と。信解品には「無上の宝聚を、求めざるに自ら得たり」と。また、譬喩品には「皆是れ吾が子なり」等と説かれていますが、日蓮もまた、全くこの義に変わりはありません。実に幸なことです。まことにめでたいことです。またまた申し上げることとしましょう。あなかしこ、あなかしこ。

文永八年五月七日         日 蓮  花 押

四条金吾殿女房御返事

 

語釈

 わるびれたる人

気後れして卑屈に振舞ったり、未練がましく見苦しいようす、等。

 

色心二法

色とは肉体・物質をいい、心とは精神をいう。色心二法とは生命のこと。

 

をそなはり

遅くなる.延びる。

 

利生の月

衆生を利益する仏力・法力を月にたとえたもの。

 

応を垂れ

仏力・法力が衆生の生活の上にあらわれてくること。

 

口伝相承

言葉で奥義などを伝えること。

 

弁公

弁阿闍梨日昭のこと。(12221323)。字は成弁。承久3年(1221)下総国海上郡能手郷(千葉県匝瑳市能手)の生まれ。嘉禎元年(1235)ごろ天台宗の寺で出家。後、比叡山に登って天台の教観二門を修したが、日蓮大聖人が立教開宗されたことを聞いて松葉ヶ谷の草庵を訪れ、建長5年(125411月に入門、文永6年(12699月、文永9年(1272)、建治2年(1276)に大聖人から頂いた辧殿御消息をいただいている。この間、大聖人の佐渡流罪等があったが、鎌倉にとどまって留守を守る。弘安5年(128210月、大聖人が池上で入滅されるに先立って六老僧の一人となり、翌年1月、大聖人100ヵ日忌後、鎌倉の浜土に帰って妙法華寺を創した。弘安8年(12854月に天台沙門と名乗って幕府に申状を提出した。正応元年(12889月には大聖人7回忌報恩のために経釈秘抄要文を著し、正安2年(13004月には権律師になり、京都四条烏丸において法華本門円頓戒血脈譜を書いて日祐に授け、元亨3年(1323326日、鎌倉・浜土(静岡県三島市玉沢)にて死去。弁阿闍梨は日昭の号、阿闍梨は高徳の僧をさす。

 

天照太神

日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。

 

そさのをのみこと

古事記には建速須佐之男命、日本書紀には素戔嗚尊とある。天照太神・月読命と共に伊弉諾尊、伊弉冉尊の子で、天照太神の弟にあたる。「すさのを」とは大風の荒れすさぶ意味で、勇猛迅速に荒れすさぶ男神、風神、嵐神等といわれる。海原、天下、根国の支配者で、出雲系民族の祖神として神話に伝えられている。

 

正哉吾勝

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊のこと。「正哉」は「まさか」とも読む。正哉吾勝の名前の由来と素戔嗚尊の子として生まれ、天照太神の子となり、天原を治めるに至った経過は、日本書紀等にある。この説話に諸説あるが、その中の一つを挙げる。日本書紀巻第一に「日神、素戔嗚尊と、天安河を隔てて、相対ひて乃ち立ちて誓約ひて曰はく、『汝若し姧賊ふ心有らざるものならば、汝が生めらむ子、必ず男ならむ。如し男を生まば、予以て子として、天原を治しめむ』とのたまふ(中略)素戔嗚尊、其の左の髻に纏かせる五百筒の統の瓊を含みて、左の手の掌中に著きて、便ち男を化生す。即ち称して曰はく、『正哉吾勝ちぬ』とのたまふ。故、因りて名けて、勝速日天忍穂耳尊と曰す(中略)其れ素戔嗚尊の生める兒、皆已に男なり。故、日神、方に素戔嗚尊の、元より赤き心有ることを知しめして、便ち其の六の男を取りて、日神の子として、天原を治しむ」とある。また、「正哉」について、「マサは正。カは所の意。マサカは、まさにここで・まさに今の意」とある。

 

有一宝珠価直三千

法華経提婆達多品第12に「爾の時に竜女、一つの宝珠有り。価直三千大千世界なり。持って以って仏に上る。仏即ち之を受けたもう」とある。

 

