如説修行抄
文永10年(ʼ73)5月 52歳 門下一同
序講
如説修行の講義にあたり、まずその序講として
第一に、本抄御述作の由来を明かし、
第二に、本抄の大意を論じ、
第三に、本抄の元意を論ずることにする
第一 本抄御述作の由来
(一)本抄の由来 告告衆について
本抄は、文永10年(1273)5月、佐渡における御述作であり、門下一同に与えられた御抄である。しかし、今日では御正筆の所在は不明である。
次節「本抄之背景」に詳説しるが、竜の口法難以来、御本仏の御内証を顕わされた日蓮大聖人は、流罪の地・佐渡において「開目抄」「観心本尊抄」等の重書を著わされ、四条金吾と富木常忍に与えられたのである。
本抄は「観心本尊抄」を著された後、鎌倉にあった門下一同に、日蓮大聖人自身が大難にあわれているのは、真実の如説修行の人であり、御本仏の故であることを述べられ、さらに、日蓮大聖人の説のままに折伏に励み、一生成仏の本懐を遂げるよう激励されている。
さてこの如説修行抄は、前述のとおり門下一同に与えられた御抄であるが、さらには、大聖人の滅後において広宣流布を実践する者に与えられた御抄と拝するのである。
翻って大聖人の滅後六百数十年の間、順縁広布の時はいまだ来らず、大聖人の予言された広宣流布は、いつ実現されるか見当もつかず、遥かに遠い未来の夢のようにしか、感じられなかったのである。
だが、今、創価学会出現の時を迎えて、戦後わずか数十年にして、日本全国はもとより遠く海外にまで発展し、多くの人々が御本尊を受持している。
このような時代に日蓮大聖人の門下として如説修行の実践に励める立場を誇りとし、仏弟子の襟度を持って、さらに広布実現に邁進していきたいものである。
持妙法華問答抄に「是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし之に依つて天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす末代いづくんぞ法は貴けれども人は賎しと云はんやとこそ釈して御坐候へ、されば持たるる法だに第一ならば 持つ人随つて第一なるべし」(0465:17)と。また百六箇抄に「法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し」(0856:03)と。
このように広宣流布の主体は人であり、広宣流布が成就するもしないも、すべて折伏弘教を行ずる人の胸中にあり、一念にあるといいたい。
(二)本抄の背景
日蓮大聖人は、文応元年(1260)7月16日、当時の混乱した世相を見られて立正安国論をしたためられ、一切の不幸、三災七難の原因が、念仏をはじめとする諸宗にあると強く説き、正法によってのみ、真の平和楽土の建設はなる。ゆえに早く信仰の寸心を改めて正法を信ぜよと厳しく諌められ、もし、これを聞き入れなければ、国に自界叛逆難と他国侵逼難が競い起こるであろうと、幕府に警告されたのであった。
その後の文永5年(1268)正月18日に、蒙古からの使者が来朝した。その牒状の内容は「もし属国にならないならば、日本国を攻め滅ぼすであろう」というものであった。まさに立正安国論の予言どおり、他国侵逼難が起こったのである。
そこでさらに大聖人は、文永5年4月5日、安国論御勘由来を著わして、為政者の迷妄をつき、また同年10月11日には、11通の御状を発して、諸宗との公場対決こそ、真に宗教の正邪・浅深を決するものであり、これを行うことが、幕府の要人や権力者等のとるべき態度であると諌暁されたのである。
蒙古は、文永6年(1269)9月に、再度使者を送って、幕府が早く態度を表明するよう、強く求めてきたのである。
こうした情勢の中にあって、日蓮大聖人および門下の人々は、猛烈なる勢いで折伏戦を展開し、念仏宗をはじめ諸宗を根本的に打破する以外に、民衆救済の道はないことを主張しつづけたのである。
しかるに、幕府はこの至誠の諌言を聞き入れないのみか、幕府の要人や、要人の上﨟・尼御前たちに取り入った念仏宗をはじめとする諸僧の言葉に迷い、大聖人およびその一門に対して、激しい弾圧・迫害を加えていったのである。
その時の模様は、種種御振舞御書に「さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す」(0911:03)とあり、報恩抄に「禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人・或は奉行につき或はきり人につき或はきり女房につき或は後家尼御前等について無尽のざんげんをなせし程に最後には天下第一の大事・日本国を失わんと咒そする法師なり、故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり御尋ねあるまでもなし但須臾に頚をめせ弟子等をば又頚を切り或は遠国につかはし或は篭に入れよと尼ごぜんたち・いからせ給いしかば・そのまま行われけり」(0322:12)と仰せられているなかに、その光景が如実に映じてくるのである。
そうした迫害のなかで、最大のものは「竜の口の頸の座」と、その後の「佐渡流罪」であった。
文永8年(1271)にはいって、幕府は、ますます激しく弾圧を加えた。日ごろ大聖人を最も憎んでいた平左衛門尉頼綱は、鎌倉幕府の軍事・警察権を握る立場を利用して、9月10日、大聖人を幕府の奉行所に呼び出し、取り調べをした。
しかし、逆に日蓮大聖人は平左衛門に向かって、厳然と諌め、迫りくる国難にあたって、法の正邪を決すべく公場対決を申し出たのである。
翌々日の12日、大聖人は、一通の諌状をもって、平左衛門に「抑貴辺は当時天下の棟梁なり何ぞ国中の良材を損せんや、早く賢慮を回らして須く異敵を退くべし世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す、是れ偏に身の為に之を述べず君の為仏の為神の為一切衆生の為に言上せしむる所なり」(0183:14)と再度諌言されたが、この熱誠あふれる諌言に対し、平左衛門は、ついに大弾圧をもって応えたのである。
平左衛門自ら大将となり、大勢の武士を引き連れ、草庵を襲い、大聖人を捕えて、竜の口の頸の座にすえた。いわゆる竜の口の法難である。しかし、いかなる権力をもってしても、大聖人の御本仏の境涯に打ち勝つことはできなかった。頸の座に臨まれたときの御様子は、次の通りである。
種種御振舞御書にいわく
「日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそくをば・たがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとく・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、 太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり、日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし」(0913:18)と。
まさしくこの瞬間こそ、日蓮大聖人が凡夫位の迹の姿を払われ、久遠元初の自受用身、すなわち御本仏の本地を顕わされたのである。
四条金吾殿御消息にいわく、
「今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ、流罪は伊東・死罪はたつのくち・相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや、其の故は・すでに法華経の故なるがゆへなり、経に云く「十方仏土中唯有一乗法」と此の意なるべきか、此の経文に一乗法と説き給うは法華経の事なり、十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり除仏方便説と見えたり、若し然らば日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば 寂光土ともいうべきか」(1113:06)と。
翌13日、大聖人は相模国の依智にある本間家に入られたのである。そこに滞在すること20余日。この間、世の中は鎌倉に火事が相次いで起こり、人殺しもひんぴんと起こり、騒然としていた。それを念仏者たちは、火つけや人殺しは、大聖人の弟子たちのしわざであると、幕府に讒言した。しかし事実は、念仏者たちの策謀であった。
その結果、260人ほどの弟子・信者は、皆遠島に流罪、もしくは入牢等の迫害に遭うであろうとの、もっぱらのうわさであった。大聖人も佐渡流罪に決まり、10月10日に依智を出発、同28日に佐渡到着、翌日の11月1日佐渡塚原の三昧堂に入られた。
佐渡の国の生活は、われわれ凡夫の立場からでは、想像を絶するものである。時あたかも厳冬、しかも火の気などありえようもない。さながら八寒地獄のごとき様相を呈していた。一度流罪されれば、とうてい生きて帰れないといわれているところである。名目は流罪であるが、実際は死罪同様だったのである。また、住まいの塚原の三昧堂については、種種御振舞御書に次のように述べられている。
「十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり」(0916:04)と。すなわち、塚原という山野の中の、死者を捨てる場所に、寂しく立っている一間四面の堂である。屋根は破れ、板壁は合わず、風雪は絶えず吹き込んでくるありさまであった。
また、監視も厳しく、お弟子方が日蓮大聖人のもとにいくことも困難のことであった。
こうしたさなかの文永9年(1272)2月には、かねて大聖人が予言されていた自界叛逆難が現実となって起こったのである。時の執権北条時宗の異母兄にあたる時輔が、長男でありながら、執権職を弟に奪われ、自分はその配下として京都の六波羅探題任命されたことを不満として、鎌倉にいた中務権大夫名越教時と、ひそかに通じて、鎌倉と京都で同時に兵をあげようとした。
しかし、この陰謀は事前に露見し、時輔・教時はそれぞれ京都・鎌倉で討たれ、幕府は事なきを得た。だが、このように大聖人の予言が事実となって現われたことに幕府はおそれをなし、捕えて牢に入れていた大聖人門下の弟子を放免する一方、文永9年(1272)4月には佐渡へも使者を送って、大聖人を塚原の三昧堂から一の谷に移すよう命じている。
これ以来、大聖人に対する監視も以前より軽くなり、文永11年(1274)2月には、ついに赦免となり、3月26日に鎌倉に無事に帰られたのである。
翻って大聖人は竜の口法難以後、御本仏として、久遠元初の自受用身としての本地を顕わされた後、この二年間のうちに「開目抄」「観心本尊抄」をはじめ「生死一大事血脈抄」「草木成仏口決」「祈祷抄」「諸法実相抄」「顕仏未来記」「当体義抄」「訶責謗法滅罪抄」「法華取要抄」「顕立正意抄」など数々の重要な御書を著わされている。
本抄は文永10年(1273)5月の御述作であり、御本仏としての大確信に立たれて、佐渡の地から鎌倉をはじめ各地で折伏弘教に励んでいる弟子に、御本仏の弟子としての自覚に燃え、折伏に立ち上がるように激励された御書である。
第二 本抄の大意
(一)本抄の概要
日寛上人は「如説修行抄筆記」に「此の抄の大意は宗教の五箇に依って、宗旨の三箇を弘通すれば、必ず三類の大難有るの相を御書して宗祖の弟子如説修行の人なることを判じ給うなり」と述べている。
ここに、宗教の五箇とは、教・機・時・国・教法流布の先後をいい、また、宗旨の三箇とは、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘法をいう。
「如説修行」とは、説の如く修行するという意である。「説の如く」とは附文の辺では釈迦仏の説の如くとの意であり、日蓮大聖人の御振舞いは、外用の面においては、まったく釈尊が法華経で予言したとおりの御振舞いであられた。これをもって、日蓮大聖人は、釈迦仏の未来記に符合した本化の菩薩であるとするのである。だが、この姿はあくまでも外用浅近の辺からみた姿である。
再往、元意の辺は、末法の御本仏日蓮大聖人の所説の如くとの意である。また「修行」とは身口意の三業にわたり実践することを意味するのである。
すなわち、日蓮大聖人御自身が如説修行することにより、前代未聞の大難に遭い、御本仏であることを顕現されたうえで、弟子檀那に対して日蓮大聖人の法門を所説の如く実践するよう、激励されたのである。これは師弟相対のうえから、また自行化他の立場から如説修行を説かれたのである。ゆえに、如説修行の行者とは、別しては日蓮大聖人御一人を指すのであり総じていえば、いかなる大難があろうとも、あくまでも御本仏日蓮大聖人の御金言のままに、三大秘法の大御本尊を信受し、正しく三宝に帰依して勇敢に折伏に励む人であるといえよう。それゆえ、如説修行の人は、途中いかなることがあろうと必ず一生成仏の本懐を遂げ、永遠に崩れることのない幸福境涯にいたることができる人であると、大聖人は断言されている。
(二)本抄の題号
日寛上人の如説修行抄筆記にしたがって述べてみると、通じて題号を釈するに、二意がある。初めに内外・大小に通じ、次に在世・滅後に通ずるのである。
初めに内外に通ずとは、外道の四韋陀、十八大経は如説であり、修行していることは外道の所説のとおりであるから外道の如説修行となる。
また儒教は仁義礼智信の五常を説き、それを説の如く修行すれば儒経の如説修行となる。これについて大聖人は開目抄上に「此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当つて六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり、一一に流流多くして我慢の幢・高きこと非想天にもすぎ執心の心の堅きこと金石にも超えたり、其の見の深きこと巧みなるさま儒家には.にるべくもなし、或は過去・二生・三生.乃至七生・八万劫を照見し又兼て未来・八万劫をしる、其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果・亦無果等云云、此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より返つて三悪道に堕つ一人として天に留るものなし而れども天を極むる者は永くかへらずと・をもえり、各各・自師の義をうけて堅く執するゆへに或は冬寒に一日に三度・恒河に浴し或は髪をぬき或は巌に身をなげ或は身を火にあぶり或は五処をやく或は裸形或は馬を多く殺せば福をう或は草木をやき或は一切の木を礼す、此等の邪義其の数をしらず」(0187:08)また「此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり、其の所詮は三玄をいでず三玄とは一には有の玄・周公等此れを立つ、 二には無の玄・老子等・三には亦有亦無等・荘子が玄これなり、玄とは黒なり父母・未生・已前をたづぬれば或は元気よりして生じ或は貴賎・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。かくのごとく巧に立つといえども・いまだ過去・未来を一分もしらず玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という。但現在計りしれるににたり、現在にをひて仁義を制して身をまほり国を安んず此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう、此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去を・しらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし、 但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば 傍輩も・うやまい」(0186:07)と示されている。
次に大小に通ずとは、仏道において華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五字、三蔵教・通教・別教・円教の四教があり、それぞれの教義どおり修行すれば如説修行といえる。
すなわち、法慧等の菩薩は華厳経の如説修行の人であり、迦葉や舎利弗は阿含時、三蔵教の如説修行の人である。文殊や弥勒等の諸菩薩は方等・般若・法華経の迹門および涅槃経の如説修行の人である。上行等の菩薩は本門寿量の如説修行の人である。
次に、在世・滅後に通ずるとは、また三点から論ずる。一に人法相対に約し、二に師弟相対に約し、三に自行化他に約すのである。
人法相対に約すとは、「如説」は法に約し「修行」は人に約すのである。釈尊の在世においてこれをいうならば、釈尊所説の一代の諸経は法であり、その所説の如く自らこれを行ずるのが修行である。よって寿量品の文の「我れ本、菩薩の道を行じて」の「菩薩道」とは法であり、「行ず」とは修行である。また「我れ」とは人である。故に修行は人に約すのである。釈尊の所説とは妙法蓮華経である。方便品にいわく「唯一大事の因縁を以って」とはこれであり、修行とは妙法蓮華経の修行である。また同品には「尽くして諸仏の無量の道法を行じ」とも説かれている。
師弟相対に約すとは、「如説」とは師匠の説くところであり、「修行」とは弟子の実践に約すのである。師の所説の如く弟子が修行するのが如説修行である。在世においては釈尊の所説の如く、一会の大衆がこれを修行したのである。
薬草喩品には「其れ衆生有って、如来の法を聞いて、若しは持ち、読誦し、説の如く修行す云云」とある。この「其れ衆生有って」とは弟子であり、「如来」とは師である。「法」は所説の法であり、「若しは持ち、読誦し」とは修行である。よって、この一文が師弟人法に約せることは分明である。
自行化他に約すとは、「如説」は化他であり、「修行」は自行である。五種の妙行おうち、受持・読・誦・書写の四種の修行は自行であり、解説は化他である。自ら妙法を受持し、読誦し、書写するのは自行である。他人の教えを導いて信心をなさしめるのは化他である。他に教えるのは如説であり、他に教える如く自ら修行するのが如説修行である。天台大師の摩訶止め勧巻一下には「所行の所言の如く、所言は所行の如し」とあるが、所言とは如説であり、所行とは修行をいうのである。
釈尊滅後、末法の御本仏日蓮大聖人の仏法においても、人法、師弟、自行化他の三つがある。宗祖大聖人の如く、口に妙法を説き、身に妙法を修行し、その所説の妙法を弟子檀那が修行するのである。弟子檀那に教えるのは化他であり、自ら修行するのは自行である。
在世・滅後の人法・師弟等に約する経文疏釈についてみるならば、法師品に在世の師弟、および滅後の師弟が明かされている。まず在世の弟子を明かす文としては「妙法華経の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん云云」とあり、また在世の下品の師については「広く妙法華経を演べ分別するなり」の文、また滅後の下品の師を説いて「我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん」の文がある。
師弟を説く経文を合してこれを見れば、師が法華経を説くのを聞いてこれを修行する故に、如説修行は弟子に約すのである。人法に約すとはすでに経文に引いたとおりである。
また薬草喩品の「其れ衆生有って、如来の法を聞いて」の文にも師弟、人法が具足しているのである。すなわち化他に約するとは、法華文句巻八上にいわく「四人は是れ自行、一人は是れ化他なり」の文であり、五種法師の釈をあげた文にみるとおりである。
また次に別して本抄の元意は、内外、大小、本迹、観心のなかには、本門観心の如説修行をいうのである。在世、滅後のなかには、別して末法今時の如説修行の師弟・人法を示しておられる。
その文証として日寛上人は次の四点を示されている。
一、迹化他方を止められ、経文の元意を観心本尊抄に判ず。
「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250:09)
ここに若干の会通を加えるならば、末法等とは滅後第三の末法今時である。地湧の菩薩は師である。閻浮の衆生は弟子である。また地湧の菩薩は人であり、寿量品の肝心の妙法は本門観心の法である。故に末法の師弟・人法に約すのである。
二には本化の大菩薩を召す。
