太田左衛門尉御返事 第八章(厄を克服する法華の信心促す)

太田左衛門尉御返事 第八章(厄を克服する法華の信心促す)

 弘安元年(ʼ78)4月23日 57歳 大田乗明

————————————–(第七章から続く)——————————————–

しかるに、かくのごとき大事の義理の籠もらせ給う御経を書いて進らせ候えば、いよいよ信を取らせ給うべし。勧発品に云わく「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うがごとくすべし」等云々。安楽行品に云わく「諸天は昼夜に、常に法のための故に、しかもこれを衛護す乃至天の諸の童子は、もって給使をなさん」等云々。譬喩品に云わく「その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」等云々。法華経の持者は教主釈尊の御子なれば、いかでか梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜朝暮に守らせ給わざるべきや。厄の年、災難を払わん秘法には、法華経に過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな。
さては、鎌倉に候いし時は細々申し承り候いしかども、今は遠国に居住候によって、面謁を期すること、さらになし。されば、心中に含みたることも、使者・玉章にあらざれば、申すに及ばず。歎かし、歎かし。
当年の大厄をば、日蓮に任せ給え。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法華経の御約束の実・不実は、これにて量るべきなり。またまた申すべく候。
弘安元年戊寅四月二十三日    日蓮 花押
太田左衛門尉殿御返事

 

現代語訳

そうであるから、このように大事な法理を含んでいる御経を書いて差し上げたので、ますます信心を深めていきなさい。法華経勧発品に「まさに立ち上がって遠くから迎えて、ちょうど仏を敬うようにすべきである」等、同安楽行品に云く「諸天善神が昼夜に常に法のために法華経の行者を守護する(中略)天の諸の童子が仕えるであろう」等、同経譬喩品に「三界の中の衆生は悉く我が子である」等とある。

法華経を受持する者は教主釈尊の御子であるので、どうして梵天・帝釈・日月・衆星も、昼も夜も、朝も暮れも守らないことがあろうか。厄の年の災難を払う秘法として法華経に過ぎるものはない。まことに頼もしいことである。

それはとにかく、鎌倉にいた時は細細と話を承わったが、今は遠国の身延に住んでいるのでお会いすることはかなわない。そうであるから心の中に思っていることも使者や手紙でなければ伝えることができない。嘆かわしいことである。

今年の大厄のことは日蓮に任せなさい。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法華経における御約束が真実か不実かは、厄の年の災難を払えるかどうかによって推し量られるのである。詳しくはまたまた述べることにしたい。

弘安元年戊寅四月廿三日         日 蓮  花 押

太田左衛門尉殿御返事

語句の解説

義理

俗語でいう「義理人情」の義理ではなく、教義・法理の意味。宇宙の森羅万象に厳存し、これを動かしているものを法理といい、それを抽象し経文に説いたものを教義という。

 

うそを言わないこと。疑わないこと。帰依すること。信心。

 

勧発品

法華経普賢菩薩勧発品第28のこと。神力品以下付嘱流通中の自行流通を勧めている。普賢菩薩が東方宝威徳上王仏の国にいて、この娑婆世界で、釈尊が法華経を説くのを聞いて来至し、仏の滅後にいかにしてこの法華経を持つかとの問いに対して、釈尊は四法成就を説いて、法華経を再演したことをあらわしている。

 

安楽行品

法華経安楽行品第14のこと。迹門14品の最後である。身・口・意・誓願の四安楽行が説かれ、悪口・迫害されず、安穏に妙法を修行するには、いかにしたらよいかを示し、正像摂受の行を明かしている。

 

諸天

諸天善神のこと。法華経の行者を守護する神をいう。梵天・帝釈・八幡大菩薩・天照太神・四天王等の総称。諸天善神が法華経の行者を守護することは、法華経安楽行品に「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す」とある。

 

衛護

そばにいて守ること。

 

給使

飲食の世話や雑用をすること。

 

譬喩品

妙法蓮華経譬喩品第3のこと。迹門・正宗分の中、法説周の領解・述成・授記段・譬説周の正説段の二つの部分からなる。まず方便品の諸法実相の妙理を領解して歓喜した舎利弗に仏は未来世成仏の記莂を与え、劫・国・名号を明かす。次いで、中根の四大声聞に対する説法に入るが、譬喩を主体とするので譬え説周と呼ばれる。そのなかで仏は三車家宅の譬を説いている。この譬えにおける火宅は三界を、また羊・鹿・牛の三車は三乗を、大白牛車は一仏乗の妙理をあらわしており、一仏乗こそ仏が衆生に与える真実の教えであることを述べている。終わりに、舎利弗の智慧でも法華経の妙理を悟ることはできず、ただ「信を以って入ることができる」と、信の重要性を述べ、逆に正法への不信・誹謗の罪の大きさを説いている。

