本抄は、伊豆の信徒・新田四郎信綱とその夫人が、使いを遣わし御供養を奉ったことに対する返礼の書せある。御真筆は大石寺にある。御執筆の年月については「5月29日」とあるだけで年次は記されていないが、弘安3年(1280)と推定されている。
新田四郎信綱については日目上人のすぐ上の兄であり、南条時光の義兄であった。そうした関係から、日興上人と縁が深く、日蓮大聖人御在世のみならず、滅後においても強盛な信心を貫いた。日興上人の本尊分与帳には「新田四郎信綱は、日興第一の弟子なり、仍て申し与うる所件のごとし」とあり、ひときわ抜きん出た信仰者であったと推察される。南条時光の姉である夫人も末尾に「並びに女房の御方」と得に記されているように、夫を支える純真の人であったようである。
信綱の行く跡や生没年等は不明であるが、建治3年(1277)の上野殿御返事「にいた殿の事まことにてや候らん、をきつの事きこへて候」(1540:06)との御文があり、このころ信綱はその周辺と興津浄蓮房に何らかの出来事があったようである。あるいは熱原の一連の法難に関連した迫害のようなものがあったのかもしれない。
なお本抄は漢文で書かれており、信綱が教養ある人であったことがうかがわせる。
短い御手紙ながら、仏法の根本義の一つである三宝について記され、その三宝を持った檀那であるから、新田四郎の願いは必ず成就するであろうと励まされている。
三宝は仏宝・法宝・僧宝の三をいうが、本抄では「経は」の御文が法宝、「仏は」の御文が仏法、「行者は」の御文が僧宝である。
仏宝とは宇宙・三世の真理をわきまえた教主である仏を宝とするものであり、その仏の悟りに基づいて説かれた法を宝とするのが法宝、法を学び伝えていく僧を宝とするのが僧宝である。衆生を救い浄化していく宝としてこの三つが重んじられたのである。
この三宝は、小乗や権大乗、実大乗等のそれぞれについて立てられる。小乗では小乗の仏、四諦・十二因縁等の法、それに二乗や菩薩が僧として、それぞれ三宝となり、権大乗においてもその教主を仏法・三諦を基本とした六波羅蜜、戒定慧の三学などを法宝、菩薩を僧宝としているのである。
しかし、小乗・権大乗で立てる三宝より実大乗である法華経の三宝が勝れるのは当然である。法華経迹門の三宝は始成正覚の釈尊が仏法であり、一念三千が法宝、地涌の四菩薩が僧宝である。小乗・権大乗等の三宝とは比べものにならない。
しかし、これらも末法に出現した久遠元初下種の本門三宝に比べるならば天地雲泥の違いとなるのである。すなわち末法の三宝とは、仏宝が久遠元初自受用報身如来の再誕であられる日蓮大聖人であり、法宝は本門の大本尊であり、僧宝は大白法を正しく受け継がれた第二祖日興上人を随一とするのである。
さて本抄においてお示しの三宝は、権実相対したうえで立てられる法華経の三宝である。これは新田信綱と夫人の機根等を考えられたものであろう。したがって本抄では、御自身を「行者は法華経の行者に相似たり」と、僧宝にあてておられる。このことは、大聖人が外用において上行菩薩の再誕であることを示されたものであるが、内証において仏宝、すなわち久遠元初自受用報身如来の再誕であられることを秘されていることはいうまでもない。
なお、法宝として法華経を「顕密第一の大法なり」と説明されているのは、真言の所立とは違い、法華経に説かれる如来秘密の教えこそ真実の秘密であるとの意から述べられたものである。真言家において、大日如来の説いた教えを密教と立て、他はすべて顕経と下すのは根拠のない邪説であり、その法は二乗不作仏、始成正覚の浅いものにすぎない。顕密の立て分けを用いるとすれば、法華経に説かれる一念三千の観心の法門こそ密教であり、更に一重立ち入るならば、その文底に秘沈された南無妙法蓮華経こそ、真実の如来秘密の教えであり、他はすべて文上の顕教となるのである。
この三宝はすでに完璧にそなわっている故に、それを支える檀那の願いも必ず成就するであろうと述べられている。おそらく、信綱夫妻は、御供養した際、なんらかの祈願を込めたものと思われる。それについて、供養をする対象を間違えば、願いもかなわないが、正しい仏・法・僧に供養したのであるから、祈願も必ずかなうとの激励をされているのである。信綱夫妻も、正法の信者の誇りをいよいよ固めて信仰の道に励んだことであろう。