経文(撰時抄)にいわく「是の諸人等能く我が滅後に於いて、護持し、読誦し、広く此の経を説かん」の文において、滅後とは第三の末法である。護持・読誦は修行である。広く此の経を説くとは如説の大法である。是の諸人等は能説、能修行の人である。同じく、大聖人は「上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人人も元品の無明を断ぜざれば愚人といはれて寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたるとはしらざりしという事なり」(0284:11)と仰せであり、明らかに時は末法、寿量品の題目とは本門の観心であり、これ法である。上行菩薩は能弘の人である。
三には地湧の菩薩が誓う。
神力品にいわく「仏に白して言さく、世尊、我等仏の滅後、世尊分身所在の国土、滅後の処に於いて、当に広く此の経を説くべし。所以は何ん。我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持読誦し、解説書写して、之を供養せんと欲す」と。ここで「我等」とは人である。「仏の滅後」とは末法であり、「真浄の大法」とは本門の妙法である。法華玄義巻七下に四徳に約して四徳即妙法である故に真浄の大法の言は本門の大法であるとしている。また「受持等」とは修行というのである。
四には別付属の文による
神力品には「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す。是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持・読・誦・解説・書写し、説の如く修行すべし」とある。このなかで「如来の一切の所有の法」以下の四句の要法は、本門寿量品の妙法である。「汝等」とは人であり、「如来の滅後」とは末法である。「一心に受持し」等は修行である。その他、十神力の元意および総付属の元意は省略するが、まさしく「末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり」との文がこれにあたるのである。
では如説修行とはどういう姿をいうのか。如説修行の姿は、受持・読・誦・解説・書写をいう。受持・読・誦・解説・書写せよと人に教えるのは、如説であり、自ら受持・読誦するのは修行である。他に教えるのは説法であり、その説法の如く自ら修行するゆえに如説修行である。「所言は所行の如し」の文をよくよく考えるべきである。これすなわち人法であり、師弟であり、自行化他になるのである。
また入文の中に五種の行を簡んで摂受の行を斥けている。どうして今の修行に行を用いるのかという疑問もでるが、地湧を召す経文、地湧の菩薩の発誓の文および付属の文は皆、五種の行が出てきている。これを無視して修行はできないのである。
しかし、その五種の修行とは、在世と名は同じであるが、行の相は不同である。すなわち、妙法を受持し、妙法を読誦し、妙法を解説するのである。また妙法を書写するのである。法華経一部を広く修行するのではない。略を簡んで肝心の五種の行をとるのである。簡ぶところは広略の修行である。
御義口伝下にいわく「此の妙法等の五字を末法.白法隠没の時上行菩薩・御出世有つて五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り、夫れば神力品に云く「於我滅度後.応受持斯経.是人於仏道.決定無有疑」云云此の文明白なり,仍つて此の文をば仏の廻向の文と習うなり、然る間此の経を受持し奉る心地は如説修行の如なり此の如の心地に妙法等の五字を受持し奉り南無妙法蓮華経と唱え奉れば忽ち無明煩悩の病を悉く去つて妙覚極果の膚を瑩く事を顕」(0783:02)と。
また日女御前御返事にいわく「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり、此の事伝教大師入唐して道邃和尚に値い奉りて 五種頓修の妙行と云う事を相伝し給ふなり、日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求る事なかれ」(1245:04)と。
このように末法にいたって釈尊の仏法が隠没する時、上行菩薩が出現されて、五種の修行のなかで読誦等の四種を略して、ただ受持の一行を立てられているのである。
結論していうならば、御本尊を受持して南無妙法蓮華経と唱うるところに、他の一切の修行を具すのである。
(三)題号を三大秘法に釈す
「如説修行抄」の題号には、三大秘法が具足している。
如説とは、本門の本尊を意味する。すなわち、如説には、能説と所説とがあり、所説とは、すなわち南無妙法蓮華経である。能説の教主は、すなわち御本仏日蓮大聖人である。故に、説の一字は、人法の本尊である。
修行とは題目を修行することである。信ずる故に行は是れ信行の題目である。修行の二字は本門の題目である。
この本門の本尊の所住の処はすなわち本門の戒壇となる。すなわち、大御本尊を信じて題目を唱える故に非を防ぎ悪を止むることになり、これ戒壇の義である。当体義抄に「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518:15)と述べられていることを考え合わすべきである。
第三 本抄の元意
如説修行の大意には、通別があり、通にまた二意があることは前述した。いまこれを図示すれば、次の通りである。
如説修行─┬─通─┬─内外・大小に通ず
│ └─在世・滅後に通ず
└─別───本門勧心の如説修行
さらに別して本抄の元意は、釈尊滅後においては末法、末法の中にも、本門観心の如説修行の人、別しては日蓮大聖人であり、総じては大聖人門下の弟子檀那であり、さらには、日蓮大聖人の正法正義を伝え弘める人が如説修行の人にあたると拝したい。
况滅度後の大難の三類
故に本抄には「其の上真実の法華経の如説修行の行者の弟子檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし况滅度後の大難の三類甚しかるべし」と。創価学会はまさしくここにお示しのとおりに、三類の強敵と戦ってきた。すなわち三大秘法の大御本尊を受持し、信心折伏に励む決意をした時から、第一の俗衆増上慢が、家庭内でも、隣近所でも、職場でも起こり、そのため、怨嫉を受け、迫害されてきている。
第二の道門増上慢とは、すでに七百年以前において、日蓮大聖人から破折しつくされた念仏・禅・真言の各宗の僧や、大聖人の滅後に発生した日蓮宗と称する各派のことであり、各派はただ自分の生活を脅かされることを恐れ、自分たちの歴史や教義のうえでさらに誤謬を上塗りして、創価学会を圧迫してきた。
第三の僣聖増上慢は、世間からは名僧と仰がれ、生き仏のごとく尊はれておりながら、その内心は邪見で貪欲であり、正法の行者を怨嫉し誹謗し、ついには国家権力に訴えて、正法の弘布者を流罪・死罪に陥れるのである。
しかし、現代は順縁広布の時である。日蓮大聖人の時代は逆縁広布の時であったが故に、大聖人は流罪・死罪にあい、多くの弟子も追放され、斬首される者もあった。
ともあれ今日では、創価学会が民衆総意の団体となりつつあり、いかなる権力をもってしても、真実の仏法を伝え弘める精神とその流れを破壊することはできないといいたい。今後なお、多くの難と思われる障害があるかも知れない。しかし、それらを難と見定めて、世界平和と人類の幸福を確立していく運動をすすめていくことが、本抄を身読することになろう。
第一章 (宗旨の弘教に大難あるを標す)
本文
夫れ以んみれば、末法流布の時、生をこの土に受け、この経を信ぜん人は、如来の在世より「猶多怨嫉(なお怨嫉多し)」の難甚だしかるべしと見えて候なり。
現代語訳
つらつら考えてみるに、この末法という三大秘法の南無妙法蓮華経が流布する時に、生をこの日本国に受け、この経を持ち、信心に励んでいく人に対しては、法華経法師品第十に「末法においては、釈迦如来の在世にくらべて猶怨嫉が多いであろう」と、多くの大難が競い起こることを予言されている。
語釈
猶多怨嫉
法華経法師品第十の文。同品に「而も此の経は、如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」とある。この法華経を説く時は釈尊の存命中でさえ、なお怨嫉(反発・敵対)が多いのだから、ましてや釈尊が入滅した後において、より多くの怨嫉を受けるのは当然である、との意。日蓮大聖人はしばしばこの文を引かれ、御自身が法華経を身読した法華経の行者であることの根拠とされている。日寛上人の筆記には「怨嫉とは疏の八・十六に云く『四十余年即説くことを得ず、今説かんと欲すると雖も五千尋て即ち座を退く、仏世尚爾なり、何に況や未来をや』等云云、記の八の本・十五に云く『今通じて論ぜば、迹門には二乗鈍根の菩薩を以て怨嫉と為し五千起居は未だ嫌う可きに足らず、本門には菩薩中の楽近成(近成を楽う)の者を嫌って怨嫉と為す、衆こぞって識らざるは何ぞ恠しむと為すを得ん』文」とある。
講義
本抄は、文永10年(1272)5月、佐渡における御述作であり、門下一同に対して与えられた御抄である。しかし、今日では御正筆の所在は不明である。
夫れ以んみれば末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は云云
この文は、宗教の五綱(教・機・時・国・教法流布の先後)を標した文である。日寛上人は如説修行抄筆記に、次のように解釈されている。
一、宗教の五箇(宗教の五綱)に配す。
末法 ……… 時
流布の時 … 教法流布の先後
此の土 …… 国
此の経 …… 教
信ぜん …… 機
「時」とは、釈尊滅後、正法千年、像法千年を過ぎた末法を指し、今日のことである。末法万年尽未来際にわたり、三大秘法の南無妙法蓮華経が広宣流布され、令法久住していく様相を「流布の時」と述べられたのである。薬王品に「私の滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、断絶してはならない」と説かれているように、末法には必ず南無妙法蓮華経が流布するのである。その国土は、総じては一閻浮提、すなわち全世界であり、別しては日本国である。
「此の経」とは末法の法華経、すなわち三大秘法の御本尊である。「信ぜん」が「機」にあたり、宝塔品に「此の経は持ち難し」とあるごとく、信力・念力によって御本尊を受持していくことをいうのである。
如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり
この文は、大難を標した文である。法師品には「而も此の経は、如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」とある。「況んや滅度の後をや」の文は、正像二千年を指しているが、正意は末法にある。故に、この文は「況んや滅度の後、正法に於いてをや、況んや像法に於いてをや、況んや末法に於いてをや」と三重に読むべきである。
末法における法華経とは、いうまでもなく日蓮大聖人御自身の南無妙法蓮華経である。しかして、日蓮大聖人が南無妙法蓮華経を弘通される上であわれた難は、釈尊、天台、伝教などがあった難とは比較にならない大難である。大難が前代に超過していることをもって、御自身が末法の御本仏である証明とされているのである。
法華取要抄にいわく「問うて曰く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く『諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者』等云云」(0333:16)と。これらの文証に明らかなように三大秘法の南無妙法蓮華経の弘通こそ真の如説修行の故に大難のあることは当然である。
経文に大難があると説かれたことは「如説」であり、その文のごとく、日蓮大聖人が大難にあって三大秘法を流布される御振舞いは「修行」である。
さらに師弟相対しわれらの信心に約すならば、その日蓮大聖人の御振舞いこそ「如説」であり、われわれが、御本尊を受持して折伏に励むことが「修行」になる。四菩薩造立抄に「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」(0989:11)とある。この如説修行を明らかにするため、まず、大難を標されたのである。
しかして、日蓮大聖人の仏法を如説に修行し、況滅度後の大難をうけ、広宣流布に邁進しつつあるものは、ただ創価学会を除いては他に求めることはできないであろう。
第二章 (行者の値難を釈す)
本文
其の故は在世は能化の主は仏なり弟子又大菩薩・阿羅漢なり、人天・四衆・八部・人非人等なりといへども調機調養して法華経を聞かしめ給ふ猶怨嫉多し、何に況んや末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり、故に善師をば遠離し悪師には親近す、其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと、然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅度後・況滅度後と朝夕教へし事は是なり・予が或は所を・をわれ或は疵を蒙り・或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや。
現代語訳
その理由は、釈尊在世の時は、一切衆生を化導し、救済したのは、釈尊というりっぱな仏であり、しかも弟子たちは大菩薩や小乗教の悟りを得た阿羅漢であった。また人界、天界の人々、四衆、八部、人非人たちであっても、釈尊は、調機調養といって長い間、機根をととのえ、最後には法華経を聞かしめたのである。しかし、それにもかかわらず、猶怨嫉が多かったのである。
ましてや末法の今の時は、宗教の五綱からみて、南無妙法蓮華経という教えが打ち立てられ、衆生はそれを求める機根となり、正法流布の時は来ているとはいっても、その法を説く師である日蓮をみれば、外見はただの平凡な師にすぎないのである。そのもとに集まった弟子たちもまた、大集経にあるように、みな争いばかりしている闘諍堅固・白法隠没の時代を反映した貪瞋痴の三毒強盛な末法濁悪の衆生なのである。その故に、善師たる日蓮から離れて、諸宗の悪師に親しみがちである。
そのうえ、真実の法華経(御本尊)を、仏の説の如く修行していく行者である日蓮の弟子檀那となる以上は、三類の敵人が出現するのは決定的である。だからこそ「この大法を聞き、信心を始めた日から、覚悟を定めなさい。末法には在世以上に激しい三類の敵人が出て信心を妨げようとするが、決してそうした魔に負けてはいけない」とかねがねいってきていたのに、わが弟子檀那の中に、そう聞いてはいても、いざ大小の難が来てみると、今さらのように驚き肝をつぶして、信心を退転してしまったものがいる。難が起こるとはかねていっておいたことではなかったか。つねづね経文の文証を立てて、况滅度後・况滅度後と強調して、朝夕に常に教えてきたことはこうした時のためであった。日蓮が、安房(千葉県)の清澄寺を、また以前住んでいた松葉が谷を追われたり、小松原の法難で疵を受けたり、また幕府のとがめを受けて、伊豆や佐渡の遠国に二度も流罪にあったりしたのを、見たり聞いたりしたとしても、それらは前々からわかっていたことであり、今さらあらためて驚くべきことではないではないか。
語釈
人非人
人とは比丘・比丘尼等の四衆を指し、非人とは天・竜等の八部を指す。
三類の敵人
三類の強敵ともいう。釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第十三に説かれる。これを妙楽大師湛然が法華文句記巻八の四で、三種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。開目抄では具体的に聖一、極楽寺良観らを僭聖増上慢として糾弾されている。ことに良観は大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけ、それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった
或は疵を蒙り
文永元年(1264)11月11日、安房国東条の松原大路で、東条景信の襲撃にあって額に刀傷を受けられた。
或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるる
一度目は弘長元年(1261)5月から同3年(1263)2月にわたる伊豆の流罪、二度目は文永8年(1271)10月から同年(1274)2月にいたる佐渡の流罪。
講義
この章は、如説修行の行者が難にあうことを、略して釈されている。
まず、釈尊在世の怨嫉を教主・所化・調機・法体の四重に約して挙げたうえで末法の大難を釈されている。「何に况んや末法今の時」からは、末法の師弟・人法・自行化他を明かし、「されば此の経を」以下は、日蓮大聖人御自身が難にあわれたことを示され、いかに大難があったとしても断じて退転してはならないと弟子檀那を教誡(きょうかい)されている。また、御自身が大難にあわれたことは、経文の予言と一致することを述べ、日蓮大聖人こそ、末法における如説修行の人であり、御本仏であることを述べられている。
在世は能化の主は仏なり……調機調養して法華経を聞かしめ給ふ猶怨嫉多し
如説修行の行者は必ず怨嫉され、非難されることを釈す文である。まず釈尊在世における怨嫉をあげて、末法における况滅度後の大難を述べられるのである。しかして、釈迦仏法における教主、所化、調機、法体の四重に約して釈されるのである。いまこれを末法に相対して示すと次のようになる。
一に教主に約すならば、在世は能化の主、すなわち民衆を化導し、救済していく主は三惑をすでに断じた仏であり、三十二相八十種好を具足した色相荘厳の釈迦如来であった。しかも社会的にも王族の出身という高い地位にあったわけである。それでいてなお怨嫉が多かったのであるから、末法に日蓮大聖人が、一惑すら断じていない凡夫僧のお姿で出現されれば、必ず大難のあるのが理の当然である。
二に所化に約すとは、在世において、釈迦如来の化導を受けたのは、皆三惑を断じた大菩薩、阿羅漢であり、当時の社会にあっても指導的な立場にあった人々である。これらの人々は怨嫉などしないはずであるが、それでも怨嫉があった。これでは末法の本未有善、三毒強盛の凡夫が怨嫉しないはずはなく、そのために必ず大難があるのは、これも当然のことである。
三に調機に約すとは、在世は人非人等であっても調機調養したうえで法華経を説いたのである。それでもなおかつ方便品において、釈尊が説法を始めたとき、五千人の増上慢の四衆が席を起ち去ってしまった。まして、末法においては、まったく調機調養がなされてないのであるから、大難があるのは当然である。この釈迦仏法における調機調養とは、釈尊が民衆の機根を調え、養うために、四十余年にわたって小乗、権大乗を説いたことを指し、さらには、五百塵点劫に釈尊が成道して以来、下種し、調熟したことをいう。これは、今世のみでなく、何回も何回も生まれてきては善根を積んでいく修行で歴劫修行と呼ばれるものである。
四に法体に約すとは、在世に釈迦如来が説いた法華経二十八品は五百塵点劫以来の熟脱の衆生を救うためで、脱益の法華経である。これらの本已有善の人々ですら、始成正覚に執着して怨嫉したのである。
ところが末法は下種益の法華経たる三大秘法の南無妙法蓮華経を説くのであるから、大難があるのは必然といえよう。これについて妙楽大師は法華文句記巻八に次のように釈している。「今、通じて論ぜば迹門には二乗、鈍根の菩薩を以て怨嫉と為し五千起居は未だ嫌うべきに足らず。本門には菩薩の中の楽近成を楽の者を怨嫉と為す。衆こぞって識らざるは何ぞ恠と為すを得ん」と。
また、調機調養の法華経とは、熟益であり迹門をいう。熟益の後の法華経は必ず脱益の法華経であり、本門の意である。
この文は、在世の師弟、人法、自行化他を説いたものであり、題号が師弟、人法、自行化他に約すことができる点と合わせて考えることができる。今、四重に約して、この文を釈したが、初めの二、教主と所化の師弟の関係は、広く諸経に通じる問題であり、釈尊が九横の大難を受けたことを意味するのである。後の二、調機と法体は、別して釈尊が法華経を説いたときのことを述べたもので、調機に約すのは権実相対の意であり、法体に約すのは本迹相対を意味しているのである。
何に況んや末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり、故に善師をば遠離し悪師には親近す、其の上真実の法華経の如説修行の行者……