 

法華経の持者

法華経の経典を受持し修行に励む者。

 

教主釈尊の御子

一代聖教の教主である釈迦仏の子。

 

梵天

仏教の守護神。色界の初禅天にあり、梵衆天・梵輔天・大梵天の三つがあるが,普通は大梵天をいう。もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされた「ブラフマン」を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。

 

帝釈

梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indra)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。

 

日月

日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。

 

衆星

多くの星。

 

災難

思いがけず起こる不幸な出来事。仏教では三災七難に代表される。正法に背き、受持する者を迫害することによって起こるとされる。

 

秘法

秘密の法門。

 

鎌倉

①神奈川県鎌倉市のこと。②鎌倉幕府のこと。

 

面謁

お目にかかること。

 

玉章

玉梓とも書く。①(便りを運ぶ使者が持つ)梓の杖、またその杖を持つ人。使者。②手紙。文章。③烏瓜。烏瓜の種子。ここでは②の意。

 

法華経の御約束

釈迦・多宝・十方の諸仏が法華経の会座で法華経の持者を守護すると約束したこと。

 

実不実

真実であるか真実でないかということ。

 

花押

模様化された自筆の印のこと。花書・押写・書判・判形などともいう。文書等に印されるもので、文書が自己の意志に基づくことを証明する意味をもつ。署名を草書体に崩すことから始まり、草書体が模様化されたものを草名といい、さらに文字としての形をとどめないほど模様化されたものを花押という。平安時代中期以降、公家、武家、僧侶の間で盛んに用いられるようになった。

講義

前章で法華経こそ成仏の極理を秘めた経であると述べられたことを受けて、この法華経の中の要品である方便品・寿量品の二品を書いて差し上げるのであるから、いっそうの信心に励むよう促されているところである。

特に本抄の冒頭に触れられている大田氏の厄年の病苦について、法華経の中から、普賢菩薩勧発品第二十八、安楽行品第十四、譬喩品第三からそれぞれ一文ずつを引用されている。

普賢菩薩勧発品第二十八の文は、仏が普賢菩薩に、仏滅後、法華経を受持する者の尊さについて説くくだりで、もし法華経を受持する者を見たならば、まさに起って、遠く仏を迎えるように敬うべきことを説いている。大田氏はこの法華経受持の者であり、普賢のみならず、一切の諸天善神・菩薩が敬い守護するのである。

安楽行品第十四の文も、仏滅後において法華経を行ずる者を諸天善神が昼夜にわたって守護することを述べた文である。

譬喩品第三の文は仏が一切衆生にとって主・師・親の三徳を具備していることを説いた中で、仏が一切衆生の親であることを示している。

この三つの文を示して、法華経を受持する大田氏は教主釈尊の子であるから、梵天・帝釈・日月・衆星などの諸天善神がちょうど仏を敬うようにして、昼夜、朝暮に守護してくれるであろうと仰せられ、それ故に、法華経への信心によって厄の年の災難を克服するよう励ましておられるのである。

最後に、大聖人が鎌倉におられたころは大田氏から直接、こまごまと聞くことができたが、今は遠国の身延にいるために、心の中で思っていることも使者や手紙でした伝えることができないので「歎かし歎かし」と、もどかしい気持ちであると述べられつつも、「当年の大厄をば日蓮に任せ給へ、釈迦・多宝・十方・分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是れにて量るべきなり」と仰せられている。

これまでの仰せから拝して、この「日蓮に任せ給へ」とは、大聖人が教えた通りに法華経の妙法への信心を根本に立ち向かっていきなさいとの意であることは明らかである。

最後に、大田氏の大厄が克服されるか否かによって、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が法華経を受持する者を守護するという法華経における約束が真実であるか否かを判断できると仰せられている。

要は、病苦や災難を乗り越える実体験を通して、法華経の正しさは実感できるということであり、「道理証文よりも現証にはすぎず」(1468:16)との大聖人の一貫したお考えがここに拝される。

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