無上宝聚不求自得

信解品に「爾の時に摩訶迦葉、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、我等今日、仏の音教を聞いて、歓喜踊躍して、未曾有なることを得たり、仏声聞 、当に作仏することを得べしと説きたもう、『無上の宝聚、求めざるに自ら得たり』」とある。摩訶迦葉等の四大声聞が、仏の開三顕一の説法を領解して歓喜して述べた言葉である。この無上宝聚とは御本尊様のことである。

 

釈迦如来皆是吾子

法華経譬喩品第3に「衆聖の中の尊、世間の父なり、一切衆生は、皆是れ吾が子なり」とある。

 

講義

  本抄は、別名を「安楽産福子御書」ともいう。日蓮大聖人聖寿50歳の文永8年(127157日に、鎌倉・松葉ケ谷において認められ、頼基の妻・日眼女に与えられた御手紙である。四条家に賜わった書は多いが、これは、現在判明しているうち、最も古いものである。

日眼女は、出産を間近にして出産の無事を願い、符の下賜をお願いしたものと思われる。大聖人は符を弟子の弁公に託して、早速届け、それにつけて、この手紙を認められたのであろう。文は短いが、大聖人の慈愛が行間ににじみ出ている。

内容は、符を服するには、何よりも、強盛な信心が大切であることを述べられ、頼基夫婦は、二人共に法華経の信者であり、その法華経流布の種を継ぐ子であるから、必ず安産で生まれてくる。まして、符を服するならば、安産は絶対に間違いないと激励されている。

なお、本抄をいただいた翌日、8日、日眼女は無事に女児を出産、大聖人より月満御前と命名していただいている。

 

秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし

 

どんなにすぐれた薬であっても、それに毒を入れたならば、薬としての効用は消えてしまう。この場合は符を〝秘薬〟にたとえ、〝毒〟は不信、疑惑にたとえていわれているが、さらに広く〝秘薬〟は御本尊、日蓮大聖人の仏法そのものと考えることができる。そこに、不信、疑いの毒が入ってしまったならば、大仏法の功力がいかに広大であるといっても、充分に享受することはできない。

仏法それ自体は、無限の力を秘めている。それは、宇宙大といってよい。これが仏力、法力である。だが、この仏力、法力を、衆生がどれだけ自身の生活のうえに、生命のうえに抽き出し、享受していくかは、その人の信力、行力によるのである。ゆえに、不信、疑惑によって、その人の信力、行力が鈍り、弱まるならば、御本尊の力がいかに広大といっても、功徳として顕現しないのである。

ただし、疑いといっても、疑いをもつこと自体が悪いのではない。疑いを起こすことによって、求道心を燃やし、信心が深まれば、それは境涯を高めることになろう。疑いをもっても、真実を究めようとせず、背を向けて不信の虜になっていくことがよくないのである。

 

つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん

 

先の〝秘薬〟の譬喩と似ているが、前者が〝不信〟を戒めたものであるのに対して、これは、強靭な確固たる信心でなければならないことを強調されている。

人間の心は、病気や種々の悩みにぶつかったとき、怯みが出てくるものである。仏法の力によって乗り越えることができるのだといわれても、心から信じきれない場合も少なくないであろう。だが、その弱い自分を克服して、信心の強い確信に立つことが、仏法の偉大な力を顕現する要諦である。

御本尊への強い信仰と、病気や悩みに負けまいとする心、そして、それらを行動なり生活姿勢のうえに具現化する実践力――この条件がそろって、悩みを打破し、力強い人生の軌道に入ることができるのである。所詮、信心とは、奇跡をあてにするのでもなければ、天与の恩恵をまつものでもない。自身への対決を経てこそ、厳然たる功徳の実証がなされることを知らねばならない。

 

法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華との如くなり

 

末法万年の闇を照らす大仏法であることを、人法の両面から断言された御文である。法華経とは、その元意は三大秘法の南無妙法蓮華経すなわち末法出現の法本尊である。日蓮大聖人は、久遠下種の教主、末法御出現の御本仏すなわち人本尊である。人本尊たる大聖人も、法本尊たる妙法蓮華経も、ともに日月と蓮華の徳を具えており、人法一箇であることを示されているのである。