この文の読み方について、日寛上人は、「何に況んや」の句を「悪師には親近す」まで冠して拝読すべきであるとしている。すなわち「何に况んや師は凡師であり、何に況んや弟子もまた三毒強盛の弟子であり、何に況んやその機を考えてみれば、調機調養無き本未有善の衆生であるが故に、善師をば遠離し悪師には親近するなり」と読むのである。また「末法今の時は教機時刻当来す……悪人等なり」の文は、宗教の五綱を述べられた教相である。すなわち、
末法今の時 … 時
教 …………… 教
機 …………… 機
時刻当来す … 流布の先後
となる。
国土が略してあげられていないが、これは、以下の文に師弟を述べてある故に、その住処は自ずとあらわれているからである。
また、この文は末法にあたって「況滅度後」の経文を釈されたもので、前節の在世についての釈に対して、能化、弟子、調機、法体の四意に約して釈されている。図示すれば次のようになる。
能化 …… 其の師を尋ぬれば凡師なり
弟子 …… 弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり
調機 …… 故に善師をば遠離し悪師には親近す
法体 …… 其の上真実の法華経
また、この文は、末法における師弟・人法・自行化他を明かした文であって、本抄の題号を師弟・人法・自行化他に約して釈された文と合わせ考えることができる。
この「其の上真実の法華経」の文で、「其の上」とは「何に况んや」の意である。「真実の法華経」とは、釈尊在世の脱益の法華経二十八品に対し、末法における日蓮大聖人の下種益の南無妙法蓮華経をいうのであり、種脱相対を明かしているのである。
さらに、この文は三大秘法を釈した文である。すなわち「其の師」とは人本尊であり「真実の法華経」とは本門の題目である。御義口伝巻下には「此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752:寿量品廿七箇の大事:14)と述べられている。妙法五字は、法本尊ともいわれ、題目ともいわれるが、前に人本尊があげられているので、ここでは題目とするのである。本門の本尊、本門の題目が述べられている故に、その住処たる本門の戒壇は略されているのである。
また、別釈としては「真実の法華経」は法本尊であり「如説修行」を信行の題目と考えることができる。
「其の上真実の法華経」の文で、「其の上」とは「何に况んや」の意である。「真実の法華経」とは、釈尊在世の脱益の法華経二十八品に対して、末法における日蓮大聖人の下種益の南無妙法蓮華経をいうのであり、種脱相対を明かしているのである。
それでは、釈尊が説いた法華経二十八品は真実ではなく、まったく誤りであるかというと、そうではない。釈尊の法華経も真実ではあるが、末法下種益の三大秘法に相対すると、三大秘法が真実の中の真実となる故に、このように述べられたのである。下種の義のない脱益は、超高が皇帝の位に登るようなもので、まったく砂上の楼閣にも等しいのである。故に、開目抄下には「種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり道鏡が王位に居せんとせしがごとし」(0215:14)と述べられている。また釈尊の法華経において衆生がみな得道したのも久遠を悟ったからである。
妙楽大師はこのことについて法華文句記巻一上に「『雖脱在現具謄本種』等云々」と述べている。下種は本であり、脱は迹である。脱益が真実であるというのは、本である下種が真実である故である。今は功を種に帰せしめて別して真実というのである。また天台大師の弘教に対して真実というのである。故に立正観抄には「正直の妙法を止観と説きまぎらかす故に有のままの妙法ならざれば帯権の法に似たり」(0529:17)とある。
日蓮大聖人の弘教は久遠元初の名字の妙法であり、有りのままの妙法であるから「真実の法華経の行者」といわれたのである。
三類の敵人決定せり
三類の敵人とは、法華経勧持品第十三に説かれている正法の行者を迫害する三種類の増上慢をいうのである。すなわち俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢の三類の強敵ともいう。
釈尊が一座の大衆に滅後の弘教を勧めた時、八十万億那由佗の菩薩が、釈尊滅後どのような難にあっても、妙法蓮華経を弘めたいと誓った。このときの文が末法には三類の強敵が出現するという予言の文である。
勘持品に「諸の無智の人の、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん、我等皆当に忍ぶべし、(俗衆増上慢)。
悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、末だ得ざるを為れ得たりと謂い、我慢の心充満せん(道門増上慢)。
或は阿練若に、納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂いて、人間を軽賎する者有らん。利養に貧著するが故に、白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらることを為ること、六通の羅漢の如くならん。是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮って、好んで我等が過を出さん、而も是の如き言を作さん、此の諸の比丘等は、利養を貪るを為っての故に、外道の論議を説く、自ら此の経典を作って、世間の人を誑惑す。名聞を求むるを為っての故に、分別して是の経を説くと。常に大衆の中に在って、我等を毀らんと欲するが故に、国王大臣、婆羅門居士、及び余の比丘衆に向かって、誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん」(僣聖増上慢)
とある。
この一連の偈頌を勧持品二十行の偈というが、この偈を法華文句記等で、三類の強敵に分別している。俗衆増上慢とは、今でいえば仏法を知ろうとせず、ただ感情的に反対している世間の人をいう。道門増上慢とは、他宗の増上慢の僧である。僣聖増上慢とは、社会的力をもって大聖人の仏法に敵対してくる世の指導者階級と目されている人々のことで、この第三僣聖増上慢が最も邪悪であり、また現在は、この第三の盛んな時である。
然るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ
この文は、弟子檀那を教誡された文である。日蓮大聖人は御書のいたるところに、難を乗り越えて信心に励むよう激励されている。開目抄下に「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん事を・なげくらん、多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわかれなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし」(0234:07)と述べられている。この開目抄の文は、初めに出家の弟子につい述べられ、次に在家の檀那について述べられている。今、如説修行の「然るに我が弟子等」の文は、在家の檀那をも含めていわれているのである。日蓮大聖人のこの精神を受けて、不惜身命の活躍をされたのが、第二祖日興上人、第三祖日目上人である。日寛上人の如説修行抄筆記には御相伝を引いて「日目は毎度幡さしなれば浄行菩薩が、日興先をかくれば無辺行菩薩か」と述べられている。
日蓮大聖人の御在世は、まったくの逆縁広布の時代であり、大難につぐ大難の中での活動であった。門下の中にも迫害に耐えられず何人かの退転者が出た。その最大のものは熱原の法難であった。このとき、南条時光は、日興上人の指導のもとによく迫害に耐えて熱原方面の信徒を護ったが、三位房などは、僧として日興上人に協力すべき立場にありながら、迫害の中心者、滝泉寺の院主代行智に味方した。また法華経の厳罰により大進房らは落馬して死んでいることが、聖人御難事には「大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるるか」(1190:05)と述べられている。そして、これらの難を乗り越えることにより成仏できるが、臆病で信心弱き者は地獄のような境涯に堕ちると述べられている。同じく聖人御難事には「此れはこまごまとかき候事はかくとしどし・月月・日日に申して候へどもなごへの尼せう房・のと房・三位房なんどのやうに候、をくびやう物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者どもは・ぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ」(1191:02)と勇気をもって信心に励むよう激励されている。また日蓮大聖人御入滅後、第二祖日興上人に背いた五老僧も、折伏精神を忘れ、難を恐れたために天台沙門と名乗り、退転してしまったのである。
これらは、それぞれ、いざという時の信心がいかに大切であるかとの生きた教訓である。信心は、観念でもなければ、言葉だけのものでもない。奥底の一念であると共に厳然と実相にあらわれるものである。いざという時にひるみ、退く人は、いたずらに胸中の至宝をなげうつようなものである。
むろん、今日、大聖人の時代に見られるような難はない。しかし、自己の一生成仏の瞬間には、つねに、魔との厳しい対決があるのは当然である。名越尼、少輔房、能登房、三位房、そして五老僧も、決して過去の人物として、遠くに思うべきではない。己心の三位房ないし五老僧を打ち破り、日蓮大聖人、日興上人、日目上人の示された信心の大道を歩むべきである。
予が或は所を・をわれ或は疵を蒙り・或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや
日蓮大聖人が大難を受けられたことを述べられている。すなわち、大難があるという釈尊の説のごとく、わが身の上に大難を受けることによって、本仏であることを顕されたのである。ここで「或は所を・をわれ」とは、東条景信によって、建長5年(1253)4月28日の立宗直後、安房の清澄山を追われたこと、ならびに、文応元年(1260)7月に立正安国論を時頼に上書した後、8月27日に鎌倉・松葉ヶ谷の草庵が念仏者によって焼き討ちされ、下総の富木五郎左衛門常忍の邸に身を寄せられたことをいう。また「或は疵を蒙り」とは、文永元年(1264)11月11日申酉の刻、天津の工藤左近尉吉隆の邸に向かう途中、東条の郷、小松原において、地頭・東条景信の軍勢に襲撃され、眉間に景信の太刀をあびられたことをいう。この小松原の法難では、工藤吉隆、鏡忍房の二人が大聖人をお護りして死んでいる。「両度の御勘気」とは、二度の流罪のこと。一度は弘長元年(1261)5月12日の伊豆伊東の流罪であり、二度目は、文永8年(1271)9月12日、竜の口法難に続く佐渡の流罪である。これは文永11年(1274)に赦免となり、3月26日に鎌倉に帰られたのである。
日蓮大聖人はこのような大難について、聖人御難事に「仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし、日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり」(1189:18)と。すなわち大聖人の出現によって初めて仏語真実なることが証明されたのである。開目抄下には、日蓮大聖人がまさしく法華経の行者であることを次のように顕わされている。「仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・いかがせん・いかがせん、抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる 誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし」(0230:01)と。
第三章 (行者の値難と現世安穏を明かす)
本文
問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、答えて云く釈尊は法華経の御為に今度・九横の大難に値ひ給ふ、過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り・竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をあてられ師子尊者は頭をはねられ天台大師は南三・北七にあだまれ伝教大師は六宗ににくまれ給へり、此等の仏菩薩・大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん。然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり、かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。
現代語訳
問うていわく、仏の説の如く修行する行者は、薬草喩品にあるように「現世安穏」なはずである。それなのに、どうして三類の強敵が盛んに出てくるのであるか。
答えていわく、過去の法華経の行者の例を見れば、釈尊は法華経を説くために、山から大石を落とされる等の「九横の大難」にあわれている。また過去の時代に出現した不軽菩薩は、法華経を説くために杖木で打たれ、瓦や石を投げつけられた。中国の東晋代の竺道生は、正法弘通のために大衆にあだまれて呉の国の蘇山に流され、宋代の法道三蔵は、仏法を護るために国王を諌めて、顔に火印を押され、江南に追放になった。また、中インドの師子尊者は檀弥羅王に首をはねられ、中国の天台大師は南三北七の諸師にあだまれ、わが国の伝教大師も南都六宗の人々に憎まれた。これらの仏菩薩・大聖といわれる人々を、如説修行の行者といわなければ、いったいどこに如説修行の行者をたずねたらよいのであるか。
しかも今末法というこの時代は、闘諍の絶え間ない時代であり、釈尊の教えの力もなくなったうえに、世はすべて悪国・悪王・悪民だけになって、皆、正法に背き、邪法・邪師を崇び重んじているために、国土には悪魔・鬼神が乱入して、三災七難が盛んに起こっている。
このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのであるから、たいへんな時に生まれたのである。だが法王釈尊の命令に背くわけにはいかないので、一身を経文に任せて、あえて権教と実教との折伏の戦いを起こし、どんな難にも耐えて、一切衆生を救うという忍辱の鎧を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗をかかげ、未顕真実の弓を張り、正直捨権の矢をつがえて、三大秘法の大白牛車に打ち乗って法敵をせめ、折伏をしてきたのである。そして、権門を喝破と打ち破り、あちらこちらに押しかけ押しよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人をせめ立てたところ、ある者は逃げまどい、ある者は引き退いて、かたくなに自己の邪法を守ろうとし、あるいはまた日蓮に破られて降参した者は、生け取られてわが門下となった。このように大折伏の戦いで、何度もせめ返したり、せめ落としたりはしたが、権教の者どもは多勢であり、法王釈尊の手勢は日蓮ただ一人であるために、今にいたるまで戦いはやむことがない。
しかし法華経は折伏であって、どこまでも権教の理を破折していくという仏の金言であるから、最後には、権教権門を信じている者どもを、一人も残さず折伏して、法王の門下となし、天下万民、すべての人々が一仏乗に帰して三大秘法の南無妙法蓮華経が独り繁昌する広宣流布の時になり、またすべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えていくならば、吹く風は穏やかに吹いて枝をならさず、降る雨も壤を砕かず、万物の成育に適して、世は昔の羲農の時代のような理想社会となり、人々は今生には不祥の災難にもあわず、長生きできる方法を得る。また妙法を根本とした人生は、どこまでも幸福を満喫でき、人生も、そしてまた妙法も共に、不老不死であるという道理が実現するその時を、みんなが見てご覧なさい。その時こそ「現世安穏」という証文が事実となって現われることに、いささかの疑いもないのである。
語釈
九横の大難
釈尊が受けた九つの大難をいう。諸説があるが御書に引用されるのは次の説である。①孫陀利の謗(外道の美女である孫陀利が、外道にそそのかされ釈尊と関係があったといいふらし、釈尊が謗られたこと)。②婆羅門城の鏘(釈尊が婆羅門城を乞食し空鉢であったとき、年老いた下婢が、供養する物がなくて、捨てようとしたくさい潘淀(米のとぎ汁)を供養した)。③阿耆多王の馬麦(阿耆多は随羅然国の婆羅門の豪族の小王。釈尊と五百の弟子を請じたが、自分自身は快楽にふけり供養することを忘れてしまい、仏の一行を餓死寸前にまで追い込んだ。そのため釈尊は、馬の食べる麦を九十日間も食べ、飢えをしのんだ)。④瑠璃の殺釈(憍薩羅国の波瑠璃王に無量の釈子が殺されたことをいう。父の波斯匿王はあざむかれて、釈迦種と称す卑賤な女を夫人としていた。長じて波瑠璃王は釈子から、賤女の子であるといやしめられて激怒し、即位後釈尊の制止を聞き入れずに兵を出し、無量の釈迦族の人たちを虐殺した。しかし釈尊の予言どおり、七日目に波瑠璃王は横死し、無間地獄に落ちたという)。⑤乞食空鉢(釈尊が婆羅門城に入ろうとしたときに、王は民衆が釈尊に帰依することをねたみ、釈尊に供養することを禁じた。それで乞食しても何も供養されなかった)。⑥旃遮女の謗(婆羅門の旃遮女が、腹に鉢を入れて釈尊の子であると誹謗した。しかし帝釈がネズミとなって鉢をつるしていたヒモをかみ切ったため鉢が地に落ち、衆人皆歓喜したという)。⑦調達が山を推す(提婆達多が釈尊を殺そうとして、耆闍崛山で岩石を頭上になげうった。小片が散じて釈尊の足の親指から血を出した)。⑧寒風に衣を索む(冬至前後の八夜、寒風が吹きすさんで竹を破った。このとき釈尊は三衣を索めて寒さを防いだという)。⑨阿闍世王の酔象を放ちし(阿闍世王が提婆達多にそそのかされて悪象に酒を飲ませて放ち、釈尊を殺そうとした)。
竺の道生
中国・東晋代から南北朝の宋代にかけての高僧。竺法汰につき出家。のちに長安に上り、鳩摩羅什の門に入り、羅什門下四傑の一人となる。般泥洹経(涅槃経)を学び、闡提成仏の義を立て、当時の仏教界に波紋を投じた。これにより衆僧の大いに怨嫉するところとなり、洪州廬山に流された。その時道生は「わが所説、もし経義に反せば現身において癘疾を表わさん、もし実相と違背せずんば、願わくは寿終の時、獅子の座に上らん」と誓ったという。のちに、曇無讖訳の「涅槃経」が伝わり、正説であると証明され、誓いの通り元嘉11年(0434)に廬山で法座に上り、説法が終ると共に眠るがごとく入滅したといわれる。竺の道生、法道三蔵、師子尊者の三人は、共に法華経の行者として、死身弘法、不自惜身命の仏道修行の例として挙げられたのである。
法道三蔵
(1086~1147)。中国・宋代の僧。もと永道と称した。宣和元年(1119)徽宗皇帝が詔を下し、仏を大覚金仙、菩薩を大士、僧を徳士、尼を女徳とするなど仏僧の称号を廃して道教の風に改めることを定めた。法道はこれに反対し、上書してこれを諌めたが、帝は怒って永道の面に火印(焼印)を押し、江南の道州に放逐した。翌年、仏教の称号を用いることが許され、永道も許されて帰り、名を法道と改めた。徽宗皇帝は道教を重んじ、仏教を弾圧したために、靖康2年(1127)欽宗と共に金国の捕虜となり、配所の五国城で没した。
師子尊者
梵名アーリヤシンハ(Āryasimha)。獅子(ライオン)の意。付法蔵第二十三(第二十四との説もある)の最後の伝灯者。六世紀ごろの中インドの人。付法蔵因縁伝(付法蔵経)巻六によると、罽賓国でおおいに仏事をなしたが、国王弥羅掘は邪見の心が盛んで敬信せず、仏教の塔寺を破壊し、衆僧を殺害し、最後に利剣で師子尊者の頸を斬った。その時一滴の血も流れず、白い乳のみが涌き出たという。これは尊者が白法(正しい教え)をもっていたこと、また成仏したことをあらわすとされる。摩訶止観巻一では、弥羅掘王を檀弥羅王としている。景徳伝灯録巻二によると、師子尊者を斬ったあと、王の右手は地に落ち、七日のうちに王も死んだという。
天台大師
(0538~0597)。中国・南北朝から隋代にかけての人で、中国天台宗の開祖。天台大師、智者大師ともいう。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。荊州華容県(湖南省)に生まれる。18歳の時、湘州果願寺で出家し、次いで律を修し、方等の諸経を学んだ。陳の天嘉元年(0560)大蘇山に南岳大師慧思を訪れ、修行の末、法華三昧を感得した。その後、おおいに法華経の深義を照了し、法華第一の義を説いて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の法華三大部を完成した。摩訶止観では観心の法門を説き、十界互具・一念三千の法理と実践修行の方軌を明らかにしている。
