本抄は、日付けしか記されておらず、御述作の年代は不明であるが、古来、建治2年(1276)12月20日、身延でしたためられた書とされている。門下の「さだしげ殿」に仏法を学ぶ真の目的は、唯一大事の法門、すなわち、事の一念三千の南無妙法蓮華経を知ることにあると示されている。
本抄をいただいた「さだしげ殿」については、生没年、事跡等、詳細は不明であるが、大聖人より唯一大事の法門を示唆されるほどの人であるから、仏法にかなりの研鑽を積んでいる人であったと推測される。御真筆は京都・頂妙寺にある。
「さきざきに申しつるがごとし」については、何のことについていわれているのか、短い文面からは解釈がし難い。
「一大事」については、御義口伝に「一とは法華経なり大とは華厳なり事とは中間の三味なり、法華已前にも三諦あれども砕けたる珠は宝に非ざるが如し云云、又云く一とは妙なり大とは法なり事とは蓮なり因とは華なり縁とは経なり云云、~又云く一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す」(0716:05、第三唯以一大事因縁の事)
と述べられている。日寛上人は文底秘沈抄に「一は謂く本門の本尊なり、是れ則ち一閻浮提第一の故なり、又閻浮提の中に二無く亦三無し、是の故に一というなり、大は謂く本門の戒壇なり、旧より勝るるが故なり、又最勝の地を尋ねて建立するが故なり、事は謂く本門の題目なり、理に非ざるを事と曰う是れ天台の理行に非ざる故なり、又事を事に行ずるが故に事と言うなり」と述べて、三大秘法に配している。すなわち、一大事とは、仏がこの世に出現して説く極理をいい、南無妙法蓮華経そのものを指すのである。
大聖人が指摘されている「世間の学者」とは、当時の仏教会の僧侶一般を指していると思われるが、念仏者の念阿・禅宗の道隆・律宗の良観などは、身には賢者をよそおい、心に貧嫉をいだき、権力と結託して大聖人、及び門下を迫害し、真実の仏法を追及するどころではなかった。
法華経観持品第十三には「悪世の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得たりと謂い我慢の心充満せん」と説かれ、涅槃経には「像は律を持つに似て、少かに経を読誦し、飲食を貧嗜してその身を長養し袈裟を著すと雖も、猶漁師の細視して徐行するが如く、猫が鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん、我羅漢を得たり」と。未来の比丘の姿を予言されているが、まさに彼等はそのこおりの姿であった。
こうした邪智と慢心にとらわれた世間の学者を指摘され、門下の「さだしげ殿」に、このような邪法の僧に惑わされることのないよう戒められたのである。