新田殿御書

新田殿御書

 弘安3年(ʼ80)5月29日 59歳 新田信綱夫妻

 使い、御志限りなきものか。経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願、必ず成就せんか。恐々謹言。
  五月二十九日    日蓮 花押
 新田殿御返事
  ならびに女房の御方 

 

現代語訳

御使を遣わされた御志この上なく尊いものである。経は法華経・顕密第一の大法である。仏は釈迦仏、諸仏の中の第一の仏である。行者は法華経の行者に相似している。三事は既に相応している。檀那の一願は必ず成就するであろう。恐恐謹言。

五月二十九日                   日蓮 在 御 判

新田殿御返事

並に女房の御方

 

語句の解説

顕密

真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた経を密教、法華経のようにあらわに教えを説かれたものを顕教という本末顚倒の邪義を立てている。真実は、大日経のごとき爾前の経々こそ、表面的、皮相的な教えで顕教であり、未曾有の大生命哲理を説き明かした法華経こそ密教である。寿量品には「如来秘密神通之力」とあり、天台の法華文句の九にはこれを受けて「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等とある。

 

檀那

布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。

 

新田殿

生没年不明、新田四郎信綱のこと。日蓮大聖人御在世当時の信徒、伊豆国仁田郡畠(静岡県田方郡函南町仁田畑毛)に住した。本領は陸前国登米郡(宮城県登米郡)の上新田であったが、一族は多く北条家に仕えた伊豆に領地を賜っていた。信綱は日目上人の兄。母の蓮阿尼は南条家の人。妻は南条時光の姉。この縁故により信綱は大聖人に帰依した。日興上人の身延離山後、南条時光とともに、大石寺の建立・外護の任で活躍している。

 

講義

タイトルとURLをコピーしました