南三・北七
中国・南北朝時代(0440~0589)に、仏教界は揚子江をはさんで南に三派、北に七派、合わせて十派に分かれていた。これら十宗はいずれも華厳第一、涅槃第二、法華第三と説き、法華経第一を宣揚した天台智者大師にことごとく打ち破られたのである。
伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬[万]貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)滋賀郡に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」三巻、「顕戒論」三巻、「守護国界章」九巻、「山家学生式」等がある。
未顕真実の弓をはり
未顕真実とは、法華経の序分である無量義経で釈尊は「四十余年、未顕真実」と説き、法華経以前に説かれた爾前経をすべて虚妄なりと断ぜられた。未顕真実の弓と、正直捨権の箭がそろって完全となる。すなわち両文がそろって初めて、法華経方便品第二の「正直捨方便」の方便とは、四十余年未顕真実の権教なることがわかるからである。
日寛上人の筆記には「弓あるも箭なければ詮なし、箭はあれども弓なければ無用なり、法華経に正直捨方便と説きたもうも無量義経の四十余年未顕真実の文無くんば法華経に指示する処の方便・何れの経か測り難し、爾に無量義経の文を以て之れを見れば四十余年の諸経悉く方便なりと知る故に弓箭具足するが如し。二句の文を弓箭に相配するに表示ありや、答えて云く弓は其の形曲って直ならず、四十余年の諸経不正直なるを未顕真実と説く故に形を以て之れに類して未顕真実の弓と判じ、箭は直なる物なれば正直の法華に対して正直に方便を捨てて後は但一実円頓の妙法なり、故に各々其の形を以て其の法体の正直不正直を顕わすものなり、或は亦必ずしも表示を求むべからず、仏意測るべき故なり、疏四、御義口伝上二十二云云」とある。
正直捨権の箭をはげて
正直捨権とは、法華経方便品第二の「正直に方便を捨てて 但だ無上道を説く」の文。正直に権教の方便を捨てて、法華経という無上の法門を説くという意。
大白牛車に打乗つて
大白牛車については、譬喩品の三車火宅の譬えにある。すなわち、三乗の境涯を羊・鹿・牛の三車に譬え、法華経にいたって一仏乗を開会するのを大白牛車に譬えた。現在でいえば大白牛車とは三大秘法の御本尊である。この大白牛車に乗れば即身成仏は間違いないのである。すなわち打乗ってとは、本門の題目を受持することである。
日寛上人の筆記には「経に云く『是の宝車に乗って四方に遊び』文、亦云く『此の宝乗に乗じて直ちに道場に至らしむ』文、打乗ってとは本門の題目を受持する事なり、御義口伝四十七乗此宝乗直至道場を以て受持と題目とに判ずるなり、道場は極果なり乗此とは因なり、籤五に云く『此の因易らざる故に直至と云う此に乗る事は信心第一なり』、録外二十五・四」とある。
吹く風枝をならさず雨壤を砕かず
中国では五風十雨といって五日に一度の風、十日に一度雨の降るのを、人畜草木の成育に最も適する天候とした。これから天下太平にして、世の中が静謐な、理想の世界の一つに考えられてきた。
代は羲農の世
伏羲と神農の治世のこと。共に中国上古の神話上の聖王である。このときは、天下太平な幸福な世の中で、民衆は栄えたといわれている。孔子、孟子等の儒教思想家が理想郷として示したので、広く用いられるようになったユートピアである。
講義
この章では末法の如説修行の行者が難にあう理由を明かされている。一対の問答が説けられており、問いと答えそれぞれに二意を含んでいる。問いの二意とは、三類の強敵があることをもって、日蓮大聖人が如説修行の人ではないと疑う、これ一である。また大難があることをもって、如説修行の行者というならば、薬草喩品の現世安穏の経文は妄語なのであろうかと疑う、これ二である。答えの二意とは、初めに、如説修行の行者の値難を明かしている。ここでは、釈尊、不軽菩薩、竺道生、法道三蔵、師子尊者、天台、伝教の先例をあげている。次に現世安穏の経文が虚妄ではないことを明かしている。ここでは、三大秘法が広宣流布した時の姿を述べられて現世安穏を証されている。
この章は、開目抄の行者遭難の故を明かされた御文と関連している。
問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや
日蓮大聖人があわれた種々の大難は、末法の如説修行の人の証明であり、これによって大聖人が末法御本仏であることが明らかにされるのである。
ところが、薬草喩品には、法華経を信ずる者は「現世安穏にして、後に善処に生じ」とあり、また安楽行品、陀羅尼品には諸天善神が法華経の行者を守護するとの誓言がある。「それでは何故に、大聖人が難にあわれるのか」と疑ったのがこの文である。
この疑いに対し、開目抄には、三つの理由があげられている。今略してこれを述べる。
第一に、法華経の行者が過去世に正法誹謗をした罪があるときは、転重軽受のために難がある。御本仏日蓮大聖人は久遠元初の無作三身であられる故、宿謗があるというのは解しがたいが、一には示同凡夫の姿を述べられたこと、二には、謗法の衆生が充満する末法に、三大秘法を弘通される御本仏であるから、衆生と同じく謗法の因を存した姿で出世されたのである。
第二には、謗ずる者が地獄へ落ちることが確定していれば現罰はない。
第三には、諸天善神が謗法の国土を捨て去っているために現罰がない。
それでは、誹謗の者が生涯にわたって安穏であるかというとそうではない。必ず大罰を受け、不幸な死を遂げている。大聖人御在世では、東条景信は早く身を滅ぼし、平左衛門尉頼綱は一族滅亡の姿を示している。
創価学会出現の後も、牧口初代会長を死にいたらしめた軍部政府は敗戦によって崩壊し、首脳は極東軍事裁判により、ほとんど死刑に処せられている。
逆に、かつては、病人と貧乏人の集団と悪口をいわれた創価学会員の姿は、福運に満ち、勝利の人生を歩みゆく毎日である。
今日、時代は順縁広布の時を迎え、悪魔、魔民といえども、仏法を守護する時代となっている。いよいよ、信心を強盛にし、崇高な使命に生ききっていくことが現世安穏と確信して進むべきである。
然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり
この文の意は、釈尊在世および正像の法華経の行者がすでに難にあっている。まして末法今時においては、時を論ずれば、闘諍堅固・白法隠没の時であり、国を論ずれば謗法の悪国であり、機を論ずれば、謗法の悪王・悪臣・悪民のみである。故に、正法に背き邪法・邪師を崇重して、正法の行者に対して必ず怨嫉を懐き、大難をなし、国に三災七難が競い起こる。したがって三類の強敵があることをもって法華経の行者であることを知るべきである。これは况滅度後の経文に符号する故である。
この文を宗教の五綱に分けると次のようになる。
闘諍堅固・白法隠没 ………………… 時
悪国 …………………………………… 国
悪王・悪臣・悪民 …………………… 機
正法を背きて邪法・邪師を崇重 …… 教法流布の先後
ここで「教」があげられていないのは、日蓮大聖人の弘通される三大秘法が諸経の中で第一の勝教である故である。
また「国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり」の文は、仏法の依正不二の原理を説かれた御文である。今日の自然科学、特に天文学、地球物理学などの発達により、次第にさまざまな災害の直接的な原因が明らかになってきている。しかし、自然科学が明らかにすることができる範囲は、まだ限界がある。一例として地震についていえば、それが地球の表面をとりかこむ地殻の変動によって生じた波動であるとか、火山の爆発による地殻の振動であるといったことにすぎない。すなわち、そうした災害の現象の物理的、化学的な説明の範囲を出ないのである。これに対し、仏法はあくまでも生命論の立場から、宇宙とか地球という生命体としての国土と人間生命との関連を説き、人間の幸・不幸という問題を明らかにしているのである。これらについては立正安国論講義の「三災七難と依正不二論」に詳説がある。一つの思想・哲学・宗教が人間生命に大きな影響を与え、また人間社会をも大きく変革していくことは当然考えられることであるが、仏法には、五陰世間、衆生世間、国土世間という三種の世間を論じて、国土すなわち自然界に対しても、宗教が大いなる影響をおよぼすことが説かれている。
邪宗邪義の悪思想がはびこり、人々の生命力がむしばまれていくならば、社会が乱れると共に、自然界の正常な生命活動にも変調をきたし、四季は乱れ、温度、湿度、降雨、降雪などに異常な現象が起き、そのために三災七難が続発するのである。もし正法たる三大秘法が流布していくならば、個人にあっても、社会にあっても、幸福な境涯を築き、社会の繁栄と個人の幸福が一致する理想社会となると共に、国土も仏国土となり、さまざまな自然現象も、生物や人間生命の成長に適した状態となり、災害も減少するのである。これについては、後に「吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ……」と説かれている。
日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ
日蓮大聖人が御本仏として、釈尊の予言どおりに出現されたことを述べられている。
この文を日寛上人の如説修行抄筆記によって釈すと次のようになる。すなわち御本仏日蓮大聖人が御出現になる「時」については、分別功徳品に「悪世末法の時」とあり、また薬王品に「後五百歳中、広宣流布」と説かれている。また「国土」に約せば宝塔品に「誰か能く此の娑婆国土に於いて」また涌出品に「娑婆世界に、自ら六万」とある。また「教」に約すならば、宝塔品に「広く妙法華経を説かん」とあり、涌出品には「広く此の経を説かん」と説かれ、神力品には、四句の要法に約して、三大秘法の南無妙法蓮華経が説かれている。この外にも、諸文があるが、天台、妙楽、伝教などの像法時代の正師も、末法の御本仏が出現し、南無妙法蓮華経を弘通されることを予言し、また、末法に生まれて、御本仏の正法にあうことを願仰していたのである。
法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し云云
折伏を説かれた御文である。「法王の宣旨」「経文に任せて」とあることから明らかなように、折伏こそ仏意仏勅なのである。故に日蓮大聖人が折伏戦の先陣に立たれた姿こそ如説修行であり、また今日の創価学会の折伏も、仏意仏勅にかなった如説修行である。日蓮大聖人御在世中の弟子の中にも、ともすると折伏を嫌う風潮があったようである。今日でも、折伏を嫌うものがあるが、本抄において大聖人は折伏以外に如説修行がないことを厳しく、戒められているのである。
そして折伏にあたっては、御本尊の仏力・法力に対する大確信がなければならない。折伏行とは、御本尊の仏力・法力によって、一切の民衆を幸福にしきっていく大慈悲の活動なのである。したがって、単なる議論のための議論に終始したり、感情的な口論に堕しては断じてならないのである。「妙法五字の旗」「未顕真実の弓」「正直捨権の箭」の御文はいずれも、折伏はあくまでも御本尊の功徳に対する大確信を中心としたものであると述べられているのである。そのためには、まず折伏にあたるわれわれが、御本尊にしっかりと唱題しなければならない。ともすれば、自己のことのみにとらわれ、親をも、友人をも思うことのできない無慈悲な一面がわれわれにはある。御本尊に唱題し、御本仏の智慧と大慈悲をわが一念に湧現して、折伏にあたらなければならないことは当然といえよう。「妙教の剣」とあるが、「妙教」とは南無妙法蓮華経であり、「剣」とは、御本尊を信ずることができないという根本的な惑である無明惑を断ち切る題目のことである。
また「大白牛車に打乗って」の文について、日寛上人は「打乗る」とは本門の題目を受持することであると釈されている。これについては、御義口伝にも譬喩品の「乗此宝乗直至道場」の文を受持と題目の二義に釈されている。
また、妙楽大師は、法華玄義釈籤の巻五に「此の因易らざる故に直至と云う」と述べている。日寛上人は筆記に「乗る」ということを信心第一の義と釈している。末法において折伏を行ずれば、必ず難があることは前述のとおりであるが、この難や迫害に耐えることが「忍辱の鎧を著て」になる。これも、御本尊に唱題する信心から生まれることはいうまでもない。故に、どのような立場にあろうとも、折伏にあたっては、御本尊に唱題し、信心第一で臨まなければならない。
唱題によって得た豊かな生命力、喜々とした振舞い、思いやりが、必ず人々の心をうち、入信を決意させることができるのである。全世界に御本尊が流布していく時代に、その先駆者として、信心することができたわれわれは、勇躍歓喜して信心第一に折伏戦に励むべきである。本抄の「今に至るまで軍やむ事なし」の御文、諸法実相抄の「剩へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」(1360:10)の御金言を思い、いよいよ折伏弘教に邁進すべきである。
万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず……人法共に不老不死の理顕れん時云云
如説修行の行者は現世安穏であるという薬草喩品の経文が虚妄ではないことを述べられた御文である。
ここで「吹く風枝をならさず雨壤を砕かず」の御文は、国土世間の平和論である。個人の幸福と社会の繁栄の一致は妙法によらなければ不可能であることは先に論じた。今、与えて論じて、かりに妙法によらないで、理想的な社会が出来上がったとしても、天災が続発するようなことがあれば、人心は動揺し、不幸を感じなければならない。故に真に国土世間の平和を実現できる妙法によらなければ、理想社会の実現は望むべくもないのである。
国土世間の常住、娑婆即寂光については、観心本尊抄に「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり」(0247:12)とある。
また「人法共に不老不死の理顕れん」とは如来寿量品第十六の「常在此不滅」・「常住此説法」の説相をいうのである。報恩抄に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)・未来までもながるべし」(0329:03)とあるが、「日蓮が慈悲曠大」とは人を意味し、「南無妙法蓮華経は万年の外・未来まで」とは法を意味するのである。この人法の利益が三世常住の故に、不老不死というのである。祈祷経送状には「日蓮が三世の大難を以て法華経の三世の御利益を覚し食され候へ」(1356:11)と、三世常住の利益を述べられている。
さらに、法華経にいたって、爾前経が破折され、廃せられるのは死を意味するのである。ところが、法華経の利益にはこうした義が無いので不老不死というのである。大集経には「闘諍堅固・白法隠没」とあるが、これは爾前経が老い死ぬことであり、また、脱益文上の法華経の利益が隠没することをいうのである。薬王品に「後五百歳中、広宣流布於閻浮提、無令断絶」とあるが、これは、寿量品の文底に秘沈された三大秘法の南無妙法蓮華経の不老不死を意味するのである。
また、もう一重立ち入ってこの御文を拝するならば、人法共に本因本果の理をあらわすということである。すなわち、不老とは釈尊を意味し、不死とは上行菩薩を意味するのである。妙楽大師の法華文句記巻九に「父は久しく先より種智還年の薬を服せり、父は老たれども少きが若し。子は亦、常住不死の薬力を禀けてより少けれども老いたるが若し」と釈している。
また、御義口伝には「不老は釈尊不死は地涌の類たり」(0774: 第六若人有病得聞是経病即消滅不老不死の事:03)とある。これらによれば不老不死を師弟に配することが明らかである。師弟とはすなわち、本因本果である。百六箇抄に「本果妙の釈尊・本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり」(0864:07)と、師弟はすなわち本因本果なることが説かれている。ここで不老不死を師弟と釈された御本意は、人法共に本因妙をもって末法の衆生を利益する理顕われる時という意味なのである。本因本果俱時の妙法を修行する故に、人もまた妙因妙果を俱時に感得することができるのである。
次に「人法共に不老不死の理顕れん時」とは、今、創価学会によって推進されている宗教革命であり、宗教革命によって三大秘法の仏法を信じた人々の人間革命を意味するのである。三大秘法の仏法は無始無終の故に不老不死であり、御本尊に唱題して、永遠の生命を悟り我が身即本有無作の三身如来と開覚していく人間革命は、人の不老不死である。こうして、御本尊を受持した個人個人が人間革命に励み、幸福な生活を営んでいくことが、広宣流布に通じ、令法久住、すなわち法の不老不死を実現することになるのである。
第四章 (如説修行の相を明かす)
本文
問うて云く如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申し候べきや、答えて云く当世・日本国中の諸人・一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云。予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども衆生の機根未熟なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり、此の経の序分無量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり、所謂以方便力・四十余年・未顕真実是なり、大荘厳等の八万の大士・施権・開権・廃権等のいはれを心得分け給いて領解して言く法華経已前の歴劫修行等の諸経は終不得成・無上菩提と申しきり給ひぬ。然して後正宗の法華に至つて世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして無二亦無三・除仏方便説・正直捨方便・乃至不受余経一偈と禁め給へり、是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじきに末法の今の学者・何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて或は真言・或は念仏・或は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗・諸経を取取に信ずるなり、是くの如き人をば若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄と定め給へり、此等のをきての明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。
現代語訳
問うていわく、如説修行の行者というのは、どのように信ずる人をいうのであろうか。
答えていわく、今の世の日本国の人々がみんな如説修行の人といっているのは、爾前に説かれた権教も、皆、究極では一仏乗を説いていると開会してしまえば、どの法でもすべて法華経であって、もはや勝劣・浅深はない。したがって念仏を称えるのも、真言を持つことも、禅を修行するのも、総じては一切の諸経ならびに仏菩薩の名号を持(たも)って唱えることも、すべて法華経を持つことになるのだと信ずるのが如説修行の人であるといっている。
予がいわく、それはまったく違っている。詮ずるところ、仏法を修行するについては、人の言を用うべきではない。ただ仰いで仏の金言だけを守るべきである。われわれが根本の師と仰ぐ釈迦如来は、成道のはじめから衆生を救う最高の法である法華経を説こうと考えておられたが、衆生の機根がまだそこまで熟していなかったので、まず権の教えである方便の経を四十余年間説法して、それから後に真実である法華経を説かれたのである。だからこの法華経の序文である無量義経で、権教と実教の境界を指し示し、法華経以前を方便、以後を真実と立て分けられたのである。いわゆる無量義経の「方便力をもって四十余年未だ真実を顕わさず」というのがこれである。