もとより、周知のごとく、日蓮大聖人が御自身、久遠元初の自受用身であるとの明確なお振る舞いに入られるのは、このお手紙を認められた文永8年(1271)の数か月後、912日、竜口の首の座における発迹顕本以後である。だが、内証の辺では、すでに立宗の当初から、末法全人類救済の御本仏たる自覚を秘められていたはずである。なぜなら、正像二千年間の論師・人師はもとより、釈迦自身も弘めなかった法華経の肝心・南無妙法蓮華経の大白法をもって末法の白法隠没の世の一切民衆救済のために立ちあがられたこと自体、単なる釈迦の後継者ではありえないことを物語っているからである。

したがって、いま、このお手紙で、発迹顕本より数か月早いにもかかわらず、すでに人法一箇の義から、御自身を末法救済の本仏と暗に示されているとしても、なんら不思議はない。

「日月」の譬は、次上の文に「明らかなる事日月にすぎんや」とあるように、衆生の生命の本質的な闇、すなわち元品の無明を照らし、無明を法性と転ずる妙法の本源的な力をあらわす。法華経即大聖人を信ずる心は、仏界の一念となり、九界の生命は法性の光明に照らされて、本有の躍動へと変わるのである。一切の活動が歓喜にみちあふれ、それらが福運を増大する因としての活動となっていくのである。

「蓮華」については、同じく「浄き事蓮華にまさるべきや」とあるが、無始以来の生死の流転によって染まった悪業の汚れも、妙法蓮華経の大生命に感応することによって、悉く洗い落とされて浄化されてしまうのである。さらに、この世界は、煩悩に充満した汚泥の世界であるが、あたかも蓮華が泥沼にあってしかも少しも汚されないように、泥沼の社会にあっても、妙法を受持した人の生命は少しも穢れることはない。

三惑に約していえば、日月に譬えられた妙法の力は、元品の無明を元品の法性と転ずる力であり、蓮華に譬えられたそれは、塵沙惑、見思惑を断破し、煩悩即菩提と変える力といえよう。また、生命論に約していえば、日月の譬は、生命の本質の転換であり、蓮華のそれは、生命に付随する現象面の転換を意味すると考えることができよう。

 

信心の水すまば、利生の月必ず応を垂れ守護し給うべし

 

「利生の月」とは、一切衆生を利益し幸福にしていく妙法を月に譬えて、このようにいわれたのである。「応を垂れ」とは、あたかも月がその影を水面に浮かべるように、妙法の功力が生命のうえにあらわれることをいう。

したがって、妙法の力は、その影を落とす人々の生命の状態によって、千差万別のあらわれ方をする。病気の人にあっては、病気を打ち破るだけの強い生命力となってあらわれる。生活の問題で悩んでいる人にあっては、問題解決への英知となってあらわれるであろう。ゆえに、それは現象的には、その人自身の力によって苦悩を解決したとしか見えない。少なくとも、他の宗教等で喧伝するような、奇跡や通力のような現象形態はとらないのである。

妙法の力は、その人その人の生命のうえに「応を垂れ」てあらわれるのであって、それゆえにこそ、あらゆる人の、あらゆる苦悩を解決できる、本源的な力なのである。問題は、その人の力によって解決しなければならないのであって、その生命自体に力を与えるのが妙法である。したがって、いくら妙法の加護を祈っても、それを顕現する自らの努力をしなければ、功力はあらわれてこない。だが、逆に、全て自身の力を万能とする誤りにおちいって妙法を忘れたならば、その人生は、水源を断たれた川のように、衰減の一途を辿ることを知らなければならないであろう。

 

「則ち如来の使」なるべし。返す返すも信心候べし

 

日蓮大聖人の使いとして、仏法を伝え、信心を教えてくれる人に対してとるべき心の姿勢を教えられている。仏法を学ぶ態度は、このように真剣であるべきであり、また、教えてくれる人を尊敬しなければならない。また、教える立場の人も、自ら「如来の使」と自覚して、真摯でなければならないし、微塵も、仏法を我見によって歪めるようなことがあってはならない。

このように、教える人も、教わる人も、法の前に謙虚な精神を貫き、相互の信頼と尊敬の姿勢を結ぶなかに、はじめて仏法はおのおのの生命を変革し、無量の福運を積んでいく力の源泉となるのである。

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