上野殿御返事(日若御前誕生の事)
弘安3年(ʼ80)8月26日 59歳 南条時光
女子は門をひらく、男子は家をつぐ。日本国を知っても、子なくば誰にかつがすべき。財を大千にみてても、子なくば誰にかゆずるべき。されば、外典三千余巻には、子ある人を長者という。内典五千余巻には、子なき人を貧人という。
女子一人、男子一人。たとえば、天には日月のごとし、地には東西にかたどれり。鳥の二つのはね、車の二つのわなり。されば、この男子をば日若御前と申させ給え。くわしくは、またまた申すべし。
弘安三年八月二十六日 日蓮 花押
上野殿御返事
現代語訳
女子は家門を開き、男子は家を継ぐものである。日本国を治める身となっても子がなければだれに継がせたらいいか。財宝を三千大千世界に満ちるほど得ることができても子がなければだれに譲ることができようか。それゆえに、外典三千余巻には子のある人を長者といい、内典五千余巻には子のない人を貧人と説かれている。
女子一人、男子一人の子持ちである。たとえば天に日月、地には東西があるように、また鳥に二つの羽、車に両輪があるようなものである。そこで、この男子を日若御前と呼ばれるがよい。詳しくはまた申し上げる。
弘安三年八月二十六日 日 蓮 花 押
上野殿御返事
語句の解説
大千
大千世界とも三千大千世界ともいう。古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
外典三千余巻
「外典」は仏教以外の経典のこと。「三千」は中国の儒家と道家の書が合わせて三千余巻あることをいう。
内典五千余巻
内典とは仏教経典のこと。開元釈教録によれば、5048巻に収められているところから、こう呼ばれる。
日若御前
南条時光の長男・左衛門太郎のことと思われるが、未詳。
講義
本抄は弘安3年(1280)8月26日、大聖人が聖寿59歳の御時、駿河国上野の南条時光に与えられた御手紙である。御真筆は存していないが、日興上人の写本が大石寺に現存する。
男子が誕生したことを喜ばれ、名前を「日若御前」と名づけられているところから「日若御前誕生事」「子宝書」との別名がある。
女子は門をひらく・男子は家をつぐ
最初に男子と女子の役割の違いについて述べられている。「女子は門をひらく」とは、女子は他家に嫁いで、家門を広げていくのに対し「男子は家をつぐ」すなわち、家系を継いでいくことになる。子孫を残すという面においては、ともに大切な存在であることは違いがないが、女性には「門をひらく」と仰せのように、横に広げていくという特色がある。それに対し、男性は「家をつぐ」すなわち、名を継いで、縦に存続させていく点に特色がある。とくに長男の場合は、名を継ぐのみではなく、家そのものを継ぐという役割をもっているのである。
現在では、「家」の概念が大聖人御在世ほど強くなくなった。しかし、大聖人の御在世当時の武士にとっては、家を継ぐ子がいるかどうかということは、まことに重要であった。したがって、男子を産めない嫁は、資格がないとされ、「嫁して三年子なきは去れ」とまでいわれたのである。
まして「日本国を知つても子なくは誰にか・つがすべき、財を大千にみてても子なくばだれにかゆづるべき」と仰せのように、権門勢家の場合、世継ぎがいないということは深刻な悩みであり、家を継ぐべき男児の誕生は大変な喜びであった。南条時光は上野郷の地頭であり、男児誕生を大聖人は、心から喜ばれているのである。
されば外典三千余巻には子ある人を長者といふ云云
「されば外典……」の外典とは、ここでは中国の儒教等の典籍をさす。儒教は道徳を中心にした思想であるが、親子における倫理はその中心をなすものの一つであり、有名な「孝経」などがある。
もちろん、子を何よりの宝とするのは、儒教に限らない。思想というより、むしろ人間のもつ自然な感情の次元であろう。日本の万葉集にも、山上憶良の長歌に子らを思う歌があり、その後に添えられた「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」という反歌は有名である。
仏教において子がいないのを貧人というのは、単に現世に孝行をしてくれる人がいないというのみではなく、親が死んだ後、子供が追善供養によって親を救うことができない意味も含められているのである。大聖人は千日尼に与えられた御手紙で、子は宝であるとして、心地観経の文を挙げておられる。
「其の男女は勝福を追うをもって大金光あって地獄を照らし、光の中に深妙の音を演説して、父母を開悟して発意せしめん」と。
これは子は親からどれほど恩を受けているかを説いたなかで、子は親に何ができるかを示した部分である。父母の没後にさまざまな功徳を修めれば、亡くなった父母はその追善供養の力で罪を滅する功徳を得ることができると説いているのである。
大聖人は、さらに、安足国王、目連、浄蔵・浄眼の例を挙げて「千日尼御返事」に「子にすぎたる財なし・子にすぎたる財なし」(1322:07)と、子が最高の宝であることを強調しておられる。
女子一人・男子一人・たとへば天には日月のごとく・地には東西にかたどれり
本抄では、次いで、時光が男子一人、女子一人を得たことは、あたかも天には日月、地には東西のように、また鳥の二つの羽、車の二つの輪のように理想的なことであると仰せになっている。冒頭に「女子は門をひらく・男子は家をつぐ」と仰せのように、男児・女児とそろっていることはすばらしいことであるとの意で、大聖人が男女を平等に考えておられたことは、この御文からも明白である。法華経の思想は一切衆生皆成仏道であり、そこには男女の差別などないのが当然であって諸法実相抄には「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360:08)と明瞭に仰せられている。
大聖人は、生まれてきた男児に「日若御前」の名を与えられているが、日蓮大聖人の日の一字を頂戴したうえに、若々しく未来へすくすくと伸びゆく姿が彷彿とする素晴らしい名前である。時光はどれほど歓喜したことであろう。