これで無量義経にあるように、大荘厳等の八万の菩薩たちが、釈尊が法華経を説く準備として権教を説き(為実施権)、権教を開いて実経を顕わし(開権顕実)、そして権教を廃し実経を立てた(廃権立実)ことの由来を知って領解の言葉を述べ、「法華経以前の歴劫修行の諸経では、終に無上菩提を成ずることができなかった」と断言されたのである。
しかして後に正宗分である法華経方便品に至って「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」と説いたのをはじめ、「二無く亦三無し、仏の方便の説をば除く」「正直に方便を捨て」、譬喩品に「乃至余経の一偈をも受けざれ」と戒められたのである。このように仏が定められた後は、唯有一仏乗の妙法だけが一切衆生を仏にする大法であって、法華経以外の諸経は、少しの功徳もあるはずがないのに、末法の今の学者は、どの経でも仏の説経なのだからすべて成仏できるのだと思って、あるいは真言・あるいは念仏・あるいは禅宗・三論・法相・俱舎・成実・律等の諸宗・諸経を勝手に信仰している。このような人をば、譬喩品で「若し人は信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至、其の人は命終して、阿鼻獄に入らん」と決定しておられるのである。このように約束された経文の明鏡を根本として、仏説とすこしもたがうことなく、一乗の法以外に成仏する道はないと確信して進むのが、如説修行の行者であると、仏は決定しておられるのである。
語釈
権実のはうじ
「はうじ」とは、立て札を建てて境界などを人に示すこと。無量義経説法品では「四十余年未顕真実」の一言で権教と実教とを、明らかに区別している。
施権・開権・廃権
法華経の開会を論ずるについて、釈尊の説法の段階を三重に説く。
施権――為実施権(実の為に権を施す)のことである。釈尊が権教を説いたのは、法華経を説くための方便であり、衆生を誘引するためであったということ。日寛上人の筆記には「此の権とは同体の権を以て衆生に施したもうなり、衆生之れを受けて各自謂実(各自ら実と謂う)の執をなす故に異体の権というなり、仏意同体・機情異体なり」とある。
開権――開権顕実(権を開いて実を顕わす)のことである。爾前の方便を開いて、真実の法華経を説き示すこと。日寛上人の筆記には「此の権とは異体の権なり之れを開かしめ妙体と成ぜしめる故に所開の権は異体の権なり、所顕の権は同体の権なり」とある。
廃権――廃権立実(権を廃して実を立てる)のこと。開権顕実の後に、権教を打ち破って、実教を立てていくこと。また、施とは開の準備をいい、廃とは開の結果をいい、開会することを開というのである。日寛上人の筆記には「権として論ずべき無し、義・廃に当る故に異体の権を廃するなり」とある。
世尊法久後・要当説真実
法華経方便品第二の文で、「世尊は法久しくして後要ず当に真実を説きたまうべし」とある。
無二亦無三・除仏方便説・正直捨方便・乃至不受余経一偈
法華経方便品第二に「十方仏土の中には 唯だ一乗の法のみ有り 二無く亦た三無し 仏の方便の説を除く」、また「正直に方便を捨てて」とあり、また譬喩品第三に「余経の一偈をも受けず」とある。
若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄
法華経譬喩品第三の文。十四誹謗の依文の一部で「若し人は信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん……其の人は命終して、阿鼻獄に入らん」と読む。
講義
この章では総じて権実相対して、如説修行の相を明かされている。
初めに、権実雑乱した如説修行の邪義をあげ、次に日蓮大聖人の能判をあげて、総じて諸宗の非を破し、略して如説修行を釈されている。次の「我等が本師……定め給へり」は広く如説修行を釈す段であり、「此等のをきて(約)の明鏡を本として……仏は定めさせ給へり」が結論となっている。これは、標釈結の三段に立て分けて論じられたのである。
広釈では、在世の始終をあげ、如説と修行に立て分けて、権実雑乱の如説修行を破している。
諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし
これは権実一体の邪義である。日寛上人は、これを如説修行抄筆記において次のように破折されている。すなわち、諸法を一仏乗と開会した場合にも、なお爾前経と法華経には浅深がある。
一つには能開所開の不同である。これについて、題目弥陀名号勝劣事には「妙法蓮華経は能開なり南無阿弥陀仏は所開なり」とある。また、一代聖教大意には「又法華経に二事あり一には所開・二には能開なり」(0404:02)とある。
二つには権実の不同である。十章抄に「設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず」(1275:13)とあるのが、開会の上の権実勝劣である。その他、体用などの不同があり、すでに権実に勝劣があることは明らかである。
なお、また十法界明因果抄の「此の覚り起りて後は行者・阿含・小乗経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦し法華経を読む人なり」(0437:08)の御文の「覚り」の意味は、開会を覚悟する義である。どのように覚るかというと、十章抄の「開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり」(1275:13)と覚る義である。故に、これもまた勝劣ありとの義である。もし開会の後は、権実一体であって一向に不同が無いとの邪義に執着する心があるならば、それはすでに未開会の法門であり、日蓮大聖人が破折されているところである。
したがって「行者・阿含・小乗経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦して法華経を読む」という読み方は、十章抄の「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり……諸経を引いて四種を立つれども心は必ず法華経なり」(1273:08)の御文にも明らかなように、法華の義によって読み、爾前・外道の義を捨てることである。すなわち、法華経の義を成り立たすために爾前の経文を読むのであるから、爾前経を読んでも法華経の文を読んだことになるとの意である。文は爾前経であっても、その義意は法華経にあるというのである。すなわち「爾前は迹門の依義判文」であり、また「文在爾前・義在法華」の意である。
また、一代聖教大意に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(0398:03)とあり、また同書には「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」(0404:03)とある。この御文によれば、開会の上にさらに体内権実の勝劣を立てるという相伝を知らずして、開会の後は権実一体であるとした場合は、法華経といえども爾前経の利益になり下がってしまうのである。これが権実相対の意である。
これに準じて考えるならば、発迹顕本した後の体内の本迹にも勝劣があるという相伝を知らずして、発迹顕本の後は本迹一致であると考えて本門を読む功徳は、爾前迹門の利益になり下がってしまうのである。
このように真実の仏法は、法の勝劣・浅深を厳密に立て分けており、もし、これに迷うときは、正しい仏道修行とはならないのである。
予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり
前節の権実雑乱の如説修行の邪義に対し、これより以下は、御本仏日蓮大聖人の真実の如説修行を判ぜられるのである。
しかして、この文は、略して如説修行を釈されている。「然らず」の一言は、総じて諸宗の権実雑乱した如説修行の非を破折されたものである。
ここに「仏の金言をまほるべきなり」の御文は「如説」に約され、「仏法を修行せんには」の文は「修行」に約すことができるのである。
今日、世人の仏法に対する関心は、極端に低下しており、念仏も真言も禅も皆同じ仏法であると思い込んでいる。しかし、これらの宗の所説の法門は、仏の金言たる経文によらない我見なのである。各宗とも所依の経文があり、仏説によっているようであるが、それは形式にすぎず、法門それ自体は、仏説を無視して勝手に作られたものにすぎない。
仏法は釈尊滅後、多くの人師、論師の出現により、多数の論釈が作られたが、これらはあくまでも仏説を中心にし、時代に応じ、各分野への応用であったはずである。仏説を無視し、勝手に論を展開したものが、仏教と認められるならば、いかに、論釈の数を誇っても、それは仏法の偉大なる哲学体系を崩すものであり、また民衆は、何が正法であるかを見失い、結局、邪法にたぶらかされてしまう。
故に、大聖人は「仏の金言をまほるべきなり」と申されて、釈尊が涅槃経に説いた「依法不依人」という仏法本来のあり方を示されているのである。
日蓮大聖人の御書を拝せばわかるように、御書には必ず、釈尊の経文が引用され、さらに天台、妙楽、伝教などの釈を依用して、法門を述べられているのである。これこそ、仏法の依法不依人の方程式である。
これに反し、法然にせよ、親鸞にせよ、その他諸宗の開祖といわれる人々の著書は、ことごとく経文によらない邪見にすぎないのである。開祖が如説修行の方程式を無視している故に、その教を信ずる者も、また如説修行の人とはならず、謗法の徒になり下がってしまうのである。
故に、この文の「然らず」の一言は、まさに民衆の苦悩を救わんとする御本仏の大慈悲あふれる一言であるといえよう。
我等が本師・釈迦如来は……如説修行の人とは仏は定めさせ給へり
これより広く、如説修行を釈されている。初めに、釈尊在世における説教の始終をあげ、経文を引いて「如説」を釈されている。すなわち、釈尊の真実の教えは、法華経にのみ説かれているという権実相対の義を明らかにされて、前述の権実雑乱を破折されているのである。
「是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじ」の御文は、一往、附文の辺で権実勝劣を判じられた御文であるが、再往、元意の辺は、末法今時における「如説」をば、種脱相対して判じられたのである。
しかして「末法の今の学者……如説修行の人とは仏は定めさせ給へり」の御文では「修行」を述べられている。「何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて」の御文こそ、宗教は何でも同じであるという、今日の一般通念そのものであることに驚くのである。
日蓮大聖人御在世においては、一般の宗教観、人生観はいまだ仏教中心であったから、この御文のごとく、権実雑乱の段階なのである。
ところが七百年を経過した今日の日本にあっては、人生観の形成に仏法を考えるということは、まず少ない現状といえよう。宗教それ自体がまったく堕落し、地に落ちている故に民衆の宗教観そのものが崩壊してしまっているからである。
この経文を現代に約し広く論ずるならば、個人における人生観、世界観の確立の問題について述べられたものと拝すことができよう。今日ほど、人々の人生観が安易に流れ、種々雑多になり、利己的になっている時代はないのである。
人生観、世界観の根本には、必ず思想、哲学があり、その浅深、高低、善悪により、各人の人生観にも当然、浅深、高低はあるのである。したがって、より優れた思想、哲学により、人間性豊かな人生を築くことこそ肝要であり、人生論ブームなども、より優れた人生観を形成するための思想、哲学の探求と考えられる。しかし、これらは、観念的な思考の段階にとどまってしまっている。それは「如説」のみあって「修行」がないからなのである。
そもそも、思想、哲学とか、人間の思考などは言葉によって、その論理性の上に組み立てられた矛盾のない理論体系であり、人生そのものは、一瞬一瞬の生命活動の発露である。
したがって、思想、哲学に立脚した人生観や世界観といういわゆる「如説」と、人生そのものといういわゆる「修行」との間には、大きな断層が横たわっているのである。この断層を超えて、「如説」と「修行」が一致し、偉大な力を生命、人生にもたらすものは、ただ、真実の中の真実、正法中の正法たる三大秘法の南無妙法蓮華経のみである。
すなわち、仏法においては、御本尊に唱題する修行によって、仏説のごとく、自身の肉団の胸中に存する仏の生命を開覚し、仏としての振舞いを自己の身に顕すことができるのである。
しかるに一般の思想、哲学にあっては、一つには、理論のみであって、確固たる実践方法が確立されていないこと、二つには、理論そのものが、人間生命の本質に迫ることのできない観念的な理論に終始しており、たまたま生命の問題に論及しても、部分観に終わってしまっているのである。
したがって、個人にあって真の人生観、世界観を確立して、その力により人生を豊かに、力強く開き、さらに全人類の恒久的な平和を築く道は、唯一つ、三大秘法の御本尊を信受し、折伏を行じ、創価学会の目的とする広宣流布の実現に邁進することに尽きることを再確認しておきたい。
第五章 (摂受折伏の大旨を判ず)
本文
難じて云く左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし安楽行品の如く修行せんは如説修行の者とは云われ候まじきか如何。答えて云く凡仏法を修行せん者は摂折二門を知る可きなり一切の経論此の二を出でざるなり、されば国中の諸学者等仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず四節・四季・取取に替れり、夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし秋種子を下して春菓を取らんに豈取らる可けんや、極寒の時は厚き衣は用なり極熱の夏はなにかせん、凉風は夏の用なり冬はなにかせん。仏法も亦復是くの如し小乗の流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり、然るに正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり、此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり、敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し敵無き時は弓箭兵杖何にかせん、今の時は権教即実教の敵と成るなり、一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり、天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな、然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや。
現代語訳
これに対して難じていわく、そのように方便権教である諸経諸仏を信ずるのを指して法華経というならば、それはたしかに間違いであろう。それならばただ法華経一経だけに限って、経文どおり受持、読、誦、解説、書写等の五種の妙行に励んで、他を批判せず、この安楽行品のように修行するものは、如説修行の行者といわれないのだろうか。
答えていわく、およそ仏道修行をする者は、摂受と折伏の二つの修行法を知るべきである。一切の経論も、摂折二門を出ることはないのである。こうしてみると国中の多くの学者は仏法をだいたい学んだというけれども、時節に合致する肝心な修行の道を知っていない。
例えていえば、年の四節や春夏秋冬の四季も、その都度働きが変わるのである。つまり夏は暑く冬は寒く、春は花が咲き、秋には菓がなるのである。だから、その季節の働きに合わせて春に種子をまき、秋に菓を取るべきである。それを逆にして、秋に種子をまき、春に菓を取ろうとするならば、どうして取ることができようか。極寒の時には厚い着物は役に立つ。極熱の夏には何の必要があろうか。また涼風は夏にはありがたいものだが、冬は何の役に立つであろうか。
仏法もまたこのようなものである。小乗教が流布して功徳のある時もあり、権大乗教が広まって功徳のある時もあり、実教である法華経が広まって成仏できる時もある。しかし正法と像法の二千年間は、小乗教や権大乗教が流布する時である。釈尊滅後二千年を過ぎて、末法の始めの五百年には欠けるところのない、完璧な円教である法華経だけが広宣流布していく時なのである。この時は諍いが絶えない、すなわち、闘諍堅固の時であり、しかも、釈尊の白法が隠れ、没する時と定められていて、権教と実教とが雑り、入り乱れて、はっきりしなくなる時である。敵があって戦わなければならない時には刀や杖や弓箭を持って戦うべきである。敵のない時ならば、こうした武器が何の役に立つだろうか。今、末法においては、権教が即実教・正法の敵となっているのである。一乗法たる法華経が流布されていくべき時には権教がすべて敵となって、権実の区別がはっきりしないならば、実教の立場からこれを責めるべきである。これを摂受・折伏二門のなかでは、法華経の折伏というのである。天台大師が法華玄義巻九の上に「法華は折伏にして、権門の理を破す」といっているのは、まことに理由のあることである。
そうであるのに摂受である身、口、意、誓願の四安楽の修行を、今の時に行ずるならば、それは冬に種子をまいて春に菓を取ろうとするようなものではないか。鷄が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵に鳴くのは物怪である。権教と実教との立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れ山林の中にとじこもって摂受を修行するのは、まさしく法華経修行の時を失った物怪ではないか。
語釈
五種の修行
五種頓修の妙行とも、五重の妙行ともいう。法華経法師品第十に法華経を修行する五つの行を説いて「若し復た人有って妙法華経の乃至一偈を受持・読誦・解説・書写し、此の経巻に於いて敬い視ること仏の如くにして」云云とある。受持とは経文を受持すること、読とは経文を見ながら読むこと、誦とは暗誦することである。また解説とは化他のために法を説くことであり、書写とは経文を書写する修行である。しかし、この五種の修行は正像年間の釈迦仏法の修行法である。末法では日女御前御返事に「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(1245:04)とあるように、受持を末法の正行とするのである。日寛上人の如説修行抄筆記には「五種法師の中に四は自行なり、解説は化他なり、自ら妙法を受持読誦書写するは自らの修行なり、他を教えてなさしむるは化他なり、他を教えるは如説なり、他を教える如く自ら修行する此れ如説修行なり」と述べられている。
安楽行品
法華経安楽行品第十四。文殊師利菩薩が悪世で安楽に妙法蓮華経を修行する方法を問うたのに対し、釈尊が身・口・意・誓願の四種の安楽行を説き、これによって初心の人が妙法蓮華経を弘通し修行することを示した。四安楽行とは、①身安楽行(身を安定にして十種の誘惑を避け、静寂の処にあって修行すること)、②口安楽行(仏の滅後にこの経を説く時、他人を軽蔑せず、その過失を暴かず、穏やかな心で口に宣べ説くこと)、③意安楽行(末世になって法が滅びようとする時、この経を受持し読誦する者は、他の仏法を学ぶ者に対して嫉妬、そしり、争いの心を抱かないこと)、④誓願安楽行(大慈大悲の心で一切衆生を救おうとの誓願を発すること)である。本文では、安楽行品の「如来の滅後に末法の中に於いて、是の経を説かんと欲せば……楽って人、及び経典の過を説かざれ」とあることを含んでの疑難と思われる。
講義
この章は、別して如説修行の相を明かされている。天台家が像法熟益仏法の修行として立てた摂受を迹とし、日蓮大聖人が末法下種仏法の修行として立てられた折伏を本とする。すなわち天台の摂受を破し、末法の折伏を宣揚するのである。これは像法と末法とを相対して本迹を論じられたのである。これについて、観心本尊得意抄には「所詮・在在・処処に迹門を捨てよと書きて候事は今我等が読む所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破し候なり」(0972:07)と述べられている。
難じて云く左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ……如説修行の者とは云われ候まじきか如何
