桟敷女房御返事(衣服供養の事)

桟敷女房御返事(衣服供養の事)

 弘安5年(ʼ82)2月17日 61歳 桟敷女房

 白きかたびら、布一□給び了わんぬ。
法華経を供養しまいらせ候に、十種くようと申す十のよう候。その中に衣服と申し候は、なににても候え、僧のき候物をくようし候。その因縁をとかれて候には、過去に十万億の仏をくようせる人、法華経に近づきまいらせ候とぞとかれて候え。
あらあら申すべく候えども、身にいたわること候あいだ、こまかならず候。恐々謹言。
二月十七日    日蓮 花押
さじきの女房御返事

 

現代語訳

白い帷子と布一切の御供養を受け取りました。法華経を供養するのに十種供養といって十種類の方法があります。その中で衣服供養というのは、その品が何であれ、僧侶が着るものを供養することです。その因縁を説いた経文によれば、過去に十万億の仏を供養した人が、今世において法華経に近づくことができると説かれています。

法門のことを大略申し上げるべきですが、体の具合が悪いので、詳しいことは申し上げられないのが残念です。恐恐謹言。

二月十七日             日 蓮  花 押

さじきの女房御返事

語句の解説

十種くやう

法華経を供養する十種の方法。法華経法師品第十に説かれている十種とは、華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢幡・衣服・妓楽の供養である。なお華と香とを合わせ、肴膳を加える場合もある。これらの供養をする者の功徳について同品では「是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於いて、大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ず」と説かれている。

 

因縁

果を生ずべき直接の原因。因を助け果にいたらせるものを縁という。たとえば植物の種子は因で、日光・雨・土等は縁である。この因と縁が和合して、芽が生じ、成長するのである。一切衆生の心中の仏性は因で、それが諸法を縁として、はじめて成仏の果をあらわすのである。総勘文抄には「因とは一切衆生の身中に総の三諦有つて常住不変なり此れを総じて因と云うなり縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず善知識の縁に値えば必ず顕るるが故に縁と云うなり」(0574:11)御義口伝には「衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す」(0716:第三唯以一大事因縁の事:03)とある。

 

講義

本抄では、桟敷女房が帷子と布を御供養したのに対し、法師品の文意によって過去の因縁を示され、その福徳の大きさを教えられている。

ちなみに、法師品のそれに当たる文を引いてみよう。

「若し復た人有って妙法華経の乃至一偈を受持・読誦・解説・書写し、此の経巻に於いて敬い視ること仏の如くにして、種種に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢幡・衣服・妓楽を供養し、乃至合掌恭敬せば、薬王よ。当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於いて、大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ず。……是の諸人等は未来世に於いて必ず作仏することを得んと」。

桟敷女房が御供養した帷子は、この中の衣服に相当する。したがって、これを供養した女房は、この経文に説かれているように、過去に十万億もの仏を供養してきた人であるというのである。

すなわち、末法において法華経すなわち南無妙法蓮華経の大法ならびにその行者である日蓮大聖人に巡り会い、供養することができるということ自体、過去の大変な福運の結果である。そして、引用の経文の最後にあるように、未来必ず成仏する因を積んでいるのである。

ここで仰せられていることを前の建治元年(1275)のお手紙と比較してみた場合、建治元年(1275)の御抄が功徳論に主眼を置いて述べられたのに対し、こちらは、過去の善業、その結果としての仏法上の資格という点から教えられ、励まされている。そこに、桟敷女房の信心の成長をみることができるようである。

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