太田左衛門尉御返事 第一章(供養の謝礼と書状の一端を示す)
弘安元年(ʼ78)4月23日 57歳 大田乗明
当月十八日の御状、同じき二十三日の午剋ばかりに到来す。やがて拝見仕り候い畢わんぬ。御状のごとく、御布施、鳥目十貫文・太刀・五明一本・焼香二十両、給び候。
そもそも、専ら御状に云わく「某、今年は五十七に罷り成り候えば、大厄の年かと覚え候。なにやらんして正月の下旬の比より卯月のこの比に至り候まで、身心に苦労多く出来候。本より、人身を受くる者は必ず身心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申しながら、更に」云々。
現代語訳
今月十八日のお手紙が同二十三日の午の刻のころに届いた。すぐに拝見した。お手紙にあるように、お布施として鳥目十貫文と太刀、および扇一本、焼香二十両をいただいた。そもそも専らお手紙にこうしたためられている。「私は今年は五十七歳になったから、大厄の年かと思う。そのためかどうか、なんだか、正月の下旬のころから四月の今のころに至るまで、身と心ともに苦しく悩むことが多く出てきた。もとより人の身を受ける者は必ず身と心に諸の病が続いて五体に苦しみや悩みがあるとはいうけれども、とりわけ状態は悪い」と。
語句の解説
御状
手紙のこと。
午の剋
現在の午前11時~午後1時まで。その中間点を正午という。
軈
①そのまま。②直ちに。③すなわち。④まもなく。
拝見
見ること。
布施
物や利益を施し与えること。大乗の菩薩が悟りを得るために修行しなくてはならない六波羅蜜の一つ。壇波羅蜜のこと。布施には財施・法施等、種々の立て分けがある。
鳥目十貫文
鳥目は鎌倉時代に使われていた通貨のこと。普通は銭といったが、鵞目、鵝眼、青鳧ともいった。鳥目とは中央に穴があってその形が鳥の目に似ているところから、こう呼ばれた。「貫」は銭を数える単位。一貫は、もと銭を一つなぎにしたものの意で、一文銭千枚のこと。ここの十貫文は一文銭一万枚相当になる。
太刀
反りのある刀。長さが60㌢以上のものをいう。
五明一本
五明は扇の異称。五明扇ともいう。
焼香廿両
焼香はくゆらせて使う香のこと。廿両の「両」は重さの単位。薬種の重さでは一両は四匁で、一匁は13.75㌘。すなわち一両は15㌘、20両は300㌘に当たる。
某
自分のこと。
大厄の年
大厄は最大の厄年のこと。陰陽道では人の一生のうち、災厄に多くあうとされる年齢を定めて厄年とし、そのうち最も危険な厄年を大厄という。一般には男は数えで42歳、女は33歳が大厄とされるが異説もある。本抄にあるように大厄を57歳とする典拠は不詳である。ちなみに厄は木のふし、つつむ、おおう、わざわい、不吉なまわりあわせの意があり、厄年は男は数えで25歳・42歳・60歳、女は19歳・33歳・37歳としている。
卯月
旧暦の4月。
身心
体と心。
苦労
病み疲れること。
人身
人間の身体。
諸病
いろいろな病。
相続
遺産・跡目を継ぐこと。
五体
体の五つの部分。頭・首・胸・手・足をいう。また両手・両足・頭を五体という場合もある。
講義
本抄は、その内容から、弘安元年(1278)、大田氏が57歳という大厄を迎えて身心ともに不調である旨を伝える書状を御供養の品々に添え、身延におられる日蓮大聖人に送ったことに対して、返書として記された御抄であることが分かる。
系年は弘安元年(1278)4月23日で、この年に57歳ということから、大田氏は大聖人と同年であったことになる。なお、御真筆は現存していない。
冒頭で、まず、大田氏が四月十八日付で記した書状が23日の昼ごろに到着し、直ちに拝見したと述べられ、書状にある通りの御供養の品々を受け取った旨を記されている。それと共に、大田氏の書状の中に、大田氏が大厄の57歳となる今年の正月から書状を書いている四月に至るまで、身心ともに不調であると訴えていることを取り上げられている。
57歳を大厄とする説は典拠も不明で、あまりいわれていないが、大田氏がこのように書いているのは、当時、一般に信じられていたからであろう。いずれにせよ、そのことから不安を抱いている大田氏に対し、大聖人は、そのような人生の節目を力強く乗り越えていく源泉が妙法であることを述べられ、励まされるのである。