この文は、前章をうけて、法華経二十八品について受持、読、誦、解説、書写の五種の修行や、安楽行品に説かれた身、口、意、誓願の四安楽行などの摂受を修行するものが真の如説修行の者ではないのかと難じた文である。ここで暗に、日蓮大聖人が五種の修行をせず、難にあっていることから、如説修行の行者とはいえないだろうとの非難の意をあらわしているのである。
さて、五種の修行の中では、受持の行が最も肝心なのである。今末法において受持とは、三大秘法の御本尊を信じ、題目を唱えることをいうのである。天台大師は法華文句巻八上に、大智度論巻五十五を引用して「信力の故に受け、念力の故に持つ」と、受持を釈している。
また御義口伝下には「五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り」(0783:第六此人不久当詣道場の事:02)と。また同口伝には「末法当今は此の経を受持する一行計りにして成仏す可しと定むるなり云云」(0772:第八畢竟住一乗○是人於仏道決定無有疑の事:02)とある。故に末法はただ受持の一行が大切なのである。この受持の一行の中に、読、誦、解説、書写の四種も含まれてしまうのである。すなわち、読誦とは南無妙法蓮華経と唱えることである。故に御義口伝上に「御義口伝に云く五種の修行の読誦と受持との二行なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは読なり此の経を持つは持なり此経とは題目の五字なり云云」(0743: 第十六読持此経の事:01)と述べられたとおりである。また解説については、御義口伝に「末法に入つて説法とは南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類いの説法是なり」(0756:第十三常住此説法の事:02)とある。また御義口伝に「説とは南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類いは能須臾説の行者なり云云」(0743:第十九能須臾説の事:01)とある。
これらの御文によれば、末法当今は、御本尊を受持するという一行の中に、五種の修行が全部、含まれてしまうのである。したがって、像法時代の熟益仏教における五種の行を破し、末法下種仏法の御本尊を受持する一行こそ、真実の如説修行なのである。故に、観心本尊抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)と受持即観心の義を述べられている。また四条金吾殿御返事には「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり……三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持とは云うなり」(1136:05)とこのことを述べられている。
凡仏法を修行せん者は摂折二門を知る可きなり一切の経論此の二を出でざるなり
この文は、摂折二門の大旨を判じるなかで、一切の経論が摂受、折伏の二門の中におさまることを標しているのである。
およそ仏が説法される元意は一切衆生を成仏させるためであるから、必ず修行がともなう。
その仏道修行は大別して、自行と化他の二つになる。修行者自身の修行が自行であり、広く他を化導することが化他行である。さらに化他には摂受と折伏という二つの方法がある。仏弟子として修行に励む者が、いまだ真実の仏法を知らない人々に仏法を知らしめていく化他行は、仏道修行の根本である。
ところが、われわれが折伏に際し、しばしば体験することであるが、宗教は自分が心から求めぬいて信仰してはじめて信仰した価値があるのであって、他人から勧められて信仰しても、それは無益である。自分が信仰する気持ちになってから信心する、という考え方の人にであうことがある。そういう人は、われわれの折伏を、いかにもうるさげに非難して「自分が信仰して満足すればそれでよい。わざわざ他人にまで勧めることは行き過ぎであろう」という。しかるに、日蓮大聖人は、一切の経論は摂折二門におさまると述べられ、化他行を仏道修行の要諦とされている。百六箇抄には「法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し」(0856: 脱益の妙法の教主の本迹)と、法を弘めることの重要性を強調されている。
次に、弘教の方軌としての摂受と折伏について述べる。摂受とは摂引容受の義であり、相手の違法を厳しく責めず容認しながら次第に誘引していく化導の方法である。また折伏とは破折屈服の義であり、相手の邪義を折り正法に伏せしめる実践行為をいう。これは、悪心を折り正しい信心に伏せしめていく厳愛の行為でもある。法華経には、摂受、折伏の両者が説かれている。安楽行品第十四には、摂受が説かれ、勧持品、不軽品には折伏が説かれている。
この摂受、折伏については佐渡御書に「仏法は摂受・折伏時によるべし」(0957:02)とあり、開目抄下にも「夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし……末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし」(0235:09)と述べられている。
これらの御文によれば、末法における法華経の修行は、折伏であることは明らかである。末法に折伏を行ずることはきわめて難事であり、迦葉、阿難はもとより、迹化の菩薩といえども、難に耐えることができないため、末法に弘通することを許されていない。ただ地涌の菩薩のみが、五濁悪世に出現して如来の使いとして折伏を行ずるのである。
ゆえに諸法実相抄に「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか……末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360:06)と折伏を行ずる者を地涌の菩薩と断定されている。その他にも、折伏を行ずるように勧められた御書は多い。
諸法実相抄に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361:11)と、信心を根本として折伏を行ずることを勧められている。さらに教機時国抄には「謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり」(0438:12)と述べられ、末法の衆生は、折伏によって信謗ともに救われるとされている。
また折伏を行ずるには、絶対の信心に立脚し、勇気をもって振舞うべきである。信心弱く、折伏の実践に踏みきれない人は、次のような厳しい御金言のあることを知り、ひたすら御本尊に唱題して折伏に励むべきである。曾谷殿御返事にいわく「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし……謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし」(1056:07)と。また佐渡御書にいわく「螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし」(0961:01)と。
このように、創価学会の折伏行こそ、最も日蓮大聖人の御本意にかなった行動であり、民衆を根源的に幸福にしていく働きである。世間の人々は、この折伏があまりにも強く、厳格であることに恐れをいだき、さまざまに中傷を加えているが、前に引用した御金言は、すべてそうした非難を予知された上で、折伏に励むべきことを述べられている。同じく曾谷殿御返事に「此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候……若し此等の義をたがへさせ給はば日蓮も後生は助け申すまじく候」(1056:13)とある。
未曾有の順縁広布の新時代を迎えた今日、さらに信心強盛に、民衆のため、社会のため、法のため、自身のために力強く折伏を繰り広げていくことを決意して前進すべきである。
されば国中の諸学者等仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず
ここでは国中の諸学者が時刻相応の仏法を知らないことを示す。摂受・折伏のいずれを用いて弘教するかは、仏法を修学するときの大問題である。これについては、佐渡御書に「仏法は摂受・折伏時によるべし譬ば世間の文・武二道の如し……正法は一字・一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経・万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず」(0957:02)と御教示のとおりである。
ところが、今日においては「折伏は創価学会がつくり出した非民主的な一方的な討議の方法である」といったような誤った見解が一部の知識人の間にあった。実に大聖人の指摘されたとおりである。彼等は摂受・折伏はおろか、仏法についても、その浅深、善悪、邪正を理論的、哲学的にまた、実践の上に検討したことがない。このように邪智謗法が国に充満する時こそ、折伏の時であり、日蓮大聖人の下種仏法によって人々が幸福生活を確立していくべき時なのである。
佐渡御書の「当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し」(0957:07)の御文は、時代は異なっても、その原理は、今日の社会と知識人、指導階層の姿を如実に述べられたものである。
春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし
この文は譬えをかりて摂受・折伏の二門が時によって異なることを述べられている。日寛上人は筆記に次のようにこの御文を釈されている。「この文は因果の次第を述べている。春に種子を下し、秋に菓を取るとは、種脱の次第を述べたものである。今、末法の民衆は、日蓮大聖人の下種益の仏法によってのみ、ゆるがぬ幸福境涯を会得できるのである。ところが、諸宗は皆本尊に迷い、未だに過去の脱益仏法を信じ、文上の法華経を信じている。こうした姿は、まるで秋に種子を下すようなものである。いかに努力しても菓を得ることができないように決して幸福な人生にはつながらない」と。
ここで種脱について付言すれば、種とは、日蓮大聖人の仏法を指し、脱とは釈尊の仏法をいう。今日では、仏法といえば各宗派に分かれていても、皆それは釈尊の説いた法であるという考えが、ぼんやりと人々の頭にあるようだが、実はそうではない。また、仏といえば、死んだ人のことをいうと思っている人がかなり多いが、それほど仏法哲学がゆがめられ、迷信化されてしまっているのが現状である。
仏法には種熟脱の三義があり、これを知らなければ、いかなる教法によりいかなる修行をして仏になるかが明らかにならない。釈尊は、五百塵点劫という大昔に成仏した仏であり、その久遠実成の釈尊に下種された民衆が長い歴劫修行を積んで三千年の昔、釈尊と共にインドに生まれ説法を聞いて成仏得道するのである。
このように釈尊の仏法は本已有善といって五百塵点劫に下種された民衆を成仏させるための教えであるから、脱益の仏法である。末法に入ると、釈尊が大集経に予言したように世は乱れ闘諍が盛んになって釈迦仏法は隠没してしまう。それは民衆の機根が本未有善といって過去に下種を受けていない故に、いかに修行しても得脱することができないためである。この本未有善の衆生に下種し得道させる仏法が日蓮大聖人の本因妙の仏法なのである。ゆえに釈迦仏法の脱益に対し、下種益(げしゅやく)の仏法というのである。これをまとめると次のようになる。
利益 機 教主・時代
釈迦仏法 熟脱益 本已有善 本果妙 五百塵点劫第一番成道の釈尊
正像二千年
日蓮仏法 下種益 本未有善 本因妙 久遠元初自受用無作三身如来
末法万年尽未来際
このような区別を知らず、本迹、種脱に混乱しては絶対に成仏することはできない。「極寒の時厚き衣は用なり」とは、仏法を修学するにあたっては時を知り、時機相応の教法を修行することが大切であることを述べられた文である。撰時抄の冒頭には「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(0256:01)とあるが、このことを教示されたものである。極寒の冬に涼風があっても、極熱の夏に厚き衣があっても害にこそなれ、何の徳用もないのと同じく、正法一千年、像法一千年の時代には、大小、権大乗、法華経迹門の法が流布して利益を施すのであり、法華経本門はあっても流布の時ではない。
寿量品の文底に秘沈された三大秘法の南無妙法蓮華経をば竜樹、天親、天台、伝教は心には存していたが、外に向かっては説かなかったのである。これは曾谷入道殿許御書に詳しく理由を述べられているが、今略していうならば、一には、これらの正像の正師は、三大秘法を流布した時に競い起こる大難に堪えられない。二には、正像は本已有善の機であって、三大秘法によって成仏する機ではない。三には、これらの人々は正師ではあっても、仏から末法に三大秘法を流布せよとの付属を受けていない。四には、三大秘法は末法にのみ流布すべき大法であって、正像では未だその時が来ていない。故に開目抄上に「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189:02)と述べられたのである。
末法今時は、釈迦仏法はその形骸をとどめているにすぎない。三大秘法の妙法によってのみ民衆は揺るぎない幸福生活と世界平和を築くことができるのである。
末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり
末法の始めの五百年とは、釈尊が大集経に予言した五箇の五百歳の第五に相当する。このときは「闘諍言訟・白法隠没」の経文のままに、世は乱れ仏法の権威が地に落ちた時代である。このようなときに、大白法が広宣流布することを釈尊は予言したのである。
薬王品にいわく「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」と。
しかして、純円・一実の法華経とは附文の辺でいうならば、権実相対であるが、元意の辺は種脱相対にあり、日蓮大聖人の三大秘法をいうのである。観心本尊抄に「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249:17)と述べられたのもこの意である。
一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり、天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな
折伏の明文である。附分の辺は権実相対であるが、末法においては種脱相対してこれを読まなければならない。すなわち文底下種、本因妙の大法が流布する時には、次善の文上法門といえども悪となるのである。
「一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し」の文は、最高善が出現したときには、次善は不必要となり、もし並列して存在するときは、かえって最高善の存在をまぎらわす大悪となるとの原理を示されたものである。
宗教が、民衆の幸不幸を左右する存在である限り、この善悪は厳密に区別されなければならない。今日、創価学会の折伏に対する非難として、自宗のみを正しいとして他宗を排除する行き方は、宗教本来の寛容という精神に反するという見解がある。しかし、この寛容は、あくまでも人に対してであり、法の正邪、善悪をないがしろにしてよいという教えは、一切経のどこにも無い。この人法の立て分けを混同していることに誤りがある。
宗教は何でも同じであるという浅薄な宗教観も、法に対する勝劣・浅深をわきまえぬ無定見から生じていることに注意すべきである。釈尊自身、九十五派の婆羅門を打ち破って仏教を立てたことを知るならば、これは当然のこととして了解できよう。さらに仏法の中にも法に対して厳しい峻別がある。
すなわち、釈尊は三十歳から五十年にわたり八万法蔵といわれる膨大な説法をしたが、後八年間に法華経二十八品を説き、出世の本懐とした。この法華経の開経、無量義経において「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、方便品に「十方仏土の中には 唯だ一乗の法のみ有り 二無く亦三無し 仏の方便の説を除く」と。また同品に「今我れは喜んで畏無し 諸の菩薩の中に於いて 正直に方便を捨てて 但だ無上道を説く」と。また譬喩品には「但だ楽って 大乗経典を受持し 乃至 余経の一偈をも受けずば」と説いている。
出世の本懐たる法華経が説かれた以上、四十二年間の爾前経はことごとく捨て去るべきであり、四重興廃、教法流布の先後の方程式に照らして当然である。また、折伏と信教の自由についての非難をする者もあった。信教の自由とは、宗教の正邪を明らかにしていく自由であり、自己が正しいと信ずる宗教を弘める自由である。また、自己が正しいと信ずる宗教を選択していく自由である。したがって、折伏活動が憲法の信教の自由を犯すとは、まったくの筋違いである。むしろ、信教の自由が保障されて、初めて、折伏が自由に行なえるのである。このことは、第二次世界大戦中、創価学会の折伏活動が軍部政府によって弾圧された事実、また戦後、新憲法によって事実上の信教の自由が確立されて、創価学会の折伏が可能となった事実に照らしても証明されよう。
翻って、今日の世相を見るなら、今日ほど、いちじるしく人間性が疎外されている時代はない。機械文明が発達し、社会が複雑になればなるほど人間各個人の主体性の確立が大切になってくる。これなくしては、健全な社会も、個人の幸福生活も実現することはできない。したがって各人がいかなる思想をもち、いかなる生活法に則って生活していくかということは、実に人類社会の最重要問題である。
日蓮大聖人は立正安国論を述作され、誤れる宗教こそ、個人の不幸と社会の混乱の元凶であると時の為政者に教示し、国主諌暁された。今日、創価学会が世の人々に対し、折伏を行なっているのは、各人が正しい宗教・思想により最高の生活法を得て、それぞれの生活の上に最大の価値創造をなし、幸福生活を実現していくための最直道を教えているのである。
三大秘法の仏法を知り、邪な宗教の害毒をいやというほど身にしみて感じた人々が、暗い不幸な生活から立ち上がり、喜々として折伏に活動する姿、また正法により人間革命した人々が、力を合わせて繰り広げる文化祭等に、折伏こそ民衆救済、幸福生活確立の実践活動であるという実証を、雄弁に物語っているのである。
一部のマスコミが過去において、一部の行き過ぎた活動をみて、全ての折伏活動を狂暴なる布教活動と悪宣伝したことがあった。だが理論的、哲学的に、また、実践の上に宗教の浅深、高低、善悪、邪正を知るならば、単なる中傷にすぎないことが理解できるはずである。社会のために隣人のために活動する確信に満ちた姿、厳愛の行為を、誰人たりと非難することはできないはずである。
一切の先入観念を離れて、冷静に創価学会の折伏活動を見つめるならば、現代の人類社会に課せられた多くの難問を解決する道を、創価学会に、日蓮大聖人の仏法哲理に見いだすことができるはずである。すでに今、心ある人々は、虚心坦懐に妙法の偉大な力を認めている。その意味では、今日こそ最も折伏が大切になってきている時代といえよう。実に、如説修行抄のこの御文は、今日のために遺されたものと確信するものである。
第六章 (如説修行の人を明かす)
本文
されば末法・今の時・法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ、誰人にても坐せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ三類の強敵来らん事疑い無し。
我等が本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年・今日蓮は二十余年の間権理を破す其の間の大難数を知らず、仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、彼は只悪口・怨嫉計りなり、是は両度の御勘気・遠国に流罪せられ竜口の頚の座・頭の疵等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ籠に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされし、是等の大難には竜樹・天台・伝教も争か及び給うべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ、されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊・天台・伝教の三人は・さてをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり、我等を如説修行の者といはずば釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず、提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等は即ち法華経の行者と云はれ、釈尊・天台・伝教・日蓮並びに弟子・檀那は念仏・真言・禅・律等の行者なるべし、法華経は方便権教と云はれ念仏等の諸経は還つて法華経となるべきか、東は西となり西は東となるとも大地は持つ所の草木共に飛び上りて天となり天の日月・星宿は共に落ち下りて地となるためしはありとも・いかでか此の理あるべき。
現代語訳
そうであるならば、末法である現在、法華経の折伏の修行を、いったい誰が経文どおりに実践しているだろうか。誰でもいい、諸経は無得道であり、堕地獄の根本原因であり、ただ法華経だけが成仏の教えであると声を大にして主張し貫いて、諸宗の人々を、またその教義を、折伏してみよ。三類の強敵は間違いなく競い起こってくるのである。
われわれの本師である釈迦如来は、随自意の法華経を説いた在世八年の間折伏をなされ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年の間折伏なされた。今また日蓮は二十余年の間、権教の邪義を折破してきた。その間に受けた大難は数えることができないくらいである。これは釈尊の九横の大難におよぶかおよばないかは論じられないが、像法時代の天台や伝教でさえも法華経のために日蓮ほどの大難にはあっていない。ただ悪口されたり怨嫉されたりしただけである。
日蓮は二度幕府の御勘気をうけ、遠国に流罪され、また竜の口の法難では首の座にすえられ、小松原では頭に刀傷をうけた。そのほか悪口されたり、弟子等を流罪にされたり、牢に入れられたり、また日蓮門下の檀那はその所領をとりあげられて領内から追放されたりしている。こうした大難には竜樹・天台・伝教の難といえどもどうしておよぶはずがあろうか。
したがって如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ず競い起こると知って覚悟を決めることである。ゆえに釈尊の滅後から二千年の間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておいて、末法に入ってからは日蓮とその門下の弟子檀那等以外にはないのである。
このわれわれを如説修行の者であるといわないならば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の行者ではなくなってしまう。反対に謗法の提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等が法華経の行者といわれ、釈尊・天台・伝教・日蓮とその弟子檀那等は、逆に念仏・真言・禅・律等の行者ということになってしまうであろう。そして法華経が方便権教の教えであり、念仏等の多くの経々が、かえって成仏の教であるという、逆の関係になるのである。こうしたことはたとえ東と西が逆になることがあっても、大地がその上に繁茂する草木と共に飛び上がって天となり、天の日月・星宿が共に落ち下って地面となる等のことがあったとしても、提婆達多等が法華経の行者となり、爾前経が法華経となるなどということはあろうはずがないのである。
語釈
御勘気
主君・主人・父親などの怒りに触れ、とがめを受けること。また、その怒りやとがめ。
提婆
梵名デーヴァダッタ(Devadatta)、音写して提婆達多、また調達とも書く。漢訳して天授・天熱という。大智度論巻三によると、斛飯王の子で、阿難の兄、釈尊の従弟とされるが異説もある。出生のとき諸天が、提婆が成長の後、三逆罪を犯すことを知って、心に熱悩を生じさせたので、天熱と名づけたという。釈尊が出家する以前に悉達太子であったころから釈尊に敵対し、悉達太子から与えられた白象を打ち殺したり、耶輸陀羅女を悉多太子と争って敗れたため、提婆達多は深く恨んだ。また仏本行集経巻十三によると釈尊成道後六年に出家して仏弟子となり、十二年間修業した。しかし悪念を起こして退転し、阿闍世太子をそそのかして父の頻婆沙羅王を殺害させた。釈尊に代わって教団を教導しようとしたが許されなかったので、五百余人の比丘を率いて教団を分裂させた。また耆闍崛山上から釈尊を殺害しようと大石を投下し、砕石が飛び散り、釈尊の足指を傷つけた。更に蓮華色比丘尼を殴打して殺すなど、破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢の三逆罪を犯した。最後は、王舎城の中で、大地が自然に破れて生きながら地獄に堕ちたとされる。しかし法華経提婆達多品第十二で釈尊が過去世に国王であった時、位を捨てて出家し、阿私仙人に千年間仕えて法華経を教わったが、その阿私仙人が提婆達多の過去の姿であるとの因縁が説かれ、未来世に天王如来となるとの記別が与えられ悪人成仏が説かれた。
瞿伽利
瞿伽利とは梵語。悪時者と訳す。釈迦族の出身で、浄飯王の命で出家。後に提婆を師匠として舎利弗・目連を誹謗して生きながら地獄に落ちた。
善星
一説には釈尊の出家前の子ともいう。出家して、修行し、四禅を得たので四禅比丘という。これを真の涅槃の境涯であると思い、また外道等に近づいて退転しかえって仏法を否定する邪見をいだき、釈尊に対しても悪心をいだいたので、無間地獄に堕ちたとされる。
弘法
(0774~0835)。平安時代初期の僧。日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法は諡号。姓は佐伯、幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(0823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」三巻、「弁顕密二教論」二巻、「十住心論」十巻、「秘蔵宝鑰」三巻等がある。
慈覚
(0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。下野国(栃木県)都賀郡に生まれる。俗姓は壬生氏。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて、仁明天皇の治世の承和5年(0838)入唐して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡をうけ延暦寺第三代の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。著書には「金剛頂経疏」七巻、「蘇悉地経略疏」七巻等がある。
智証
(0814~0891)。比叡山延暦寺第五代座主。諱は円珍。智証は諡号。讃岐(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。母は佐伯氏で空海の姪にあたる。15歳で叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来して帰国した。貞観10年(0868)延暦寺座主となってから、園城寺(三井寺)を伝法灌頂の道場とした。慈覚以上に真言を重んじ、仏教界混濁の源をなした。著書に「授決集」二巻、「大日経指帰」一巻、「法華論記」十巻などがある。
善導
(0613~0681)。中国・初唐の人で、中国浄土教善導流の大成者。姓は朱氏。泗州(安徽省)の人(一説に山東省・臨淄)。幼くして出家し、経蔵を探って観無量寿経を見て、西方浄土を志した。貞観年中に石壁山の玄中寺(山西省)に赴いて道綽のもとで観無量寿経を学び、師の没後、光明寺で称名念仏の弘教に努めた。正雑二行を立て、雑行の者は「千中無一」と下し、正行の者は「十即十生」と唱えた。著書に「観経疏」(観無量寿経疏)四巻、「往生礼讃」一巻などがある。日本の法然は、観経疏を見て専ら浄土の一門に帰依したといわれる。
法然
(1133~1212)。わが国浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、母が剃刀をのむ夢をみて源空をはらんだという。15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。承元元年二月、後鳥羽上皇により念仏停止の断が下され、法然は還俗させられて土佐国(実際には讃岐国)に流罪され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。翌年、許されて京都に戻り、建暦2年(1212)80歳で没した。
良観房
(1217~1303)。鎌倉中期の真言律宗(西大寺流律宗)の僧・忍性のこと。奈良西大寺の叡尊に師事した後、戒律を広めるため関東に赴く。文永4年(1267)鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観と呼ばれる。幕府要人に取り入って非人組織を掌握し、その労働力を使って公共事業を推進するなど、種々の利権を手にした。その有様を「道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい只此の事に在り」といわれている。一方で祈禱僧としても活動し、幕府の要請を受けて祈雨や蒙古調伏の祈禱を行った。文永8年(1271)の夏、日蓮大聖人は良観に祈雨の勝負を挑み、打ち破ったが、良観はそれを恨んで一層大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。十一通御書中の「極楽寺良観への御状」のなかで「三学に似たる矯賊の聖人なり、僣聖増上慢にして今生は国賊・来世は那落に堕在せんこと必定なり」といわれている。
講義
この章は、日蓮大聖人が末法の如説修行の人であり、御本仏であることが明かされている。
ここに二意がある。初めに、日蓮大聖人が諸宗の人法を破折されるや、釈尊、天台、伝教に超過した三類の強敵が競い起こったことをとおして、日蓮大聖人こそ末法の御本仏であることを正しく明かされている。
次に「されば釈尊御入滅の後」以下は本章の結論であり、末法の如説修行の人は、別しては、御本仏日蓮大聖人であり、総じては、大聖人の弟子として、日蓮大聖人の説のままに、三大秘法の御本尊を受持し、折伏に励むわれら末弟であることを結論されている。
日寛上人の筆記には「文相の大旨は日本国の諸人、誰か経文の如く行ずるや。日蓮は経文の如く修行する故に如説修行の人なりという意なり」とある。
諸経は無得道
折伏の義を述べられた御文である。日寛上人は、この文について総破と別破をあげて、釈されている。
総破とは、総じて諸経が無得道であり、衆生を成仏させることのできない教えであると破折されたことをいう。無量義経説法品第二の「四十余年、未顕真実。……不得疾成無上菩提」の文、方便品の「正直捨方便」の文がこれにあたる。これらの文は、附文の辺においては、権実相対であるが、末法今時において、日蓮大聖人の仏法よりこれを読むならば、種脱相対であり、三大秘法の南無妙法蓮華経以外はすべて無得道の経々となるのである。
別破とは、別して諸経をあげて、一々にこれを破折することをいう。日蓮大聖人は、四箇の格言をもって、当時の爾前権経を完膚なきまでに打ち破られている。
秋元御書には「而るを日蓮一人・阿弥陀仏は無間の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗・持斎等は国賊なりと申す故に上一人より下万民に至るまで父母の敵・宿世の敵・謀叛・夜討・強盗よりも或は畏れ・或は瞋り・或は詈り・或は打つ……両度まで御勘気を蒙れり」(1073:01)とある。
この御文は、諸経は無得道であり、かつまた堕地獄の根源であると破折したために、三類の強敵が競い起こったことを述べられたのである。
ここで四箇の格言について付言する。四箇の格言の内容については、今、引用の秋元御書にあったように「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」である。しからば、何故に、このように断定されたかというに、日寛上人は、如説修行抄筆記に次のように述べられている。
念仏が人々を無間地獄に落とす悪法である理由は、主師親の三徳を持たれ、娑婆世界の衆生と縁のある釈迦仏に背き、娑婆世界とは何の関係もない他方仏土の教主たる阿弥陀仏を崇める故に、師匠に敵対し、親に背く五逆罪のために、無間地獄に堕ちるのである。譬喩品には「若し人は信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん……其の人は命終して 阿鼻獄に入らん」とある。念仏を信ずる人々は、無量義経で、仏が自ら「未顕真実」と破折した浄土の三部経を修行し、真実の教えたる法華経を「千中無一」「未有一人得者」などと毀謗する故に、この文のように、大阿鼻地獄へ堕ちるのである。
禅天魔については、禅宗の教外別伝・不立文字の教義が、涅槃経の「願って心の師とはなるとも心を師とせざれ」の制誡、また「仏の所説に従わざる者有らば、当に知るべし是れ魔の眷属なり」の文に合到するところから、このようにいうのである。行敏訴状御会通には「仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云、教外別伝の言豈此の科を脱れんや」(0181:06)と禅天魔の所以を明かされている。
次に、真言亡国については撰時抄に詳しく説き明かされている。日本における真言宗の開祖弘法は、第一真言、第二華厳、第三法華の邪義を立て、その著「十住心論」には、法華経などの一切経は応身の釈迦仏の説であり、大日経は法身大日如来の説であるとし、法身大日如来に比較すれば、応身の釈迦仏は無明の辺域であり、草履取りにもおよばないとして、法華経を「第三の劣」であり、戯論であると下している。
こうした真言宗の教義は、本師たる釈迦如来に敵対する教義であり、また、無量義経において、未顕真実と下された大日経を第一とし、真実たる法華経を第三とする故に、本主を突き倒して、無縁の仏である大日如来を立てる故に、まさしく亡国、亡家、亡人の悪法なのである。
また、律国賊とは、小乗の戒を根本として立てた律宗を末法に弘通することは、教法流布の先後という方程式から考えても、著しい仏法の混乱である。これは、民衆を誑惑し不幸に落とし入れる故に国賊というのである。爾前経も法華経も勝劣は無いとか、法華経は時機にかなわないとして国民を誑惑する者は、国賊である。御義口伝には「末法の正法とは南無妙法蓮華経なり、此の五字は一切衆生をたぼらかさぬ秘法なり、正法を天下一同に信仰せば此の国安穏ならむ」(0786: 第五正法治国不邪枉人民の事:01)とあり、正法治国、邪法乱国の原理が説かれている。
日蓮大聖人は、これらの四箇の格言によって、諸宗を強折し、三類の強敵を呼び起こすことによって、御自身が末法の御本仏であることを証明されたのである。この日蓮大聖人の御振舞いを、御本仏の御姿と拝し得たのは、数ある御門下の中にも、日興上人、お一人であった。その他の弟子の中には、こうした日蓮大聖人の強折に疑問を持ち、内々に批判する者もあった。諌暁八幡抄に「我が弟子等が愚案にをもわく我が師は法華経を弘通し給うとてひろまらざる上大難の来れるは真言は国をほろぼす念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊との給うゆへなり、例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云」(0585:14)とある。
日蓮大聖人の御本意は、あくまでも御本仏として民衆を救済されることにあって、難にあわれることなど眼中にないと拝されるのである。自己の保身のみを考える愚かな弟子等のまったくおよびもつかない御境地と拝すべきであり、これこそ折伏精神の真髄である。故に、 御義口伝には「今日蓮等の類いは無問自説なり念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と喚ぶ事は無問自説なり三類の強敵来る事は此の故なり」(0713: 第七天鼓自然鳴の事:03)と述べられている。折伏はあくまでも随自意であり、この御義口伝の御文は、日蓮大聖人が御本仏の境地にまかせて、振舞われた随自意の折伏を意味するのである。また、その折伏精神は、而強毒之の精神でもある。邪宗邪義に誑惑され、生命力をむしばまれ、本心を失った人々を正法に目覚めさせるには、こうした勇気が必要なのである。故に、御義口伝には、不軽品の「聞其所説皆信伏随従」の文を釈して「聞とは名字即なり所詮は而強毒之の題目なり、皆とは上慢の四衆等なり信とは無疑曰信なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり」(0765:01)と述べられている。また一義には、而強毒之とは、倒れてもなお、御本尊の大功徳を疑わぬ大信力である。国中の非難を受け、生命にもおよぶ大難にあわれながら、弟子を励まし、折伏を行じられた日蓮大聖人こそ、まさに末法の御本仏であることが明々白々ではないか。
今日は順縁広布の時であり、創価学会の折伏は日々、月々、年々に大きな前進をしているが、こうした時こそ、なおいっそう、強き折伏精神に立脚し、大勇猛心を奮い起して信行学に励まなければならない。「音も惜まずよばはり給いて」とは、正にこうした大勇猛心を指して述べられた一句であり、われらはこの日蓮大聖人の折伏精神をば、よくよく心して折伏に励まなくてはならない。
しかして、「諸経無得道」の諸経の内容もまた、あらゆる思想、哲学がこれに該当する。今日、世界の民衆を指導する思想、哲学、宗教はさまざまであるが、二十世紀の初めから始まった自然科学の驚異的な発展は、あらゆる面で人間生活を一変させてしまった。本来、こうした自然科学を指導し、豊かな人間生活を築くべき思想、哲学、宗教はまったく無力と化しているのである。しかるに、世間の人々は、それに気づかず、いたずらに、自己の幸福と豊かな社会から遠ざかっているのが現状である。われらは、そうした過去の遺物のような諸思想を折伏し、日蓮大聖人の大生命哲理を知らしめて、真の人間性に根ざした二十一世紀の新時代を築かなければならない。
われらは妙法の色心不二の生命観に立脚した透徹した人生観、社会観、世界観を有している。しかも時間的には永遠にわたる世界観の確立の上から、一切の思想、哲学の偏見を明らかに見てゆくことができるのである。
現今の思想・哲学を一つ一つ考えることは、ここではしないが、妙法の立場から見て、各々に共通に指摘しうる二、三の点を述べておく。
第一に、マルキシズムにせよ、実存哲学にせよ、その人間観、社会観、世界観の根底に人間生命に対する正しい深い洞察を欠いていることが指摘できる。各人の人生にあって、また社会人として、幸、不幸を感じていくのは個人の生命それ自体である。生命それ自体の尊厳が保障されずして、社会制度上の自由、平等を論じてみても、それは空理、空論にすぎない。妙法は、生命それ自体をあますところなく説ききった完全無欠の大哲理であり、現実に、尊厳なる生命体としての自己を確立する実践方法を有している。故に、一切の人間観、社会観、世界観といえども、ことごとく妙法より生じ、また一切が妙法に帰着されるべきなのである。一切の思想の根底となる生命観が、あるいは唯心論に偏し、あるいは唯物論に偏していることを知るとき、妙法の色心不二の生命観の透徹した深さに、いよいよ信を深めるのみである。
第二に、今日の思想、哲学は、ことごとく現世論である。すなわち、人間の生命は、生まれた時に出来上がり、死ぬと共に無に帰するという生命観に強く制約された考え方に終始している。人間の幸・不幸という問題は、こうした現世論の考え方に立つ以上、明快な因果関係を失い、もはや、とてつもない不可解なものとなってしまっている。しかるに、妙法は、永遠の生命観の上に、厳しい因果が存することを説ききっており、その上で、幸福を実現する方途を説き明かしている。実に、幾重にも勝劣があり、隔たりがある。
これらの勝劣に立ち「諸経無得道」との折伏精神に生ききっていくことが、妙法の革命児であり、真実の創価学会員であることを深く胸奥に懐いて、勇猛精進する日々でありたいものである。
我等が本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ……今日蓮は二十余年の間権理を破す……末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり
釈尊、天台、伝教等の如説修行の正師の先例をあげて、日蓮大聖人こそ末法の御本仏であることを結論され、さらに、大聖人門下として折伏に励む者こそ、真実の如説修行の人であることを述べられている。これは師弟相対に約して末法の如説修行の人を説かれたのである。
「釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ」とは、釈尊一代聖教五十年の説法のうち、後八年に法華経を説いたことをいうのである。法華経のみが折伏に通ずるとする理由は、四十二年の爾前経がいずれも衆生の機に応じて説いた随他意の権(かり)の経であるのに対し、法華経のみが、釈尊の内証を無問自説した随自意の経の故である。
像法時代の天台大師は二十三歳にして法華経を究めてより、五十七歳にして出世の本懐たる摩訶止観を説くまでの三十余年間、南三北七といわれた諸宗をことごとく破折し尽くしたのである。また、日本における伝教大師も二十余年間、南都六宗を破折した結果、ついに桓武天皇の御前で公場対決を行ない、ことごとくこれを打ち破っている。天台、伝教は、時をもってこれを論ずるならば像法・摂受の正師であるが、摂受の時になお、折伏を行じたのである。
日蓮大聖人は、建長五年四月二十八日、立宗宣言されてより、正像に超過する種々の大難の重なるうちに、一切の宗教を折伏し続けられたのである。その間の大難については、前述したが、まさしく「其の間の大難数を知らず」との仰せのとおりであった。釈尊の九横の大難、天台、伝教が悪口され、怨嫉されたのみであることと比べれば、まさに天地の差がうかがえるのである。
「九横の大難」の文について、日寛上人は、この文は種脱相対して読むべきであると釈されている。すなわち、御本仏日蓮大聖人と天台、伝教等とは、種熟の異なりがあり、本迹事理の不同勝劣が存するのである。天台、伝教は迹門熟益の教主であり、理の一念三千を説いたのに対し、日蓮大聖人は、下種本因妙の教主として、文底独一本門の事の一念三千を説かれたのである。これについて、治病抄には「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり」(0998:15)と述べられている。
しかして、これらの大難の中にあって、日蓮大聖人の御振舞いは、悠揚せまるところのない大確信に満ちみちたお姿である。御義口伝下に「四衆とは日本国の中の一切衆生なり説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり云云」(0765: 第十一於四衆中説法心無所畏の事:01)と、この大確信が述べられている。この御振舞いこそ、御本仏の大慈大悲にあらずしては、とうていなし得ないことである。ゆえに御義口伝下には、御本仏の大慈悲を次のように釈されている。「御義口伝に云く不軽礼拝の行は皆当作仏と教うる故に慈悲なり、既に杖木瓦石を以て打擲すれども而強毒之するは慈悲より起れり、仏心とは大慈悲心是なりと説かれたれば礼拝の住処は慈悲なり云云」(0769: 第廿六慈悲の二字礼拝住処の事:01)と。
しかして、先に引用の御義口伝に「今日蓮等の類」と申されて、御自身の折伏行はもとより、われら末弟等に対しても、勇猛心とゆるぎない確信に立って折伏行にあたるべきことを教示されている。われらは、この精神をよくよく心して、御本尊を拝し、御本仏の大慈悲を帯して折伏に励むべきである。
この実践に立ったとき、はじめて「日蓮並びに弟子檀那等是なり」と申されたように、日蓮大聖人の弟子ともいわれ、如説修行の人ともいわれるのである。われらは、この仏弟子としての誇りを胸に抱き、敢然と折伏戦を戦い抜く決意に立つべき時を迎えていることを深く認識していかなければならない。
第七章 (誡勧す)
本文
哀なるかな今・日本国の万民・日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上・今日は身の上なれば日蓮並びに弟子・檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし、只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値わん時我等何計無慚と思はんずらん、汝等何計うらやましく思はんずらん。
一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ、縦ひ頚をば鋸にて引き切り・どうをばひしほこを以て・つつき・足にはほだしを打つてきりを以てもむとも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦・多宝・十方の諸仏・霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へ・はしり給はば二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し諸天・善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり、あらうれしや・あらうれしや。
文永十年癸酉五月 日 日 蓮 在御判
人々御中へ
此の書御身を離さず常に御覧有る可く候
現代語訳
哀れなことかな、今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっている有様を見て、悦んで嘲笑していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上とは世の常の習いである。いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が、朝の太陽にあって消えてしまうように、わずかの間の辛抱ではないか。そしてついに仏果に叶って、寂光の本土に住んで自受法楽する時に、今度は反対に、今まで笑ってきた謗法の者が、阿鼻地獄の底に沈んで大苦にあうのである。そのとき、われわれはその姿をどんなにかわいそうに思うことだろう。また彼らはわれわれをどんなにかうらやましく思うことだろう。
一生は束の間に過ぎてしまう。いかに三類の強敵が重なろうとも、決して退転することなく、恐れる心をもつようなことがあってはならない。迫害を受けて、たとえ頸を鋸で引き切られようとも、胴をひしほこでつきさされ、足にはほだしを打って、そのうえ錐でもまれたとしても、命の続いているかぎりは、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱えとおして死んでいくならば、釈迦・多宝・それに十方の諸仏が、霊山会上で約束があったとおりに、ただちに飛んで来て、手を取って肩にかけ、霊山にたちまち連れていって下さるのであり、薬王菩薩と勇勢菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、それから十羅刹女等が、死の直前まで大難と戦った者をかばい護り、諸天善神は天蓋を指し旗をかかげてわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に、送りとどけて下さるのである。なんとうれしいことではないか。
文永十年癸酉五月 日 日 蓮 在御判
人々御中へ
この如説修行抄を常に身辺から離さず読んで実践していきなさい。
語釈
寂光の本土
四土の一つ、常寂光土のこと。寂光の宝刹ともいう。天台宗では法身の住む浄土とされる。法華経に説かれる久遠の仏が常住する永遠に安穏な国土。これをふまえて、万人の幸福が実現できる目指すべき理想的世界のことも意味する。法華経如来寿量品第十六では、釈尊は五百塵点劫という久遠の過去に成仏した仏であり、それ以来、さまざまな姿を示してきたという真実が明かされる。同品では、娑婆世界の実相は常寂光土であるが、衆生はそれぞれの業の影響力によってその真実の姿から隔てられ、迷いと苦悩の世界だと思い込んでいる。しかし、「一心欲見仏 不自惜身命」の信心・修行の人には、常寂光土の久遠の釈尊が感見できる、すなわち、一心に仏に会おうとして身命を惜しまない者のもとに、法華経の説法の聴衆たちとともに出現すると説かれている。したがって、娑婆世界こそが久遠の釈尊の真実の国土であり、永遠不滅の浄土である常寂光土と一体であること(娑婆即寂光)になる。
自受法楽
「自ら法楽を受く」と読む。法楽とは仏の覚りを享受する最高絶対の幸福のこと。妙法の功徳を自身で享受すること。四条金吾殿御返事には「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く『衆生所遊楽』云云、此の文・あに自受法楽にあらずや」(1143:01)と述べられている。
阿鼻大城
八大地獄の一つ、阿鼻地獄のこと。阿鼻は梵語アヴィーチ(Avīci)の音写で、訳して無間といい、苦を受けるのが間断ないことをいう。周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれているところから阿鼻大城、無間大城ともいわれる。大焦熱地獄の下、欲界の最低部にあるとされ、八大地獄の他の七つよりも一千倍も苦が大きいという。五逆罪、正法誹謗の者が堕ちるとされる。
ほだし
馬の足にかけて、歩けないようにする縄のこと。
手をとり肩に引懸けて
法華経法師品第十に「其れ法華経を読誦すること有らば、当に知るべし、是の人は仏の荘厳を以て自ら荘厳すれば、則ち如来の肩の荷担する所と為らん」とある。
二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し
法華経陀羅尼品第二十六で、陀羅尼を唱えて法華経の行者を守護し、悪魔を降伏させると誓った薬王菩薩と勇施菩薩の二聖と、持国天・毘沙門天の二天と、十人の羅刹女のこと。合わせて五番善神といい、五番神呪ともいう。
此の書御身を離さず常に御覧有る可く候
常に身口意の三業で折伏を行ずることが、この如説修行抄を読むことになる。したがって常に心に本門寿量品文底の御本尊を念じ、あるいは御本尊に向かって、事の一念三千の南無妙法蓮華経の題目を唱えるとともに、化他行すなわち折伏に励むようにとの意である。日寛上人の筆記には「啓蒙・健抄の意は縦い常に此の書を頚にかけ懐中したりとも此の書の意を忘れて折伏修行せざれば不離にあらず云云、私に云く常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わざれば心が謗法に同ずるなり、口に折伏を言わざれば口が謗法に同ずるなり、手に珠数を持ち本尊に向かわざれば身が謗法に同ずるなり、故に法華本門の本尊を念じ本門寿量の本尊に向かい口に法華本門寿量文底下種事の一念三千の南無妙法蓮華経を唱うる時は身口意三業に折伏を行ずる者なり、是れ則ち身口意三業に法華を信ずる人なり云云」とある。
講義
本章は如説修行抄全体の結論に相当する段である。前章までに論じてきたように、日蓮大聖人こそ末法の御本仏であり、日蓮大聖人の仰せのままに、三大秘法の御本尊を受持し、折伏に励むことが末法の如説修行であることが明らかにされた。
本章では、いかなる難があろうとも、絶対に退転したり、恐れてはならないと誡められ、さらに、いかに苦しいことがあっても、生命のある限り御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱え貫くように勧められている。
本抄で、弟子門下に対し、断固として信行を貫くよう厳しく激励されている背後には、竜の口の発迹顕本以後さらに佐渡において、「開目抄」「観心本尊抄」などの重書に人法の本尊を開顕され、御本仏としてのさらに深い確信に立たれた上に、門弟を思う大慈悲のお心が働いていると拝されるのである。
哀なるかな今・日本国の万民・日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上・今日は身の上なれば日蓮並びに弟子・檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし
俗衆増上慢、謗法の人の人生を述べられた御文である。一往は、大聖人御在世当時の世間の人々の姿を述べられているが、再往は、今日、広宣流布に前進する創価学会を軽賤し、嘲笑する人々の姿を指している。こうした俗衆増上慢の出現は、仏法の方程式であり、また彼らが正法誹謗の罰を受けていくことも当然の帰結である。聖人御難事に「過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(1190:02)とその方程式が示されている。
さて、われらの信心の立ち場からこれを考えるならば、聖人御難事の「ただ一えんにおもい切れ、よからんは不思議、わるからんは一定とをもへ」(1190:18)との信心に徹すべきである。また、閻浮提中御書の「日本国のせめは水のごとし・ぬるるを・をそるる事なかれ」(1589:12)との御金言のままに、正法を知らないで誹謗する愚者などに、ほめられることこそ第一の恥と心得て、御本仏にほめられるような透徹した信心に立つべきである。
また、われら自身も無智の人々から謗ぜられることにより、悪業を転じ福運豊かな生命活動となっていくことができるのであり、正法を修行するわれらを謗ずる人々も、一たんは地獄の苦を経験しても、必ず逆縁を結んで救われていくのである。故に、御義口伝には「御義口伝に云く此の文は法華経の明文なり、上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、凡有所見の菩薩を無智と云う事は第六天の魔王の所為なり、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無智の比丘と謗ぜられん事経文の明鏡なり、無智を以て法華経の機と定めたり」(0765:第九言是無智比丘の事:01)とある。地域的にも、時間的にも広範な活動を展開している以上、世人の批判のあることは、むしろ当然すぎるほど当然である。最近になり、やや正確な認識が行なわれつつあるとはいっても、過去になされた愚かな、誤れる報道は、かなりの人々に誤った創価学会の姿を植えつけてしまっている。
先に引用した「言是無智比丘」の御義口伝によればこれらの人々こそ、末法で三大秘法信受の機であり、生命の奥底においてはわれらの折伏を待ち望んでいる人々である。勇躍して折伏に励むことこそ、急務であり、重大事であることをさらに確認しておきたい。
只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時……うらやましく思はんずらん
種々の難を乗り越えて信心しぬいた大功徳、無量の福運を述べられた御文である。ここで「仏果に叶いて」とは、御本尊と境智冥合し、わが身即当体蓮華、無作三身と開覚していくことをいうのである。さらに「人貴きが故に所尊し」の理によって、その人の所住の処は仏国土と変じ、自受用身の当体として、「ほしいままに受け用いる身」として行動し、生活に豊かな価値創造をしていくことができるのである。
かつて創価学会は、病人と貧乏人の集団であると悪口されたことがあった。しかるに、五年、十年と信仰に励んだ人々の家庭が、どのように幸福になっているかは、今日の学会員の姿の中に明らかである。各人が自己の宿命と闘い、人間革命し、また明るい豊かな家庭を築いている現実こそ、何にもまして、如説修行の大功徳を証明するものである。
たんなる繁栄、富裕ではなく、各人が強い主体を確立し、人間として自己に生ききっている姿、そしてよき社会人として、おのれの個性を生かして価値創造していく生活こそ、自受法楽の姿である。
ここで御本尊と、われら衆生との関係について論ずれば、それは四法によって関係づけられている。四法とは信力・行力・法力・仏力である。信力・行力はわれら衆生の二法であり、法力・仏力は御本尊の功徳力の二法を指している。
総勘文抄にいわく「所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり……此れを観心と云う実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終を礙わる可き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず」(0569:16)と。
「己心と仏心と一心なり」ということは、仏心も妙法五字の本尊であり、己心も妙法五字の当体であると悟ることである。すなわち、われら衆生の生命それ自体が、妙法の五字であるというのである。仏心、己心は異なるといっても、妙法蓮華経の五字に変わりはないのである。
しからば、それを覚知するためにはどうすればよいか。それは、われら衆生の信力・行力にあるのである。ただ一心に御本尊を信じ、信力・行力に励むところに、仏心と己心が冥合して仏力・法力は厳然とあらわれるのである。
それでは信力・行力とは何か。信力とは無疑曰信の信である。素直で純真な信に、一点でも不信が混じるとき、清冽なる御本尊に冥合できえず、仏力・法力は現じえないことになる。どこまでも誡めなければならないことは、疑うということである。
また行力とは、まさしく如説修行であり実践活動によって、目的を達する力をいう。これに、自行と化他の二意がある。すなわち自行とは唱題、化他とは折伏である。観心本尊抄文段上に云く「伝教大師の深秘の口伝に云く『臨終の時南無妙法蓮華経と唱うれば妙法三力の功に由り速かに菩提を成ず、妙法三力とは一には法力・二には仏力・三には信力なり』云云、南無妙法蓮華経と唱るは豈に行力に非ずや」と。
この信力・行力あるところに、仏力・法力の功徳の花が咲くのである。おのれの信力・行力が常に仏説どおりの如説修行であることを願って大信力・大行力を出して、仏力・法力を顕現していきたいものである。
縦ひ頚をば鋸にて引き切り・どうをばひしほこを以て・つつき云云
「一期を過ぐる事……」からが誡門であり、この文は勧文である。すなわち、どんな苦しい目にあっても、どのような大難があったとしても、命のある限り南無妙法蓮華経と題目を唱えぬいていくことを勧められている。日寛上人の文段には「此の下誡勧なり、初めは誡門。『縦ひ頸をば』の下は勧門なり、『ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ』とは勧持品の『当に忍辱の鎧を著るべし』及び涌出品の『精進の鎧を被』の文の意なり、啓運抄三十九・十九に云く『瞋恚の剣をば忍辱の鎧・之を防ぎ懈怠の剣をば精進の剣・之を防ぐ』文、今の御文言の意当(まさ)に精進の鎧を着して退心無く、忍辱の鎧を着て恐れる心無ければなり云云」とある。
要するにどのような苦しい難があっても、生涯不退転の決意で信心を続けるべきである。そのようにして死んでいくことができたなら、釈迦・多宝・十方の諸仏が、法華経の会座で法華経の行者を守ることを誓っているから、すぐ飛んで来て、霊山まで連れていくのである。これはわれらの宗教革命に犠牲がないとの明文であり、信心を貫くことにより、必ず成仏・永遠の幸福、絶対の幸福境涯に生ききれるという因果俱時・受持即観心を明かされた御本仏の断言である。
われら衆生の幸福を願う御本仏日蓮大聖人が、御自身は佐渡流罪の大難のまっただ中にあって、門下に対し、不退の仏心の決意を固めさせておられることを考えるときに、専制政治、封建制度下の逆縁広布の時代に信心を貫くことがいかに困難であったかを思わざるをえない。今順縁広布の時に生まれ合わせ、大きく創価学会に守られながら信心に励めるわれわれは、一切を投げ打って広布を目指していく、弘法のためにつくしていく心がけでありたいものである。
此の書御身を離さず常に御覧有る可く候
此の如説修行抄を身口意の三業で読みきっていきなさいとの御文である。
日寛上人は、この文について、次のように述べられている。心に折伏を忘れて四箇の格言を思わなければ、心が謗法に同ずることになる。また、口に折伏をいわなければ、口が謗法に同ずることになる。手に数珠を持ち、本尊に向かわなければ、身が謗法に同ずることになる。故に、法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向かい、口に法華本門寿量文底下種の一念三千の南無妙法蓮華経を唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者となるのである。これこそ身口意の三業に法華経を信ずる人なのである。